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#04 デート②

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 そろそろ腹も空いて来た頃だろう。本屋を出て、商店街の人の流れに順じて歩きながら、隣を歩く彼女に問いかける。

「それじゃあ、お昼にしましょうか。何か食べたいもの有ります?」

「そうね、別に何でもいいのだけれど……」

 彼女はそう言って、口元に手を当てて考える素振りを見せる。
 女性の言う何でもいいは何でも良くない、という通説は俺も聞いた事が有る。店を選んだ後から「今日はパスタの気分だった」とか言われるのではないかと内心慄くものの、きっと彼女はそういった注文を付けてくる質では無いだろう事は、これまで接してきた短い間の中でも何となく分かる。
 そもそも、考えた所で俺はこの辺りの飲食店はファストフードかラーメン屋くらいしか知らない。紛い成りにもデートでそういった店を選択するのは如何な物かと自分でも思うが、男一人で洒落た店を利用する機会自体が無かったのだ。
 利用機会が無かったが故に、小洒落たカフェやレストランなんて物がこの辺りに有ったかどうかすらあまり記憶に残っていない。

 少しふらついて見て回ったものの、結局俺たちが選んだのは手軽なファストフード店だ。
 正確には洒落た店も有るには有ったのだが、店の外観を見ればすぐに分かる、超が付く程の高級店だった。
 背伸びをすれば手が伸びなくも無いだろうが、この後買い物をしようと思っていたので懐事情的に厳しかった。
 そんな俺の雰囲気を察して気を使ってくれたのだろうか、彼女はファストフード店の店頭に掲げられていた期間限定商品の広告幟を指差して「あれ、食べたいわ」と言ってくれたので、その言葉に甘える事にした。
 店内は土曜の昼時という事も有って少し客足は多かったが、幸い注文の列を並ぶ程では無かった。
 ハンバーガーとポテトのセット、ドリンクは彼女がジンジャーエールを選んだので、合わせて同じ物を注文した。普段なら迷わずコーラにしていた所だろうが、何となくそうしてしまった。
 商品を受け取ってから、丁度空いていた角の席に座った。

「先輩はいつまでこっちに居るんです?」

 “こっち”が地元から少し離れたこの土地を指すのか、それとも十年の時を隔てたこの時間軸を指すのか微妙な所だ。しかし彼女の正体を正しく把握できていない今、曖昧な問いに含みを持たせる事で何か聞き出そうと試みた。

「いつまで……そうね、“目的を達成するまで”かしら」

 しかし、彼女からの返答もまた曖昧で抽象的な物だった。
 その目的とやらが何かを問うても良いのだが、きっとはぐらかされて終わるだろうという事は想像に難くなかったので、俺は敢えて軽く流す。

「じゃあやっぱり、暫く居るんですよね」

「きっと、そうなるでしょうね」

「それなら、この後服を買いに行きましょうか」

 そう、この後しようと思っていた買い物の予定というのは彼女の服を買いに行こうと思っていたのだ。
 何故か学生服を着た十年前の姿で突然俺の部屋に現れた彼女は当然手ぶら、着替えなんて持っているはずもなく、実際今も俺の部屋着のジャージとパーカー、サンダルというお洒落とは程遠い格好だ。
 人間何よりまずは衣食住の確保だろう。しばらくこちらへ滞在する予定なら着替えは必要だ。

「全然考えて無かったわ。でも本当に、いいの?」

 彼女はポテトを摘みながら、意外そうな表情でこちらを伺っている。

「ずっとそのダサいジャージは嫌でしょう。あ、でもブランド物なんかは買ってあげられないですよ?」

「それは勿論よ、そんな贅沢は言わないわ。ありがと」

 何となく照れ臭くなって、ジンジャーエールのストローを噛んで誤魔化した。


 昼食を終え、店を出た俺たちが向かったのは商店街の中に有る古着屋だ。
 服を所狭しに掛けたハンガーラックが店外にまで展開されていて、商店街の街道の端を一部浸食している。店内に入るにもただでさえ狭い入口にハンガーラックの森を掻き分けて入らねばならず、少し足を踏み入れ辛い様相だ。
 この店の前を通る度にセールを知らせる大きく目立つポップが目に付いていたのを覚えていたので、万年セール中のこの店なら俺の懐事情でも何とかなるだろうと言う判断だ。

「服のサイズとか好みとか、分からないんで決まったら呼んでください」

「何言ってるのよ。ほら、キミの好みも聞きたいわ」

 そう言って、その場を逃げ出そうとする俺の腕を彼女の腕が絡め捕る。案外力が強いらしい、がっちりと捕まえられてしまい、軽く抵抗してみても逃げられなかった。
 狭い店内を二人で行動するのも動き辛いだろうという判断と、女性物の服を選ぶのに付き添う若干の気恥ずかしさからだったのだが、こうも力尽くで連行されてしまえば観念するしか無かった。
 それに、本当に俺の好みを彼女の服装に反映してくれると言うのなら、それは悪い気はしなかった。

 あれじゃない、これじゃないと一時間程店内を物色した末に、数着の洋服を購入した。
 俺は両手に紙袋を下げている。元々脇に抱えていた書店で購入した本は洋服と一緒に紙袋の中に押し入れて、少しでも荷物を減らす僅かな抵抗だ。

「えっとね、ホームズ君。こんなに買ってもらった上に更にお願いするのは申し訳ないのだけれど……」

「何です? 必要な物有ったら、今日の内に買っちゃいましょう」

 そう言うと、彼女は両手が塞がっている俺に対してちょいちょいと手を動かすジェスチャーで屈むように要求してきた。
 俺は何だろうと思いながらも、言われるがまま腰を落とす。そうすると彼女は肉薄する程に近づき、俺の耳元で囁くように、

「あの、ね。えっと、下着も……」

 そこで言葉を切った。よく見れば彼女はどこか気恥ずかし気に頬を紅潮させ、視線を彷徨わせている様だった――気がする。
 先程の古着屋と同じ様に腕を掴まれ店内へ連行されないかと内心冷や冷やしていたが、流石の彼女もそうはせず、今回は素直に一人で入店してくれたので、俺はその間店外で暇を持て余していた。
 彼女を待つ間の僅かな世暇、俺は夢想の世界へ潜る事でその暇を潰す。
 いつもならば創作の世界を広げて行く所だが、今日に限ってはそれよりも彼女についての事が頭の大半を占めていた。

 彼女は何者なのだろうか。
 その一。十年前の俺の記憶の中の高橋先輩と同じ姿をしている。
 俺の事を『ホームズ君』と呼び、話すエピソードからも当時の記憶はきちんと持ち合わせている様だ。

 その二。彼女は突然現れた。
 鍵のかかった密室の俺の部屋、合鍵等で侵入した上で内側から鍵をかければ勿論不可能では無い状況だろうが、感覚としては“俺の部屋に突然湧いて出た”という表現の方がしっくりくるのだが、実際には所詮不法侵入に他ならないだろう。

 その三。今の彼女は俺の好意に気付いている。そしてそれに応えてくれる意思が有る。
 俺が望めば、傍に居てくれると言っていた。理由は分からないが、俺に対しての好意を感じる。しかし、高橋先輩は俺に対して好意の感情は無い、小指の先程も無いはずだ。それだけは分かる。

 その四。彼女は先輩のエピソードを過去形で話している。
 偶々かもしれない。しかし、もし本当に十年前からの来訪者だったのならば、当事者からすればその十年前の事象は現在進行形で新鮮な記憶なはずだ。だと言うのに、彼女はそれを過去形で話す。まるで当時を振り返る様に、十年の時を隔てた俺と同じ様に。

 そして、その五。彼女には目的がある。
 その目的が“俺自身”だと思うのは、驕りが過ぎるだろうか。これまでの事から推察――いや、妄想すると、そう思ってしまう。もしかすると、そう思いたい俺の中の若かりし『ホームズ君』がそう思考を濁らせているのかもしれないが。
 つまり、彼女は俺自身を目的として、十年前の高橋先輩を装って俺に近づいて来た何者かだ。
 しかし、仮に彼女が本人ではない何者かだからと言って、自分が恋焦がれた女性と同じ姿で来られると無下に出来ないのは男の悲しい性だろうか。現に、俺は高橋先輩とデートするというこの状況を楽しんでしまっている。
 心の中では先輩とのデートを楽しむ『ホームズ君』と、俯瞰し妄想し現状を正しく認識しようとする『高橋ホームズ先生』が同時に存在している訳だ。

「おまたせ」

 そうしている内に、隣から彼女の声がした。いつの間にか店を出て戻って来ていたらしい。
 視線を彼女の声の方へと移す。彼女がその先輩の顔に浮かべるのは、はにかむ様な暖かい微笑みで、それはやはり俺の知らない表情だった。

 ――お前は、一体誰なんだ?
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