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第4話
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空気が凍てつき、雪がちらつくようになったある冬の日、突然鷹華に声がかかった。
「鷹華、遥巳様がお呼びよ」
「え? 私ですか?」
「ええ。ついでに下膳してきてちょうだい。食後のお薬も、忘れずに飲んでいただいてね」
台車とともに、コップ一杯の水と小さな包み紙を渡される。
「……ご病気、なんですか?」
「あら、知らなかったの? もう二か月以上前から、熱がなかなか下がらなくてね。こんなに長く伏せってらっしゃるのは初めてだわ。何でも風邪がこじれたらしくて。お薬、絶対飲んでもらってね。それと、これ」
長細い布を渡された。
「咳がひどいらしいの。移らないように、これ、巻いていきなさい」
いわれたとおり鼻と口を隠して、数か月ぶりに部屋を訪れた。遥巳の姿を見るなり、息を呑む。白い肌はますますその色を失い、体は更に細くなっていた。
「遥巳様……! お加減は……」
遥巳が微かに笑った。
「鷹華が来てくれて、ちょっと良くなった」
「そんな……!」
わかりやすい嘘に思わず駆け寄ろうとして、自分の押してきた台車に躓いた。
「きゃあっ!?」
大きくつんのめって、ベッドに座る遥巳の上に倒れ込む。鷹華は慌てて体を起こした。
「ああっ、申し訳ありません、具合がお悪いのにこんな……っ」
すぐ離れようとして、できなかった。じっと自分を見つめる遥巳の目が、あまりに痛々しかったからだ。
「……それでは、僕の好きな鷹華の笑顔が見られないね……」
鷹華は少しだけ躊躇した後、口元の布をずり下げた。
「……これで、よろしいですか」
「だめだよ鷹華、病気が移ってしまう」
「大丈夫です、私、風邪は引かないので」
そういって、にっこりと笑った。遥巳の表情が和らぎ、目尻が下がる。
「おまえって奴は……」
瞳がさざ波のように揺れて、遥巳はついと俯いた。
「……もっと早く、おまえを呼んでいればよかった」
絞り出すような声だった。
「おまえに、見られたくなくて……いつも曇りない顔で笑うおまえに、僕の……醜い姿を見られたくなくて……ずっと、遠ざけていた」
そこまでいって、突然激しく咳込む。
「遥巳様……!」
さすった背中は骨ばって、じっとりと熱がこもっていた。
「遥巳様は醜くなどありません。体調が優れなくても、美しいままです」
「そうじゃないんだ。病気のことじゃない」
口元を手の甲で拭うと、遥巳は鷹華を見た。
「僕は……戦争に向かう兄を見て、自分でなくてよかったと、思った。芳兄が死んで……生まれて初めて、この弱い体に感謝した。わかるだろう? そんな醜い心を、鷹華に見せたくなかった。皆のいうとおりだ、死ぬべきだったのは芳兄じゃない。何の役にも立たないこの僕だ。病気を理由にしてしぶとく生き延びている、僕の方なんだよ」
「そんなことありません!」
叫んだ鷹華の声には怒りが滲んでいた。
「命は平等です。どちらが死ぬべきなんて、そんなことはありません! 少なくとも私は、遥巳様が生きていらっしゃることに感謝しております。遥巳様が醜いというのなら、私も同じです」
遥巳はそっと鷹華の頬に手を添えた。
「これは、罰なのかもしれないね。のうのうと戦争を避けて生きる僕への、天罰。人一倍努力した芳兄が死んで、僕が生き続けることを、神様が許すわけがない。もうずっと、熱が下がらないんだ。咳もひどくなってる。芳兄の次は、きっと、僕なんだよ」
「違います! 遥巳様、私、お薬をお持ちしました。それから、出過ぎた真似かもしれませんが……これ」
鷹華は湯飲みを差し出した。
「玉子酒です。風邪に、よく効きます。昔、母がよく作ってくれたんです。隠し味も入ってるんですよ」
「鷹華が? 作ったの?」
「はい! 遥巳様に、早くよくなっていただきたくて」
はにかみながら笑う鷹華を前に、一口啜る。飲み込んだ後、激しく咳込んだ。
「遥巳様!? お気に召しませんでしたか!? ああ、風邪が悪化しちゃったらどうしよう!」
慌てる鷹華を見て、遥巳はむせながら笑い出した。
「すごい……すごいよ鷹華。どうやったら、こんなにまずく玉子酒を作れるんだ? おまえ、天才だな」
「ええ!? あの、それは、お褒めいただいているのでしょうか?」
きょとんとする鷹華を見て、遥巳は腹を抱えて笑った。
「最高だ。鷹華、おまえはやっぱり、最高だよ。ああ、こんなに心から笑うのはいつぶりだろう」
ひいひいと苦しそうに息継ぎをしながら、遥巳は涙を滲ませて笑った。それから小さく息をつくと、心を決めたように言葉を発した。
「鷹華……お願いが、あるんだ」
「はいっ、何でもおっしゃってください!」
ぱっと瞳を輝かせる鷹華に、遥巳は静かに告げた。
「……外に、出たい。連れていって、くれるか?」
「鷹華、遥巳様がお呼びよ」
「え? 私ですか?」
「ええ。ついでに下膳してきてちょうだい。食後のお薬も、忘れずに飲んでいただいてね」
台車とともに、コップ一杯の水と小さな包み紙を渡される。
「……ご病気、なんですか?」
「あら、知らなかったの? もう二か月以上前から、熱がなかなか下がらなくてね。こんなに長く伏せってらっしゃるのは初めてだわ。何でも風邪がこじれたらしくて。お薬、絶対飲んでもらってね。それと、これ」
長細い布を渡された。
「咳がひどいらしいの。移らないように、これ、巻いていきなさい」
いわれたとおり鼻と口を隠して、数か月ぶりに部屋を訪れた。遥巳の姿を見るなり、息を呑む。白い肌はますますその色を失い、体は更に細くなっていた。
「遥巳様……! お加減は……」
遥巳が微かに笑った。
「鷹華が来てくれて、ちょっと良くなった」
「そんな……!」
わかりやすい嘘に思わず駆け寄ろうとして、自分の押してきた台車に躓いた。
「きゃあっ!?」
大きくつんのめって、ベッドに座る遥巳の上に倒れ込む。鷹華は慌てて体を起こした。
「ああっ、申し訳ありません、具合がお悪いのにこんな……っ」
すぐ離れようとして、できなかった。じっと自分を見つめる遥巳の目が、あまりに痛々しかったからだ。
「……それでは、僕の好きな鷹華の笑顔が見られないね……」
鷹華は少しだけ躊躇した後、口元の布をずり下げた。
「……これで、よろしいですか」
「だめだよ鷹華、病気が移ってしまう」
「大丈夫です、私、風邪は引かないので」
そういって、にっこりと笑った。遥巳の表情が和らぎ、目尻が下がる。
「おまえって奴は……」
瞳がさざ波のように揺れて、遥巳はついと俯いた。
「……もっと早く、おまえを呼んでいればよかった」
絞り出すような声だった。
「おまえに、見られたくなくて……いつも曇りない顔で笑うおまえに、僕の……醜い姿を見られたくなくて……ずっと、遠ざけていた」
そこまでいって、突然激しく咳込む。
「遥巳様……!」
さすった背中は骨ばって、じっとりと熱がこもっていた。
「遥巳様は醜くなどありません。体調が優れなくても、美しいままです」
「そうじゃないんだ。病気のことじゃない」
口元を手の甲で拭うと、遥巳は鷹華を見た。
「僕は……戦争に向かう兄を見て、自分でなくてよかったと、思った。芳兄が死んで……生まれて初めて、この弱い体に感謝した。わかるだろう? そんな醜い心を、鷹華に見せたくなかった。皆のいうとおりだ、死ぬべきだったのは芳兄じゃない。何の役にも立たないこの僕だ。病気を理由にしてしぶとく生き延びている、僕の方なんだよ」
「そんなことありません!」
叫んだ鷹華の声には怒りが滲んでいた。
「命は平等です。どちらが死ぬべきなんて、そんなことはありません! 少なくとも私は、遥巳様が生きていらっしゃることに感謝しております。遥巳様が醜いというのなら、私も同じです」
遥巳はそっと鷹華の頬に手を添えた。
「これは、罰なのかもしれないね。のうのうと戦争を避けて生きる僕への、天罰。人一倍努力した芳兄が死んで、僕が生き続けることを、神様が許すわけがない。もうずっと、熱が下がらないんだ。咳もひどくなってる。芳兄の次は、きっと、僕なんだよ」
「違います! 遥巳様、私、お薬をお持ちしました。それから、出過ぎた真似かもしれませんが……これ」
鷹華は湯飲みを差し出した。
「玉子酒です。風邪に、よく効きます。昔、母がよく作ってくれたんです。隠し味も入ってるんですよ」
「鷹華が? 作ったの?」
「はい! 遥巳様に、早くよくなっていただきたくて」
はにかみながら笑う鷹華を前に、一口啜る。飲み込んだ後、激しく咳込んだ。
「遥巳様!? お気に召しませんでしたか!? ああ、風邪が悪化しちゃったらどうしよう!」
慌てる鷹華を見て、遥巳はむせながら笑い出した。
「すごい……すごいよ鷹華。どうやったら、こんなにまずく玉子酒を作れるんだ? おまえ、天才だな」
「ええ!? あの、それは、お褒めいただいているのでしょうか?」
きょとんとする鷹華を見て、遥巳は腹を抱えて笑った。
「最高だ。鷹華、おまえはやっぱり、最高だよ。ああ、こんなに心から笑うのはいつぶりだろう」
ひいひいと苦しそうに息継ぎをしながら、遥巳は涙を滲ませて笑った。それから小さく息をつくと、心を決めたように言葉を発した。
「鷹華……お願いが、あるんだ」
「はいっ、何でもおっしゃってください!」
ぱっと瞳を輝かせる鷹華に、遥巳は静かに告げた。
「……外に、出たい。連れていって、くれるか?」
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