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【第五部:聖なる村】第九章

台所女たちのたわごと⑦

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 台所女たちの朝は早い。まだ夜が明ける前から、その仕事は始まる。

「ちょっと、人参が一山足りないんだけど、誰の当番!?」
「確かリリカだよ、昨夜運んでるの見た」
「誰か探してきて! もう一山運ばせて!」
「何いってんの、そんな暇ある奴なんていないよ」

 空に太陽が昇り始めるころには、厨房の裏では女たちの罵声が飛び交う。不機嫌に文句をいうというより、いきいきと悪態をつくその姿は、むしろ毎朝の喧騒を楽しんでいるかのようだ。結局、人参の皮剥きをじゃがいも係の仲間に託し、女は自ら倉庫へ置き忘れられた人参を取りに行くことにした。

「これでもさ、一年前より仕事は減ってるんだよね?」

 目の前に山盛りの人参を置かれ、うんざりしたように残された女は独りごちた。

「うんうん、下級貴族のお引越しが始まってるから、人が減った分楽になってるはず!」

 いい聞かせるようにそう答えた別の女に水を差すように、もう一人が口を挟む。

「それは違うよ。下級貴族が減った分、あたしたちも数を減らされてる。だから、あたしたちの仕事量は変わってないんだよ」

 一瞬、女たちの手と口が止まる。ややあってから、これまで以上にけたたましく騒ぎ始めた。

「何それ!? 騙された!」
「いや、誰も騙してないよ」
「いわれてみれば、今年に入ってから、前まで見かけた顔、いくつかいないよね……」
「気づくの遅すぎ!」
「みんなクビになっちゃったの?」
「それがね……」

 さも極秘事項を特別に教えるかのようなそぶりで、訳知り顔の女が声を落とした。

「大部分はクビ。そして、ごく一部は……新しい下級貴族付きの洗濯係になったり、中には、なんと! 中級貴族付きの侍女に引き抜かれたり、してるらしいわよ!」

 途端に女たちの悲鳴があがる。

「うそ! そんなのあり!?」
「台所女は一生台所女かと思ってた!」
「じゃあさあ、身分制度や住居計画を大改革中の今なら、頑張ればあたしたちにも出世の可能性があるってこと!?」
「そうよ! こんな、お貴族様の暖かいお部屋とは無縁の隙間風吹く場所で、一生手荒れに悩まされ続けるか。それとも、冬でもぽかぽかのおうちで優雅で華やかな生活のほんの端っこだけでもかじらせてもらえるか!」
「うわあ、あたしたち下っ端のやる気まで起こさせるなんて、国王陛下もやり手ね!」

 リキュスの話題が出ると、女たちの関心はすぐさま移った。

「あんなに若いのに、すごいわね。結婚もせず、ひたすら仕事に打ち込むあの生真面目さ」
「なんでも、今までの国王が下任せにしていた仕事も、リキュス国王陛下は全部自分で確認してるらしいわよ」

 女たちがざわつく。

「本当に? そんなことしてたら、いくら時間があっても足りないじゃない」
「そういえば、即位のときだってさ、国王付きの一部の警備だけじゃなくて、黄金宮に出入りするすべての警備員を、全部自分で選んだんだってよ」
「え、それって普通じゃないの?」

 芋を洗い終わり人参に手を伸ばしながら、女が訊き返す。再び、訳知り顔の女がわざとらしく肩をすくめて見せた。

「わかってないね! これまでは、国王付きの警備だけ、信頼できる人間を国王自ら選んでたのよ。あとの人たちは、宮廷長と警吏部長が話し合って決めてたの。だって、全体で百人近くいるのよ。ひとりひとり、経歴見て審査して……なんてやってられないわよ。そもそも、警吏部の人間に一番詳しいのは警吏部長なんだから、普通は任せるわよね? それを、リキュス陛下は、全員の書類に目を通して、面接までやってのけたらしいわよ。すごいこだわりっぷりじゃない?」

 一同は皆納得したようだった。

「すべて自分の目で確認しないと気が済まない! だからこそ、これだけのことをやってのけるのね」
「だってほら、即位のときだって、いろいろあったじゃない? 正直いって、貴族の全員が賛成してはいなかったでしょ。だから、自分の警護に神経質になるのは、当たり前なのかも……あ! 違うわよ、あたしはリキュス様の即位に大賛成だったからね!? 変な告げ口しないでよ!?」
「でも実際さ、新国王大本命だったジュベール……じゃない、ジュノレ様が指名したようなもんでしょ? だからさ、ジュノレ様も責任感じて、リキュス様への手助けっぷりが半端じゃないわよね。なんかもう、参謀状態っていうか」
「うんうん、あのお二人は、信頼し合っていて、だからこそリキュス様も全力を出せるのかもね」
 ジュノレの名前が出ると、女たちの興味はまた移り変わった。
「あたし、最近思ってたんだけど! ジュノレ様とリキュス様が結婚すれば、この国も安泰なんじゃない!?」

 女たちが悲鳴に近い声をあげる。

「きゃあ、それいいかも!」
「年上のジュノレ様が、若き国王リキュス様をがっちり支える! そんなお二人は、よき夫婦であり、盟友であり、時には姉弟のように……ああ、理想的な関係!」

 そこで、別の女が興奮気味に口を挟む。

「ちょっと待ってよ、確かに仕事上は相性いいかもしれないけど、結婚となると……。あたしはさ、ジュノレ様みたいな強い女性は、むしろ、包容力のある男性のほうがお似合いだと思うのよね。例えば、エルシャ様みたいな!」
「わぁ、すてき! 絵になるお二人だわ!」

 様々な意見が乱れ飛び、女たちはころころと表情を変える。

「確かに美男美女だけどさ、エルシャ様が、神託がどうのとかで最近ずっと宮殿にいないじゃない? だから、ジュノレ様とどうかなるのはさすがに無理なんじゃない?」
「そうね、忙しい王族の恋愛は、やっぱり身近な人じゃないと……」
「あ、じゃあさ、テュリス様は!?」
「えーっ、さすがにないでしょ。ジュノレ様のお母様のサルジア様も含めて、すっごい仲悪かったじゃない」
「いや、でもさ、昔は次期国王の座を狙っていた者同士でも、リキュス様が即位された今となっては、もういがみ合う理由はないわよ?」
「そうそう、むしろ、テュリス様は紋章盗難事件を任されて何だかすっかりやる気みたいだし、リキュス様を支えるジュノレ様とも、前より親しくしてるって噂よ」
「じゃあ、まさかのあのお二人が、結婚!?」
「意外とありうるかもよ!? 何だか似てるとこあるし!」
「うわあ、見てみたい! いつも冷静で滅多に笑わないあのお二人が、愛を囁き合うところ!」
「いやあ、想像できなーい!」

 女たちの興奮が最高潮に達するのと、料理長の怒号が響くのは、ほぼ同時だった。

「人参はまだか!? 芋は!? おまえたちクビになりたいか!」

 女たちは一斉に持ち場に戻り、手を動かし始めた。

「出世してる子もいるってのに、あたしだけクビなんてごめんだわ……」

 小声でぶつぶついいながら、女たちは今日も野菜の下ごしらえに励むのだった。
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