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【第六部:終わりと始まり】第三章

アデリアの娘

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「……僕も、サラマ・アンギュースなんです。そして……ラミの母も、そうでした」

 ミルドは驚きのあまり声も出ないようだった。

「さっきの、ラミの言葉……。あれは、本心です。そして僕も、バスコさんにどうしても伝えたかったんです。僕はアデリアさんではないけれど、かけらを持っていても、幸せになれるんだ、と。バスコさんはなかなか信じてくれなくて、僕はどうやったら伝わるのかわからなくて……。でも……結局、ラミがいった言葉が、すべてなんだと思うんです」

 それから長い間、どちらも口をきかなかった。空気は重く、それでいてどこか温かかった。それぞれに思いを馳せたが、明確な答えは見つからなかった。結局、それもそうだと納得した。答えはきっと、ひとつではないのだ。

 沈黙を破ったのはミルドだった。

「父も父なりに、自分の気持ちに決着をつけたんでしょう。あれだけ執着していたアデリアさんを、解放することにしたんですから」

 その声音に、いつもの苦渋の色はなかった。バスコが自身に決着をつけると同時に、ミルドの心もひとつの解決を見たのだと、フェランは思った。
 ミルドは落ち着きを取り戻した様子で頭を下げた。

「改めて、心から感謝します。見ず知らずの父のために……私のために、ここまでしていただいて、どうお礼をすればいいか」
「いいえ、僕にとっても、とても意味のある時間でした。僕は小さいころに両親を亡くしていて、ほとんど思い出がないんです。バスコさんの話を聞いていて、少しだけ、両親に近づけた気がしました。どうか、気になさらず」
「そういうわけにはいきません。私には差し上げられるものは何もありませんが、少しでもフェランさんたちのお役に立てれば」

 そこでフェランは思い出した。

「では……改めて、アデリアさんとそのお子さんに関することを、教えてもらえませんか?」

 ミルドが不思議そうな顔をする。

「実は、僕たちはサラマ・アンギュースを探して旅をしているんです。バスコさんに出会ったのはまったくの偶然ですが、今思うと、神の取り計らいだったのかもしれません。詳しい話はできないのですが、一刻も早く、神の民を見つけ出さないといけないのです」

 ミルドは困惑気味に目をしばたたかせていたが、すぐに話し出した。

「先ほど話した手紙なんですが、実は、その後モナが処分してしまったようで、もう手元にないんです。なので、私の覚えている限りの話ですが……」

 フェランがうなずいて先を促す。

「二通、見つけたんです。一通目には、アデリアさんの娘らしき人の近況が書いてあって。あ、確信はないんですが、『モナおばさん』と書いてあったし、母から受け継いだ神のかけらがどうの……とあったので、たぶん娘さんだと思ったんです。内容は、衝撃的だったのでよく覚えています。『母のいうとおり、かけらのことは隠して、素敵な男性と結婚し、子供を授かった。でも、子供にはいずれ伝えなくてはいけないし、愛する人との間に隠し事を持つのが耐えられなくなり、ある日夫へ、自分が神の民であることを告げた。そしたら夫の態度は豹変し、夫は身重の自分を捨てていなくなった』と……」

 それはフェランにとっても充分衝撃的な内容だった。しかし、続いて語られた手紙の中身は、さらに驚くべきものだった。

「一通目には、娘さんの後悔がたくさん綴られていました。やはり打ち明けるべきではなかったとか、選んだ男が悪かったのだとか。でも、二通目の手紙は、一通目とは比べ物にならないくらいの上等な便箋と封筒だったんです。そこには、『偶然出会った貴族の男性に見初められて、幸せに暮らしている。もう二度と、神の民であることを打ち明けようとは思わない。他人の子を身ごもっている私を受け入れてくれる男性を、絶対に失いたくない。我が子の未来を守るためにも、隠し通すつもりだ』と、書かれていました。だから、アデリアさんの娘は、今ごろどこかの貴族と結婚して、子供にも恵まれているはずです。ただ……」

 ふと思い出したようにミルドが言葉を区切った。

「モナが床に伏せってからは、郵便物はすべて私が管理していましたが、それらしき手紙は、受け取ったことがないんです。その手紙を見つけたのは私がまだ四十歳にもなってないころでしたから、二十年以上前になります。ですから、その娘さんが今どうしているのか、生きているのか……まったくわかりません」

 フェランはミルドの話を整理した。

「……つまり、アデリアさんは恐らくもう亡くなっていて、その娘さんは生きていれば四十歳前後でしょうか……。さらにそのお子さんは、今ごろ二十歳を超えている、と」

 ミルドはうなずいた。

「その手紙の差出人の名前は、わかりますか?」
「それが、封筒にも便箋にも、書いてなかったように思うんです。とにかくかけらのことは内密にしようとしていたみたいですから、名前も書かなかったんじゃないですかね」

 それは予想の範囲内だった。フェランは気を取り直して次の質問をした。

「では、二通目の手紙なのですが……。封筒か便箋に、何か、目印や紋章のようなものはありませんでしたか?」
 ミルドは眉間にしわを寄せて考え込んだ。
「……確かに、あった気がします。はっきりとは思い出せませんが……剣のような花のような、どっちともとれるような紋章が、ついていました」

 フェランは息を呑んだ。
 アルマニア宮殿に住む貴族たちは、一目でそれとわかる紋章の描かれた紙を用いている。どのような手紙にも、書類にもだ。ミルドのいう模様は、まさに貴族の証に違いなかった。

「ほかには、何か描かれていませんでしたか!? 例えば、盾の絵とか、旗とか、二頭の竜とか……!」

 つい畳みかけるように訊いてしまった。ミルドは顔をしかめて首を横に振った。

「……すみません、思い出せません。でも、そんなに複雑な模様ではありませんでした」

 フェランは落胆を隠そうとして慌てて微笑んだ。

「いえ、大丈夫です。充分な情報です」

 貴族の紋章は、その位により少しずつ異なる。ミルドのいう紋章は、すべての貴族が用いることのできるものだ。これに盾が組み合わさると中級貴族以上、さらに交差した旗が描かれると上級貴族以上、二頭の竜が加わると王族の証となる。一般的に、貴族が自らの身分より低い者でも使える紋章を用いることはない。ミルドの記憶によっては、アデリアの娘の嫁ぎ先が絞れるかもしれないと思ったが、その紋章はもっとも数の多い下級貴族が主に使うものだった。あるいは、上級貴族であっても、爵位を持つ本人ではなくその家族ならば、あえて貴族全般を示す下級貴族用の紋章を利用することもあるだろう。
 つまり、アデリアの娘は確かに貴族へ嫁いだが、それがアルマニア宮殿に属する数百人の貴族の中の誰かなのかは、まったくわからないということだ。
 それでも、フェランは手応えを感じていた。あてもなく町という町を探して回るより、宮殿に出入りする貴族の中から探し出すほうが簡単に決まっている。

「最後に、もうひとつだけ」

 フェランはいった。

「アデリアさんのかけらが、何の力を持つか、ご存知ですか?」

 ミルドは質問の意味がわからないようだった。

「何の力……? 神のかけらには、いくつか種類があるのですか?」
「はい。例えば、何かを創り出す力。あるいは、封印する力……」

 ミルドは依然として困惑した表情だ。

「……すみません、よくわかりません」

 申し訳なさそうなミルドに、フェランは微笑みかけた。

「いえ、大丈夫です。貴族と結婚したとわかっただけでも、充分役立つ情報です。助かりました」

 ミルドは安堵の表情を浮かべた。

「では……アデリアさんの娘さんを探しに、また旅立たれるわけですね」

 フェランがうなずくと、ミルドはフェランの両手をとってしっかりと握った。

「旅の目的を達することができるよう、幸運をお祈りしています」
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