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【第六部:終わりと始まり】第六章

お使い

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 その日の公演は、何事もなく過ぎ去った。ひょっとしたらティーダの出番で何かあるかもしれないと、両袖から二人で見張っていたが、ティーダは提案どおり光の漏れない黒い布で手品を披露し、前日同様興行は大盛況のうちに終了した。
 客の掃けたテント内を清掃しながら、帰らずに潜んでいるような者がいないかも確認する。すべての作業が終わり、テントが施錠された。

「本番中に仕掛けてきたら厄介だと思ったけど、今日のところは大丈夫だったね」

 ディオネが耳打ちする。ナイシェも同感だった。

「ね、今日の手品、うまく行ったでしょ」

 宿泊用テントに戻りながら、ティーダがいう。いつものような笑顔だ。ナイシェはティーダの頭を優しく撫でた。

「ええ、上出来!」

 ティーダは少しだけ身を引くと、もじもじと髪を整える。

「ティーダ、今夜からは、あたしたちの隣で寝るといい。リューイには伝えておいたから。あたしとナイシェの間で寝れば安心だよ」

 ディオネの提案に、ティーダも戸惑いがちにうなずいた。

「それから、もう一度いうけど。絶対ひとりにならないでね。勝手に町へ出て行ったりするのはもってのほかだからね」

 そう念を押す。特に明日は、丸一日休業日だ。誰もが息抜きに町へと繰り出すし、敷地内もいつもより緊張感がなくなる。彼らが何かしかけてくる可能性は充分だ。さすがにティーダも、一度襲われて懲りたのか、不満はいわなかった。

「わかってる。必ず誰かといるようにする」





 その夜はディオネと一緒だったこともあり、ナイシェも安心して眠ることができた。ときどき目が覚めては、隣で眠るティーダの無事を確認する。癖なのか、ティーダは頭の上まで布団をかぶって寝ていた。こっそり中を覗いては、静かに寝息を立てる少年を見て安堵する。
 やはり、八歳にしては肝が据わっていると思った。あんな目に遭っても、翌日には笑顔で舞台に立ち、夜は無防備に熟睡する。これも、幼いころからひとりで路上生活をして否が応でも身についたものなのかもしれない。
 ふとナイシェは、昼間のティーダの言葉を思い出した。

 ティーダは昔、親に棄てられたのだろうか。いや、かけらを持っているということは、親とは死に別れたのかもしれない。ならばなぜ、見捨てられることにあんなにも過敏なのだろう。

 小さな子供が、かけらの力だけで生きる姿を想像してみた。
 創造のかけらがあれば、命あるもの以外は何でも創れる。たとえ独りきりでも、何不自由なく暮らせるように見えるかもしれない。しかし、それは違った。ティーダはまだ子供なのだ。食べ物や着る物に困らなくても、社会で生きるための手練手管を知らなければ、文字どおりただ生きているだけで精いっぱいだろう。パテキアの力で金銭を創ったところで、子供ができる買い物はたかが知れている。どんなに大金を積まれても、子供ひとりに家を売ったり宿を貸す大人はいない。素性を勘繰られでもしたら、それこそ町にはいられなくなる。あるいは、たちの悪い人間に利用されるかもしれない。
 どんな街にも、家族を持たない子供たちの作る小さな社会のようなものが存在している。泥棒や犯罪まがいのことをして食いつなぐ路上生活児たちだ。彼らは一日一日を生き抜くのに必死だが、その絆は強い。だがティーダは、神のかけらを持つばかりに、そのような社会に足を踏み入れることすらできなかった。まだ幼い少年にとって、その孤独が与える苦痛はいかばかりだっただろう。

 ナイシェは、布団の中で丸くなっている少年の背中にそっと手を添えた。小さくて、温かい。

 絶対に、この子を守る。

 そう誓った。





 翌朝はよく晴れて程よく涼しく、絶好の外出日和だった。座員の多くは朝から町へと繰り出したが、ティーダは約束を守り、中テントで新しい奇術の練習に励んでいた。同じ室内では、カルヴァが小物の点検をしていたり、踊り子たちが体を動かしていたり、絶えず人の出入りがある。

「ここなら安心ね」

 ずっと気を張り詰めていては体がもたない。人の目が充分あるときくらいは、少し離れても大丈夫だろう。
 ナイシェは曲芸用予備と書かれた箱の中から畳まれた黄色い布を取り出すと、ティーダに一言いってから大テントへ向かった。ここ数日、ティーダのことで頭がいっぱいだったが、ナイシェにもしなければならないことがある。次回公演用の演目を完成させなければ、ティーダどころか自分のほうが、一座から追い出されてしまうかもしれない。
 休日は練習を休む者も多いので、舞台練習をする絶好の機会だ。昨日までは雑念でまったく身が入らなかったが、その日は久しぶりに体もよく動き、時間が経つのも忘れるほどだった。ディオネが昼食の相談に来て初めて、すでに十二時を回っていることに気づいた。

「ティーダは?」

 ナイシェの第一声に、ディオネが笑顔で答える。

「まだ、熱心に練習してたよ。問題ないけど、そろそろみんな昼食で抜けそう」

 ならば、自分たちもティーダやカルヴァを誘って一緒に食べよう。大勢であればあるほどいい。

 二人は中テントへ戻った。

「あれ、ティーダは?」

 さっきまでいたはずのティーダがいない。すると踊り子のひとりがいった。

「ティーダなら、さっきあたしがお使い頼んじゃった。衣装の飾りが取れちゃったから、似たやつを市場で買ってきて、って。カルヴァと二人で行ったけど、近い店だからすぐ戻ると思うよ」

 ナイシェはディオネと顔を見合わせた。確かにひとりでは町へ出るなといったが、連れが十歳のカルヴァでは、とても安心とはいえない。

「まずかった? 大通りの二軒目の店だから、迷わないとは思うけど」
「大丈夫よ、気にしないで」

 気まずそうな仲間に明るく声をかけると、二人はテントを出た。通りへ向かおうとすると、ちょうどカルヴァが戻るところだった。

「二人とも、今から出かけるの?」

 手に紙袋をひとつ持っているが、カルヴァの横にティーダはいなかった。

「ティーダは一緒じゃないの?」
「ああ、あいつにはもう一件、別の買い物を頼んじゃった。一ブロック先に、おいしそうな肉屋があってさ。いい匂いしてたから、昼飯に二人分買って来いって」

 つまり、ティーダは今独りきりということだ。
 ナイシェとディオネはすぐに大通りへ向かった。昼間の通りは客で賑わっていて、足早に歩くと時折人とぶつかるほどだ。一直線の通りだが、大人の行き交う道では背の小さな子供を見つけるのは至難の業だった。

「二手に分かれよう」

 ディオネが、やや遠回りになるものの人の少ない路地へと向かう。ナイシェはそのまま大通りを肉屋の方向へ進んだ。ティーダはどちらかの道を通って戻ってくるはずだ。
 右手に、カルヴァが寄った装飾品店を通り過ぎる。さらに進むと、食べ物の匂いが漂ってきた。遠くのほうで、出来合いの料理の屋台が並んでいるのがわかる。昼飯時とあって、手前の市場よりさらに混んでいる。人ごみをかき分けながら半ばまで来たとき、少し先に、特徴ある茶色い帽子のような頭を見つけた。

「ティーダ!」

 大声で叫ぶと、ティーダが顔をあげた。ナイシェの姿を見つけ、笑顔で手を振っている。片手には紙袋を持ち、カルヴァのお使いは済んだようだ。

 よかった、無事だったのね。

 ほっとしたとき、ナイシェはティーダの背後にいる男に気づいた。まっすぐにティーダの後ろ姿を見据えているその男は、間違いなく、あの夜舞台でティーダに襲い掛かった男だった。
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