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【第六部:終わりと始まり】第二章
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宿に戻るなり死んだように眠り、起こされたのは太陽が高く昇ってからだった。すでにエルシャたち三人は朝食も済ませたようだ。
「まったく、おまえがらしくもない朝帰りなんかするもんだから、食事の支度係がいなくて今朝は大変だったよ」
エルシャが冗談めかすと、それに反応してラミが文句をいった。
「大変だったのはあたしよ! ねえフェラン、エルシャったら、パンも焼けないのよ。全然役に立たないんだから」
「それは仕方がない。俺は生まれてから一度も、パンなんて焼いたことがないからな」
「おいおい、聞いたか? これだから王族ってやつは感じが悪いぜ」
ゼムズも交えて軽妙なやり取りをしている。耳に心地よく感じながら、フェランは熱いスープで無理やり体を目覚めさせた。
「で? 夜中に何があったのか、教えてもらおうか」
エルシャが促す。誰も起こさないよう静かに戻ってきたつもりだったが、さすがにエルシャには気づかれていたらしい。フェランは寝起きの頭を回転させて、昨夜起きたこととミルドから聞いた話を順序立てて説明した。
あの老人――バスコというらしい――には、三人の子供がいた。ミルドの妻であるモナは末っ子で、ほかに兄と姉がいるらしい。若いミルドがこの町でモナと出会ったとき、すでにバスコの妻は亡くなっており、長男と長女のアデリアも町を出ていた。つまり、末っ子のモナが父親と二人で暮らしていたということだ。
モナの明るく陽気な性格に惹かれ、二人は間もなく結婚する。そのときから三人暮らしが始まり、その生活は四十年以上も続いた。ミルドとモナは子供には恵まれなかったが、バスコとの関係も悪くなく、質素ながら幸せに暮らしていた。それが、六十歳を過ぎたころ、モナが難しい病に侵され、二か月前に他界した。そのころからバスコの言動がおかしくなり、毎日のように長女のアデリアを捜し歩くようになったのだ。良好だった義父と婿の関係も徐々に悪化し、今では嚙み合わない会話や罵り合いばかりだという。
バスコがアデリアにこだわるのには何か理由があるはずだが、ミルドも、おなからは兄姉について多くを聞いているわけではなかった。モナによると、兄は母親が死ぬだいぶ前に家から出て、絶縁状態だという。姉のアデリアは母親の死後しばらくしてから家を出たのだが、こちらに関しては兄のときとは違う雰囲気を感じた、とミルドはいう。兄はどうしようもない放蕩息子という感じだったが、姉については、モナは「家族の幸せのためにひとりで家を出たのだ」といっていて、むしろ庇うような言い回しだったという。だが、それ以上のことはモナも語ろうとせず、バスコに至っては、そもそもなぜアデリアが突然姿を消したのかも知らないようだった。モナと結婚し三人で暮らすようになってから、ごく稀にアデリアの話題が出ることもあったが、モナからバスコに何か知らせるような素振りもまったくなかった。むしろ、二人は意識してアデリアの話を避けているようでもあった。
「ですから、あのおじいさんはきっと、アデリアさんがどうして家を出ていったのか、それが知りたくてずっと彼女を捜しているのではないでしょうか」
フェランはそう結んだ。しばらくの沈黙が流れる。
「……それで?」
エルシャが先を促したので、フェランはエルシャを見た。話がこれで終わりではない、と知っているような顔だ。フェランはいいにくそうにうつむいた。
「それで……バスコさんやミルドさんを見ていて、何というか……このままにはしておけない、と思ったんです」
「そんなこといったって、赤の他人だろう? 髪の色がそっくりなだけで巻き込まれたら、たまったもんじゃねえよ」
ゼムズがいう。
「それはそうなんですが、もし……もし僕が話すことで、バスコさんの中で何かが解決して、元の生活に戻れれば……」
ゼムズは心底驚いたようだった。
「本気かよ!? あのめんどくさいもうろくじじいに、自分からちょっかい出すつもりか?」
「でも、ミルドさんはアデリアさんが今どこに住んでいるかも知らないですし、彼には解決できない問題です。おじいさんは僕をアデリアさんだと思い込んでいますから、僕が話せば、何かわかるかもしれない」
「勘弁しろよ、人がよすぎだろ」
フェランは呆れるゼムズに食い下がった。
「見ていられないんです。ミルドさんはもう疲れ切っていて……あんな姿を見て、放っておくことなんて、できません……」
ゼムズも黙り込んでしまった。
「……まあ、事情はわかった。おまえがしようとしていることもわかった。俺は止める気はないよ、どちらにしろもう少しこの町にはいるつもりだし」
エルシャが冷静にいうので、フェランはほっとした。
「だが、ひとつ、わからないことがある」
エルシャが、食卓の椅子に無造作に引っかけられた数枚の衣服を指さす。
「あの、明らかに女物の衣装は、なんだ?」
フェランはぎくりとした。自分から説明するつもりだったのに、先に聞かれては心の準備ができない。
「あれはミルドさんが貸してくれた……昔モナさんが使っていた、服だそうで……」
「それが、どうして必要なんだ?」
「ええと……おじいさんが、どうしても女らしくしろ、というので……」
声が消え入りそうになる。エルシャが目を細めてフェランの顔を覗き込んだ。
「……おまえが着るのか?」
穴があったら入りたかった。だが、答えるしかない。
「……はい」
蚊の鳴くような声で答えた瞬間、エルシャとゼムズが吹き出した。話のわからないラミだけ、呆気にとられている。フェランは真っ赤になって反論した。
「だって、仕方ないじゃないですか! 女の格好をしないと、全然話が進まないんです! 女らしくしろって、そればかりいわれ続けるんですよ!? 何も、着たくてドレスを着るわけじゃありませんから!」
大笑いするエルシャを横目に、ラミが目を輝かせる。
「フェランがお姫様になるの? うわあ、見てみたい! フェラン、絶対きれいになるよ!」
フェランがため息をついた。
「ラミ……君にだけは、見られたくないんだけどな……」
「えー、どうして? フェランとお姫様ごっこしたい!」
涙を流して笑うゼムズが、腹を抱えながら口を挟む。
「ラミ、わかってやれよ。男心ってやつだ」
にらむフェランに、エルシャが笑いを堪えながら再び尋ねた。
「服はわかった。じゃあ、あの箱はなんだ?」
棚の上に、見慣れない木箱がある。フェランは半ばふてくされて答えた。
「あれは……モナさんの……化粧道具で……」
再びエルシャとゼムズが爆笑する。
「知っていて聞いたんですね!? 意地が悪いにもほどがあります!」
「いや、おかしいだろ、さすがにこの状況は」
笑い過ぎて息も絶え絶えになっている。
「だから、仕方ないでしょう! 男が化粧しないで女物の服を着ていたら、それこそおかしいじゃないですか! もう、放っといてください!」
フェランは全力で吐き捨てて木箱とドレスを掴むと、踵を返した。
「今から支度をします。絶対に! 見ないでくださいね! もう三人で、どこへでも行ってください! 僕には構わないでください!」
勢いよく扉を閉める。それでも背後の笑い声は、しばらく止むことはなかった。
「まったく、おまえがらしくもない朝帰りなんかするもんだから、食事の支度係がいなくて今朝は大変だったよ」
エルシャが冗談めかすと、それに反応してラミが文句をいった。
「大変だったのはあたしよ! ねえフェラン、エルシャったら、パンも焼けないのよ。全然役に立たないんだから」
「それは仕方がない。俺は生まれてから一度も、パンなんて焼いたことがないからな」
「おいおい、聞いたか? これだから王族ってやつは感じが悪いぜ」
ゼムズも交えて軽妙なやり取りをしている。耳に心地よく感じながら、フェランは熱いスープで無理やり体を目覚めさせた。
「で? 夜中に何があったのか、教えてもらおうか」
エルシャが促す。誰も起こさないよう静かに戻ってきたつもりだったが、さすがにエルシャには気づかれていたらしい。フェランは寝起きの頭を回転させて、昨夜起きたこととミルドから聞いた話を順序立てて説明した。
あの老人――バスコというらしい――には、三人の子供がいた。ミルドの妻であるモナは末っ子で、ほかに兄と姉がいるらしい。若いミルドがこの町でモナと出会ったとき、すでにバスコの妻は亡くなっており、長男と長女のアデリアも町を出ていた。つまり、末っ子のモナが父親と二人で暮らしていたということだ。
モナの明るく陽気な性格に惹かれ、二人は間もなく結婚する。そのときから三人暮らしが始まり、その生活は四十年以上も続いた。ミルドとモナは子供には恵まれなかったが、バスコとの関係も悪くなく、質素ながら幸せに暮らしていた。それが、六十歳を過ぎたころ、モナが難しい病に侵され、二か月前に他界した。そのころからバスコの言動がおかしくなり、毎日のように長女のアデリアを捜し歩くようになったのだ。良好だった義父と婿の関係も徐々に悪化し、今では嚙み合わない会話や罵り合いばかりだという。
バスコがアデリアにこだわるのには何か理由があるはずだが、ミルドも、おなからは兄姉について多くを聞いているわけではなかった。モナによると、兄は母親が死ぬだいぶ前に家から出て、絶縁状態だという。姉のアデリアは母親の死後しばらくしてから家を出たのだが、こちらに関しては兄のときとは違う雰囲気を感じた、とミルドはいう。兄はどうしようもない放蕩息子という感じだったが、姉については、モナは「家族の幸せのためにひとりで家を出たのだ」といっていて、むしろ庇うような言い回しだったという。だが、それ以上のことはモナも語ろうとせず、バスコに至っては、そもそもなぜアデリアが突然姿を消したのかも知らないようだった。モナと結婚し三人で暮らすようになってから、ごく稀にアデリアの話題が出ることもあったが、モナからバスコに何か知らせるような素振りもまったくなかった。むしろ、二人は意識してアデリアの話を避けているようでもあった。
「ですから、あのおじいさんはきっと、アデリアさんがどうして家を出ていったのか、それが知りたくてずっと彼女を捜しているのではないでしょうか」
フェランはそう結んだ。しばらくの沈黙が流れる。
「……それで?」
エルシャが先を促したので、フェランはエルシャを見た。話がこれで終わりではない、と知っているような顔だ。フェランはいいにくそうにうつむいた。
「それで……バスコさんやミルドさんを見ていて、何というか……このままにはしておけない、と思ったんです」
「そんなこといったって、赤の他人だろう? 髪の色がそっくりなだけで巻き込まれたら、たまったもんじゃねえよ」
ゼムズがいう。
「それはそうなんですが、もし……もし僕が話すことで、バスコさんの中で何かが解決して、元の生活に戻れれば……」
ゼムズは心底驚いたようだった。
「本気かよ!? あのめんどくさいもうろくじじいに、自分からちょっかい出すつもりか?」
「でも、ミルドさんはアデリアさんが今どこに住んでいるかも知らないですし、彼には解決できない問題です。おじいさんは僕をアデリアさんだと思い込んでいますから、僕が話せば、何かわかるかもしれない」
「勘弁しろよ、人がよすぎだろ」
フェランは呆れるゼムズに食い下がった。
「見ていられないんです。ミルドさんはもう疲れ切っていて……あんな姿を見て、放っておくことなんて、できません……」
ゼムズも黙り込んでしまった。
「……まあ、事情はわかった。おまえがしようとしていることもわかった。俺は止める気はないよ、どちらにしろもう少しこの町にはいるつもりだし」
エルシャが冷静にいうので、フェランはほっとした。
「だが、ひとつ、わからないことがある」
エルシャが、食卓の椅子に無造作に引っかけられた数枚の衣服を指さす。
「あの、明らかに女物の衣装は、なんだ?」
フェランはぎくりとした。自分から説明するつもりだったのに、先に聞かれては心の準備ができない。
「あれはミルドさんが貸してくれた……昔モナさんが使っていた、服だそうで……」
「それが、どうして必要なんだ?」
「ええと……おじいさんが、どうしても女らしくしろ、というので……」
声が消え入りそうになる。エルシャが目を細めてフェランの顔を覗き込んだ。
「……おまえが着るのか?」
穴があったら入りたかった。だが、答えるしかない。
「……はい」
蚊の鳴くような声で答えた瞬間、エルシャとゼムズが吹き出した。話のわからないラミだけ、呆気にとられている。フェランは真っ赤になって反論した。
「だって、仕方ないじゃないですか! 女の格好をしないと、全然話が進まないんです! 女らしくしろって、そればかりいわれ続けるんですよ!? 何も、着たくてドレスを着るわけじゃありませんから!」
大笑いするエルシャを横目に、ラミが目を輝かせる。
「フェランがお姫様になるの? うわあ、見てみたい! フェラン、絶対きれいになるよ!」
フェランがため息をついた。
「ラミ……君にだけは、見られたくないんだけどな……」
「えー、どうして? フェランとお姫様ごっこしたい!」
涙を流して笑うゼムズが、腹を抱えながら口を挟む。
「ラミ、わかってやれよ。男心ってやつだ」
にらむフェランに、エルシャが笑いを堪えながら再び尋ねた。
「服はわかった。じゃあ、あの箱はなんだ?」
棚の上に、見慣れない木箱がある。フェランは半ばふてくされて答えた。
「あれは……モナさんの……化粧道具で……」
再びエルシャとゼムズが爆笑する。
「知っていて聞いたんですね!? 意地が悪いにもほどがあります!」
「いや、おかしいだろ、さすがにこの状況は」
笑い過ぎて息も絶え絶えになっている。
「だから、仕方ないでしょう! 男が化粧しないで女物の服を着ていたら、それこそおかしいじゃないですか! もう、放っといてください!」
フェランは全力で吐き捨てて木箱とドレスを掴むと、踵を返した。
「今から支度をします。絶対に! 見ないでくださいね! もう三人で、どこへでも行ってください! 僕には構わないでください!」
勢いよく扉を閉める。それでも背後の笑い声は、しばらく止むことはなかった。
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