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第10章

異常たんぱく質①

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 清潔な空気と明るい光に満たされた研究室で、慎一はモニターに映し出されるふたつの画面を何度も見比べていた。カラフルな線で描かれた似たようなぎざぎざのグラフを交互に見、メモを取る。次に画面を切り替え、しましまの白い線が入った黒い画像を見比べた。微動だにせずしばらく見つめた後に、小さくため息をついた。

「……やっぱり、そうか……」

 自然と独り言が出る。昔から、高度に集中しているときの慎一の癖だ。

 ベクターを投与する前と後で、全員の血液に変化が見られた。いずれの血液にも認められていた異常なたんぱく質が、投与後に消失している。DNAの塩基配列も正常化していた。あんなに訴えていた頭痛も、採血の時点では消失しているといっていた。遺伝子治療が、成功したのだ。

「……だが……」

 もう一度、検査結果を見比べる。
 成功したのに諸手を上げて喜べないのは、まだ消えない異常があるからだ。
 異常なたんぱく質は、二種類存在していた。消えたのは、そのうち片方だけだ。そして、DNAの異常も二か所だったが、治ったのは一か所だけだった。

 それは仕方がなかった。ふたつのたんぱく質のうち、とりあえずひとつに絞って早急に分析し、プラスミドベクターを作成したのだ。もともと、治療のターゲットは一種類だけだったのだから、もう一方の異常が残存するのは当たり前だ。そして、治療効果が出るまでの数日間で、残るもうひとつのたんぱく質の解析を行ってきたが、こちらに関しては、まだ遺伝子変異を正すベクターの作成に成功していない。そもそも、異常たんぱく質の役割すらわかっていないのだ。

「第一……遺伝子を操作して異常たんぱく質を生成させるまでは理解できるが、そのたんぱく質を時限爆弾のようにタイミングを見計らって作動させ、しかもそれが個体の意思決定にまで特定の影響を及ぼす、などということが……できるのだろうか……」

 頭の中で考えるよりも、実際に言葉に出したほうが自身も思考が整理される。

「それも、VCはすでにばらばらに散っている。ひとりひとりに接触したわけではないとすると……遠方にいても、同時にこれらを作動させるなど……」

 例えば、広範囲に拡散するガスだろうか。VCの持つ異常たんぱく質とだけ反応する特殊なガスならば、説明はつく。しかし、ガスの拡散では範囲が限られるし気象の影響を受けやすい。もっと精密な方法があるはずだ。

「それに……意思決定に関わるたんぱく質となると……」

 意志決定に関わる生体内の部分といえば、脳だ。ならば、これらの異常たんぱく質は脳内で働くということか。

「例えば、何かのスイッチが入りこのたんぱく質が活性化すると、脳内の特定の伝達系を刺激し、特定の人間を殺したいという衝動が高まる、とか……」

 具体的な経路の分析にはしばらく時間がかかるが、この仮説なら、科学的に説明できそうだ。

「あとは、スイッチか……」

 タンパク質の分析にも時間がかかり、ベクターの作成も難航しているとなると、あとはこのたんぱく質を活性化させるスイッチを特定し、それを阻止するというやり方がある。それが一番早そうだが、体に触れずして広範囲のVCの体内たんぱく質を活性化させる方法など、簡単には思いつかない。

「……木崎……できるとしたら、あいつしかいない……」
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