55 / 107
過去編 『勇者アルの冒険』
『結晶』の魔女②
しおりを挟む「おはよう。ちゃんと来てくれたみたいで良かったわ」
「それはこっちの台詞だ。てっきり怖気づいて逃げ出すかと思ったぜ?」
朝。昨晩の約束通り酒場の前で落ち合ったアルバスと魔女。
出会って早々煽り合いの様相を成すが、互いに特段気にした様子はない。ただの軽口だろう。
「それで、アル。今日の――」
「待て待て、いきなり距離感が近いぞ」
「あら?でも“死神のアル”でしょう?」
「ああ、そうか……」
アルバスは頭を無造作に掻きながら、悪態付く。
昨日は酒が回っていた所為か話の流れに身を任せてしまっていたが、互いに名乗ってすらいなかった事にここでアルバスはやっと気づく。
魔女は有名な“死神のアル”の二つ名を一方的に知っている、だからそれを名前だと認識し、そのまま“アル”と呼んだのだ。それがほぼ初対面での愛称呼びという些か不適切な距離感になっている事など、本人は知る由もない。
実際“死神のアル”と呼ぶのと、ただ“アル”と呼ぶのとでは天と地程の差がある。アルバスの体感として前者は蔑称であり、後者は愛称に当たる物だ。
「いや悪い、名乗って無かったな。俺は勇者『アルバス・ヴァイオレット』だ」
「そう、アルバス――長いわね。やっぱり、アルでいいわ」
折角フルネームを名乗ったものの、魔女様はお気に召さなかったらしい。
改めての名乗りも徒労に終わった様だが、“死神”や“臆病者”と蔑称呼ばれるならともかく、悪意無く愛称で呼ばれる分には悪い気はしない。再三の訂正は必要無いだろう。
「そうかい。――で、あんたの名は?」
魔女は口元に手を当て、少し逡巡の素振りを見せ、勿体ぶった後、ゆっくりと口を開いた。
「……わたしは『エル』。そう呼んで頂戴」
「ふぅん……」
エルと名乗る魔女の様子から、何となくアルバスは“それが偽名ではないか”と、そう思った。
家名を持たない者自体特段珍しくはない。アルバスだって両親は居ないので、育ての親の家名を勝手に名乗っているに過ぎない。
勇者となった際に希望に満ち溢れていたアルバスがその家名を大陸中に響かせようと名乗り始めた物だが、今となってはその名に泥を塗っている体たらくだ。
問題はそこでは無い。会話の間や声のトーンに含まれていた迷いの感情から、きっと『エル』という名前はついさっき考えた、もしくは名乗り慣れていない物なのだろうと察する事が出来た。
しかし、だからと言ってアルバスはそれを追求する事は無い。どうせ今日限りの付き合いだ、どちらでも良い事だ。
本来であれば今日の依頼をたった二人で受けるなんて自殺行為、どちらかもしくは両者共が命を落とす可能性の方が高い。しかし、アルバスはどうせまた自分だけ生きて帰るのだろうと思っていた。それなら、名前なんて聞かない方が良かったかもしれない、と少し後悔を覚えた。
そんな感情が表情に出ていたのかもしれない。
「……?」
気づけば魔女――エルがアルバスの顔を覗き込んでいた。視線が交差する。そして、ここで初めて黒いローブの奥の彼女の顔を正面から見ることが出来た。
宝石の様に輝く、澄んだ紫紺の瞳。さらさらとした艶の有る黒髪。長く尖った耳の形も特徴的だ。
高飛車な口調や魔女と言う職業からしていたイメージとは随分と違う、可愛らしい、柔らかい表情をするのだなと、そう思った。
「――ああ、いや、そうだ。それで、今日の話だったな」
アルバスは自分の心中を見透かされた様な、そんな変な気まずさを覚えて、半ば誤魔化す様に話の軌道を修正する。
「ええ、道すがらでお願いするわ、アル」
アルバスが返事替わりに一つ溜息を吐き、くるりと背を向け歩き出す。するとエルはその半歩後ろを付いて来る。
意識を少しそちらへと向ければ、風に靡く黒いローブが視界の端にちらちらと映り込む。
やはり、エルからは恐怖やそういった類の感情を感じられない。まるで今日の依頼を達成し、アルバスと共に魔王討伐の旅に出る事が彼女の中で確定事項となっているかの様な、まるで実家で腰を下ろし寛ぐ安心感を抱いている様な、そんな落ち着いた様子だ。
今回の依頼内容は魔獣の掃討。相手は複数体で群れを成している、猿人型の魔獣。その全てを狩り尽くすのだ。
奴らは普段山奥に潜んでおり、時折村に下りて来て民を襲うのだと言う。
通常であれば国お抱えの軍でも配備されるであろう案件なのだが、今はどこも人手不足。こんな辺境の村にまで人員が回される頃にはそこはもう廃村になっている事だろう。
「つまり、わたしの魔法でこの猿を全部焼き払えばいいのね」
アルバスから一通りの説明を受けたエルは、そう言いながら受け取った依頼書に記された猿人型魔獣の絵を指でぺしぺしと叩く。
「今からでも引き返して良いんだぜ。別に逃げたってあんたを責めやしねえよ」
「しつこいわね、大丈夫よ。アルは後ろから見てれば良いわ」
半ば挑発する様なアルバスの再三の忠告にも、やはりエルは耳を貸さない。
命を落とす事を恐れていないのだろうか。いや、それを誰よりも恐れているのはアルバスなのかもしれない。
「そうかい」
「それに、名乗ったでしょう。もしかして、もう忘れてしまったのかしら?わたしの名前はエル、あんたじゃないわ」
しかし、アルバスはそれを聞き流す。ただ一言、
「置いてくぞ」
とだけ言って、心なしか駆け足気味に山道を先導して行く。
「ちょっと、アル!」
エルも置いてかれまいと、黒いローブをひらひらと揺らしながら、その後を付いて行った。
10
お気に入りに追加
686
あなたにおすすめの小説

少し冷めた村人少年の冒険記
mizuno sei
ファンタジー
辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。
トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。
優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。
レベルを上げて通販で殴る~囮にされて落とし穴に落とされたが大幅レベルアップしてざまぁする。危険な封印ダンジョンも俺にかかればちょろいもんさ~
喰寝丸太
ファンタジー
異世界に転移した山田(やまだ) 無二(むに)はポーターの仕事をして早6年。
おっさんになってからも、冒険者になれずくすぶっていた。
ある日、モンスター無限増殖装置を誤って作動させたパーティは無二を囮にして逃げ出す。
落とし穴にも落とされ絶体絶命の無二。
機転を利かせ助かるも、そこはダンジョンボスの扉の前。
覚悟を決めてボスに挑む無二。
通販能力でからくも勝利する。
そして、ダンジョンコアの魔力を吸出し大幅レベルアップ。
アンデッドには聖水代わりに殺菌剤、光魔法代わりに紫外線ライト。
霧のモンスターには掃除機が大活躍。
異世界モンスターを現代製品の通販で殴る快進撃が始まった。
カクヨム、小説家になろう、アルファポリスに掲載しております。

俺は善人にはなれない
気衒い
ファンタジー
とある過去を持つ青年が異世界へ。しかし、神様が転生させてくれた訳でも誰かが王城に召喚した訳でもない。気が付いたら、森の中にいたという状況だった。その後、青年は優秀なステータスと珍しい固有スキルを武器に異世界を渡り歩いていく。そして、道中で沢山の者と出会い、様々な経験をした青年の周りにはいつしか多くの仲間達が集っていた。これはそんな青年が異世界で誰も成し得なかった偉業を達成する物語。
レベルが上がらない【無駄骨】スキルのせいで両親に殺されかけたむっつりスケベがスキルを奪って世界を救う話。
玉ねぎサーモン
ファンタジー
絶望スキル× 害悪スキル=限界突破のユニークスキル…!?
成長できない主人公と存在するだけで周りを傷つける美少女が出会ったら、激レアユニークスキルに!
故郷を魔王に滅ぼされたむっつりスケベな主人公。
この世界ではおよそ1000人に1人がスキルを覚醒する。
持てるスキルは人によって決まっており、1つから最大5つまで。
主人公のロックは世界最高5つのスキルを持てるため将来を期待されたが、覚醒したのはハズレスキルばかり。レベルアップ時のステータス上昇値が半減する「成長抑制」を覚えたかと思えば、その次には経験値が一切入らなくなる「無駄骨」…。
期待を裏切ったため育ての親に殺されかける。
その後最高レア度のユニークスキル「スキルスナッチ」スキルを覚醒。
仲間と出会いさらに強力なユニークスキルを手に入れて世界最強へ…!?
美少女たちと冒険する主人公は、仇をとり、故郷を取り戻すことができるのか。
この作品はカクヨム・小説家になろう・Youtubeにも掲載しています。
能力値カンストで異世界転生したので…のんびり生きちゃダメですか?
火産霊神
ファンタジー
私の異世界転生、思ってたのとちょっと違う…?
24歳OLの立花由芽は、ある日異世界転生し「ユメ」という名前の16歳の魔女として生きることに。その世界は魔王の脅威に怯え…ているわけでもなく、レベルアップは…能力値がカンストしているのでする必要もなく、能力を持て余した彼女はスローライフをおくることに。そう決めた矢先から何やらイベントが発生し…!?

うっかり『野良犬』を手懐けてしまった底辺男の逆転人生
野良 乃人
ファンタジー
辺境の田舎街に住むエリオは落ちこぼれの底辺冒険者。
普段から無能だの底辺だのと馬鹿にされ、薬草拾いと揶揄されている。
そんなエリオだが、ふとした事がきっかけで『野良犬』を手懐けてしまう。
そこから始まる底辺落ちこぼれエリオの成り上がりストーリー。
そしてこの世界に存在する宝玉がエリオに力を与えてくれる。
うっかり野良犬を手懐けた底辺男。冒険者という枠を超え乱世での逆転人生が始まります。
いずれは王となるのも夢ではないかも!?
◇世界観的に命の価値は軽いです◇
カクヨムでも同タイトルで掲載しています。
本当の仲間ではないと勇者パーティから追放されたので、銀髪ケモミミ美少女と異世界でスローライフします。
なつめ猫
ファンタジー
田中一馬は、40歳のIT会社の社員として働いていた。
しかし、異世界ガルドランドに魔王を倒す勇者として召喚されてしまい容姿が17歳まで若返ってしまう。
探しにきた兵士に連れられ王城で、同郷の人間とパーティを組むことになる。
だが【勇者】の称号を持っていなかった一馬は、お荷物扱いにされてしまう。
――ただアイテムボックスのスキルを持っていた事もあり勇者パーティの荷物持ちでパーティに参加することになるが……。
Sランク冒険者となった事で、田中一馬は仲間に殺されかける。
Sランク冒険者に与えられるアイテムボックスの袋。
それを手に入れるまで田中一馬は利用されていたのだった。
失意の内に意識を失った一馬の脳裏に
――チュートリアルが完了しました。
と、いうシステムメッセージが流れる。
それは、田中一馬が40歳まで独身のまま人生の半分を注ぎこんで鍛え上げたアルドガルド・オンラインの最強セーブデータを手に入れた瞬間であった!
異世界でぺったんこさん!〜無限収納5段階活用で無双する〜
KeyBow
ファンタジー
間もなく50歳になる銀行マンのおっさんは、高校生達の異世界召喚に巻き込まれた。
何故か若返り、他の召喚者と同じ高校生位の年齢になっていた。
召喚したのは、魔王を討ち滅ぼす為だと伝えられる。自分で2つのスキルを選ぶ事が出来ると言われ、おっさんが選んだのは無限収納と飛翔!
しかし召喚した者達はスキルを制御する為の装飾品と偽り、隷属の首輪を装着しようとしていた・・・
いち早くその嘘に気が付いたおっさんが1人の少女を連れて逃亡を図る。
その後おっさんは無限収納の5段階活用で無双する!・・・はずだ。
上空に飛び、そこから大きな岩を落として押しつぶす。やがて救った少女は口癖のように言う。
またぺったんこですか?・・・
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる