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第三章 原初の破壊編

#145 エピローグの序章

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 ――地球。
 全てが元に戻った、色を取り戻した鮮やかな世界。
 青い空と、命の芽吹く大地。

「――あれ、何かしら? ねえ、奈緒! ギザ! みんな、見てよ!」

 突如、眩しさに視界を覆いながら美海が空を指す。
 先程まで晴れて澄み渡っていた空は、白い光に覆われていた。

 そして、その白い光は、雨となって地上へと降り注ぐ。

「綺麗……」

 その天からの光の雨に、皆はしばしの間見とれていた。
 そして、美海の頬をつうっと雫が伝う。

「……え? どうして……?」

 どうしてだろうか。それが分かってしまった。通じてしまった。
 光の雨を通して、愛する者の心が、伝わってしまった。

「来人……、らい、と……」

 ああ、自分を犠牲に世界を救ったのだ。
 そう理解した美海は、もう涙を塞き止めてはいられなかった。

 大粒の雫が頬を伝い、手で拭っても、拭っても、それは溢れ出てくる。
 傍にいた奈緒は、そっと美海の背を撫でてやる事しか出来なかった。
 
 
 ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ――

 
「――ん、うぅん……? ここ、は……?」

 木漏れ日の注ぐ、湖の畔。
 秋斗は目を覚まし、ゆっくりと体を起こした。

 右手で、頭を掻く。
 ふさりとした感触を感じ、違和感を覚えた。

「あれ……?」

 すると、秋斗に声がかかる。

「起きたか、秋斗」
「テイテイ君!」

 そこには木の幹に体重を預け、腕を組んだまま立っているテイテイの姿が有った。
 目元は伏せられていて、前髪に隠れていて見る事は出来ない。

「秋斗、おかえり」
「え? えっと……」
「ほら、見て見ろよ」

 テイテイに促されて、湖の波紋一つ立っていない水面を見る。
 そこに、映されていたのは、人間の姿をした秋斗だった。少し痩せた黒髪の男が映っていたのだ。
 あの三本角の鬼ではない、肌も、黒い髪も、何もかもが人間のそれだ。
 
「僕、戻った、の……? でも、なんで――」

 その時だった。
 突如、天から光の雨が降り注ぐ。
 触れても温かくも冷たくも無く、濡れる事も無いその不思議な光の雨。湖の水面に落ちても、波紋一つ立つ事は無い、まるで幻の様な現象。
 
 しかし、その雨粒一つ一つから、二人は確かに彼の想いを感じる事が出来た。

「そっか、来人……。あいつ、かっこつけやがって……」
「……」

 水面に、雫が落ちる。
 それは光の雨では無いだろう――。

 
 ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ――

 
 ――天界。

 王の間の前に立つ、アダンとアナ。
 アダンの姿は液状化したそれではない。中世的な顔立ちの人型になっていた。

 そして、周囲には多くの神々。
 その中にはウルスやカンガス、ソルだって居る。死んだ者たちも、皆確かにここに居た。

 そして、天界の大通り。
 多くの神々に遠巻きに見られながら、世良に肩を貸してもらいながら、アークは歩いていた。
 その姿はもはやかつての迫力は無く、黒を殆ど失って灰色だ。
 しかし、その目の色だけは以前よりも確かな意志を宿して、真っすぐと前を見据えていた。

 やがて、世良とアークはアダンたちの前に辿り着く。

 どちらも、口を開かない。
 周囲の神々は静かに事態を見守っている。

 そして、しばらくの沈黙の後、それに耐えきれなくなったのか、

「はあ……。もうっ!」
「おわぁっ……!」

 世良はアークの身体を突き飛ばして、無理やりアダンとアナの方へと押しやった。
 もう余力の殆ど残っていないアークはよろめいて、抵抗も出来ずにそのまま前に出て、アダンと目が合う。

「ええっと……」

 視線を外す。そこにはアナが居た。また目が合う。

「俺、俺は……」

 言いよどむアーク。
 しかし、言葉よりも先に溢れ出てくる物があった。

「アーク……!」

 アークは、泣いていた。
 子供みたいに泣きじゃくり、天界の白いタイル張りの地面を濡らす。

「ごめん……! ごめん、なさい……! 滅茶苦茶やって、酷い事して、許してもらえるなんて、思ってないけど、でも、でも……!!」

 取り留めのない言葉を、感情のままに吐き出していく。
 そんなアークに釣られてか、アダンも、そしていつも気丈に大人びて振る舞っていたアナも、

「僕の方こそ、ごめん、ごめんよっ……!」
「私も、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 三人は少年少女の様に、子供の様に、周りも気にせず、体裁も捨てて、わんわんと泣きじゃくりながら、互いに抱擁を交わす。
 
 一体、何年越しだったのだろうか。
 その積み重なった想いは、重しは、どれ程のものだったのだろうか。

 それから、三人の子供が泣き止むまで、皆は静かに見守っていた――。
 

 ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ――


 それから、しばらく経った。
 季節は移ろい、日々の生活も、いつもの景色も変わって行く。

 アークは世良と共に、天界で暮らしていた。
 これまでやった事の償いとして、『破壊』の力を失ってもその肉体は役に立てると、率先して天界の改修工事に協力していた。
 そんなアークの様子を見て、他の天界の民たちも少しずつ受け入れて行った事だろう。
 
 そして、世良は人間として新たな命を得て、この世界に降り立ったのだ。
 アークの手綱は、今世良が握っているも同然だ。
 “おねえちゃん”として、アークの世話を焼いている。

 それから、天界の改修工事だ。
 アダンとアナは、王と補佐の座を放棄し、血統による王政は廃止となった。
 それに伴っての、大々的なリフォームを行っている最中だ。

 王政が廃止され、どうやって、誰が神々を纏めるのか。
 代わりに彼ら天界の神々の代表となったのは、なんとティルだった。
 どこか憑き物が落ちたティルは、皆に慕われる優秀な指導者として皆を導いて行った。
 曰く、“こんな形でこの座に着くのは、なんとも癪だがね”と。

 
 陸は藍と共に、地球で暮らしている。
 アークという三本目の柱が戻った事により、世界のバランスが戻ったのだろうか、それとも来人が秋斗を人間に戻した関係だろうか。
 世界から“鬼”と呼ばれる存在が綺麗さっぱり無くなったのだ。
 藍も今は普通の人間だ。
 そんなわけで、鬼退治業が廃業となった陸は代わりに地球で起こるオカルト的事件の解決に当たる探偵業を始めたとか何とか。

 ギザは相変わらず社長業を続けて、メガコーポレーションはさらに大きく、事業も拡げていき、世界的企業として地位を確立していった。
 
 ユウリはどうしているだろうか。時折ふらりと現れて、ふらりとまた去って行く。彼女は自由な旅人だ。

 鬼という存在も消え、戦う理由も無くなったガイア族たちは各々好き好きに暮らしてる。
 元の主人の元で共に暮らしている者も居れば、故郷に帰った者、そして地球で動物として紛れて生きている者も居る。
 ガーネとメガ、ジューゴは故郷へと帰って行ったし、ダンデはずっと甲斐甲斐しく主人のサポートをしている。モシャはふらふらと陸の元へ戻ったり故郷へ帰ったり何処かへ旅したりと放浪しているし、ゼノは相変わらずゴールデンの元で働いていた。

 そして、イリスは美海のもとで“お手伝いさん”をやっていた。

「よーしよし、もうすぐご飯ですわよ~」
「きゃいきゃい!」

 美海には小さな一人娘が居た。来人の忘れ形見というやつだ。
 イリスはそんな美海の為に、お手伝いをしている。
 来神、来人、そして来人の娘と三代にわたってメイドとして生きて来たイリスにとって、家事全般は当然、赤子一人あやす程度造作も無い。
 もはやガイア族の獣としてではなく、こちらの方がイリスにとっては性に合っていたのだ。
 
「イリスさん、いつもありがとうございます」
「これくらい、お安い御用ですわ。それよりも、そろそろ出かける時間でございましょう?」
「はい。すみませんけど、後お願いします!」
「ええ、いってらっしゃいませ」

 美海は娘をイリスに任せて、家を出る。
 というのも、今日はギザに呼ばれて、メガコーポレーション本社に行かなければならなかったのだ。
 どうやら重要な話があるらしく、電話口から聞こえてくるギザの声色もどこか高揚している様だった。
 多忙なギザは分刻みのスケジュールで、今日この日、この時間しか予定が取れなかったのだ。急ぎ、向かう必要があった。

「一体、なんなのかしらね……?」
 
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