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【第六部:終わりと始まり】第九章

書簡

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 一瞬にして緊張が走る。テュリスが素早く身を隠し、ナイシェはティーダを別室へ誘導した。それらを見届けてから、ジュノレがゆっくりと扉を開ける。
 目の前のワーグナが、恭しくこうべを垂れた。

「お休みのところ失礼いたします。エルシャ様はご来室でしょうか」

 エルシャが進み出た。ワーグナはエルシャへ一通の封筒を差し出した。

「国王陛下よりエルシャ様へ、書簡をお届けに参りました」

 エルシャが受け取ると、ワーグナは再び敬礼をして静かに去っていった。
 扉が閉まり、緊張がいくばくか緩む。エルシャは封筒を見た。金の縁取りがしてあり、裏には双竜と聖杖が組み合わさった国王の紋章で封蝋が施されていた。

「――間違いない、リキュスからのものだ」

 全員が刮目する中、エルシャは封を切って目を通した。険しい表情のまま、息をついて顔を上げる。落ち着いた口調でいった。

「……リキュスが、記憶を取り戻した。イシュマ・ニエヴァを解放する準備ができたから、すべての神の民とかけらを揃えてくるように、と」

 よい知らせのはずなのに、エルシャの表情は変わらない。テュリスが奪うように手紙を掴み取ると、中を読んで吐き捨てるように笑った。

「今日の午後一時、青玉宮か。正式な謁見じゃないか。ますます怪しいな」
「どういうこと?」

 ナイシェが尋ねる。テュリスが答えていった。

「青玉宮は、公式行事を執り行う大広間だ。大規模な舞踏会や晩餐会、国王との謁見や儀式関係に使われる。つまり、これは正式な国王との謁見という形になる。当然国王周辺の警備は厳しくなる」
「ちょうどいいじゃない。国王は最後の神の民なんだ、エルシャにいわれたとおり、悪魔の手先が仕掛けてくるのを警戒してるってことでしょ」

 ディオネの反論を、テュリスは鼻で笑った。

「わかっていないな。いいか? 国王の謁見では、武器の携帯は禁止だ。そして、周りは重装備の近衛兵が固めている。もしリキュスが悪魔の手先だとしたら、すべてのかけらを持って無防備にもやってきたおまえたちは、いとも簡単に消されるだろうな」
「そんな……!」

 ディオネが反論を期待してエルシャを見る。しかしエルシャの表情は変わらなかった。

「でも……もし、リキュス様が敵ではないとしたら? 今日の午後一時に、イシュマ・ニエヴァが解放され、かけらが神へ還り、僕たちは戦いに勝つことができます。ディオネのいうとおり、青玉宮でならば、たとえ敵が攻めてきても、近衛兵たちがリキュス様を守ってくださるでしょう。秘密裏に私室や執務室でことを運ぶより安全だという、リキュス様のご判断かもしれません。リキュス様が多くの兵士を異動したのも、ご自身が信頼する兵士を近くに置こうとしただけなのでは? だいたい、神の民を抹殺するだけなら、かけらをすべて持ってくるようになどという必要はないはずです。かけらが一堂に会すれば、それだけ神の復活の可能性が高くなる。そんな危険を、悪魔の手先が冒すでしょうか?」

 フェランが懸命に語る。これまでテュリスの自信に満ちた推論に飲まれそうになっていた者たちも、フェランの言葉に幾分は引き戻されたようだった。

「……だとしたら、もっとも疑わしいのはワーグナということになるが……」

 ジュノレが眉をひそめる。

「悪魔の手先に、イシュマ・ニエヴァを夢に閉じ込めたり記憶を封じたりする力があるのなら、ワーグナということも充分ありうる。王族専用口の鍵だって、ワーグナほどの立場なら手に入るかもしれない」
「図書室で最初にエルシャに会ったのは、ワーグナ様ですよね? そこでエルシャが真実に近づきつつあることを察したワーグナ様が、わざとリキュス様の過去を話し、自分に疑いの目が向けられないよう画策したという可能性だってあります」
「それに、悪魔と契約したサルジアが使っていた力……黒魔術とも違う、恐ろしい力。もしワーグナが悪魔と契約していたら、記憶を封じたりするのだってきっと簡単にできるに違いないよ」

 ディオネも同調する。

「だが、仮にそうだとしても、書簡を運んできたのはワーグナだ。彼は青玉宮でこれから何が行われるか、書簡の中身を見るまでもなく察しているだろう。仕掛けてくるとしたら、やはり謁見のときだろうな」

 テュリスがそういって時計を見た。

「午後一時まで、あと一時間。一時間後には、果たして本当の敵が誰なのか、わかるということだ」

 そして、楽し気な笑みを浮かべるとエルシャのほうを見やった。

「判断を誤れば、おまえたちは死ぬ。一時間後に、勝つか負けるか……いったいどちらだろうな?」

 エルシャはきつく奥歯を噛みしめた。眉間にしわを寄せ、厳しい目つきのまま何も語らない。だが、鋭いその瞳の奥で、迷いと苦渋が揺れ動いているのを、皆わかっていた。それでも、意見がひとつにまとまらない今、頼れるのはエルシャだけだった。
 全員が、エルシャの判断を待っていた。
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