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#24 神殿
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月明りが嫌に明るい夜だった。
普段であれば明るく見通しが良い事は喜ばしい事だが、夜闇を忍びたかった今日に限ってはその灯りが鬱陶しい。
地面に二人の影を落とす。
俺の隣に並ぶもう一つの影に視線を落とせば、紺と黒の狭間で不規則に揺らめいて見えた。
今も小さな“ワタシ”はそこで見守ってくれているのだろうか。
ジュウオウ村の脇の林を通り、村外れの老婆の家を通り過ぎ、裏手から神殿へ。
シグレは既に就寝しているのだろう、家には灯りが点いては居なかった。
やがて、本丸が見えてくる。
大きな神社の社の様な神殿の周囲には、松明が灯っていた。
火は怪しく揺らめいて、時折薪火がパキリと小さな音を鳴らして、火花を弾けさせている。
茂みに身を潜めつつ、俺たちは周囲の様子を窺う。
「見張りは居なさそうだ。でも――」
「松明に火がくべられています。もしかすると、誰か居るのかも……?」
祭りの後、まだ数日しか経過していない。普通に考えれば神殿に近づく余所者を警戒して警邏が居てもおかしくはない。
しかし、俺が昼間に様子を見た限りではなんの警戒もされていなかったはずだ。
今だって大丈夫――の、はずだ。
改めて周囲の気配を窺うが、やはり警邏は居ない。
ただ神殿の入口までの道に、まるで俺たちを誘う様に松明の灯りで道が作られているだけだ。
「いえ、大丈夫です。誰も居ません。でも、確かに火がくべられているのは不自然ですね」
人は居ないのに夜間に火の灯りを必要とする、その理由は何故だ?
俺は口元に手を当てたまま、少しの間理由を考える。
何故だ。何故、松明の火が灯っている? 中で何かが行われている?
神殿の中に居る可能性が有るのは、あの顔を布で隠した司祭と、正体不明の神ヨコシマ様と、あと――。
「ああ――」
――そういう事か。
「何か思い当たる事が?」
「いえ、何でもないです」
俺は思い当たった可能性を、ナキに伏せる。
その予想が正しければ、それを彼女に伝える事は憚られる。
ナキが「むぅ」と不満げに頬を膨らませるのを「まあまあ」と適当に笑って流しつつ、
「それよりも、ナキさん。体調はどうですか?」
以前ここへ来た時、内に住まうタテシマ様の影響を受けてナキは体調を崩していた。
今日は付いて来て大丈夫だっただろうか、と様子を窺う。
「はい、平気です。タテシマ様も、今日は以前とは違って――奮い立っている、というのでしょうか? そんな感じがします」
そう答えるナキの額には、寒い夜の風を受ける中でもじんわりと油汗が浮かんでいた。白い肌を雫が伝う。
その言葉に嘘は無いのかもしれないが、傷付いたタテシマ様のトラウマは一朝一夕で克服できる物では無いだろう。
神共々やはり無理はしているのが伝わってきて、おそらく平気と表現出来る状態ではない。長時間の滞在は望まれないだろう。
しかし――、
「分かりました。それじゃあ、行きましょうか。何が有るか分かりませんから、俺から離れないで」
俺はそれを見なかった事にして、ナキの手を握る。
相変わらず血が通っていないみたいに冷たくて、小さな手だ。
ナキは「はい」と小さく答えて、弱い力でぎゅっと手を握り返してくれた。
傷付いた神はトラウマを押さえつけて、自身を奮い立てせて、力を貸してくれた。
ナキもまた自身の身を顧みず、俺の気持ちに応えて、共に来てくれた。
なら、俺もそれに応えるだけだ。
下調べをした限りでは裏口の様な物は無かった。神殿へ入るには正面の入口を通るしかない。
俺たちは神殿の外周に沿う様に、松明のかがり火に照らされた境内を進む。
二人の姿が火によって浮かび上がるり、影が揺らめく。
ここまで来ればもう身を隠しようもない。
誰かに見られているんじゃないかという不安感に襲われながらも、歩みを進めて神殿の前へ。
神殿の入口は横開きの襖扉が有るだけで、外から見た限りでは鍵の一つすら掛けられていない。
「開けますよ」
「は、はい!」
緊張の面持ちで取っ手に手をかければ、何の抵抗も無く軽い力で横にスライドした。
僅かな木製の戸が擦れる音だけが鳴る。
少し隙間を空けて、中の様子を除く。
「どうですか?」
薄暗く奥の方までは確認し切れないが、近くに人の気配は無い。
長い廊下が奥へ続いているだけだ。
「大丈夫です。行きましょう」
ゆっくりと大きな音を立てない様に襖扉を引いて、二人で身体を滑り込ませる。
そのまま真っ直ぐと続く長い廊下を、身を屈めつつ進んでいく。
歩きつつ少し後方に目をやれば、白銀色の髪が揺れているのを薄暗い神殿内でも見て取れた。
いくら暗いと言っても、深海に広がる暗闇の世界程ではない。
あの空間で一生の殆どを過ごしたナキも、そこに通い詰めていた俺も、闇に目が慣れるのは早かった。
しばらく進めば、静かな神殿内の中でがさごそと俺たちのものとは違う物音が聞こえてきた。
それは前方の大部屋から聞こえてくる様だ。
その大部屋は木製の襖扉で廊下と仕切られていて、扉の上部の目線辺りに格子状の覗き窓が有った。
覗き窓からはゆらゆら揺らめく灯りがぼんやりと漏れ出ている。
「止まって、誰か居ます」
俺は発声するかしないかくらいの擦れ声で、ナキに静止を促す。
大部屋に近づいて耳をそばだてれば、やはり中から人の気配がする。
がさり、ごそり、とやや規則的な床材や衣擦れの様な音。
俺は指で廊下の方を指さす身振り手振りでナキに周囲の警戒を指示してから、落としていた腰を上げて上の格子窓から中を覗いた。
室内は蝋燭のぼんやりとした怪しい光に照らされていて、薄暗い中でも様子を窺う事が出来た。
「――ッ!!」
視界に飛び込んで来たあまりの光景に、俺は声を上げそうになった。慌てて口を抑える。
中に居たのは――人間だ。
そう認識するのが憚られる程の異様な光景だったが、間違いなく紺も部屋には人間が何人も居る。
大部屋の畳の上に、二つの肉の塊が重なり合う様にいくつも並べられているのだ。
肌と肌を重ね合わせたまま、それらの殆どは死んだみたいにぴくりとも動かない。
しかしその並んだ肉塊の中に、数ヶ所だけもぞもぞと蠢いている塊が在った。それらが聞こえてきた音の出所だろう。
重なり合う男女ががさごそと蠢く事で、畳を引っ掻く様に音を鳴らしているのだ。
重なり合う男女のペア――つまり、祭りの日に選ばれた“番のお役目”を受けた者たちだ。
確か今年の祭りでも三組ほどが番として神殿に入っていたはずだ。薄暗く顔は見えないが、おそらく彼らだろう。
であれば、これはシグレから聞いた話にもあった――“子を成す儀式”。
祭りの直後だ。その儀式が行われているであろう事は、先ほど外で松明に火がくべられている事からも予想がついた事だ。
しかし、想像していたよりもその有り様は異常で、あまりにも異質だ。
見てはいけないものを見てしまった気がして、目を逸らしかける。
しかし、何かがおかしい。
重なり合う肉塊の間で、何かが視界を過った。
改めてよく目を凝らせば、やがてその輪郭がはっきりとしてくる。
彼ら番たちはただ何の感情も無く、ただ作業的に熟している様に、不気味に淡々とがさごそと擦れる音を立て続ける。
そして、その周りで小さくて黒い何か――ヒルの様な物体が這いずっていた。
それは、目の前の光景を更に不気味に飾り立てる。
そうだ。俺が大部屋に並ぶ番たちを“肉塊”だと表現した理由が分かった。
動かない番たちの体中に、黒いヒルがびっしりとこびり付いている。
そしてまぐわう番の身体にも、何匹もの黒いヒル。それらは、“蠢いている”。もぞもぞと蠢いているのだ。
(――これが、儀式……?)
俺が戦慄に打ち震え硬直していると、その様子を心配したナキが、顔をこちらへ近づけて来ていた。
「どう、しました……?」
駄目だ。彼女にこの光景は見せられない。
俺はナキの肩に手を置いて、それを制する。
「大丈夫、この部屋は関係ない」
小声でそう言って頭を振れば、ナキは不思議そうに小首を傾げたが、強いて覗き込もうとはしなかった。
そうして大部屋を過ぎて隣の部屋を見に行こうと思い、格子窓から離れようとした――、瞬間。
俺とナキは二人して格子窓の方に注意が向いていて、周囲の警戒を怠ってしまっていた。
だから、気づかなかった。
長い廊下の薄暗闇に、白い人影。
「――オマエタチ、ヨソモノ、ダナ」
顔を布で隠した人物。
祭りの日にも見た、村長の代行――“司祭”だ。
普段であれば明るく見通しが良い事は喜ばしい事だが、夜闇を忍びたかった今日に限ってはその灯りが鬱陶しい。
地面に二人の影を落とす。
俺の隣に並ぶもう一つの影に視線を落とせば、紺と黒の狭間で不規則に揺らめいて見えた。
今も小さな“ワタシ”はそこで見守ってくれているのだろうか。
ジュウオウ村の脇の林を通り、村外れの老婆の家を通り過ぎ、裏手から神殿へ。
シグレは既に就寝しているのだろう、家には灯りが点いては居なかった。
やがて、本丸が見えてくる。
大きな神社の社の様な神殿の周囲には、松明が灯っていた。
火は怪しく揺らめいて、時折薪火がパキリと小さな音を鳴らして、火花を弾けさせている。
茂みに身を潜めつつ、俺たちは周囲の様子を窺う。
「見張りは居なさそうだ。でも――」
「松明に火がくべられています。もしかすると、誰か居るのかも……?」
祭りの後、まだ数日しか経過していない。普通に考えれば神殿に近づく余所者を警戒して警邏が居てもおかしくはない。
しかし、俺が昼間に様子を見た限りではなんの警戒もされていなかったはずだ。
今だって大丈夫――の、はずだ。
改めて周囲の気配を窺うが、やはり警邏は居ない。
ただ神殿の入口までの道に、まるで俺たちを誘う様に松明の灯りで道が作られているだけだ。
「いえ、大丈夫です。誰も居ません。でも、確かに火がくべられているのは不自然ですね」
人は居ないのに夜間に火の灯りを必要とする、その理由は何故だ?
俺は口元に手を当てたまま、少しの間理由を考える。
何故だ。何故、松明の火が灯っている? 中で何かが行われている?
神殿の中に居る可能性が有るのは、あの顔を布で隠した司祭と、正体不明の神ヨコシマ様と、あと――。
「ああ――」
――そういう事か。
「何か思い当たる事が?」
「いえ、何でもないです」
俺は思い当たった可能性を、ナキに伏せる。
その予想が正しければ、それを彼女に伝える事は憚られる。
ナキが「むぅ」と不満げに頬を膨らませるのを「まあまあ」と適当に笑って流しつつ、
「それよりも、ナキさん。体調はどうですか?」
以前ここへ来た時、内に住まうタテシマ様の影響を受けてナキは体調を崩していた。
今日は付いて来て大丈夫だっただろうか、と様子を窺う。
「はい、平気です。タテシマ様も、今日は以前とは違って――奮い立っている、というのでしょうか? そんな感じがします」
そう答えるナキの額には、寒い夜の風を受ける中でもじんわりと油汗が浮かんでいた。白い肌を雫が伝う。
その言葉に嘘は無いのかもしれないが、傷付いたタテシマ様のトラウマは一朝一夕で克服できる物では無いだろう。
神共々やはり無理はしているのが伝わってきて、おそらく平気と表現出来る状態ではない。長時間の滞在は望まれないだろう。
しかし――、
「分かりました。それじゃあ、行きましょうか。何が有るか分かりませんから、俺から離れないで」
俺はそれを見なかった事にして、ナキの手を握る。
相変わらず血が通っていないみたいに冷たくて、小さな手だ。
ナキは「はい」と小さく答えて、弱い力でぎゅっと手を握り返してくれた。
傷付いた神はトラウマを押さえつけて、自身を奮い立てせて、力を貸してくれた。
ナキもまた自身の身を顧みず、俺の気持ちに応えて、共に来てくれた。
なら、俺もそれに応えるだけだ。
下調べをした限りでは裏口の様な物は無かった。神殿へ入るには正面の入口を通るしかない。
俺たちは神殿の外周に沿う様に、松明のかがり火に照らされた境内を進む。
二人の姿が火によって浮かび上がるり、影が揺らめく。
ここまで来ればもう身を隠しようもない。
誰かに見られているんじゃないかという不安感に襲われながらも、歩みを進めて神殿の前へ。
神殿の入口は横開きの襖扉が有るだけで、外から見た限りでは鍵の一つすら掛けられていない。
「開けますよ」
「は、はい!」
緊張の面持ちで取っ手に手をかければ、何の抵抗も無く軽い力で横にスライドした。
僅かな木製の戸が擦れる音だけが鳴る。
少し隙間を空けて、中の様子を除く。
「どうですか?」
薄暗く奥の方までは確認し切れないが、近くに人の気配は無い。
長い廊下が奥へ続いているだけだ。
「大丈夫です。行きましょう」
ゆっくりと大きな音を立てない様に襖扉を引いて、二人で身体を滑り込ませる。
そのまま真っ直ぐと続く長い廊下を、身を屈めつつ進んでいく。
歩きつつ少し後方に目をやれば、白銀色の髪が揺れているのを薄暗い神殿内でも見て取れた。
いくら暗いと言っても、深海に広がる暗闇の世界程ではない。
あの空間で一生の殆どを過ごしたナキも、そこに通い詰めていた俺も、闇に目が慣れるのは早かった。
しばらく進めば、静かな神殿内の中でがさごそと俺たちのものとは違う物音が聞こえてきた。
それは前方の大部屋から聞こえてくる様だ。
その大部屋は木製の襖扉で廊下と仕切られていて、扉の上部の目線辺りに格子状の覗き窓が有った。
覗き窓からはゆらゆら揺らめく灯りがぼんやりと漏れ出ている。
「止まって、誰か居ます」
俺は発声するかしないかくらいの擦れ声で、ナキに静止を促す。
大部屋に近づいて耳をそばだてれば、やはり中から人の気配がする。
がさり、ごそり、とやや規則的な床材や衣擦れの様な音。
俺は指で廊下の方を指さす身振り手振りでナキに周囲の警戒を指示してから、落としていた腰を上げて上の格子窓から中を覗いた。
室内は蝋燭のぼんやりとした怪しい光に照らされていて、薄暗い中でも様子を窺う事が出来た。
「――ッ!!」
視界に飛び込んで来たあまりの光景に、俺は声を上げそうになった。慌てて口を抑える。
中に居たのは――人間だ。
そう認識するのが憚られる程の異様な光景だったが、間違いなく紺も部屋には人間が何人も居る。
大部屋の畳の上に、二つの肉の塊が重なり合う様にいくつも並べられているのだ。
肌と肌を重ね合わせたまま、それらの殆どは死んだみたいにぴくりとも動かない。
しかしその並んだ肉塊の中に、数ヶ所だけもぞもぞと蠢いている塊が在った。それらが聞こえてきた音の出所だろう。
重なり合う男女ががさごそと蠢く事で、畳を引っ掻く様に音を鳴らしているのだ。
重なり合う男女のペア――つまり、祭りの日に選ばれた“番のお役目”を受けた者たちだ。
確か今年の祭りでも三組ほどが番として神殿に入っていたはずだ。薄暗く顔は見えないが、おそらく彼らだろう。
であれば、これはシグレから聞いた話にもあった――“子を成す儀式”。
祭りの直後だ。その儀式が行われているであろう事は、先ほど外で松明に火がくべられている事からも予想がついた事だ。
しかし、想像していたよりもその有り様は異常で、あまりにも異質だ。
見てはいけないものを見てしまった気がして、目を逸らしかける。
しかし、何かがおかしい。
重なり合う肉塊の間で、何かが視界を過った。
改めてよく目を凝らせば、やがてその輪郭がはっきりとしてくる。
彼ら番たちはただ何の感情も無く、ただ作業的に熟している様に、不気味に淡々とがさごそと擦れる音を立て続ける。
そして、その周りで小さくて黒い何か――ヒルの様な物体が這いずっていた。
それは、目の前の光景を更に不気味に飾り立てる。
そうだ。俺が大部屋に並ぶ番たちを“肉塊”だと表現した理由が分かった。
動かない番たちの体中に、黒いヒルがびっしりとこびり付いている。
そしてまぐわう番の身体にも、何匹もの黒いヒル。それらは、“蠢いている”。もぞもぞと蠢いているのだ。
(――これが、儀式……?)
俺が戦慄に打ち震え硬直していると、その様子を心配したナキが、顔をこちらへ近づけて来ていた。
「どう、しました……?」
駄目だ。彼女にこの光景は見せられない。
俺はナキの肩に手を置いて、それを制する。
「大丈夫、この部屋は関係ない」
小声でそう言って頭を振れば、ナキは不思議そうに小首を傾げたが、強いて覗き込もうとはしなかった。
そうして大部屋を過ぎて隣の部屋を見に行こうと思い、格子窓から離れようとした――、瞬間。
俺とナキは二人して格子窓の方に注意が向いていて、周囲の警戒を怠ってしまっていた。
だから、気づかなかった。
長い廊下の薄暗闇に、白い人影。
「――オマエタチ、ヨソモノ、ダナ」
顔を布で隠した人物。
祭りの日にも見た、村長の代行――“司祭”だ。
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