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【第五部:聖なる村】第十章

反発するかけら

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「おう、エルシャ、フェラン! 待たせちまったか? 久しぶりだな、ガハハハ!」

 野太く響く低い声も、大口を開けた笑い方も、皆昔と同じだ。エルシャはしっかりとその男、ゼムズの右手を握った。

「よかった、無事だったんだな」

 ゼムズは再び声をあげて笑った。

「当り前よ。この俺が簡単にくたばると思うか?」

 そこに、持ち直したルイが咳払いをしながら口を挟む。

「き、君が、ゼムズなんだね。よろしく、ルイだ」

 恐る恐る差し出された右手を、ゼムズは力強く握った。

「おう、なんだおまえ、まさか……アレか? エルシャ、おまえも見つけたのか」

 言葉を選んだゼムズに、エルシャは微妙な笑みを返した。

「ん……まあ、何というか。少し複雑な事情があってね」
「それよりゼムズ、おまえも、って……ひょっとして……!」

 フェランが割って入る。ゼムズは意図を察してにやりと笑った。

「こっちもな、いろいろ事情があってな……。まあ長い話になるんだけどよ。これだけはいっておく。相当、いい仕事してきたぜ」

 自信みなぎるゼムズに、一行は気が急いだが、それを知ってか知らずか、ゼムズは手近な椅子に座ると大きな声で酒を注文した。

「俺はついさっきこの町に到着したばかりなんだ。もうずっと酒なんて飲んでねえ。土産話は後にして、とりあえず飲むぞ!」

 三人は顔を見合わせ苦笑しつつ、新たに運ばれた酒で仲間との無事の再開を祝したのだった。





 翌日、太陽が真上に昇っても一向に起きてこないルイとフェランに、ディオネはいらいらしていた。

「まったく! 完全に飲みすぎじゃないの。ゼムズだってまだ来ないし。宿の場所、わかってるのかしら」

 温かい茶をすすりながら、エルシャが答える。

「ゼムズは大丈夫だよ。あいつ、いくら飲んでも全然いつもと変わらなかったからな。まさに酒豪だよ。フェランも、いつになく饒舌でご機嫌だったけどな、まあ問題はルイだな。完全に潰れていたからな……」

 空が白んでくるまで、素面しらふで三人の酒の相手をしていたことを思い出す。
 結局昨夜は、主にゼムズとルイの酒が止まらず、帰路についたのは鶏の鳴き声が聞こえてからだった。よくもこれだけネタが尽きないものだと感心するほど、話は盛り上がっていた。最後には、自力で歩けなくなったルイを三人で支えながら宿まで歩き、別の宿をとっているゼムズとはそこで別れたのだ。帰る間際までゼムズの足取りはしっかりしており、翌朝――今朝というべきか――にはすぐにでも宿を引き払ってこちらに合流するといっていた。しかしどうやら、さすがのゼムズも睡魔には勝てなかったか。

「早起きは、飲まなかったあんただけね、エルシャ」

 ディオネがいう。
 病み上がりで酒を控えたのは確かだが、早起きの理由のひとつは、今でもう夢の中に鮮明に現れる神の記憶の断片のせいであることは、伏せておいた。昨夜も何度かうなされたが、同室のフェランは酒と寝不足のためか熟睡しており、迷惑はかけていなかったようだ。

 結局、ルイとフェランがのそのそと起きてきたのと、ゼムズが宿に現れたのは、残る四人が昼食を取り終えたころだった。バツの悪そうなルイとフェランに相反して、ゼムズはすがすがしい笑顔で颯爽と現れた。

「よぉみんな、待たせたな!」

 到着を今か今かと待っていたディオネとナイシェは、途端に満面の笑みで立ち上がる。

「ゼムズ! ずっと心配してたのよ、全然変わってなくて本当によかった!」

 続いて椅子から飛び降りたラミが勢いよくゼムズの右足に抱きつく。

「会いたかったよ、ゼムズ!」

 ゼムズは頬を緩ませて軽々とラミを抱き上げ、そのまま幅広な肩の上に乗せた。

「おうお姫様! 元気そうで何よりだ」

 ナイシェが手早く三人分の茶と軽食を用意すると、皆それぞれに腰かけた。

「さて、そこの二人は頭働いてるか?」

 ゼムズが大きな声でフェランとルイに話しかける。ルイが軽く顔をしかめた。

「働いてるから、もっと小さい声で頼むよ……」

 フェランはうつむいたまま、ひたすら背中を丸めて小さくなっている。

「大丈夫です、本当にすみません……」

 その光景に、たまらずナイシェが笑い出す。

「フェランのそんな姿、初めて見たわ。あなたでもはめを外すことがあるのね」

 フェランは頬を赤らめひたすらうつむいている。それを見てエルシャがいう。

「昔……旅に出る前は、二人で飲み明かした日もあったよな。そんなにひどい酔い方をしたことはなかったが……まあ今回は、女性陣に見られて恥ずかしい、ってところか」

 そこで初めてフェランが顔を上げた。

「解説は結構です、エルシャ!」

 エルシャは愉快そうに笑うと、ゼムズへ目を向けた。

「そんなわけで――早速聞こうか」

 ゼムズは自信に満ちた目で大きくうなずいた。

「まず……。俺は、例の紋章事件の頬傷男――ジャン・ガールが、神の民だったのかどうかを探るために、あの窃盗団に入ったわけだが」

 全員の視線が集中する中、ゼムズはひとつ咳ばらいをしてから続けた。

「ジャン・ガールは、神の民だった」

 一気にその場の空気が熱くなる。

「あいつは神の民――それも、操作の民タリアナだ。一味の仲間から聞いた話だ。間違いないと思う」

 エルシャは生唾を飲み込んだ。

 もしかしたらと思っていたが、やはりそうだったか。俺の考えは、間違っていなかった――。

 しかし、ゼムズの口から語られた更なる事実は、エルシャたちの予想をはるかに超えたものだった。
 ジャン・ガールのほかに、同じ窃盗団にもうひとり、操作の民が存在したこと。その力を使って人間の動きを操るところを、実際に見、そして経験したこと。そして、かけらを譲り受けたこと。

 にわかには信じがたいその話に、最初に疑問をぶつけたのはルイだった。

「そんな都合のいい話あるか? おまえ、騙されてるんじゃないのか?」

 しかしゼムズは落ち着いていた。

「ジャン・ガールはともかく、キーロイ――もうひとりについては、俺が実際に見てきた話だ。それだけじゃねえ。俺自身が、操られたんだ。正直、あんな感覚は生まれて初めてだった――あの、自分が自分でないような、他人の体に入ってしまったような、あの……現実とは思えない、感覚。そして……恐怖。自分の体が勝手に動く。自分を思いのままにできる人間が目の前にいる。……あんな、ぞっとするような恐ろしさは、初めて経験した……」

 思い出したのか、話すゼムズの頬はややこわばっている。

「でも、そんなにすごい力だったら、悪用したら何でもできちゃうじゃない……」

 ナイシェの疑問に、ゼムズはうなずいた。

「俺も、そう思った。だからこそ、恐ろしいと感じたんだ。だが、不思議なことに――」

 ゼムズは、キーロイがそのかけらを埋めたことで苦しんでいたこと、かけらが人を選ぶというのは本当かもしれないことを、つたない言葉で説明しようとした。

「――ひどい傷だった。かけらは、キーロイの体に反発したのかもしれない。悪人と神のかけらは、相容れないのかもしれない……」

「その件については」

 突然、それまで黙っていたエルシャが言葉を発し、皆一斉に振り返った。

「俺が、説明できるかもしれない」
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