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#27 タテシマ様
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「ナキさん」
俺はナキの手に自分の手を添えて、そっと袖から離す。
そして腰に差したナイフに手を伸ばして――やっぱり、止めた。
こんな小さな刃では、生ぬるい。殺せない。
吐瀉物を、黒いヒルを、腐った肉を――俺はそれらを踏み潰しながら、真っ直ぐと部屋を照らす松明へと向かった。
「空間さん、何を……?」
ナキが俺へと手を伸ばして、その手は空を切る。
「“これ”で、呪いを断ち切ります」
俺は松明に手をかけ、そのまま力任せに横に倒した。
ガタンと大きな音と共に、火のついたままの松明は異形の獣の横たわる布団の上へ。
その火は燃え広がり、その腐った肉を、骨を、ごうごうと燃やして行く。
燃え盛る。全てを消し去らんとばかりに、火は瞬く間に神殿中を覆って行く。
燃え落ちた神殿だった柱や梁が、音を立てて崩れ落ちる。
「――――――!!!!」
女の歌声の様な悲鳴。絶叫。
この神殿というホールを沸かさんとばかりに、熱唱する。
俺はしばらくの間、ぼうっと火に包まれ声を上げる肉塊を眺めていた。
その意識を叩き起こしたのは、ナキの声だった。
「空間さん! こちらに!」
ナキに呼ばれて、俺は咄嗟にその声の方へと手を伸ばす。
そこには、こちらへと伸ばされたナキの細く手白い手。俺はそれを掴む。
ナキの手に引かれるまま、俺はその傍へ。そしてその勢いのまま、ぎゅっと抱きしめた。
どういう訳か、ナキの周囲にだけ火の手は回って来ていない。
周囲は真っ赤に燃え盛る炎で囲まれているというのに、まるでこの一か所だけ海の中に居るみたいに、空気までもが冷たかった。
――足元には、紺色の影が丸く広がっていた。
炎が天へと昇って行く。
腕の中のナキが声を上げた。
「空間さん、これって――!」
見れば、ナキの液状化して背景を透かしていた肌が、色を取り戻しているところだった。
そして、それと同時に――、
「ナキさん、髪も――」
ナキの髪。透き通るような白銀色の美しい髪。
その髪から、白銀の色が少しずつ抜け落ちていっていた。
まるで塗られていた塗料が水に流されて落ちるみたいに、ナキの身体を伝ってその白銀は足元――影の中へと落ちて行く。
深海の紺の色だった影は、やがてナキから抜け落ちた白銀に染まって行く。
そして、影からは一本の白い光の柱が縦に真っすぐと伸びて行く。
光の柱は炎と共に、天へと昇って行く。
その光の柱を伝って、影から何かが飛び出てきた。
「――タテシマ様!」
ナキが声を上げる。
見れば、小さくて、細長い――“タツノオトシゴ”の姿をした神が顕現していた。
神は光の柱を伝って、天へと昇って行く。空に近づくにつれて、その姿もまた変わって行く。
小さかった体は大きく、長く、蛇行して、昇って行く。
その白銀色の鱗が炎の灯りを照らし返して、美しく輝いている。
――龍だ。
タテシマ様は白銀色の龍の姿となって、天という大海原を縦横無尽に泳いでいく。
「――ああ、お力が戻ったのですね」
ナキの瞳からは、大粒の雫が流れ落ちる。
タテシマ様の顕現に伴って、ナキの髪からは白銀色が殆ど抜け落ちていた。
艶のある綺麗な黒髪となり、その中に僅かに一房程の白銀の線が残る程度だ。
もう彼女の中に神は居ない。
そっと抱き寄せ黒の髪を指先で梳けば、彼女は優しく微笑みを返す。
二人は空を仰ぐ。
呪いから解き放たれ自由を手にした神は、その喜びを表すかのように天を縦横無尽に舞い踊る。
神殿は燃え尽き、周囲には炎と黒く炭化した残骸だけ。
「村は、どうなるんでしょうか……」
ヨコシマ様という神に支配されていたジュウオウ村。
おそらく村の民の中には、まだあの黒いヒルが巣食っている。
この先の未来が有るのかは――分からない。
その時だった。
『コォォォォォ――!!!』
龍の――タテシマ様の、大きな鳴き声がジュウオウ村中に響き渡った。
同時に、周囲の火は掻き消える。
そして――、
「これは……雨?」
天から、光の雨――いや、
「雪だ」
雪が降り注ぐ。
小さな白い光の粒子が雪となって、タテシマ様が泳ぐ軌道上に沿って天よりゆったりと舞い落ちる。
それらの光の粒子はジュウオウ村の全てを暖かく包み込み、そして辺りの風景は次第に変容して行く。
「綺麗……」
貧しく小さな村の傷んだ建物たちが光の粒子に触れた瞬間、綺麗で立派な家に早変わり。
木々に実が成り、田畑に豊穣がもたらされる。
村の家々の玄関口に飾られていた小判型の編み藁も、横糸だった黒の藁が縦糸に。
そして俺たちの周囲に散乱していた瓦礫の山もどこへやら。
燃え盛り消えた神殿は、代わりに白く清潔な全く別の社へと成ってそこに在った。
「タテシマ様のお力で、村が――!」
村は変わった。
貧しく陰鬱としていた村の姿はそこに無く、豊かで暖かな村が広がっていた。
「これが、タテシマ様の村――」
きっと簒奪者が現れなければそこに在ったであろう、平和で豊かなジュウオウ村。
それが今、現実に存在している。
――龍と成った神の力で、村の歴史は修正された。簒奪者の現れなかった、本来あるべき姿に。
気づけば、夜は明けていた。
紺の闇は溶け、白い光の暖かさがじんわりと滲み出てくる。
日が昇り、その先へと白銀の龍は泳いで行く。
「ありがとう、ございました――」
俺とナキは二人、手を取り合いながら、その姿が見えなくなるまでの間ずっと見送っていた。
ナキの手は――暖かかった。
白くて、小さくて、温かい。生きた体温を感じる。
「タテシマ様は、どこへ行ったんでしょうか」
「どこへも行ってはいませんよ。きっと、これからもわたしたちを見守ってくださいます」
新たな社を見る。
白くて清潔な、美しい城の様。
ここに、ジュウオウ村の新たな信仰が紡がれて行く。
村人たちはタテシマ様という真なる神への信仰を捧げ、神はそれに応える。
そこに支配や洗脳のような歪な物は介在せず、両者は支え合って生きて行くだろう。
俺の隣には、黒い髪を風に靡かせるナキが居る。
体温が握り合った小さな手を通じて伝わって来る。
「それじゃあ、帰りましょうか」
「はい。――と言っても、わたしの家はずっと海の中でしたから、これからどこへ帰ればいいのか――」
すると、ふと後ろから声をかけられた。
「――ナキ?」
そこには、一人の女性が立っていた。
初めて見る人のはずだが、どこか知ったような面影を感じる。
髪色は黒。瞳の色は――深い海の底の様な紺。ナキと同じ色だ。
ナキは目を見開き、唇を震わせながら、恐る恐る応える。
「……おかあ、さん……?」
間違いない。今目の前に居るのは、あの老婆――ナキの母親、シグレだ。
俺たちが知るよりも若々しく、健康的な姿でそこに居た。
ナキの表情には緊張の色が浮かんでいる。
相手は自分の実の母親だ。しかし、一度突き放されてもいる。
しかし、ナキの緊張は一瞬で吹き飛んでいった。
それは母の顔を見れば、一目瞭然だ。
その表情は依然見た時と違う。優しく慈愛に満ちた、母の顔。
何の罪悪感も、後ろめたさも感じさせない。ただ純粋な優しい笑顔で、ナキを迎えていた。
「ナキ、こんな所で何をやっているの?」
シグレは、二本の足でしっかりと立っていた。
――ああ、そうだ。タテシマ様の力によって、ジュウオウ村の歴史は修正された。
それはつまり、ヨコシマ様という簒奪者の介入によって起こったナキと母親の離別もまた、正しい有り様に戻ったという事だ。
これはタテシマ様がくれた贈り物だ。
その事をナキもすぐに理解した様だ。
瞳一杯に雫を溢れさせて、それでもとびっきりの笑顔で、
「うん。ごめんなさい、お母さん。――あのね、わたし、タテシマ様にありがとうって、伝えていたんです」
ナキは手で流れ落ちる雫を拭いながら、精一杯言葉を紡ぐ。
「そう。そうだったのね。――でも、なんでかしらね。ずっと、ずーっと、あなたの事を待っていた気がするの。だから、つい迎えに来ちゃったわ。ほら、早く帰ってご飯にしましょう?」
「うん……、うんっ……!」
シグレは、俺の方へと視線を向ける。
「――ところで、そちらの方は?」
タテシマ様の歴史の修正によって、俺という異界から来た迷い人の存在の介入も無かった事になったのだろう。
彼女の記憶から俺の存在は消えてしまっている様だ。
果たしてどう説明した者かと俺が思案していると、それにはナキが答えた。
「こちらは、空間さん。――わたしの、とっても大切な人です」
俺はナキの手に自分の手を添えて、そっと袖から離す。
そして腰に差したナイフに手を伸ばして――やっぱり、止めた。
こんな小さな刃では、生ぬるい。殺せない。
吐瀉物を、黒いヒルを、腐った肉を――俺はそれらを踏み潰しながら、真っ直ぐと部屋を照らす松明へと向かった。
「空間さん、何を……?」
ナキが俺へと手を伸ばして、その手は空を切る。
「“これ”で、呪いを断ち切ります」
俺は松明に手をかけ、そのまま力任せに横に倒した。
ガタンと大きな音と共に、火のついたままの松明は異形の獣の横たわる布団の上へ。
その火は燃え広がり、その腐った肉を、骨を、ごうごうと燃やして行く。
燃え盛る。全てを消し去らんとばかりに、火は瞬く間に神殿中を覆って行く。
燃え落ちた神殿だった柱や梁が、音を立てて崩れ落ちる。
「――――――!!!!」
女の歌声の様な悲鳴。絶叫。
この神殿というホールを沸かさんとばかりに、熱唱する。
俺はしばらくの間、ぼうっと火に包まれ声を上げる肉塊を眺めていた。
その意識を叩き起こしたのは、ナキの声だった。
「空間さん! こちらに!」
ナキに呼ばれて、俺は咄嗟にその声の方へと手を伸ばす。
そこには、こちらへと伸ばされたナキの細く手白い手。俺はそれを掴む。
ナキの手に引かれるまま、俺はその傍へ。そしてその勢いのまま、ぎゅっと抱きしめた。
どういう訳か、ナキの周囲にだけ火の手は回って来ていない。
周囲は真っ赤に燃え盛る炎で囲まれているというのに、まるでこの一か所だけ海の中に居るみたいに、空気までもが冷たかった。
――足元には、紺色の影が丸く広がっていた。
炎が天へと昇って行く。
腕の中のナキが声を上げた。
「空間さん、これって――!」
見れば、ナキの液状化して背景を透かしていた肌が、色を取り戻しているところだった。
そして、それと同時に――、
「ナキさん、髪も――」
ナキの髪。透き通るような白銀色の美しい髪。
その髪から、白銀の色が少しずつ抜け落ちていっていた。
まるで塗られていた塗料が水に流されて落ちるみたいに、ナキの身体を伝ってその白銀は足元――影の中へと落ちて行く。
深海の紺の色だった影は、やがてナキから抜け落ちた白銀に染まって行く。
そして、影からは一本の白い光の柱が縦に真っすぐと伸びて行く。
光の柱は炎と共に、天へと昇って行く。
その光の柱を伝って、影から何かが飛び出てきた。
「――タテシマ様!」
ナキが声を上げる。
見れば、小さくて、細長い――“タツノオトシゴ”の姿をした神が顕現していた。
神は光の柱を伝って、天へと昇って行く。空に近づくにつれて、その姿もまた変わって行く。
小さかった体は大きく、長く、蛇行して、昇って行く。
その白銀色の鱗が炎の灯りを照らし返して、美しく輝いている。
――龍だ。
タテシマ様は白銀色の龍の姿となって、天という大海原を縦横無尽に泳いでいく。
「――ああ、お力が戻ったのですね」
ナキの瞳からは、大粒の雫が流れ落ちる。
タテシマ様の顕現に伴って、ナキの髪からは白銀色が殆ど抜け落ちていた。
艶のある綺麗な黒髪となり、その中に僅かに一房程の白銀の線が残る程度だ。
もう彼女の中に神は居ない。
そっと抱き寄せ黒の髪を指先で梳けば、彼女は優しく微笑みを返す。
二人は空を仰ぐ。
呪いから解き放たれ自由を手にした神は、その喜びを表すかのように天を縦横無尽に舞い踊る。
神殿は燃え尽き、周囲には炎と黒く炭化した残骸だけ。
「村は、どうなるんでしょうか……」
ヨコシマ様という神に支配されていたジュウオウ村。
おそらく村の民の中には、まだあの黒いヒルが巣食っている。
この先の未来が有るのかは――分からない。
その時だった。
『コォォォォォ――!!!』
龍の――タテシマ様の、大きな鳴き声がジュウオウ村中に響き渡った。
同時に、周囲の火は掻き消える。
そして――、
「これは……雨?」
天から、光の雨――いや、
「雪だ」
雪が降り注ぐ。
小さな白い光の粒子が雪となって、タテシマ様が泳ぐ軌道上に沿って天よりゆったりと舞い落ちる。
それらの光の粒子はジュウオウ村の全てを暖かく包み込み、そして辺りの風景は次第に変容して行く。
「綺麗……」
貧しく小さな村の傷んだ建物たちが光の粒子に触れた瞬間、綺麗で立派な家に早変わり。
木々に実が成り、田畑に豊穣がもたらされる。
村の家々の玄関口に飾られていた小判型の編み藁も、横糸だった黒の藁が縦糸に。
そして俺たちの周囲に散乱していた瓦礫の山もどこへやら。
燃え盛り消えた神殿は、代わりに白く清潔な全く別の社へと成ってそこに在った。
「タテシマ様のお力で、村が――!」
村は変わった。
貧しく陰鬱としていた村の姿はそこに無く、豊かで暖かな村が広がっていた。
「これが、タテシマ様の村――」
きっと簒奪者が現れなければそこに在ったであろう、平和で豊かなジュウオウ村。
それが今、現実に存在している。
――龍と成った神の力で、村の歴史は修正された。簒奪者の現れなかった、本来あるべき姿に。
気づけば、夜は明けていた。
紺の闇は溶け、白い光の暖かさがじんわりと滲み出てくる。
日が昇り、その先へと白銀の龍は泳いで行く。
「ありがとう、ございました――」
俺とナキは二人、手を取り合いながら、その姿が見えなくなるまでの間ずっと見送っていた。
ナキの手は――暖かかった。
白くて、小さくて、温かい。生きた体温を感じる。
「タテシマ様は、どこへ行ったんでしょうか」
「どこへも行ってはいませんよ。きっと、これからもわたしたちを見守ってくださいます」
新たな社を見る。
白くて清潔な、美しい城の様。
ここに、ジュウオウ村の新たな信仰が紡がれて行く。
村人たちはタテシマ様という真なる神への信仰を捧げ、神はそれに応える。
そこに支配や洗脳のような歪な物は介在せず、両者は支え合って生きて行くだろう。
俺の隣には、黒い髪を風に靡かせるナキが居る。
体温が握り合った小さな手を通じて伝わって来る。
「それじゃあ、帰りましょうか」
「はい。――と言っても、わたしの家はずっと海の中でしたから、これからどこへ帰ればいいのか――」
すると、ふと後ろから声をかけられた。
「――ナキ?」
そこには、一人の女性が立っていた。
初めて見る人のはずだが、どこか知ったような面影を感じる。
髪色は黒。瞳の色は――深い海の底の様な紺。ナキと同じ色だ。
ナキは目を見開き、唇を震わせながら、恐る恐る応える。
「……おかあ、さん……?」
間違いない。今目の前に居るのは、あの老婆――ナキの母親、シグレだ。
俺たちが知るよりも若々しく、健康的な姿でそこに居た。
ナキの表情には緊張の色が浮かんでいる。
相手は自分の実の母親だ。しかし、一度突き放されてもいる。
しかし、ナキの緊張は一瞬で吹き飛んでいった。
それは母の顔を見れば、一目瞭然だ。
その表情は依然見た時と違う。優しく慈愛に満ちた、母の顔。
何の罪悪感も、後ろめたさも感じさせない。ただ純粋な優しい笑顔で、ナキを迎えていた。
「ナキ、こんな所で何をやっているの?」
シグレは、二本の足でしっかりと立っていた。
――ああ、そうだ。タテシマ様の力によって、ジュウオウ村の歴史は修正された。
それはつまり、ヨコシマ様という簒奪者の介入によって起こったナキと母親の離別もまた、正しい有り様に戻ったという事だ。
これはタテシマ様がくれた贈り物だ。
その事をナキもすぐに理解した様だ。
瞳一杯に雫を溢れさせて、それでもとびっきりの笑顔で、
「うん。ごめんなさい、お母さん。――あのね、わたし、タテシマ様にありがとうって、伝えていたんです」
ナキは手で流れ落ちる雫を拭いながら、精一杯言葉を紡ぐ。
「そう。そうだったのね。――でも、なんでかしらね。ずっと、ずーっと、あなたの事を待っていた気がするの。だから、つい迎えに来ちゃったわ。ほら、早く帰ってご飯にしましょう?」
「うん……、うんっ……!」
シグレは、俺の方へと視線を向ける。
「――ところで、そちらの方は?」
タテシマ様の歴史の修正によって、俺という異界から来た迷い人の存在の介入も無かった事になったのだろう。
彼女の記憶から俺の存在は消えてしまっている様だ。
果たしてどう説明した者かと俺が思案していると、それにはナキが答えた。
「こちらは、空間さん。――わたしの、とっても大切な人です」
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