10 / 11
#10 END:高橋ホームズ
しおりを挟むすうすうと規則的な呼吸音が聞こえてくる。すぐ隣に居るはずなのに、どこか遠くから、まるで別の世界の物かの様に聞こえてくる。
微睡む意識の中、隣で眠るであろう彼女の呼吸を感じながら、ふと違和感に気付く。
重い瞼を上げ、薄く目を開く。視界に映るのは影だ。黒い影が人型を形成し、こちら見下ろすように佇んでいる。
ああ。この呼吸は、俺の隣からではない。目の前の影から、彼女と同じ――。
・・・
肌で感じる冷たい感覚に違和感を覚え、目を覚ます。
呼吸をしようと口を開こうとすれば、張り付く気持ちの悪い感触。身体を起こし、その感触を片手で拭い、まだ朧げな意識でそれを見る。
赤。自身の白い肌に赤黒い何かがべったりと付着していた。それが血だと認識するのに然程時間はかからなかった。
その赤の衝撃に、朧気だった意識が一気に起こされる。
「ホームズ君! 血が……」
傍らで共に眠っていた彼に声をかける。しかし、まだ眠っているのだろうか、反応は無い。
身体を揺すり起こそうと触れると、先程覚醒前に肌で感じた感覚と同じ冷たさを感じ、彼の身体へと視線を落とす。
「あ……」
冷たく、動かなくなった彼の身体。その喉元は赤黒く染まっており、傷口は乱暴に、まるで獰猛な獣に肉を喰い千切られたかの様に、抉り取られた損傷が有った。
間違いなく、死んでいる。目の前で、愛した彼が、死んでいる。
「いやだ、いやだ、いやだいやだいやだ……。うそ、なんでぇ……」
何故、誰が、そう自問するが、答えを返す者は居ない。ここにはわたししか居ない。
答えは知っていた。理解する事を拒もうとする心とは裏腹に、頭の方はやけに澄んでいて、思考は明瞭だ。否応にもこの状況を理解させてくる。
「起きたら、名前を教えてくれるって言ったじゃない。これから一緒に生きて行こうって、そう言ったじゃない……」
やはり、声を掛けても彼から返事は返って来ない。暗く静寂に包まれた部屋に、掠れた自分の声が嫌に響き渡る。
この状況、彼を殺したのは、彼の喉を食いちぎったのは、わたしだ。わたしの中の執行者だ。
でも、どうして。わたしたち時の管理者の使命は、時に干渉する対象者を殺す事だ。彼は確かにその原因を作り出す存在だが、直接の干渉者ではない、それ故に殺す事は出来ないはずだ。そう聞かされていた。そう信じていた。
彼はわたしを愛してくれた。夢を捨てて、名声を捨てて、富を捨てて、その輝かしい未来を捨てて、わたしを選んでくれた。これで良かったはずだ、この選択は間違っていないはずだ。これで多くの人々を殺さなくて済むはずだ。
いや、はずだった。
――彼は“輝かしい未来を捨てて”わたしを選んでしまった。
「はは、ははは、あはははは……」
その事実に気付いた瞬間。彼の血液で染められた口から、乾いた笑いが自然と漏れ出す。
彼は選択をしてしまった。未来を知り、その未来を捨てるとは即ち、定められた未来を、過去を変えるという事だ。それは間違いなく時への干渉であり、わたしが殺すべき対象者の条件に合致してしまう。
失敗した。わたしが甘かった、彼にわたしの正体を看破された時点で、彼が真実を知ってしまった時点で、彼は選択を迫られる。選んでしまった時点で、彼は執行対象だ。――いや、違う。そうじゃない。
どうして、そんな簡単な事に気付かなかったのだろうか。自分の愚かさを呪うも、もう遅い。
『愛した者を殺すのは、どんな気分だ? 愛した者に殺されるのは、どんな気分だ?』
それは自分の中執行者を突き動かす、命令の声。大いなる存在。
頭の中に、わたしを嘲笑う声が響く。それは幻聴か、それとも――。
十年前の高橋杏子の姿で彼に迫り、真実を隠し通して彼が筆を折る様に誘導する。そんな事可能なはずがなかった。
最初からそのつもりだったのか、最初から彼を殺す為に、わたしを利用したのか。この怒りを、この感情を、どこへぶつければ良いのだろうか。相手は時の管理者そのものだ。わたしには何も出来ない。
打ちひしがれ、絶望の中。ふと、脳裏に過ったのは彼の書いた小説のラストシーン。それはこの世界ではもう日の目を浴びる事は無い、もはやわたしだけが知っている物語。わたしは、それをなぞる。
ああ、大いなる存在よ。お前はわたしを上手く操り、目的を達成したと思っているのかもしれない。しかし、わたしに人格を、感情を与えてしまったのはお前の過ちだ。わたしは執行者。わたしは時に干渉出来る。まさか、身内から執行対象が出るとは思うまい。
身体が溶け、大気と一体となる様な異質な浮遊感に包まれる。時を駆ける、タイムトラベルによる船酔いの様な感覚。わたしは再び、過去へと遡る。
浮遊感から解放されると、身体は再構成されていた。間違いない、寸分違わぬ十年前の高橋杏子の姿だ。位置座標も問題ない。ここは彼のアパートの部屋、その廊下だ。
現状を認識した後、そのまま台所から一本の包丁を抜き取り、忍ばせる。
丁度この時間だ、間に合った。部屋の扉を開けると、部屋の隅から幾つもの黒い影がじわじわと這い出し、一つに集約して新たな姿に構成されて行く。その黒い影が重なり合い、高橋杏子の姿を作り出した。
過去の、この時間軸に来たばかりのわたしだ。彼の記憶を投影し、作り出したその肉体。ああ、この頃の自分が憎らしい。わたしは包丁を構え、そして――、
わたしは、己を喰らう。
彼女は、己を喰らう。
・・・
「何だ、これ」
バイトを上がり帰って来ると、何か違和感を感じて、恐る恐る部屋に入る。
しかし、部屋には何の変りもない。泥棒に部屋を荒されていたり、殺人事件が起きて血だまりが出来ていたり、不思議な女の子が突然やって来たり、なんて小説の中の様な事は何も起きていない。
本棚から溢れた本と、ローテーブルとその上にはノートパソコン。いつもと同じ光景が広がっていた。
しかし、ただ一つ。部屋に見覚えのない物が落ちていた。
拾い上げてみると、犬の様な動物が自分の尻尾を咥えた変なデザインのキーホルダーだ。
手に取ってよく見ても、やはり記憶にない。心当たりすらない。だと言うのに、どこか気になる。
――そんな、気がした。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
ワイルド・ソルジャー
アサシン工房
SF
時は199X年。世界各地で戦争が行われ、終戦を迎えようとしていた。
世界は荒廃し、辺りは無法者で溢れかえっていた。
主人公のマティアス・マッカーサーは、かつては裕福な家庭で育ったが、戦争に巻き込まれて両親と弟を失い、その後傭兵となって生きてきた。
旅の途中、人間離れした強さを持つ大柄な軍人ハンニバル・クルーガーにスカウトされ、マティアスは軍人として活動することになる。
ハンニバルと共に任務をこなしていくうちに、冷徹で利己主義だったマティアスは利害を超えた友情を覚えていく。
世紀末の荒廃したアメリカを舞台にしたバトルファンタジー。
他の小説サイトにも投稿しています。
雛牡丹を摘む
夢見里 龍
現代文学
「はよう、摘み」襦袢のすそから差しだされた素脚には梅が咲きこぼれていた……
それは、病というには美しすぎた。
幼くして日本舞踊の華と称えられた娘・雛牡丹は病に倒れ、日舞の道を閉ざされる。
それは、才能があるものだけが罹患する《才咲き》という奇病であった。この病に侵されると、身体の一部に植物が根づき、花を咲かせる。それは桜や梅であったり、芭蕉であったりする。だが花が咲けば咲くほどに患者は衰えていき、やがては命を落とすのだ。
故に患者は、その花が咲かぬうちに莟を摘まねばならない。
雛牡丹の邸の下働きだった《僕》は、彼女の花を摘むことになる。
脚から梅のこぼれるその病を「美しい」といったことから、《僕》は雛牡丹に気にいられ、側務めに択ばれるが――――
これは驕慢に華であり続けた娘と、華に惚れた《僕》の物語である。
谷崎潤一郎さまの《春琴抄》のオマージュです。著作権保護期間が2016年に終了しているため、二次創作のタグはつけておりません。
素晴らしい小説に敬意を捧げて。
《春琴抄》をご存知ではない御方にもお楽しみいただけるように書かせていただきました。なにとぞ、広い御心にてお読みいただけますよう、よろしくお願いいたします。
* こちらはカクヨムさまにも投稿しています
アンチ・ラプラス
朝田勝
SF
確率を操る力「アンチ・ラプラス」に目覚めた青年・反町蒼佑。普段は平凡な気象観測士として働く彼だが、ある日、極端に低い確率の奇跡や偶然を意図的に引き起こす力を得る。しかし、その力の代償は大きく、現実に「歪み」を生じさせる危険なものだった。暴走する力、迫る脅威、巻き込まれる仲間たち――。自分の力の重さに苦悩しながらも、蒼佑は「確率の奇跡」を操り、己の道を切り開こうとする。日常と非日常が交錯する、確率操作サスペンス・アクション開幕!
ARIA(アリア)
残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……
暗闇ロボ 暗黒鉄
ヱヰキング
SF
ここは地球、美しく平和な星。しかし2年前、暗闇星人と名乗る謎の宇宙人が宣戦布告をしてきた。暗闇星人は、大量の量産型ロボットで地球に攻めてきた。世界は国同士の争いを一度すべて中断し、暗闇星人の攻撃から耐え続けていた。ある者は犠牲になり、ある者は捕虜として捕らえられていた。そしてこの日、暗闇星人は自らの星の技術で生み出した暗闇獣を送ってきた。暗闇獣はこれまで通用していた兵器を使っても全く歯が立たない。一瞬にして崩壊する大都市。もうだめかと思われたその時、敵の量産型ロボットに似たロボットが現れた。実は、このロボットに乗っていたものは、かつて暗闇星人との争いの中で捕虜となった京極 明星だったのだ!彼は敵のロボットを奪い暗闇星から生還したのだ!地球に帰ってきた明星はロボットに暗黒鉄と名付け暗闇獣と戦っていくのだ。果たして明星の、そして地球運命は!?
INNER NAUTS(インナーノーツ) 〜精神と異界の航海者〜
SunYoh
SF
ーー22世紀半ばーー
魂の源とされる精神世界「インナースペース」……その次元から無尽蔵のエネルギーを得ることを可能にした代償に、さまざまな災害や心身への未知の脅威が発生していた。
「インナーノーツ」は、時空を超越する船<アマテラス>を駆り、脅威の解消に「インナースペース」へ挑む。
<第一章 「誘い」>
粗筋
余剰次元活動艇<アマテラス>の最終試験となった有人起動試験は、原因不明のトラブルに見舞われ、中断を余儀なくされたが、同じ頃、「インナーノーツ」が所属する研究機関で保護していた少女「亜夢」にもまた異変が起こっていた……5年もの間、眠り続けていた彼女の深層無意識の中で何かが目覚めようとしている。
「インナースペース」のエネルギーを解放する特異な能力を秘めた亜夢の目覚めは、即ち、「インナースペース」のみならず、物質世界である「現象界(この世)」にも甚大な被害をもたらす可能性がある。
ーー亜夢が目覚める前に、この脅威を解消するーー
「インナーノーツ」は、この使命を胸に<アマテラス>を駆り、未知なる世界「インナースペース」へと旅立つ!
そこで彼らを待ち受けていたものとは……
※この物語はフィクションです。実際の国や団体などとは関係ありません。
※SFジャンルですが殆ど空想科学です。
※セルフレイティングに関して、若干抵触する可能性がある表現が含まれます。
※「小説家になろう」、「ノベルアップ+」でも連載中
※スピリチュアル系の内容を含みますが、特定の宗教団体等とは一切関係無く、布教、勧誘等を目的とした作品ではありません。
再び君に出会うために
naomikoryo
SF
僕たちは宇宙の中で存在している、地球上のものでいえばエネルギー生命体に近い存在だ。星間塵(せいかんじん)を糧として、宇宙空間であれば何万光年も生きていける。
気の合う同じ種族の異性とは合体することで一つの生命体となり、気持ちが変われば分裂して個々となり、離れて行く。言葉は持たないが一種のテレパスを使って感情を伝え合うことができる。
僕たちは、とある彗星に流され引力を持つ星に、途中で分裂させられながら降りてしまった。宇宙に戻ることも出来ず、ただ少しずつエネルギーを失いながら消滅するしかなくなっていた僕は、最後にもう一度彼女と出会うことを望んでテレパスを送り、何とか移動し続けるしかなかった・・・
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる