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【第五部:聖なる村】第十一章
嘘と裏切り
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突如として現れた黒雲が、無限の厚みで地上に覆いかぶさる。
重くて息ができない。
鼓膜が破れんばかりの霹靂。
耳を塞ぐ。
『嘘や裏切りに気をつけな』
雷鳴が轟く中に、女の声。
すべてを覆い尽くす漆黒の雲に、黄金の稲妻が走る。
『死相が出てる』
血の海に横たわる男。
悲鳴。
嘘、裏切り、死。
とどまらない迅雷、息苦しさ。
嘘、裏切り、死。嘘、裏切り、死。裏切り、死、死、死――
狭窄した気道をこじ開けるようにおおきく空気を吸い込みながら、エルシャは勢いよく跳ね起きた。窓からは明るい日差しが差し込んでいる。
何ということだ。
激しく呼吸を乱しながら、エルシャは寝台から飛び出した。
何ということだ、なぜ昨日気づけなかったのか。
脇に置いた長剣を鞘ごと乱暴に掴むと、エルシャは部屋を出た。突然の扉が開く音に、大部屋にいた三人――ナイシェ、フェラン、ゼムズが振り返る。
「おはよう、エルシャ。大丈夫? 顔色が悪いわ」
ナイシェの問いかけには答えずに、エルシャはあたりを見回した。
「みんな無事か!? ルイは!?」
一同は、エルシャのただならぬ剣幕に戸惑いながら顔を見合わせた。
「ディオネとラミはまだ寝てるけど……。ルイは、朝ごはんの材料が足りないといって、たった今出かけていったわ」
「珍しく、早起きしたからといってルイが朝食を作ってくれたんです」
フェランが食卓を示す。パンと、温かいスープが人数分、きちんと置かれている。
「野菜を足したいそうで。せっかくですから温かいうちにと思って、ちょうどみんなを起こそうと思っていたところです」
エルシャはほとんど話を聞かずに窓へ駆け寄った。眼下の大通りを、人の波に乗って遠ざかっていくルイの後ろ姿が見える。
「何も口につけるな! いいか、絶対食べるんじゃないぞ!」
そう叫ぶと、エルシャは部屋を飛び出していった。
三人は再び顔を見合わせる。
「……いったい、何があったんだ?」
窓から下を覗くと、人混みをかき分けるようにして先を急ぐエルシャの姿があった。
「ルイに、用事かしら?」
そのとき、背後の扉が開いた。
「朝っぱらから騒がしいわね、何事?」
ディオネの声に、ナイシェが答える。
「エルシャが、ルイを追いかけて出ていったんだけど、ただ事じゃない様子で――あ、姉さん、まだ飲んじゃダメ」
早速立ったままスープに口をつけているディオネを見て、ナイシェが制する。
「え、なんで? せっかく出来立てなのに」
「エルシャが、絶対食べ物に口をつけるな、って。理由もいわずにすごい剣幕で行っちゃって――ほら」
怪訝そうに、ナイシェの示す方向を見る。エルシャが通行人に体当たりしながら早歩きしている。その視線の先には、ルイらしき後ろ姿。
ディオネは眉をひそめた。
「……ちょっと、行ってくる」
ディオネは、エルシャのあとを追って部屋を出た。
朝の大通りは多くの人でごった返している。そんな中特定の人間のあとを追うのは至難の業だが、尾行に気づかれないようにするには、むしろ都合がよかった。
ルイは、あたりを見回すこともなく、迷わず大通りを進んでいった。しばらく行くと、一本の路地へ入る。このあたりは、大通りから外れると途端に露店はなくなり、あとは酒場や宿屋、人が住んでいるのかもわからないような建物ばかりになる。ルイは、ためらうことなく路地を進み、まったく人気のない路地裏でさらに左へ曲がった。エルシャは物音を立てないよう細心の注意を払いながら、ルイが入った路地の角で足を止めた。腰の剣に、手をかける。
人の気配がした。ひとりではない。
知らない男の声がした。
「うまく行ったか?」
それに応える声。
「ああ、何の疑いも持っていないはずだ」
ルイの声だった。いつものように、軽すぎるほど明るい声。エルシャは、鼓動が早くなるのを感じた。
「大丈夫かよ、本当に……」
別の男の声。気配からは、ルイを含めて三人の男がいるようだ。
「ああ。計画どおり、おまえたちで時間が来るまであの宿を見張ってくれ。二時間経ったら、俺が戻る。片がついているはずだ。それからゆっくりかけらを回収すればいい」
かけらを回収。
エルシャは息が止まりそうになった。
やはり、そうだったのだ。なぜ昨夜気づけなかったのか――二つのかけらと、三人のサラマ・アンギュースの意味に。
剣の柄を握り直した。
二つの無防備な足音が近づく。
ためらいはなかった。二人を、行かせるわけにはいかない。
エルシャは剣を抜くと、すばやく壁際から身をひるがえしてそれを一閃させた。何が起きたのかわからないような表情で、男二人が足元に倒れ込む。腹から溢れる血であたりの地面が赤く染まった。大通りから二つ角を曲がった路地での出来事に、気づく通行人はいない。ただ、同じ路地に居合わせたルイだけが、青い顔で目を見開いていた。
「あ……エ、エルシャ……! 助かったよ、こいつらにやられるかと――」
上ずったかすれ声を出すルイに、エルシャは最後までいわせなかった。
「くだらない芝居は無用だ。話を聞かせてもらおうか」
重くて息ができない。
鼓膜が破れんばかりの霹靂。
耳を塞ぐ。
『嘘や裏切りに気をつけな』
雷鳴が轟く中に、女の声。
すべてを覆い尽くす漆黒の雲に、黄金の稲妻が走る。
『死相が出てる』
血の海に横たわる男。
悲鳴。
嘘、裏切り、死。
とどまらない迅雷、息苦しさ。
嘘、裏切り、死。嘘、裏切り、死。裏切り、死、死、死――
狭窄した気道をこじ開けるようにおおきく空気を吸い込みながら、エルシャは勢いよく跳ね起きた。窓からは明るい日差しが差し込んでいる。
何ということだ。
激しく呼吸を乱しながら、エルシャは寝台から飛び出した。
何ということだ、なぜ昨日気づけなかったのか。
脇に置いた長剣を鞘ごと乱暴に掴むと、エルシャは部屋を出た。突然の扉が開く音に、大部屋にいた三人――ナイシェ、フェラン、ゼムズが振り返る。
「おはよう、エルシャ。大丈夫? 顔色が悪いわ」
ナイシェの問いかけには答えずに、エルシャはあたりを見回した。
「みんな無事か!? ルイは!?」
一同は、エルシャのただならぬ剣幕に戸惑いながら顔を見合わせた。
「ディオネとラミはまだ寝てるけど……。ルイは、朝ごはんの材料が足りないといって、たった今出かけていったわ」
「珍しく、早起きしたからといってルイが朝食を作ってくれたんです」
フェランが食卓を示す。パンと、温かいスープが人数分、きちんと置かれている。
「野菜を足したいそうで。せっかくですから温かいうちにと思って、ちょうどみんなを起こそうと思っていたところです」
エルシャはほとんど話を聞かずに窓へ駆け寄った。眼下の大通りを、人の波に乗って遠ざかっていくルイの後ろ姿が見える。
「何も口につけるな! いいか、絶対食べるんじゃないぞ!」
そう叫ぶと、エルシャは部屋を飛び出していった。
三人は再び顔を見合わせる。
「……いったい、何があったんだ?」
窓から下を覗くと、人混みをかき分けるようにして先を急ぐエルシャの姿があった。
「ルイに、用事かしら?」
そのとき、背後の扉が開いた。
「朝っぱらから騒がしいわね、何事?」
ディオネの声に、ナイシェが答える。
「エルシャが、ルイを追いかけて出ていったんだけど、ただ事じゃない様子で――あ、姉さん、まだ飲んじゃダメ」
早速立ったままスープに口をつけているディオネを見て、ナイシェが制する。
「え、なんで? せっかく出来立てなのに」
「エルシャが、絶対食べ物に口をつけるな、って。理由もいわずにすごい剣幕で行っちゃって――ほら」
怪訝そうに、ナイシェの示す方向を見る。エルシャが通行人に体当たりしながら早歩きしている。その視線の先には、ルイらしき後ろ姿。
ディオネは眉をひそめた。
「……ちょっと、行ってくる」
ディオネは、エルシャのあとを追って部屋を出た。
朝の大通りは多くの人でごった返している。そんな中特定の人間のあとを追うのは至難の業だが、尾行に気づかれないようにするには、むしろ都合がよかった。
ルイは、あたりを見回すこともなく、迷わず大通りを進んでいった。しばらく行くと、一本の路地へ入る。このあたりは、大通りから外れると途端に露店はなくなり、あとは酒場や宿屋、人が住んでいるのかもわからないような建物ばかりになる。ルイは、ためらうことなく路地を進み、まったく人気のない路地裏でさらに左へ曲がった。エルシャは物音を立てないよう細心の注意を払いながら、ルイが入った路地の角で足を止めた。腰の剣に、手をかける。
人の気配がした。ひとりではない。
知らない男の声がした。
「うまく行ったか?」
それに応える声。
「ああ、何の疑いも持っていないはずだ」
ルイの声だった。いつものように、軽すぎるほど明るい声。エルシャは、鼓動が早くなるのを感じた。
「大丈夫かよ、本当に……」
別の男の声。気配からは、ルイを含めて三人の男がいるようだ。
「ああ。計画どおり、おまえたちで時間が来るまであの宿を見張ってくれ。二時間経ったら、俺が戻る。片がついているはずだ。それからゆっくりかけらを回収すればいい」
かけらを回収。
エルシャは息が止まりそうになった。
やはり、そうだったのだ。なぜ昨夜気づけなかったのか――二つのかけらと、三人のサラマ・アンギュースの意味に。
剣の柄を握り直した。
二つの無防備な足音が近づく。
ためらいはなかった。二人を、行かせるわけにはいかない。
エルシャは剣を抜くと、すばやく壁際から身をひるがえしてそれを一閃させた。何が起きたのかわからないような表情で、男二人が足元に倒れ込む。腹から溢れる血であたりの地面が赤く染まった。大通りから二つ角を曲がった路地での出来事に、気づく通行人はいない。ただ、同じ路地に居合わせたルイだけが、青い顔で目を見開いていた。
「あ……エ、エルシャ……! 助かったよ、こいつらにやられるかと――」
上ずったかすれ声を出すルイに、エルシャは最後までいわせなかった。
「くだらない芝居は無用だ。話を聞かせてもらおうか」
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