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【第六部:終わりと始まり】第五章
サリの酒場にて
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「鶏のチーズ焼き二つと、トマトサラダひとつ!」
「はい!」
カウンター越しにディオネから注文を受け、ナイシェは厨房から叫んだ。同時に串焼きの盛られた皿をカウンターへ運ぶ。それをサリが手際よくカウンター席の客へ差し出す。
「やっぱりビールにはこれだよね」
客はジョッキをあおりながら満足そうに串焼きに手を伸ばす。
休日前のこの時間は、厨房が一番忙しくなるときだ。お腹をすかせた客たちが、いつもより遅めの夕食をとりながら酒を飲む。ほんの二、三時間ではあるが、その間は息つく暇もない。ナイシェは汗だくになりながら与えられた役割を懸命にこなしていった。
「ナイシェ! 照り焼きじゃなくてチーズ焼きだよ!」
完成したばかりの品を突き返してディオネが叫ぶ。
「ごめんなさい、すぐ作り直すわ」
サリはちらりとナイシェの様子をうかがった。普段、ナイシェが注文を間違える姿など、滅多に見かけない。手伝ってあげたいが、サリはカウンターで飲み物を振舞うので手いっぱいだし、ディオネは店内をせわしなく動き回って注文をとったり皿を下げたりしている。この時間だけは、各自が何とかがんばるしかない。
必死に仕事をこなすうち、徐々に夜も更け、いつの間にか店内は落ち着いた雰囲気へと変わっていった。そうなると、厨房への注文も時折入る軽いつまみ程度となり、サリやディオネはほろ酔いの男たちの話し相手を始めることになる。裏でまずナイシェが食事をとり、そのあと入れ替わりでディオネとサリも遅い夕食を食べるのが、毎日の流れだった。
注文の切れ間を見計らい、ディオネに代わってナイシェが店内へ出た。酔って気の大きくなっている男たちの接客はディオネほど得意ではないが、軽く見回すと見知った客ばかりだったので、少しほっとする。ナイシェに気づいた客のひとりが親し気に手を挙げた。
「ナイシェちゃん、こっちこっち」
ずいぶん古くからの常連客のヨアムと、その仲間たちだ。いつもはサリのいるカウンターで飲んでいることが多いが、この日のカウンターは満席で、奥のテーブル席を囲んでいる。近寄ると、すでに全員顔を赤くして上機嫌だった。
「ナイシェちゃん、お疲れ! うーん、やっぱり一週間の終わりにナイシェちゃんの顔を見るとさ、癒されるよね」
「本当に? うれしいわ、ありがとう」
空いた皿をまとめながら、素直に喜ぶ。
「一時はさあ、サリひとりになっちゃって、だいぶ客も減っちゃって、心配してたんだよ」
カウンターのほうを見やりながらいうヨアムは、もはや客というより保護者のようなまなざしだ。
「だからさ、ナイシェちゃんがお姉さん連れて戻ってきてくれて、ほっとしたんだよね。ナイシェちゃん、ずっといてくれるんだよね?」
ナイシェは曖昧な笑みを浮かべた。こういうときは、嘘でもいいから適当に話を合わせておけばいいのかもしれないが、いつもうまくできない。
「でも、確か、故郷はちょっと遠いんだろ? トモロスだっけ?」
連れの男がいう。
「トモロスといったら、カティヤ山脈の南かあ。やっぱりいつかは帰るのかい?」
「そうね、親の遺してくれた家があるから、いつかは……」
「そんなこといわずにさあ、こっちでいい男見つけて落ち着いちゃいなよ」
「そうそう! あ、俺なんかどう? 毎日ナイシェちゃんの手料理食べられるんだったら、俺寄り道しないですぐおうちに帰っちゃうなあ」
「馬鹿野郎、おまえはかみさんがいるだろ」
ヨアムが酔っ払った連れの頭を軽くはたく。はたかれたほうは気にも留めずにげらげらと笑っている。そこに、サリが人数分のジョッキを持ってやってきた。
「ちょっとあんたたち、またナイシェをからかって遊んでるの?」
「だってさあ、ナイシェちゃん、そのうち故郷に帰るとかいうんだぜぇ? 寂しいじゃないの。だから引き留めてたの」
「だめだめ、この子、見た目どおりの真面目ちゃんだから、本気で悩んじゃうでしょ」
いいながら、サリはナイシェの肩をぽんぽんと叩く。
「適当に聞き流しなよ」
ナイシェは笑顔で応じた。
どこにいても、必要とされるのはうれしい。自分が誰かの役に立てるということに、やりがいを感じる。そして、だからこそ生まれる悩みもある。
ナイシェは店内の壁に貼ってあるちらしに目を向けた。
興行は、あと十日ほどで終了する。
知らずのうちに小さなため息が漏れ、慌ててナイシェは客に気づかれていないか周りをうかがった。
接客中にため息なんて失格だ。
自分を戒めながら、ナイシェは意識して笑顔を作った。
「みんな、ゆっくりしていってね」
「はい!」
カウンター越しにディオネから注文を受け、ナイシェは厨房から叫んだ。同時に串焼きの盛られた皿をカウンターへ運ぶ。それをサリが手際よくカウンター席の客へ差し出す。
「やっぱりビールにはこれだよね」
客はジョッキをあおりながら満足そうに串焼きに手を伸ばす。
休日前のこの時間は、厨房が一番忙しくなるときだ。お腹をすかせた客たちが、いつもより遅めの夕食をとりながら酒を飲む。ほんの二、三時間ではあるが、その間は息つく暇もない。ナイシェは汗だくになりながら与えられた役割を懸命にこなしていった。
「ナイシェ! 照り焼きじゃなくてチーズ焼きだよ!」
完成したばかりの品を突き返してディオネが叫ぶ。
「ごめんなさい、すぐ作り直すわ」
サリはちらりとナイシェの様子をうかがった。普段、ナイシェが注文を間違える姿など、滅多に見かけない。手伝ってあげたいが、サリはカウンターで飲み物を振舞うので手いっぱいだし、ディオネは店内をせわしなく動き回って注文をとったり皿を下げたりしている。この時間だけは、各自が何とかがんばるしかない。
必死に仕事をこなすうち、徐々に夜も更け、いつの間にか店内は落ち着いた雰囲気へと変わっていった。そうなると、厨房への注文も時折入る軽いつまみ程度となり、サリやディオネはほろ酔いの男たちの話し相手を始めることになる。裏でまずナイシェが食事をとり、そのあと入れ替わりでディオネとサリも遅い夕食を食べるのが、毎日の流れだった。
注文の切れ間を見計らい、ディオネに代わってナイシェが店内へ出た。酔って気の大きくなっている男たちの接客はディオネほど得意ではないが、軽く見回すと見知った客ばかりだったので、少しほっとする。ナイシェに気づいた客のひとりが親し気に手を挙げた。
「ナイシェちゃん、こっちこっち」
ずいぶん古くからの常連客のヨアムと、その仲間たちだ。いつもはサリのいるカウンターで飲んでいることが多いが、この日のカウンターは満席で、奥のテーブル席を囲んでいる。近寄ると、すでに全員顔を赤くして上機嫌だった。
「ナイシェちゃん、お疲れ! うーん、やっぱり一週間の終わりにナイシェちゃんの顔を見るとさ、癒されるよね」
「本当に? うれしいわ、ありがとう」
空いた皿をまとめながら、素直に喜ぶ。
「一時はさあ、サリひとりになっちゃって、だいぶ客も減っちゃって、心配してたんだよ」
カウンターのほうを見やりながらいうヨアムは、もはや客というより保護者のようなまなざしだ。
「だからさ、ナイシェちゃんがお姉さん連れて戻ってきてくれて、ほっとしたんだよね。ナイシェちゃん、ずっといてくれるんだよね?」
ナイシェは曖昧な笑みを浮かべた。こういうときは、嘘でもいいから適当に話を合わせておけばいいのかもしれないが、いつもうまくできない。
「でも、確か、故郷はちょっと遠いんだろ? トモロスだっけ?」
連れの男がいう。
「トモロスといったら、カティヤ山脈の南かあ。やっぱりいつかは帰るのかい?」
「そうね、親の遺してくれた家があるから、いつかは……」
「そんなこといわずにさあ、こっちでいい男見つけて落ち着いちゃいなよ」
「そうそう! あ、俺なんかどう? 毎日ナイシェちゃんの手料理食べられるんだったら、俺寄り道しないですぐおうちに帰っちゃうなあ」
「馬鹿野郎、おまえはかみさんがいるだろ」
ヨアムが酔っ払った連れの頭を軽くはたく。はたかれたほうは気にも留めずにげらげらと笑っている。そこに、サリが人数分のジョッキを持ってやってきた。
「ちょっとあんたたち、またナイシェをからかって遊んでるの?」
「だってさあ、ナイシェちゃん、そのうち故郷に帰るとかいうんだぜぇ? 寂しいじゃないの。だから引き留めてたの」
「だめだめ、この子、見た目どおりの真面目ちゃんだから、本気で悩んじゃうでしょ」
いいながら、サリはナイシェの肩をぽんぽんと叩く。
「適当に聞き流しなよ」
ナイシェは笑顔で応じた。
どこにいても、必要とされるのはうれしい。自分が誰かの役に立てるということに、やりがいを感じる。そして、だからこそ生まれる悩みもある。
ナイシェは店内の壁に貼ってあるちらしに目を向けた。
興行は、あと十日ほどで終了する。
知らずのうちに小さなため息が漏れ、慌ててナイシェは客に気づかれていないか周りをうかがった。
接客中にため息なんて失格だ。
自分を戒めながら、ナイシェは意識して笑顔を作った。
「みんな、ゆっくりしていってね」
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