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【第六部:終わりと始まり】第六章
ショーのかけら
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その日、一日街なかを歩き回り、天幕の控室に戻ったあとも、ナイシェはツァラの言葉が気になっていた。
これ以上仲間を失いたくなくて、姉を失いたくなくて旅を離れたのに、どこに行っても、心の奥のほうに蓋をしたもやが、忘れてはだめだといわんばかりにするりと抜け出して自分にまとわりつく。
ツァラの占いがことのほか気になる理由は、ナイシェにもわかっていた。無意識に、首からぶら下げたペンダントを指先でいじる。
切れていないのは、イシュマ・ニエヴァのことだけではない。胸のペンダント――それは、別れる間際にサリから託されたものだった。
あなたが、持っていて。
サリにそう手渡されたとき、ナイシェははじめ餞別か何かかと思った。そのペンダントが開閉式になっていることに気づき、開いてみて初めて、その意味を知った。
中には、サリの兄であるショーの遺した神のかけらが入っていた。
もちろん、もらえないと固辞した。このかけらは、亡きショーの唯一の形見だ。それに、渡すとしても相手を間違えている。
サリがかけらを手放すことに決めたんだとしても、それは旅を離れた私にではなく、エルシャたちに渡すべきだ。時期が来たらきっと、彼らがこの酒場を訪ねるから。
そう説得したが、サリは何故か首を縦に振らなかった。
あなたたちと別れたあと、わりとすぐに、気持ちは決まってたの。
サリは笑顔でそういった。
サラマ・アンギュースの存在も、兄さんがそうだったことも、わりとすんなり受け入れられた。それはナイシェ、あなたのおかげなの。でも、このかけらを、体を張ってでも守れるか。そう考えたとき、それは無理だと思った。あたしは小さいときに里子に出されたから、親のことなんて知らない。神がどうのとか聞いたこともないし、育ての親は、それこそ神とは程遠い世界の人間だった。小さいころからかけらを持つ親に育てられたのなら違うのかもしれないけど、あたしは全然……いくらがんばっても、このちっぽけなかけらを守りたいなんて気にはならなかった。兄さんの思い出なら、形に残さなくてもあたしの中にちゃんと残ってる。だからナイシェ、次に会ったら、このかけらをあなたに渡そう。ずっと、そう思ってたんだ。
サリはそういって無理やりナイシェにペンダントを握らせた。
あたしはずっと、あなたに渡したかったの。だから、必要なら、あなたからエルシャに渡して。
そんなのは二度手間だといっても無駄だった。もしエルシャたちがサリのもとを訪れても、ナイシェたちがリューイ一座にいることを伝えれば、すぐ会うことができるだろう。一座の巡業予定も、三か月先まで決まっている。居場所はすぐわかるはずだ。そういってきかなかった。
最終的にナイシェが折れたきっかけは、サリの一言だった。
このかけらは、あたしが信頼する人にしか渡さない。あたしが信頼したのはね、エルシャでもほかの誰でもなく、ナイシェ、あなたなんだよ。
「ツァラのいってたことが気になるの?」
ディオネに間近で話しかけられ、ナイシェははっとした。ペンダントを握りしめ、ずっと考えごとをしていたらしい。ナイシェは曖昧な笑みを浮かべた。
「……これ、サリから受け取っちゃったからなのかな、って……」
ディオネはナイシェの隣に腰を下ろすと、さりげなくあたりをうかがってから小さな声でいった。
「関係ないんじゃない? どちらにしろ、例の少年のことがあるから、いつかはエルシャたちに会わなきゃいけないんでしょ。サリのは、そのついでよ。あんた、もっと気楽に考えたら? だいたいさ、ツァラはあんないい方してたけど、あっちには予見の民が二人もいるんだから、こっちから探さなくたって、いずれ会いに来てくれるよ」
あっけらかんとしている。そういわれると、そんな気もしてくる。
「……それともあんた、エルシャたちに、今会いたいの?」
ディオネが顔を覗き込んだ。まっすぐな問いに、一瞬たじろぐ。ナイシェは考えてみた。
「……サリからの預かり物を渡さなきゃと思うし、そうでなくても、会いたい気持ちはあるわ。でも、それは……ツァラがいっていたのとは、違う気がする」
求めれば、与えられる。
しかし、今の自分の感情は、それとは違うと思った。
「……今じゃ、ないんだと思う」
ナイシェはそういい切った。ディオネが満足そうにうなずく。
「なら簡単。今は、悩む必要なし。あんたは、自分の好きな踊りに打ち込めばいいのよ。人の気持ちって、無理やり変えようとして変わるもんじゃないでしょ。だったら、自然に任せればいいんじゃない? 『今』じゃないんなら、『今』考えるだけ無駄ってもんよ」
ナイシェは何だかおかしくなってきた。ディオネにそういわれると、悩んでいた自分が馬鹿らしく思えてくる。心が軽くなるこの感覚は、初めてではない気がした。
少し考えて、思い出した。
テュリスさんだわ。
ディオネの意識不明が続き、心が折れそうになっていたナイシェに、テュリスも似たようなことをいった。
つい、笑い声を漏らす。
「何よ、気持ち悪いわね」
「ふふ、何でもないのよ。ありがとう、姉さん」
姉さんとテュリスさんは、意外と気が合うかもしれない。
そんなことを思った。
これ以上仲間を失いたくなくて、姉を失いたくなくて旅を離れたのに、どこに行っても、心の奥のほうに蓋をしたもやが、忘れてはだめだといわんばかりにするりと抜け出して自分にまとわりつく。
ツァラの占いがことのほか気になる理由は、ナイシェにもわかっていた。無意識に、首からぶら下げたペンダントを指先でいじる。
切れていないのは、イシュマ・ニエヴァのことだけではない。胸のペンダント――それは、別れる間際にサリから託されたものだった。
あなたが、持っていて。
サリにそう手渡されたとき、ナイシェははじめ餞別か何かかと思った。そのペンダントが開閉式になっていることに気づき、開いてみて初めて、その意味を知った。
中には、サリの兄であるショーの遺した神のかけらが入っていた。
もちろん、もらえないと固辞した。このかけらは、亡きショーの唯一の形見だ。それに、渡すとしても相手を間違えている。
サリがかけらを手放すことに決めたんだとしても、それは旅を離れた私にではなく、エルシャたちに渡すべきだ。時期が来たらきっと、彼らがこの酒場を訪ねるから。
そう説得したが、サリは何故か首を縦に振らなかった。
あなたたちと別れたあと、わりとすぐに、気持ちは決まってたの。
サリは笑顔でそういった。
サラマ・アンギュースの存在も、兄さんがそうだったことも、わりとすんなり受け入れられた。それはナイシェ、あなたのおかげなの。でも、このかけらを、体を張ってでも守れるか。そう考えたとき、それは無理だと思った。あたしは小さいときに里子に出されたから、親のことなんて知らない。神がどうのとか聞いたこともないし、育ての親は、それこそ神とは程遠い世界の人間だった。小さいころからかけらを持つ親に育てられたのなら違うのかもしれないけど、あたしは全然……いくらがんばっても、このちっぽけなかけらを守りたいなんて気にはならなかった。兄さんの思い出なら、形に残さなくてもあたしの中にちゃんと残ってる。だからナイシェ、次に会ったら、このかけらをあなたに渡そう。ずっと、そう思ってたんだ。
サリはそういって無理やりナイシェにペンダントを握らせた。
あたしはずっと、あなたに渡したかったの。だから、必要なら、あなたからエルシャに渡して。
そんなのは二度手間だといっても無駄だった。もしエルシャたちがサリのもとを訪れても、ナイシェたちがリューイ一座にいることを伝えれば、すぐ会うことができるだろう。一座の巡業予定も、三か月先まで決まっている。居場所はすぐわかるはずだ。そういってきかなかった。
最終的にナイシェが折れたきっかけは、サリの一言だった。
このかけらは、あたしが信頼する人にしか渡さない。あたしが信頼したのはね、エルシャでもほかの誰でもなく、ナイシェ、あなたなんだよ。
「ツァラのいってたことが気になるの?」
ディオネに間近で話しかけられ、ナイシェははっとした。ペンダントを握りしめ、ずっと考えごとをしていたらしい。ナイシェは曖昧な笑みを浮かべた。
「……これ、サリから受け取っちゃったからなのかな、って……」
ディオネはナイシェの隣に腰を下ろすと、さりげなくあたりをうかがってから小さな声でいった。
「関係ないんじゃない? どちらにしろ、例の少年のことがあるから、いつかはエルシャたちに会わなきゃいけないんでしょ。サリのは、そのついでよ。あんた、もっと気楽に考えたら? だいたいさ、ツァラはあんないい方してたけど、あっちには予見の民が二人もいるんだから、こっちから探さなくたって、いずれ会いに来てくれるよ」
あっけらかんとしている。そういわれると、そんな気もしてくる。
「……それともあんた、エルシャたちに、今会いたいの?」
ディオネが顔を覗き込んだ。まっすぐな問いに、一瞬たじろぐ。ナイシェは考えてみた。
「……サリからの預かり物を渡さなきゃと思うし、そうでなくても、会いたい気持ちはあるわ。でも、それは……ツァラがいっていたのとは、違う気がする」
求めれば、与えられる。
しかし、今の自分の感情は、それとは違うと思った。
「……今じゃ、ないんだと思う」
ナイシェはそういい切った。ディオネが満足そうにうなずく。
「なら簡単。今は、悩む必要なし。あんたは、自分の好きな踊りに打ち込めばいいのよ。人の気持ちって、無理やり変えようとして変わるもんじゃないでしょ。だったら、自然に任せればいいんじゃない? 『今』じゃないんなら、『今』考えるだけ無駄ってもんよ」
ナイシェは何だかおかしくなってきた。ディオネにそういわれると、悩んでいた自分が馬鹿らしく思えてくる。心が軽くなるこの感覚は、初めてではない気がした。
少し考えて、思い出した。
テュリスさんだわ。
ディオネの意識不明が続き、心が折れそうになっていたナイシェに、テュリスも似たようなことをいった。
つい、笑い声を漏らす。
「何よ、気持ち悪いわね」
「ふふ、何でもないのよ。ありがとう、姉さん」
姉さんとテュリスさんは、意外と気が合うかもしれない。
そんなことを思った。
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