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第10章

寄り道①

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「あれ、祐輔さん、そっちでしたっけ?」

 バス停を降りて右へ行こうとすると、洸太郎に引き留められた。

「あ、いや……えっと、ちょっと寄りたい場所があって」

 家で待たせている萌葱の様子も心配だが、祐輔にはそれ以上に、行きたいところがあった。何日も悩み続けて、やっとのことで決心をして、そのための準備もしてきた。下校途中で図らずも洸太郎に会ってしまい、少しだけ気持ちが揺らいだが、それでもやはり今日行くことにしたのだ。

「……洸太郎くんは、家までどれくらい?」
「ここからだと五分くらいかな」

 祐輔の自宅よりは近い。だったら、寄り道なんかやめて洸太郎を家まで送ってあげるのが正解かもしれない。

「そうか。まっすぐ帰らないと、蘇比やおうちの人が心配しちゃうね」
「そんなことはないですけど。母さんはいつも仕事だから、家にいるのは蘇比だけ」
「そう……か……」

 ちょっとだけ悩んだ後、祐輔はためらいがちに声をかけた。

「えっと、僕の寄り道は十分くらいで終わるけど……一緒に、来る?」

 洸太郎はニコッと笑って小走りに祐輔の元へ駆け寄った。
 五分ほど歩いて到着したのは、花屋だった。

「寄り道って、ここ? お花買うの?」

 目をくりくりさせて問う洸太郎に、祐輔は恥ずかしそうな笑みを浮かべる。そのとき、店内からエプロンをした女性が出てきた。

「はあい、いらっしゃ――あら、祐輔くん、お久しぶりじゃない。今日は彼女は?」

 きょろきょろする美織を見て、祐輔はぽりぽりと頭を掻いた。

「あ、今日はその、ひとりで……あ、この子、僕の近所の子なんですけど……」

 洸太郎が不思議そうに美織と祐輔を見比べている。なんだかすべてを見通されているような錯覚に陥って、祐輔は小さな声で口早にいった。

「あの、今日は、あれをいただきに……。あの、以前見せてもらった、緑の実がなる植物。あ、実じゃなくて、葉っぱなんでしたっけ? グリーン、何とか……」
「ああ! グリーンネックレス?」
「そう、それです! ありますか?」
「あるわよ。ちょっと待っててね、奥を探してくるから」

 美織はニコニコと笑いながら店内へ引き返そうとし、それから再び振り向いて意味ありげにウインクした。

「今度こそ、彼女にプレゼント? いいわねえ、若いって素敵ねえ」

 うっすらと染まった頬をますます赤くして、祐輔はうつむいた。

「あ、いや、その、まあ……」

 美織が見えなくなった後もうつむいたままの祐輔を見て、洸太郎が尋ねる。

「ねえ、彼女って、もしかして、萌葱?」

 ぎょっとした祐輔を意にも介さず、洸太郎が笑顔になる。

「祐輔さん、萌葱のこと、すごく大切そうにしてたもんね? そうか、プレゼントするんだね。萌葱、綺麗な若葉みたいな緑だもんね、おんなじ色の植物をあげたら、きっと喜ぶね?」

 妙に浮ついていた心が、不意に地に降りる。

「洸太郎くん、わかるんだ? ……萌葱が、綺麗な緑だって」

 萌葱が洸太郎の前で液化したり気化したりしたことは、なかったはずだ。自分だって、気体の萌葱を見たのは一度だけだ。もちろん自分には、綺麗な若葉色には見えなかったが。

「ほら、浅川さんちで血を採るとき、一緒になったでしょ。あのとき、萌葱の血が、緑だったから。いつも着てるスカートと同じような色だったよね」
「あ……ああ、そうだね……」
「蘇比はね、オレンジなんだよ。元気いっぱいの太陽みたいなオレンジ。あはは、あの性格そのままだよね。血の色まで元気いっぱいなオレンジで、ちょっと笑っちゃった」

 ふふふ、と洸太郎が控えめに笑う。それが祐輔には少しショックだった。同じものを見ていたはずなのに、自分は、萌葱の血液が緑なことも、蘇比の血液がオレンジなことも、気づかなかった。どちらも茶色っぽく見えたし、それをいうなら、自分が採血をされるときだって、いつも自分の血液はくすんだ茶色に見える。

 緑、オレンジ、赤。

 どれも、区別がつかない。

「……じゃあ」

 どうしても、訊かずにはおれなかった。

「じゃあさ、茶色は……くすんだ茶色は、どんな性格だと思う?」
「えー? 茶色? しかも、くすんでるの? そうだなあ、ちょっと疲れて元気がないイメージ? 枯れてる感じ」

 あはは、と洸太郎が笑う。

「どうしたの? そんなオーラの人間がいたの?」
「いや……そうじゃないけど」

 聞かなければよかったと後から思った。茶色なんて、たいていの人間は消極的なイメージしか持たない。自分だってそうだ。

 萌葱は、綺麗な若葉色。

 パートナーではない小学生の洸太郎にだって、そう見えるのだ。どうして、自分にはありのままの萌葱が見えないのか。
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