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第3章

ヴィフ・クルール①

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 華についてタクシーに乗り向かったのは、彼女の自宅だった。

「誰にも聞かれたくない話だもの、うちでいいわよね? 大丈夫、きっと紅ちゃんは碧と一緒よ。碧はちゃんと、うちに帰ってくるから」
「……一緒に、住んでるの?」
「住んでるというか、いさせてあげてるというか。普段はひとりで勝手にしているみたいだけど、休みたくなったら私の部屋に戻ってくる」
「へえ……」

 どうやら、紅と自分との関係よりもドライな印象だ。

 案内された一軒家が予想以上の豪邸で、哲平は驚いた。中津川なかつがわ、という表札がかかっている。入ると、家政婦らしき中年の女性が出迎えた。

「お帰りなさいませ、お嬢様。ご友人でいらっしゃいますか」
「ええ、ちょっと大学の知り合いで、これから大事な相談事をするから、しばらくは邪魔しないでちょうだい」

 慣れた様子で自室へ向かう華に、すごすごとついていく。

「……ずいぶんと、お嬢様なんだね? 大学生なの?」
「美大の二年よ」

 なるほど、お金持ちの美大のお嬢様か。名前といい雰囲気といい、ぴったりだ。年下だけど、俺なんかより全然落ち着いてるし貫禄あるな……。

 そんなことを思いながら案内されたのは、女の子らしいピンクを基調とした片付いた部屋で、哲平が落ち着きなく腰を下ろすと、華はまず部屋の窓を開けた。そして初めて、にっこりと微笑んだ。

「いつでも碧が帰って来られるように、ね。……あなたなら、意味、わかるでしょ?」

 ベランダもなにもついていない二階の窓を開けて、そんなことをいう。やはり、そうなのだ。自分と同じような境遇の人間が、ほかにもいたということだ。

「……さて。本題だけど」

 華が椅子に腰かけて話し出した。

「あなたのお友達の紅ちゃん。……彼女、ヴィフ・クルールでしょ?」

「ヴィ……?」

 突然全く知らない言葉をいわれて面食らう。

「それ、何? どういう意味?」
「紅ちゃんから聞いてないの? Vif Couleur、色を持った、気体や液体に変化できる人間。……もっとも、人間っていっていいのかもわからないけど」
「ヴィフ・クルール……えっと、聞いたことない。紅も、自分が何者なのかよくわかってないみたいで。ただ、前に住んでいた場所には戻りたくないっていって、俺のところにいるんだ。君はどうして、そんなに詳しいの?」
「碧に聞いたからよ。こないだニュースになっていた、フューチャークリーチャー社の研究所の爆発事故、あるでしょ? あのときに、逃げ出してきたんですって。研究所では、彼らはヴィフ・クルール、VCって呼ばれていて、碧のほかにも何人かいたらしいの。みんな逃げたのかどうかは知らないけど、碧もね、研究所には戻るつもりはないっていってた。あそこでは、訓練とか実験とかばかりさせられて、全然自由がなくて、いつも誰かの監視の目があって、地獄のようだった、って」
「実験?」

 訓練は、紅も似たようなことをいっていた。気体や液体になるのにコツがいるから、その訓練をしている、と。実験というのは、初耳だ。

「私も、まだ詳しくは碧から聞いてないけど……」

「実験とは、その名のとおり、人体実験だよ」

 突然近くで男の声がして、哲平は飛び上がった。見ると、いつの間にか部屋の中に碧が立っていた。そのすぐ後ろに、紅がいる。紅は目に涙を溜めて哲平に抱きついた。

「哲平くん! 怖かったよぅ」
「紅! 紅、無事でよかった……!」

 小さくて柔らかい体を抱きしめる。一瞬、紅の体が光り輝いた。

「ずっと気体になって飛んでたから、ちょっと疲れちゃった」

 へへ、と紅が笑う。

 つまり、今のはいわゆる急速充電か。

 ふたりの目の前で、碧も静かに華の元へ近寄り、彼女の頭に手を乗せた。碧の体も輝いて、ほんの一秒足らずで元に戻る。華が顔を赤らめた。

「だから、そうやって子供扱いするのはやめてってば」
「いいじゃないか、俺はおまえのふわふわの頭が好きだ。どうせ触れるなら、触り心地のいいところがいいだろう」
 不思議な光景だ。ここにも、人間ではない生き物を受け入れている人間がいる。しかし、哲平と紅の関係とは少し違うようだ。あんなに堂々とふるまい、大人びてすら見えた華が、碧の前では年相応の子供のように見える。

 碧が哲平を見た。

「申し遅れたな、人間。俺は紺碧こんぺき。ヴィフ・クルール、通称VCだ。華にはあおいと呼ばれている」
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