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【第六部:終わりと始まり】第十章

召喚

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 槍が振り下ろされた。

「だめ――!!」

 矢頭がティーダの背中を貫く瞬間、小気味よい破裂音がして槍が粉々になった。それを皮切りに、二十人近く並んだ槍兵たちの槍が、次々と弾けていく。

「くそ……なんだ!? 破壊の力か!? 誰だ――!」

 リキュスの顔が怒りに歪む。青玉宮にいた槍兵が瞬く間に無力化され、すかさず残った衛兵たちが剣を抜いた。

「ティーダ!」

 自由になった五人は素早く立ち上がり、エルシャの声に反応したティーダが小さくうなずいた。突然五人の手元が光り輝き、それが消えた瞬間、それぞれの手に武器が握られていた。エルシャには長剣、ゼムズには大剣、フェランには細身の剣、そしてナイシェとティーダの手元には短剣が出現した。

「完璧だぜ、小僧!」

 ゼムズが歓喜の声をあげる。その目はギラギラと輝き、飢えた獣のように衛兵たちを見据えていた。

「剣なら負けねえ、ひとり残らずぶった切ってやる!」

 衛兵が一斉に襲い掛かる。

「女は殺すな! あいつが解放されるぞ!」

 リキュスが叫ぶ。ナイシェはティーダを襲う剣を次々と破壊していった。

「くそ、破壊の民は誰だ!?」

 リキュスが再び数本の触手を伸ばし、ナイシェやフェランを締め上げる。しかし今度はそれもすぐさま根元から破壊された。リキュスがにやりと笑う。

「私はサルジアとは違う。我が主人の身を削ったこの力を授かったからには、なんとしてもおまえたちの息の根を止めてやる」

 リキュスが両腕を掲げると、無の空間に空気の渦が出現し、たちまち巨大な竜巻となってナイシェたちを飲み込んだ。強い風圧で体が思うように動かず、荒れ狂う空気は無数の刃となって体を切り裂く。

「ナイシェ……!」

 ティーダが叫び声をあげる。ナイシェは竜巻に翻弄されながら何とかティーダの手を掴むと、ぐいと引き寄せた。体中に血が滲むティーダを胸に抱え込む。腕で顔をかばいながらかろうじて目を開けると、目まぐるしく回転する景色の中で、一瞬だけリキュスの姿を捉えることができた。すぐさま破壊の力を行使しようとして、躊躇する。

 ――もしもリキュスが悪魔の手先で、完全に敵だったとしたら、リキュスから封印のかけらを奪い自らに埋めて、イシュマ・ニエヴァを解放するしかない――

 エルシャの苦渋の決断が脳裏をよぎる。

 ――必要とあらば、その命を奪うことも、厭わない――

 低くそう声を絞り出したときの、エルシャの表情が忘れられなかった。

「ナイシェ……! 息が、できな……い……」

 暴風にもみくちゃにされ、ティーダが呻く。

 今が、そのときなのか。

 一瞬の迷いのあと、ナイシェは天井を見上げた。今ではすぐ近くに迫っている青玉宮の白い天井に向かって、ナイシェは力を発動した。大きな爆発音とともに天井の一部が吹き飛び、大小の瓦礫となってリキュスの頭上に降り注ぐ。同時にナイシェたちを襲う白い竜巻が消失し、ナイシェはティーダを抱えたまま地面にしたたか叩きつけられた。薄暗い青玉宮が灰色の空に晒され、土煙が淡い光の帯に照らされる。

「ナイシェ! 大丈夫ですか!」

 フェランに抱き起されたが、痛みのあまり声が出ない。ナイシェの下からティーダが這い出てくるのと、リキュスが瓦礫を押しのけて立ち上がるのはほぼ同時だった。

「忌々しい奴らめ。衛兵! あの小僧を殺せ! 創造の力は厄介だ、先に始末しろ!」

 一瞬にして、兵士たちの剣先がティーダに向けられる。

「そうはさせねぇよ!」

 隙を逃さず、ゼムズが容赦なく背後から兵士たちを斬りつける。なおも束になり向かってくる兵士の頭上が突然発光し、巨大な岩石が出現して男たちを押し潰した。それをかいくぐって剣を繰り出す衛兵にフェランが応戦するが、ナイシェとティーダをかばいながらの戦いで相手が近衛兵では分が悪い。兵士の薙ぎ払った長剣が、フェランの右手から細剣を弾き飛ばした。剣先がフェランを切り裂こうとした瞬間、ナイシェがすんでのところでそれを破砕する。ティーダが次々と兵士の上に岩の雨を降らし、ナイシェは武器を破壊していった。しかし二人の体は、痛みに加えて惜しげなくかけらの力を使うことで、限界が迫っていた。

 訓練を積んだ近衛兵が、百戦錬磨のゼムズを前に次々と倒れていく。血だらけの大剣を振り回しながら、ゼムズが叫んだ。

「エルシャ! 覚悟を決めろ、長くはもたねえぞ!」
「わかっている! だが、隙が――!」

 エルシャの目はしっかりとリキュスを捉えていた。しかし、その前に幾人もの兵士がエルシャを取り囲み、容赦なく攻撃を仕掛けてくる。寸分の迷いもなく剣を振るその姿は、もはや王国兵ではなく悪魔の手先そのものだった。

「さて、仲間の命が失われるのも時間の問題だと思うが」

 リキュスが腕を組んで悠然とエルシャを見下ろしている。多勢に無勢だ、いくら神の民を擁するとはいえ、王国随一の軍隊を相手に持久戦で適うわけがない。

「かけらの在り処をいう気には、まだならないのか?」

 前から後ろから攻めてくる衛兵に押されながら、エルシャは叫んだ。

「おまえが……おまえが解放できないというのなら、俺が……! おれが、おまえを封印から解いてやる……!」

 エルシャは渾身の力を振り絞って衛兵に剣を一閃させると、脇目も振らずリキュスに向かって走り出した。

「聞こえるか、リキュス! おまえを、このままでは終わらせない――!」

 エルシャは全力で剣を振り上げた。迷いを断ち切るようにその剣をリキュスの胸に振り下ろそうとしたとき、エルシャの体を鈍い音が貫いた。

 腕ほどの太さがある褐色の触手が、エルシャの右肩を貫いていた。

「うああ……っ!」

 焼けるような痛みがエルシャを襲う。剣を落としたエルシャの右腕から、深紅の血がしたたり落ちた。

「エルシャ!」

 触手を破壊しようとするナイシェの目の前で、衛兵の剣がティーダの背後を狙う。ティーダを突き飛ばすように覆いかぶさったナイシェの左腕を、衛兵の剣が切り裂いた。

「あ……っ」

 押さえた指の間から血が溢れる。

「ナイシェ!」

 ティーダが泣きそうな顔で縋りつく。その前後を守るように、ゼムズとフェランが応戦した。分散していた敵は今やティーダに集中し、善戦しているとはいえまだ十人以上は残っている。

 リキュスは痛みに悶えるエルシャの顔を蹴り飛ばすと、倒れたその体を無造作に踏みつけた。血だらけになったエルシャの上着を乱暴にまさぐると、吐き捨てるようにいう。

「かけらはここにはなさそうだな。……信頼する者に、預けたか……?」

 エルシャを貫く触手が竜のように昇り、エルシャの体は自由を奪われたまま宙に浮いた。右肩の痛みは耐えがたく、腕の感覚はすでになくなっていた。
 リキュスが衛兵のひとりに合図を送ると、うなずいた兵士が青玉宮をあとにする。リキュスは、ぽっかりと穴の開いた青玉宮の天井を見上げると、いった。

「かけらはじきにすべて集まる。今こそ、我が主人の復活のときだ!」

 リキュスは両腕を広げ、アルム語ではない言葉を呪文のように唱え始めた。

「『この世の天と地、無と闇のすべてを司る我が主人よ、今こそ目覚めの時。絶大なる畏怖と敬仰の念を持って、今、ここに召喚す。光のかけらを闇に染め、その偉大なる復活への供物としたまえ』」

 全員が、その言葉をはっきりと聞き取った。それは、ナリューン語で語られていた。

「その口で……神の言葉を、語るな……!」

 呻くエルシャに、リキュスがうすら笑いを浮かべる。

「おや、神の記憶をもつおまえなら、知っているだろう。ナリューン語は、太古から存在する言葉。光と闇は、表裏一体なのだよ。私の言葉はたった今、我が主人に届いた。主人はこれより、真の復活のため降臨される。案ずるな、これは悪魔と人間との戦いではない。悪魔と神との戦いだ。主人は人間を滅ぼしたりはしない。悪の血を継ぐ僕たちは、生を得るであろう」

 光に照らされていた青玉宮が、不意に暗くなった。崩れた天井を見上げ、皆息を呑んだ。灰青色の空を侵蝕するように、どす黒い雲が広がっていく。それは厚く、どこまでも深い闇の色をして、生き物のように空を舐め尽くそうとしていた。
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