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【第六部:終わりと始まり】第六章

リューイ一座

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 興行を行う芸能一座の朝は早い。酒場での時間の流れに慣れ、夜更かしが当たり前になっていたディオネにとっては、習慣を変えるのは少々しんどかった。一方のナイシェは、ニーニャ一座にいたころから十年以上に渡り刷り込まれていた体内時計が、再び元気よく回り始めたような感覚だ。

 一行はエルスライに移動していた。到着初日は、天幕の組み立てと荷物の搬入に費やされる。ニーニャ一座は小規模なので、大道具担当の屈強な男たちだけでは人手が足りず、一部の踊り子や年端も行かない子供たちも駆り出される。ある程度形が出来上がると、出演者は演目の練習へと姿を消し、大道具係と雑用係が残って作業することになった。

 ナイシェは、リューイに聞いた今後の予定を思い返した。
 ツールで再会したときに工業していた『夢と幻想の世界』は、このエルスライでの公演で終了するらしい。続く新しい題目は、『胸躍るおとぎの国へ』。内容を一新し、ニコル、ルキヌ、パルスと町を移動していく。すでに三か月先まで公演日程も決まっている。新しい演目はまだ未定の部分もあり、リューイの話ではナイシェの踊りをそこに入れたいという。目下、踊り子たちは、現行の演目と次の公演の演目を同時に練習しなければならない、という多忙な状態だった。

 ナイシェとディオネは、女手でも可能な作業を一通り終え、しばし気の抜けた状態で会場となる大テントの中を眺めていた。がたいのいい男が二人、舞台を組み立てるために木づちを振り上げて大音量で作業している。その反対側では、数人の踊り子が思い思いに体を動かしている。

 私も、体を鍛え直さなきゃ。足首も手首も硬くなってるし、体幹の柔軟性もだいぶ落ちている。

 ナイシェがそんなことを思っていると、背後からよく知った声がした。

「ナイシェ! どう、昔を思い出してきた?」

 体が一回り大きくなり、すっかり子供を脱してしまったカルヴァが、にこにこ笑いながら立っていた。

「そうね、でも体がなまってるから、今から訓練して一か月後の公演に間に合うかどうか」

 自信なさげに笑う。

「あんたなら大丈夫よ」

 ディオネが横やりを入れた。カルヴァも続く。

「俺も、ナイシェの踊りは一回しか見たことないけど、あれはすごかったぜ。練習なんてしたら、もっとすごくなるぜ」

 以前は『僕』といっていたのに、いつの間にか『俺』なんて背伸びした言葉遣いをしている。昔のカルヴァを知っているだけに、ほほえましいようなくすぐったいような気持ちになる。
 カルヴァも、ナイシェの踊りの虜のようだ。ディオネと暗号のような笑みを交わして互いの右手を宙で叩き合わせている。町なかの少年同士が絆を確かめ合うときにするようなやり方だ。ディオネとカルヴァは、年齢も性別も違うのに、どこか気が合うようで、たちまち仲良くなってしまった。

「もう、一座の人たちはみんな紹介してもらった? ほら、あそこにいるラジワノカとか」

 ナイシェはうなずいた。
 ラジワノカは、リューイから一番最初に紹介してもらった。今ではほとんど舞台に立たないリューイに代わる、一座筆頭の踊り子、つまり花形だ。背はナイシェより頭一つ分高く、メリハリある豊満な体をしていた。その女性らしい体つきに見合うような、魅惑的な顔をしている。ただわずかに微笑んでいるだけで、周りの男たちを落ち着きなくさせるような、滲み出る色気がある。子供っぽい体型のナイシェとは対極にいるような存在だ。それでいて、健康的な魅力に溢れるリューイとも違う。そばにいるだけでいい香りがしてきそうなそのいでたちに、最初はナイシェも落ち着かなかったが、話してみればリューイと同じ、潔い性格の持ち主でほっとしたものだ。

 それよりもナイシェは、ラジワノカの反対側で何やら小道具を使って蠢いているひとりの少年が気になっていた。持ち物は、黒のシルクハットやステッキ、何枚かの布と、一輪の造花だ。それを振り回したり掲げたりしているが、時折それらが少年の手の中でいうことをきかず、床に落下している。恐らく奇術の練習なのだろうが、うまくいっているとはいいがたい。
 カルヴァも、ナイシェの視線の先に気づいたようだった。

「ああ、あいつ? 見かけるのは初めてか。紹介するよ」

 カルヴァは少年に向かって大声で叫んだ。

「ティーダ! こっち来いよ!」

 少年は振り返ると、小走りにナイシェたちのもとにやってきた。

「こちら、ティーダ。今回の興行から、奇術担当で舞台に上がる予定」

 ナイシェは、失礼を承知でティーダを凝視してしまった。何とも不思議な男の子だ。明るめの茶色い髪が、キノコの笠のように頭にふさふさと乗っかっている。いや、ちゃんと頭から生えているに違いない。しかし、その量の多さは、まるで舞台用のかつらのようだった。そしてその髪は、分厚く額を覆い、ほとんど両目を隠す位置で綺麗に一直線に切り揃えられていた。ややそばかすの目立つ頬と、かわいらしい小さな口が見えている。体格は小さく、ちょうど別れたころのカルヴァか、それよりも小さいくらいだ。だが、当時のカルヴァよりは線が細い。恐らく、骨格が全体的に小さいに違いない。
 ナイシェは屈んで視線を合わせた――実際には、目があるだろうと思われる部分を見つめた。

「こんにちは。ナイシェよ。こっちはディオネ。私のお姉さんなの」

 ティーダは口の端をあげてにこりと笑った。

「こんにちは。僕、雑用担当。でも今度、初めて舞台に上がるんだ。大道芸の演目で、少しだけ時間をもらえるの。うまく行けば、ニコルの公演からは出番を増やしてもらえるんだ」

 まだ幼い可愛らしい声だった。ナイシェはほっとした。見た目は妙だが、子供らしい子のようだ。

「何だか結構失敗してたみたいだけど、大丈夫なの? まだ六歳とかそれくらいでしょ」

 ディオネが話しかけると、ティーダは口を尖らせた。

「僕、体は小さいけど八歳だよ! カルヴァとは二個しかちがわないんだから。それに、さっき練習してたのは、違う手品。今度舞台でやるやつはもう完成してるから大丈夫」

 するとカルヴァが口を挟んだ。

「こいつの手品、結構すごいぜ。うちの一座じゃ、大道芸はあっても奇術系はなかったから、リューイも期待してるんだ」

 一見頼りなさそうだが、実はやり手らしい。
 少年が練習に戻ると、カルヴァが思い出したようにいった。

「そうだ、リューイがあとで楽屋に来てくれって。どんな演目にするか、相談したいっていってたよ」

 ナイシェは足取りも軽くリューイのもとへ向かった。
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