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第三章 原初の破壊編

#142 おかえり

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 数多の終焉の世界を渡り歩き、最後の地――二人は“始まりの島”へと辿り着いた。
 渡す限り、混じりけの無い海底まで透かせそうな海が広がり、白い砂浜の小さな島がぽつんと在るだけの、静謐で神秘的な空間。

 白い砂を踏みしめ、来人とアークは対峙する。

「……ちっ。またここかよ。この景色はもう、見飽きたぜ」
「始まりの島――創造の前には破壊が、新たな始まりの前には終わりが在る。最後に相応しいじゃないか」
「言ってろ」

 刃を交わり、衝撃で水面が揺れる。
 直後――、

「――『鎖の檻ジェイル』ッ!!」

 足元の砂の粒の一つ一つの隙間から、無数の『鎖』が現れ、アークを縛り付ける。

「ぐっ、くそッ! こんな、こんなもの――!!」

 アークは『破壊』の波動をぶちまけながら、鎖に抗う。
 しかし、どれだけ力を込めて引き千切ろうとしても、爪を立てようと、牙を立てようと、刃で断とうと斬りつけても、その鎖にか傷一つ付けられない。
 瞬く間に白銀色の鎖にからめとられて、アークは白い砂浜の上に拘束された。

「また、またこれかよ……!! また前みたいに、俺を封印する気か!? だけど無駄だぜ、もう全部終わったんだ! 俺を封印しようが、殺そうが、もう、何もねえんだからな!!」

 アークは喉を引き裂かんばかりに声を上げる。
 来人はその目の前に、静かに立っていた。

「――なあ、アーク」
「……ぁん?」
「お前はどうしたかったんだ。これが、お前の望んだ事だったのか」
「……当たりめェだろ。俺は全部壊して、何もかも滅茶苦茶にして、アダンとアナの創ってきたこの世界を、終らせたかったんだ」
「じゃあ、お前は――」

 来人は真っすぐと、アークの顔を見る。

「――どうして、泣いているんだ」
「……は?」

 アークは、泣いてた。
 鋭い瞳の端からはつうっと雫が零れ落ち、白い砂浜を濡らしていた。

「ちがっ、違う! 俺は、俺は――」
「ああ。終わりにしよう。もういい、もういいんだ。ここには、僕ら二人だけしか居ないんだ――」
 
 来人は、神々の紋章の剣の切先を、アークへと突き立てる。

「ぐッ、あッ……ああああああッッ!!!」

 アークは激痛に悶える。

「お前が見せてくれた、教えてくれた事だ。――名を、定義する」
 
 金色の刃を通じて、漆黒の波動がじわじわと来人へと流れ込んでくる。
 剣が“アークの波動を吸い上げている”のだ。

「お前はアークではない。お前は天野来神が息子の為にと引き取ってきた、白銀色の綺麗な髪をした、小さな女の子」
 
 名は体を成す。名に対する信仰がその存在を定義する。それが神格。
 来人は自分の想像でしかなかった、幻想イマジナリーでしかなかった妹という存在を再定義する。

「僕の妹だ。僕が塞ぎ込んでいた時に傍にいてくれた、優しい女の子だ。僕の真似をして唐揚げと甘い物が好きで、最近はちょっと生意気に育ってきたけど、そんなところも憎めない」

 そして、二本目。
 右と左、両の手で逆手に持った剣を通じて、アークの“黒”を吸い上げて行く。
 やがて剣の柄を通して、その“黒”は来人の身体を侵食する。
 手を、腕を、肩を、胸を、頬を、黒い発疹が覆っていく。

「やめ、やめろォ……」

 来人の真っ白なキャンバスの上に、アークの真っ黒な絵の具が乱雑に叩き付けられていく。
 瞬く間にその無垢な白は染め上げられて行き、他の色を寄せ付けない『破壊』でべた塗りされて行く。
 
 しかし、来人の魂の器というキャンバスは無限に広がっていた。
 右を見ても、左を見ても、果てしない“白”が広がっている。
 どれだけアークの真っ黒な波動が流れ込んでも、その全てを埋め尽くすなんて到底出来ない。

 アークの身体から、だんだんと黒が退いて行く。
 髪色も燃えるような赤から、老いた老人の髪のように。
 そして、その身体を覆っていて白銀色の線も侵食を弱めて行き、そして――、

「――お前は、“天野世良あまのせらだ”!!」

 パキリと音を立てて、白銀色の線の這っていた場所に沿って、アークの皮膚に亀裂が走る。
 そして、亀裂を割って、白くて細い手がアークの内側から伸び出て来た。

「――世良、帰ってこい!!!!」

 来人は、剣を突きさしたまま、片手を伸ばし、その手を取る。

「やめ、やめろォォォ!!!」

 アークは必死に抵抗し、叫ぶ。
 しかし鎖に雁字搦めにされ、神々の紋章の剣に突き刺され、波動を吸い取られ、もはや抗う事は出来なかった。


 手を引けば、アークの胸から肩口にかけて大きく穴が開き、そこから白銀色の髪の女の子が、姿を現した。
 来人の幻想から産まれた妹であり、アークの力の半身――天野世良だ。

 この世界にはもう、来人とアークしか存在しない。
 そこに存在する想いは、信仰は、二人の物だけだ。
 なら、“アーク”という神格よりも“天野世良”という神格への想いの方が強ければ、存在が強ければ、その主従関係は逆転する。
 
 裂けて出来た亀裂の内側から未だ弱弱しく伸びる黒い粘液の様な線を手で払い、世良の身体を引い寄せる。
 その勢いで倒れて、二人は一緒にごろごろと白い砂浜を転がった。
 
「世良っ! 世良っ! 良かった、良かった――」
「らい、にい……。こんなになるまで、何やってるの……」

 来人の肌は黒い絵の具をぶちまけた様に、全身に黒い発疹が浮かび上がっていた。
 アークの波動を吸い自分の内へと取りこんだ事によって、侵食されている様に現れ出ているのだ。

「大丈夫、僕は大丈夫だ。ほら」

 そう言った来人の肌に現れていた発疹は、次第にじんわりとだが小さくなって行っていた。
 王として覚醒した来人は、この程度では『破壊』されない。

「――世良、おかえり」
「うん……。ただいま、らいにい」

 二人は抱きしめ合う。

「て、てめェら……」

 そこに、鎖の擦れる音と共に、弱弱しいアークの声。
 肌も退色し、髪色も退色し、ほとんどの力を失って、世良という半身を失い完全再臨も解け、もはや抵抗する力も残されてはいなかった。
 そんなアークへと、世良はゆっくりと歩み寄って行く。

「世良……?」

 来人が声をかければ、大丈夫だとでも言う様に小さく微笑みだけを返す。

「……あぁん?」

 鎖に繋がれたまま、首だけを動かしてアークが世良を睨みつける。
 もうその視線もどこか虚ろだ。
 
 きっとアークは恨み言の一つでも吐かれるか殴られでもするのだと思っていただろう。
 しかし、世良が取った行動は意外な物だった。
 
「――なッ!?」

 アークは驚きに目を見開く。
 なんと、世良はアークの身体をそっと抱きしめたのだ。
 優しく、子供をあやす様に。

「大丈夫、大丈夫だよ、アーク。寂しかったよね、悲しかったよね」

 そう言って、世良はアークの退色した髪を優しく撫でる。

「うるせえよ、お前が、俺の何を――」
「ううん。全部知ってる。僕はアークだから。ずっと昔の事も、ここに取り残された間の事も、今の事も、全部」
「……ちっ、最悪だ」
「ね、アーク。アダンと、アナと、兄弟たちと仲直り、しよ?」
「――仲直り、ね。でもよ、俺は全部壊しちまった。もう、無理だ……」

 かつて原初の三柱に何があったのか、来人もアダンから聞いていた。
 それを聞いたからと言って、アークがした事は変わらない、殺した人は帰って来ない。
 やった事は無かったことにならない。
 それでも――、
 
 確か、アダンはこう言っていた。
 
 “どうしようもなくくだらない、なんて事無い話だっただろう”――と。
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