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第三章 原初の破壊編
#110 魔女
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雷鳴と眩い光と共に、ティルの周囲の空間が引き裂かれた。
ユウリの作り出した聖域の一部が裂け、穴が空き、そこから雷電を纏う一匹の獅子が現れた。
主人の呼びかけに応え、駆け付けた。
そして、その雷電の獅子はその姿を溶かし、主人の身に纏われて行く。
直後、光の柱がティルを中心として打ち上がり、天から降り注ぐ炎球を穿つ。
砕かれた隕石は礫と成って降り注ぎ、森の地に刺さり柱となる。
「遅いぞ」
『申し訳ありません。ティル様ならお一人でも充分かと思いましたので』
忠実な僕にそう皮肉で返されたティルだったが、特段気を悪くする事も無い。
それどころかどこか楽し気に、そして嬉し気に口角を上げた。
そこにダンデの姿は無い。ティルだけだ。
そして、そのティルの姿は、まさに神の名に相応しい神々しい物だった。
バチバチと火花を散らす『雷』を纏い、背には翼と、大きな光の輪――それは獅子のたてがみの様。
手に握る弓もいつもの王の証を模した物から円の形へと変わり、それはティルの手首に装備され、そこから三つの弦を伸ばしている。
「――『憑依混沌』、ですね」
『憑依混沌』したティルとダンデ。その圧倒的“一矢”によって、森へと降り注ぐ隕石を破壊した。
炎に包まれていたはずの森はいつの間にか鎮火し、静かに冷たい空気感が戻っていた。
ティルの『憑依混沌』もまた、解けて行く。
纏う雷は次第に獅子の形へと戻り、ティルの傍にはダンデの姿が現れた。
「まさかわたしの聖域を突破して来るとは――流石、神王候補者とその契約者、ですかね」
「だから、舐めるなと言っただろう。この程度の結界で、私たちを引き裂けると思うな」
ユウリは小さく微笑む。
「でも、もう解いてしまっていいんですか? わたしはまだ、立っていますよ」
「ふん。時に必殺の一撃の威力よりも、止む事のない嵐の様な手数が勝る事もある」
ティルのその言葉ははったりだった。
その『憑依混沌』は来人の使う契約者を常時纏い戦う継戦能力の高いものではなく、一撃必殺に特化した瞬間解放型だ。
決してその強大な一撃を続けては放てない。
「――ガオオオォォォ!!!!」
ティルが視線で合図を出せば、ダンデが吠える。
森の周囲のに幾つもの『雷』の輪が生成される。それらは全て“弓”だ。
ティルが弦を引き絞り、『光』の矢を放つ。
同時に、ダンデの作り出した『雷』の輪からも同じ『光』の矢が放たれ、幾千もの矢の雨がユウリを襲う。
土煙が立ち上る。
やがて、その土煙が晴れる。
すると、
「なん、だと……」
そこには直前と変わらない、綺麗なままの姿のユウリが立っていた。
そのユウリの周囲には、ユウリへと届く事の無かった数千の矢の剣山。
全ての矢は丁度ぴったり、寸分の狂いも無く矢の軌道上に生成された、空間の一点を固定した『結晶』によって阻まれていたのだ。
まるでどこから矢が飛んでくるのか視えているかの様に、悉くを防ぎ切ったのだ。
ユウリは不敵に微笑む。
剣山の隙間から垣間見えるその表情。そのユウリの右目はいつもの紫紺色ではなく――真紅。
「ティルさんは素直で正直な、良い子ですよね。自分の感情を表に出して、分かりやすいです」
ユウリが指を鳴らせば、その『結晶』と『光』の織り成す美しい剣山は砕け、光の粒が舞い輝く。
「でも、わたしは魔女ですから。魔女はずるくて嘘つきで狡猾な生き物なんですよ。つまりですね、奥の手というのは最後まで隠しておくから奥の手なんです」
眼鏡の奥で輝く紫紺の左目と、真紅の右目。怪しく笑う魔女。
これが“奥の手”だ。
彼女の真の色は『結晶』などでは無かった。
彼女は魔女。土の傀儡も、炎球も、結晶も、それらは全て彼女の『魔法』だ。
ここは彼女の世界だ。彼女の聖域だ。
この世界においての主人公はユウリであり、この世界においての神はユウリだ。
純血の王子はそれに抗う。世界に抗う。
自分の色で、魔女の世界を侵食し、染め上げて行く。
しかし、足りない。ティルが染め上げた端から、ユウリの色が上書きし、呑み込んで行く。
『光』と『雷』、矢の雨が降り注ぐ。
しかし、『結晶』の弾丸が、土の傀儡が、炎球が、鎖が、氷が、風が、多種多様、多色無限彩。
これまで見た事も無い色取り取りの攻撃の嵐が、その全てを呑み込み、弾き返す。
そして、膝を付いたのは――ティルだった。
膝を付き、そして倒れるティルの元に、同じく消耗し切ったダンデが駆け寄る。
そして、ユウリもその元へとゆっくりと歩いて近づいて行く。
決着は付いた。互いにもう戦意は無い。
「どうですか、ティルさん。すっきりしましたか? 出し切りましたか? 空っぽになるまで、全て使い果たしましたか?」
ティルは倒れたままの身体を返し、「ああ」と短く答えて、天を仰ぐ。
ダンデはその傍にそっと寄り添う。
「――ユウリ、貴方は私に問うたな。私の“欲”は何か、と」
「ええ。改めて、聞かせてください。ティルさん、あなたの欲は、何ですか?」
ティルは腕で自身の目元を覆い、静かに答える。
「――“無い”。私の欲は、無い」
これまでティルは自身の望みは名声なのだと、王という地位なのだと、そう思っていた。
しかし、揺らいでいた。ゼウスという自分の師が、祖父が、アークという邪神へと下ったのを見て、その心が揺らいでしまった。
「私は、空っぽだ。王に成りたい? 地位が欲しい? 名声が欲しい? ――いいや、違う。それらは全て託された物だ、与えられたものだ」
ゼウスという師の教えによって、ティルという神は形作られて来た。
父や母よりもより多くの、より大きな影響を受けてきた。
ゼウスはウルスに敗し、王とは成れなかった。しかしその想いは、理想は、無くなることは無かった。
「望みも、主義も、信念も、何もかも祖父に押し付けられ、詰め込まれた物だ」
そのゼウスの想いは、孫へと引き継がれた。
そのティルに託された想いは、掛けられた期待は、重く圧し掛かっていた。
ティルの器を染め上げていた。
王に成るという望みも、半神半人を、人間の血を嫌悪するその主義も、主張も、自分の物だと思っていたそれら信念も、何もかも自分の色では無かった。
「それらを私の器の上から排して行った時、何も残らなかった」
ユウリと戦い、全力を出し切り、波動を使い果たし、ティルの器は綺麗さっぱりと更地になっていた。
これまで無我夢中で、緊張の糸を解く事なく、真っ直ぐと進んで来たティル。
いつも頭の中はぐちゃぐちゃで、ぎちぎちのぱんぱんで、一杯一杯だった。
そして今日、そのティルが産まれて初めてただ全力で思いっきり、感情を乗せて思うがままに“暴れた”。
所詮ストレス発散。ティルは“すっきりした”。
「なあ、ユウリ。私はどうすれば良いのだ。どうすれば、良かったんだ」
全てを綺麗っさっぱり洗い流し、祖父という指針を失ったティルは、何も分からなかった。
何をすればいいのか、そこへ行けばいいのか、分からなかった。
空っぽで、“欲”が無かった。
そんな主人の事を、ダンデは心配そうに見つめている。
ティルを見下ろしていたユウリはしゃがみ込み、そっとティルの髪を撫で、
「それで良かったんですよ。間違ってなんていません。別に、空っぽになったのなら、それはそれで良いじゃないですか。空っぽになった所に、あなただけの新しい物を入れて行けば良いじゃないですか」
ティルは目元を覆っていた腕を浮かせ、驚いた様にユウリを見る。
「白紙のキャンバスの上には、自由に伸び伸びと描くことが出来ます。ラッキーでしたね、それはもうわたしには出来ない事ですから」
ユウリは少し寂しそうに、微笑みかける。
「そんな、そんな事……」
そう溢すティルの目尻には僅かに雫が滲んでいた。
「なあ、ユウリ。私はそれでも、指針無くして生きた事が無い。歩き方が分からない。最初の一歩は、どうやって踏み出せばいいんだ」
「そうですね。あなたが新しいあなたを描く前に、そのパレットの上に乗せられた、重くて古い絵の具を、綺麗に洗い流してしまいましょうか。その色はあなたの物では有りませんから」
ユウリは、手を差し伸べる。
「ああ、全く――」
――なんと恐ろしい魔女だろうか。今は、その口車に乗せられてやろう。
ユウリの作り出した聖域の一部が裂け、穴が空き、そこから雷電を纏う一匹の獅子が現れた。
主人の呼びかけに応え、駆け付けた。
そして、その雷電の獅子はその姿を溶かし、主人の身に纏われて行く。
直後、光の柱がティルを中心として打ち上がり、天から降り注ぐ炎球を穿つ。
砕かれた隕石は礫と成って降り注ぎ、森の地に刺さり柱となる。
「遅いぞ」
『申し訳ありません。ティル様ならお一人でも充分かと思いましたので』
忠実な僕にそう皮肉で返されたティルだったが、特段気を悪くする事も無い。
それどころかどこか楽し気に、そして嬉し気に口角を上げた。
そこにダンデの姿は無い。ティルだけだ。
そして、そのティルの姿は、まさに神の名に相応しい神々しい物だった。
バチバチと火花を散らす『雷』を纏い、背には翼と、大きな光の輪――それは獅子のたてがみの様。
手に握る弓もいつもの王の証を模した物から円の形へと変わり、それはティルの手首に装備され、そこから三つの弦を伸ばしている。
「――『憑依混沌』、ですね」
『憑依混沌』したティルとダンデ。その圧倒的“一矢”によって、森へと降り注ぐ隕石を破壊した。
炎に包まれていたはずの森はいつの間にか鎮火し、静かに冷たい空気感が戻っていた。
ティルの『憑依混沌』もまた、解けて行く。
纏う雷は次第に獅子の形へと戻り、ティルの傍にはダンデの姿が現れた。
「まさかわたしの聖域を突破して来るとは――流石、神王候補者とその契約者、ですかね」
「だから、舐めるなと言っただろう。この程度の結界で、私たちを引き裂けると思うな」
ユウリは小さく微笑む。
「でも、もう解いてしまっていいんですか? わたしはまだ、立っていますよ」
「ふん。時に必殺の一撃の威力よりも、止む事のない嵐の様な手数が勝る事もある」
ティルのその言葉ははったりだった。
その『憑依混沌』は来人の使う契約者を常時纏い戦う継戦能力の高いものではなく、一撃必殺に特化した瞬間解放型だ。
決してその強大な一撃を続けては放てない。
「――ガオオオォォォ!!!!」
ティルが視線で合図を出せば、ダンデが吠える。
森の周囲のに幾つもの『雷』の輪が生成される。それらは全て“弓”だ。
ティルが弦を引き絞り、『光』の矢を放つ。
同時に、ダンデの作り出した『雷』の輪からも同じ『光』の矢が放たれ、幾千もの矢の雨がユウリを襲う。
土煙が立ち上る。
やがて、その土煙が晴れる。
すると、
「なん、だと……」
そこには直前と変わらない、綺麗なままの姿のユウリが立っていた。
そのユウリの周囲には、ユウリへと届く事の無かった数千の矢の剣山。
全ての矢は丁度ぴったり、寸分の狂いも無く矢の軌道上に生成された、空間の一点を固定した『結晶』によって阻まれていたのだ。
まるでどこから矢が飛んでくるのか視えているかの様に、悉くを防ぎ切ったのだ。
ユウリは不敵に微笑む。
剣山の隙間から垣間見えるその表情。そのユウリの右目はいつもの紫紺色ではなく――真紅。
「ティルさんは素直で正直な、良い子ですよね。自分の感情を表に出して、分かりやすいです」
ユウリが指を鳴らせば、その『結晶』と『光』の織り成す美しい剣山は砕け、光の粒が舞い輝く。
「でも、わたしは魔女ですから。魔女はずるくて嘘つきで狡猾な生き物なんですよ。つまりですね、奥の手というのは最後まで隠しておくから奥の手なんです」
眼鏡の奥で輝く紫紺の左目と、真紅の右目。怪しく笑う魔女。
これが“奥の手”だ。
彼女の真の色は『結晶』などでは無かった。
彼女は魔女。土の傀儡も、炎球も、結晶も、それらは全て彼女の『魔法』だ。
ここは彼女の世界だ。彼女の聖域だ。
この世界においての主人公はユウリであり、この世界においての神はユウリだ。
純血の王子はそれに抗う。世界に抗う。
自分の色で、魔女の世界を侵食し、染め上げて行く。
しかし、足りない。ティルが染め上げた端から、ユウリの色が上書きし、呑み込んで行く。
『光』と『雷』、矢の雨が降り注ぐ。
しかし、『結晶』の弾丸が、土の傀儡が、炎球が、鎖が、氷が、風が、多種多様、多色無限彩。
これまで見た事も無い色取り取りの攻撃の嵐が、その全てを呑み込み、弾き返す。
そして、膝を付いたのは――ティルだった。
膝を付き、そして倒れるティルの元に、同じく消耗し切ったダンデが駆け寄る。
そして、ユウリもその元へとゆっくりと歩いて近づいて行く。
決着は付いた。互いにもう戦意は無い。
「どうですか、ティルさん。すっきりしましたか? 出し切りましたか? 空っぽになるまで、全て使い果たしましたか?」
ティルは倒れたままの身体を返し、「ああ」と短く答えて、天を仰ぐ。
ダンデはその傍にそっと寄り添う。
「――ユウリ、貴方は私に問うたな。私の“欲”は何か、と」
「ええ。改めて、聞かせてください。ティルさん、あなたの欲は、何ですか?」
ティルは腕で自身の目元を覆い、静かに答える。
「――“無い”。私の欲は、無い」
これまでティルは自身の望みは名声なのだと、王という地位なのだと、そう思っていた。
しかし、揺らいでいた。ゼウスという自分の師が、祖父が、アークという邪神へと下ったのを見て、その心が揺らいでしまった。
「私は、空っぽだ。王に成りたい? 地位が欲しい? 名声が欲しい? ――いいや、違う。それらは全て託された物だ、与えられたものだ」
ゼウスという師の教えによって、ティルという神は形作られて来た。
父や母よりもより多くの、より大きな影響を受けてきた。
ゼウスはウルスに敗し、王とは成れなかった。しかしその想いは、理想は、無くなることは無かった。
「望みも、主義も、信念も、何もかも祖父に押し付けられ、詰め込まれた物だ」
そのゼウスの想いは、孫へと引き継がれた。
そのティルに託された想いは、掛けられた期待は、重く圧し掛かっていた。
ティルの器を染め上げていた。
王に成るという望みも、半神半人を、人間の血を嫌悪するその主義も、主張も、自分の物だと思っていたそれら信念も、何もかも自分の色では無かった。
「それらを私の器の上から排して行った時、何も残らなかった」
ユウリと戦い、全力を出し切り、波動を使い果たし、ティルの器は綺麗さっぱりと更地になっていた。
これまで無我夢中で、緊張の糸を解く事なく、真っ直ぐと進んで来たティル。
いつも頭の中はぐちゃぐちゃで、ぎちぎちのぱんぱんで、一杯一杯だった。
そして今日、そのティルが産まれて初めてただ全力で思いっきり、感情を乗せて思うがままに“暴れた”。
所詮ストレス発散。ティルは“すっきりした”。
「なあ、ユウリ。私はどうすれば良いのだ。どうすれば、良かったんだ」
全てを綺麗っさっぱり洗い流し、祖父という指針を失ったティルは、何も分からなかった。
何をすればいいのか、そこへ行けばいいのか、分からなかった。
空っぽで、“欲”が無かった。
そんな主人の事を、ダンデは心配そうに見つめている。
ティルを見下ろしていたユウリはしゃがみ込み、そっとティルの髪を撫で、
「それで良かったんですよ。間違ってなんていません。別に、空っぽになったのなら、それはそれで良いじゃないですか。空っぽになった所に、あなただけの新しい物を入れて行けば良いじゃないですか」
ティルは目元を覆っていた腕を浮かせ、驚いた様にユウリを見る。
「白紙のキャンバスの上には、自由に伸び伸びと描くことが出来ます。ラッキーでしたね、それはもうわたしには出来ない事ですから」
ユウリは少し寂しそうに、微笑みかける。
「そんな、そんな事……」
そう溢すティルの目尻には僅かに雫が滲んでいた。
「なあ、ユウリ。私はそれでも、指針無くして生きた事が無い。歩き方が分からない。最初の一歩は、どうやって踏み出せばいいんだ」
「そうですね。あなたが新しいあなたを描く前に、そのパレットの上に乗せられた、重くて古い絵の具を、綺麗に洗い流してしまいましょうか。その色はあなたの物では有りませんから」
ユウリは、手を差し伸べる。
「ああ、全く――」
――なんと恐ろしい魔女だろうか。今は、その口車に乗せられてやろう。
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