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第三章 原初の破壊編

#139 最後の希望に全てを託して

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 最後のピース、『遺伝子』のスキルによって、アークは世良と混じり合い、完全再臨を果たした。
 その余波で、アークからは漆黒の『破壊』の波動が溢れ出し、その波動は圧倒的質量の奔流となって、崩界を覆いつくしていく。
 
 それだけではない。
 その奔流は空間の壁をも破壊し、越えて、崩界だけに留まらない。
 空間のあちこちに穴を開けながら、あらゆる世界を、空間を、その悉くを破壊して行く。

 来人は左を、右を、周囲を見る。
 しかし既に仲間たちの殆どが呑み込まれてしまっている。
 そうして周囲の様子に気を取られていると、黒い奔流が来人の居る場所にも流れてくる。

「――坊ちゃま!」

 イリスが来人の身体を押す。
 来人はその奔流から寸での所で逃れられたが、しかし――、

「イリスさん!」
「坊ちゃまは、出来る子ですわ。だから――」

 ――後の事は、お任せいたしますわ。
 
 最後にイリスが見せたのは、ガイアの戦士としてでも王の契約者としてでもない、幼い頃から世話をしてくれた優しいメイドの表情だった。
 黒い奔流に触れると同時に、その微笑みも消えて行く。

 そして、ジューゴも。

「王様!!」
「ジューゴ!! 駄目だ!!」

 金剛石ダイヤモンドの鎧に覆われたジューゴが、来人の前に躍り出る。
 自身の身を盾に、来人を黒い奔流から守る。
 しかし、その防波堤が奔流を塞き止められたのも一瞬の間。
 鉄壁だと思われたその金剛石の砦も、完全な『破壊』の前には脆くも瓦解。
 ジューゴを破壊し、来人へと襲い掛かる。
 
 来人は目を瞑る。
 しかし、その奔流に呑まれる事は無かった。代わりに、身体の浮遊感。
 
「らいたん!!」

 気づけば、氷の竜と成った、翼の姿のガーネの背の上だった。
 眼下に見下ろす景色は黒い海としか形容できない。そこにはもはや誰も居ない。

「ガーネ、助かった。でも、皆、もう――」

 その時、背後に気配。

「来人、大丈夫か」

 振り返れば、そこにはライジンの――父親の姿が有った。

「父さん! 生きて、いたんだ……」
「ギリギリ……な。アークの足元は台風の目になっていたのか、逆に俺たちは助かったな。一通り近くを見て来たが、俺たち以外は全滅だ」

 ――全滅。その端的な二文字で、絶望的な現状を伝えられた。

「ジューゴも、イリスさんも……」

 そうぽつりぽつりと来人が目の前で散って行った仲間たちの名を呟いて行く。
 そして――、

「――そうだ! テイテイ君! テイテイ君はどうなったの!? 悪魔にされた秋斗の魂と戦ってて、それで――」

 カランと音を立てて、来人の前に何かが転がって来る。

「……え、三十字……」

 それは金色の十字架。来人、テイテイ、秋斗、三人の親友同士で持っていた、お揃いのアクセサリー。――絆の三十字だ。
 それが、何故ここに。来人はすぐに現実を呑み込むことが出来なかった。

「……途中で拾った。大事な、物だろ」

 ライジンがそう言った。
 来人は自分の背から生やしていた鎖の腕を解く。からんと、幾つかの金色のアクセサリーが同じく地に落ちる。
 一つずつ、拾っていく。

 ――あれ、どこかで落としてきたかな。

 なんて、もう分っている事を無為に考えながら。
 
 「く」の字と「V」の字の開けた側を合わせたおかしな形のアクセサリー。――王の証が三つ。
 来人と、陸と、ティルの持っていた、王位継承者の証だ。

 そして、金色の十字架。――絆の三十字。
 来人と、テイテイと、秋斗。三人の絆の証。魂の柱。
 一つも欠ける事無く、手元に三つ揃っていた。
 それが意味する所は、つまり――、

「――テイ、テイ君、も……」

 親友が死んだ。仲間たちも死んだ。――皆、死んだ。
 世良もアークに呑まれ、取り戻せなかった。

「それ、あの破壊の奔流に呑まれも壊れずに、流されてたんだ。ただのアクセサリーのはずだが、傷一つ付いてない」

 旅行先の露店で買ってきただけのただのアクセサリーのはずだが、どういう訳かあの黒い奔流に呑まれることなく、来人の手元へと流れついた。
 しかし、どうしてだなんて、理由なんて、どうでも良かった。
 それは来人たちがずっと大切にし続けて来た“柱”であり、今は親友たちの形見だ。
 
「うん……。うん……」

 来人は三つの王の証と三つの絆の三十字をかき集め、抱きしめる。
 ――その時だった。

 ぐらり、とガーネの竜の身体が揺れる。

「ガーネ、大丈夫か!?」
「ぐ……。黒い奔流が、もうここまで迫って来てるネ!」

 見れば、黒い海から離れ上空を飛んでいたはずなのに、飛行高度が下がって――いや、水面がすぐ近くまで迫って来ていた。
 そしてガーネの片足がその波に触れてしまったのか、氷の身体が抉れるように削り取られていた。

「大丈夫か、ガーネ!?」
「まだ行けるネ! でも、ずっと飛んでいるのは、難しいかもネ……」
「くそ。水位が迫って、このままじゃ――」

 来人の言葉に被せる様に、ライジンは言う。

「――いや、違うな。見てみろ、上だ」

 見れば、空にも黒い奔流が流れている。
 水位が上がっている? いいや、違う。
 
 気づけば眼下の景色も、黒い海から露出した地表、そして奈落の深淵。
 まるでパズルの違うピース同士を組みあわせたみたいに、脈絡もなく変わって行く。

「重力だとか、そんな法則も全部、何もかもぶっ壊れちまってるんだ」

 地にも、天にも、黒い海がある。
 前も後も無い。上も下も無い。
 何もかもが破壊され、正常ではない。混沌とした、終焉だけが無情にも眼前に広がっていた。

 空を飛んでいようとも、意味はないと悟る。
 そして飛んでいれば、やがて再び黒い奔流の根本が見えて来た。
 
 何がそんなにおかしいのか、アークの高笑いだけが時折崩界に響いている。
 泣いているのか笑っているのかすらも分からないような、上ずった笑い声だ。

 そこを旋回する様に、ガーネはふらふらと飛ぶ。
 もう翼の姿を維持できないのだろう。
 来人はその背の上で、座り込んで大切な託された柱たちを抱きしめている。
 そして――、
 
「……ガーネ、もういい。もう、休め」

 ライジンはぽつりとそう呟き、来人へ向かって手をかざした。

「父、さん……? 何を――」
「――『聖域サンクチュアリ』」

 ライジンの残された全波動リソースを注ぎこんだ、聖域サンクチュアリの結界が、来人の周囲を覆う。
 一滴すらも残さず、その全てを出切ったライジンは、ふらりと倒れ込む。

「……あとは、任せたぜ、来人……」
「父さん! 父さん!!」

 ガーネもまた、ふらふらと蛇行し高度を落として行く。

「ジンさん、らいたん……」
 
 眠る様に、落ちて行く。
 そして、弾ける様に元の犬の姿に戻ってしまった。

 聖域サンクチュアリの結界に包まれ、まるでシャボン玉に閉じ込められた様に宙を漂う来人だけを残して、ライジンとガーネは落ちて行く。

「待って、父さん! ガーネ! 待って!!」
「ネも、最後の力を、らいたんに――」

 ガーネもまた、薄れゆく意識の中、最後の一刀を振るう。

「――『時空剣』」

 ぽつりと、呟く様に。
 来人を覆う聖域サンクチュアリの結界の――時間が、空間が、凍結する。
 そこで、来人の意識は、時間と共に静止した。

 ライジンとガーネは、とぷんと小さな音を立てて、黒い奔流に沈んで行った。
 もうそこに、彼らは居ない。
 しかし、その表情は、穏やかに微笑んでいた。
 
 来人を閉じこめた凍結したシャボン玉――聖域サンクチュアリの結界は、黒い奔流の波に乗って、破壊された空間の穴へと流されて行く。
 崩界を越えて、時空の狭間を越えて、別の世界へ。そして、また別の世界へ。
 まるであらゆる世界が『破壊』されていく様を、一つ一つ見て、記憶していくみたいに。

 シャボン玉は――その聖域サンクチュアリの結界は凍結されたまま、はたった一つの傷が付く事なく、破壊される事もなく。
 ただ、全てを無に帰さんと呑み込んで行く黒い海をゆったりと漂っていた。
 
 
 ――やがて、シャボン玉はどこかの世界に辿り着いた。

 あれからどれだけの時間が経っただろうか。十年か、百年か、千年か――。
 もっとかもしれないし、一瞬の出来事だったかもしれない。
 天も地も、時間も空間も、あらゆる法則が破壊され、滅茶苦茶だ。もう何も分からない。
 
 かつて全てを呑み込まんとしていたあの黒い奔流の波も、今はもう退いて、乾いて、辺りには何もない。
 生命の気配が何一つ無い。その全てが『破壊』されてしまったのだ。
 誰も居ないし、何も無い。悉くが無に帰した。
 そんなただ荒廃し、崩れた建物の跡や瓦礫の山の中、乾いた大地の上に、ぽつんと凍り付いた白いシャボン玉が転がっているだけ。
 
 その聖域サンクチュアリの結界も、やがて効力を失う。
 ある時、ピシリと音を立てて、殻を破る様に、凍り付いたシャボン玉に亀裂が走る――。
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