生まれ変わったら、あなたと

若山ゆう

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第3話

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 それから遥巳は、たびたび鷹華を呼びつけるようになった。
「遥巳様も物好きねえ。あんな、何をやらせてもうまく行かないような子を気に入るなんて」
「それだけ暇を持て余してるんでしょう。毎日あのお部屋に閉じこもってお過ごしだから、鷹華くらいがちょうどいい余興になるんじゃない?」
「まあ、私たちも助かるけどね……あんなに食器を割られてばかりじゃ仕事にならないし、遥巳様のお相手もなかなか難しいし」
 そんな使用人たちの噂話は自然と鷹華の耳にも入っていたが、気にはならなかった。初めて会った時の遥巳は、冷たく頑なな印象だったが、それもすぐに間違いだとわかったからだ。部屋を訪れる時はいつも、遥巳は穏やかな笑顔で鷹華を迎えてくれた。遥巳の笑顔はいつも眩しいくらいに透明で、他の使用人がそれを知らないのが信じられないくらいだった。
 同時に、一条家の三兄弟に関する噂も聞こえてくるようになった。剛腕の一条玉雄が一代で築き上げた財閥は、聡明な長男の芳樹が跡を継ぎこの先も安泰であろうこと、次男の貴久も優秀で、どちらも頭だけでなく見た目も麗しく、良家の縁談が後を絶たないこと。そして、それに比べて病弱で気難しい三男の遥巳は、学校にも通えず、華麗な一条家の唯一の汚点であること。
「上に優秀なのが二人いて、ご当主も安心ね」
 それが、大抵の噂話の着地点だった。それでも鷹華は気にしなかった。失敗ばかりの鷹華を煙たがる使用人たちといるよりも、遥巳といる時間の方が何倍も温かく優しい時間だった。


 当たり障りのない雑務をこなしながら、時々遥巳に呼び出される生活は、それから五年間続いた。しばらく呼び出しがないと思ったら、遥巳が高熱を出して床に伏せっているということの繰り返しだった。
 遥巳と鷹華の関係はずっと変わらなかったが、世の中は目まぐるしく変化していた。米国との戦争が始まり、多くの家から健康な男たちが望むと望まざるとに関わらず戦地に出向いていった。運が悪いと、彼らは生きて帰れなかった。軍部との繋がりが濃い財閥の息子たちは赤紙が来ないという噂だった。だから一条家も安泰だろうといわれていたが、戦況が徐々に悪化するとやがて兵隊も足りなくなり、裕福な家庭からも多くの男たちが招集されていった。そして一条家は、徴兵を免れるほどには、その地位は築かれていなかった。
 芳樹と貴久に召集令状が届いた時、玉雄の妻は一晩中むせび泣いた。その二日後には二人は一条家を後にし、遥巳はそれを二階の窓から見送った。世間がそれをどう捉えているかは、噂を聞くまでもなかった。
『可哀想に一条さんのところ、残ってほしい方がいなくなって、いなくなっていい方が残っちゃったわね』
『三男は体が弱いから、徴兵検査で不合格だったらしいわよ。彼、今頃はほっとしているでしょうよ』
 鷹華と会う時の遥巳は、いつも穏やかな笑顔を湛えていたが、それでも時折遥巳が以前のような無感情な目をすることに、彼女は気づいていた。
「遥巳様。今日はお天気がよろしいですよ。窓を開けますか?」
 たまには爽やかな初夏の風を取り込もうと気を利かせたつもりだったが、遥巳は首を横に振った。
「風にあたるのは体に悪いんだって。熱が出たら、またしばらく鷹華に会えなくなっちゃうからね」
「熱が出ても、お呼び下さればいつでも参ります」
「病気が鷹華に移ったら困るから」
 鷹華はころころと笑った。
「私は大丈夫です、すぐ治りますから。昔から、役立たずなのに体だけは丈夫なんです」
 いいながら食器を下げようと手を伸ばす鷹華に、遥巳がそっと掌を重ねる。
「鷹華が風邪を引いたら、やっぱりしばらく会えなくなるだろ?」
 とくんと鷹華の心臓が鼓動を打つ。遥巳はまっすぐ鷹華を見つめた。
「鷹華。おまえの笑顔が、好きだ。初めておまえに会った時、僕は、間違ったことをいった」
 優しく鷹華の腕を引くと、鷹華の腰がすとんとベッドの縁へと落ちる。
「おまえは、生きているだけでいい。生きて、その笑顔を僕に見せてくれるだけで、充分だ。他の誰がおまえをいらないといっても、気にするな。僕には、おまえが、必要だ」
 鷹華は頬を赤く染めて、ためらいがちに遥巳の手に自分のそれを重ねた。
「そのお言葉、そのまま遥巳様にお返し致します」
 それから、はにかんだ笑顔を向けた。
「生きているだけで迷惑な人間など、存在しないんです。遥巳様……遥巳様は、私の居場所です。遥巳様がいらっしゃる限り、私は遥巳様にお仕え致します」


 それから三か月後、芳樹の死亡通知書が届いた。太平洋沖で、一か月も前に戦死したという。一条家の未来を託され、誰からも期待されていた跡取り息子の死は、小さな紙切れ一枚で突然やってきた。玉雄の妻は一晩中憚らずに泣き、その声は屋敷中に響き渡った。
 芳樹の死を知らされて以来、鷹華の前でも、遥巳の表情が以前のような無感情なものになる時間が増えた。自虐的な言葉が増したのは、自分の心を守るための防衛反応なんだということもわかっていた。だからこそ、遥巳の役に立ちたかった。だが、その方法がわからない。遥巳の好きな笑顔を絶やさずに話しかけようとしても、遥巳がいつものように笑い返すことは少なくなった。やがて遥巳が鷹華を呼ぶ頻度は徐々に減り、まったく呼び出さなくなってから三か月が過ぎた。
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