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第1章

フューチャークリーチャー社②

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「戻っても、また閉じ込められるだけ。自由に外を出歩いたりできないし、会うのはいつも、宇宙服を着た人間だけ。そんなところより、いろんな色の人間が歩いていて、哲平くんみたいな優しい人がいる世界ここに、いたい」

 感情を素直に表現する彼女の瞳が、強い意志とわずかな不安を帯びて哲平を見つめていた。

「……わかった」

 自分でも驚くほど自然に、その言葉が出た。

「じゃ、しばらくうちにいるといいよ」

 そんなことを口走っている自分が信じられない。この子は間違いなく厄介者だ、彼女自身がどんなにいい子でも、厄介には違いない。それに、まだ若い女の子だ。未成年だ……たぶん。そんな、不必要に可愛くて得体の知れない生き物を受け入れるなんて馬鹿げている。当然、親にはいえない。実家暮らしなのに、親にバレずに彼女をかくまわなければならない。そんなこと、できるのだろうか?

 早速後悔し始めたときには、紅の頬はみるみる緩み、満面の笑みが広がったかと思うと彼女は再び哲平に抱きついた。

「ありがとう、哲平くん! やっぱり哲平くんはあたしの命の恩人だ!」
「あ、いや、でも問題は山積みで――」

 遠慮がちに彼女の肩を掴んで引き離そうとしたとき、突然玄関の開く音がした。

「哲平、いるの? やだあなた、大学サボり?」
「ヤバいっ、母さんだ! 紅、隠れて!」

 まだ昼過ぎなのに、なぜか母親の晴子が帰宅してきた。狭いリビングで、身を隠す場所を見つけられずにいる紅を背中で覆いながら、哲平は玄関のほうを向いた。廊下からすぐに晴子が姿を現し、目を見開く。

「あなた……!」
「あっ、母さんっ、こ、これには訳が……」

 昼間っから大学をサボって明らかに若すぎる女の子を連れ込んで何やってるの!

 という怒号が飛ぶかと思いきや、晴子はわざとらしいため息をついてキッチンへ向かった。

「あなたね。いくら単位が余裕だからって、そんなんだとダメ人間になるわよ。まあいいわ、お昼、食べる?」
「え?」

 後ろを振り返ると、紅はいなかった。もう間に合わないと思ったが、どこかに隠れたのか。

「か、母さんこそ仕事は……?」

 いいながらあたりを見回す。上手に隠れても、しょせんリビングだ。晴子がキッチンにいる限りそのうち見つかってしまうだろう。

「今日は半日勤務よ。チャーハンでいい?」
「うん……」

 上の空であたりを見渡すと、部屋の隅のほうから、見覚えのある赤い靄がふわふわと地面を這うのが見えた。まるで生き物のように蠢いて哲平の足元に近づいてくる。

「うわっ!?」
「今度はなに?」
「あっ、いや、何でもないっ」
『哲平くんひどいよ。そんなにびっくりしなくても』
「しっ! 静かに……」
「ん? 何かいった?」
「あっ、いや何も!」
『大丈夫だよ、お母さんには聞こえてないよ』

 頭の中に響くような紅の声が聞こえて、赤い靄が両足にまとわりつく。異様な汗が噴き出して、哲平は晴子と紅とを交互に見比べた。キッチン越しだと、晴子に紅は見えない。

「あ、じゃあ、ごはんできたら呼んで! 俺、部屋に戻ってるわ」

 そう言い残し、廊下に出て階段を上る。紅は静かについてきて、晴子に気づかれずにリビングを出た。

『ねえ、うまく行ったでしょ? 危機一髪だったね!』
「ああ、そうだね……ひやひやしたよ」

 だんだん脳内の声にも慣れてきて、早鐘を打っていた心臓も落ち着いてくる。なるほど、自在に気体になれるというのも確かに便利だ。そこでふと、頭に浮かんだことを紅に訊いてみる。

「母さんにも、色ってあるの?」
『うん、みんなあるよ。哲平くんのお母さんは、赤っぽい紫。綺麗で落ち着いた色だったよ。明るくて、しっかり者なんだね』
「色で性格までわかるの?」
『どうだろう? なんとなく、そう思っただけ。だって哲平くんは、緑で、とても穏やかで安らぐ人だし』

 穏やかで安らぐなどといわれたことは一度もないし、自分でもそういう自覚はないが、なぜだか紅にはそう見えているらしい。

「とにかく、作戦は決まったね。紅は、俺の部屋にいて、家族に見つかりそうになったときは、今みたいに隠れる。……なるべく外に連れて行ってあげるから、見つかるようなことだけは避けてね? 母さんに見つかったら、絶対追い出されるから」
『うん、がんばる! ありがとう、哲平くん!』

 表情は見えなくても、紅が喜んでいるのがわかった。それは、声色からではなく。体にまとわりつく赤い靄が、なぜだか喜んでいるように感じたのだ。

 ……不思議だな。顔や仕草が見えなくても、伝わること、あるんだ。

 今日だけで、紅に何回お礼をいわれただろう。紅のおかげで哲平の生活は激変し、厄介な事態になっているのだけは間違いないが、それでも彼女の明るさと、哲平を頼る素直で純粋な心は、接していて悪い気はしなかった。

「……俺こそ、見つけてくれてありがとうね、紅」

 思った以上に声が小さくなってしまったのは、母親に気づかれないようにするためだからと、自分に言い聞かせる。

『……あれ? 哲平くん、ほっぺが紅色』

 そんな言い訳すらあっさり紅に見破られ、哲平は部屋へと戻る足を速めるのだった。
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