【完結】深海の歌声に誘われて

赤木さなぎ

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#18 歌

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 歌声に誘われる様にふらりとその方へと足を運ぶナキを追って、俺も後を続く。
 すると、歌声の主はすぐに見つかった。
 
 最初に俺がジュウオウ村を訪れた時に親切にしれくれた老婆、シグレだ。
 老婆は縁側に腰かけて、祭りの日だというのに、それに参加もせずにふんふんと歌を唄いながら編み物をしている。
 
 ナキはぴたりとシグレの数歩手前で足を止めて、ぼうっとその歌を聞き入っていた。

「ナキさん……?」

 俺は恐る恐るナキに声をかけ、近づいていく。
 すると、斜め後ろからでもナキの表情が伺えた。
 
 つうっと、ナキの頬を雫が伝う。
 俺ははっとして息を呑み、足を止めた。
 ナキは泣いている。――でも、どうして?

 そうしていると、ぴたりと歌声が止んだ。
 シグレは俺たちの存在に気付いて、ゆっくりと顔を上げた。
 そして一度俺の顔を見て、「ああ」と知った相手だと認識して安心した様に表情を緩めた後、ナキの方を見て――、

「……ナ、キ?」

 と、そう彼女の名を呟いて、大きく目を見開いた。
 
 ――え?

 何故、シグレがナキの名を知っている?
 シグレは言葉をつづけた。

「……ナキ? あんた、ナキなのかい?」

 シグレはそう言って、ナキへと手を伸ばそうとする。

「はい。わたしは、ナキです」

 ナキも涙を浮かべながら、恐る恐る、本当にそうして良いのかと確かめるかの様に、ゆっくりと手を伸ばす。

 ――ああ、そうか。

 俺は気付いた。気づかない方がおかしかった。
 ナキは自分を海に捨てられた赤子だったと言っていた。捨て子なのだと。
 
 ナキがどれだけ成長していても、面影すらなくても、分かってしまうのだろう。
 魂が繋がっているのだ。同じ色をしているのだ。
 きっと、シグレは――、
 
 しかし、シグレはすぐにその手を引っ込めた。
 まるで自分を律する様に。
 
 そして顔を伏せ、次にナキを見据えたその視線は細く鋭いものに代わっていた。
 続けて発せられた言葉は、予想だにしないものだった。
 
「――帰ってくれ」

 シグレはそう言い放つ。
 ナキの伸ばしかけていた手がぴたりとい止まり、小さく震えた。

「え? でも、わたしは――」
「聞こえなかったのかい? 帰ってくれ」

 シグレは鋭い視線のまま、低い声色でそうナキを拒絶した。

「ちょっと、どうしたんですか!」

 俺は堪らず割って入ろうとするが、シグレは首を横に振って、頑としてその姿勢を崩さなかった。
 
「あんたがここに居て、それが知られれば、あの人だけでなくあたしの命まで奪われてしまうよ。勘弁しておくれ。さっさとどこかへ行ってしまいな」
「あ……、あ、あ……」

 ナキは震える手をゆっくりと下ろし、だらんと宙を垂れる。
 そして、

「はい。ごめん、なさい……」

 と、シグレに聞こえるかどうかも分からない程に消え入るような声で呟き、背を向けてその場を走り去った。

「ナキさん!」

 俺は後を追おうとする。
 しかし、その時だった。シグレの小さな呟きが耳に入った。

「……どうして、帰って来たんだい。どうして、生きていたんだい。あんたの顔なんて、見たく無かったよ。ナキ……」

 シグレの声は、震えていた。
 正しくその声を発音出来ていない様な、震えた涙声だった。
 
 ――本当に、そう思っているのか?
 まさか、そんな訳無いだろう。それなら、どうして泣いているんだ。どうしてそんなに苦しそうなんだ。

 そんなシグレの声に後ろ髪を引かれながらも、俺は走って行ったナキを追った。

 
 幸い、ナキが向かった先はすぐに検討が付いた。
 シグレの家を背にして、道は二つに分かれている。右手には俺たちが来た道、おそらく祭りの終盤だろう。
 タテシマ様が拒否反応を示し、それがナキの体調にも作用するから、ナキはあの神殿の近くに居たがらない。
 よって、走って向かった先はこちらではないだろう。
 
 では、もう一つの道だ。村から離れて、海の方へと続く道が有る。
 俺は真っすぐとその方へと走った。

 林の道を抜けた先は、海岸沿いの崖になっていた。
 林の中は夜闇で視界も不明瞭だったが、林を抜ければすぐにその視界も開けた。
 
 空には大きな月が明かりを放ち、崖に佇むナキの真っ白な姿を照らし、くっきりと映し出していた。
 ナキは崖の際にぼうっと立ち尽くして、水平線を眺めていた。

「ナキさん!!」

 崖の際に立つ純白の美しい歌姫の名を、俺は呼ぶ。
 彼女は少し振り返ろうとして、そして躊躇って、また俺に背を向ける。
 俺は走った所為で息も絶え絶えになりながらも、必死で叫ぶ。

「違うんだ! あの人は、シグレさんは、君のお母さんは――」

 そうだ。シグレは、ナキの母親だ。
 ナキと同じ歌を唄い、そして一目見ただけでナキの名を呼んだ。
 足を悪くしていて、独り身の老いた女性。
 
 しかし、彼女はナキを拒絶した。
 帰ってくれと、どこかへ行ってしまえと、そう言い放った。
 ナキは自分で言っていた。“自分は捨てられた”と。
 
 ――でも、違う。きっと、それは違うんだ。

 俺はぜえぜえと肩で息をしながら、なんとか呼吸を整える。
 そして、続きの言葉を紡ごうとする。
 すると――、

「――ええ、分かっています。分かっていますよ、空間さん」

 ナキは水平線へと視線を向けたまま、そう小さく寂しそうに言った。
 そして、ぽつりぽつりと、言葉を紡いで行く。
 
「ねえ、空間さん。わたし、捨てられてなんていなかったんですね」
「ナキさん……」
「どうして赤子のわたしが海へ投げ捨てられたのか、その理由は分かりません。
 でも、どんなに突き放す言葉を言われても、その涙で、声色で、表情で、全て分かってしまいますよ。
 どんなに包み隠そうとしても、あの人の気持ちが、伝わって来てしまいます」

 ナキの声は、だんだんと涙交じりに震えていた。
 そう。ナキは捨てられてなんていなかった。母の愛は、確かに在った。
 
 しかし、それが分かったところで、それがナキの救いになるのかどうかは分からない。
 俺は彼女にかけてやれる言葉が見つからなかった。

「でも、わたしはあの村には居られません。あの人の元へは戻れません。愛されてはいても、望まれてはいない子みたいですから。居場所なんて、無いんです。それに――」

 と、彼女は続ける。
 その小さな白い手は自身の胸へと優しく抱きしめる様に当てられていた。
 
「わたしの内には、タテシマ様が居られますから。タテシマ様もまた、あの村には居場所が無いみたいです。神殿へと近づけば、酷く怯えておられました」

 ナキは苦しそうにそう語る。神殿付近に居た時の事を思い出しているのかもしれない。
 あの時は酷く体調が悪そうで、それはタテシマ様の心情に強く影響を受けていたからだ。
 
 きっと、ナキは自分の事なんかよりもずっと神様の事を思っているのだろう。
 自分の命を救ってくれた神様が怯え、怖がっている。なら、そこに自分の実の母親が居たとしても、村には居られない。
 深海を離れようという選択肢が無いのだ。
 
 俺は胸がぎゅっと締め付けられる思いで、やっとの事で言葉を絞り出す。

「ナキさん、居場所が無いだなんて言わないで下さい。俺は、ナキさんと一緒に居たいと、そう思ってます。それこそ、願いなんて叶えてもらわなくたって、一緒に――」

 しかし、ナキはゆっくりと首を横に振る。

「お気持ちは、とても嬉しいです。本当です」
「なら! 俺と一緒に行こう! どこか遠く――きっと、この世界のどこかには、ナキさんも、タテシマ様も、どっちも居心地の良い場所が有るはずです! もっと素敵な景色を、見られるはずです!
 ほら、前に話したじゃないですか。そう、雪! 雪を見ましょう。冬になれば、砂よりも白くて、綺麗な雪が降るはずだ。それを、俺と一緒に――」

 俺はそんな、有るかも無いかも分からない、出来るかどうかも分からない夢物語を語る。
 俺は何も持っていない。この世界にこの身一つで放り出されて、今だって情けで貰った仕事で日々食べるのがやっとの稼ぎしかない。
 それでも、理想でも、夢物語でも、何かに縋りたかった。
 しかし――、

「いいえ。駄目なんです。わたしは――“わたしたちは、この海から離れられません”。だから――」

 ナキは振り返る。
 その表情は、深海色の瞳の目じりに雫を浮かべながらも、優しく微笑んでいた。
 そして、後ろへと一歩を踏み出した。
 
 今彼女が立っているのは崖の際、その先端だ。
 そこから一歩踏み出すという事は、その先は――海。

「――ありがとうございました」
「ナキ!!!」

 俺は無我夢中で、地を蹴った。走って、跳んで、手を伸ばす。
 自分でも驚くほどに、早く身体は動いた。
 
 伸ばした手は、ナキの手首を掴む。その手首を強く握り、引き寄せる。
 しかし、足りない。
 俺の身体もまた、その勢いで崖から宙へと投げ出されてしまった。
 
(――絶対に、離さない)

 俺はぐっとナキの手を引き、抱き寄せる。
 背に腕を回して、ぎゅっと強く、抱きしめる。決して離さない様に。
 そして、宙へと放り出された二人の身体は真っ逆さまに、海へと落ちて行った。
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