すべて、青

月波結

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 パーティーだった!

 拓己さんが用意をしている間、わたしはワカメの中華スープを作った。
 佳祐がみんなに声をかけたあと、拓己さんに言われてありったけのスナック菓子の袋を開けた。開ける度にスナック菓子独特の香りがふわっと舞った。
 綾乃と湖西は手分けしてドリンクを配った。コーラとファンタとカルピスソーダ! シュワっと泡が上がる。
 パパは少し遅れてきて、とても驚いていた。
「拓己はさすが大学生だな。私も学生時代を思い出すよ」
 パパにも学生時代があったのかと思うと不思議な気分だった。こんなふうにお菓子を並べて騒いだパパを想像する。
 思い出してみるとパパは華やかなひとで、仕事仲間を家に連れてくることもあった。それがいつからか、黙っていると気難しく見えるようになった。疲れているように見えた。

「さ、食べようぜ。六人の出会いに乾杯!」
 そんな気分じゃないような気もしたけど、とにかく乾杯をした。今日の飲み物は全部炭酸飲料。拓己さんがそれしか許さなかった。
 拓己さんの作ったチャーハンは具がシンプルなのにとても美味しくて、その理由を知りたくなった。
「知りたい? ひとはストレスを解消するために、嗜好品を口にしたくなるんだよ。それが脂と甘い物」
「中華やポテトチップスとコーラ?」
「そうそう、そんな感じ。名璃子ちゃんの料理は丁寧で美味しいんだけど、ひとは時によってジャンクなものを食べたくなるんだな、これが」
 なるほど……。
 そんなこと、考えたことはなかった。でも確かにあの日、みんなが帰ってきた時、食べていたチョコレートはわたしの心を癒してくれた。
「ほら、たくさん食べて。食べたら出発するよ。距離的には短いんだけど、なにがあるかわからないからね」

 食器は紙のものばかりなので手早く片付けは終わった。布巾で机を拭くと、思っていた以上に騒ぎ疲れたのか「ふー」というため息が漏れた。
「名璃子ちゃん」
「どうしたの? 湖西くんは支度終わった?」
「僕は行かないよ」
 湖西は教室の入口の壁に寄りかかった。
「名璃子ちゃんは行っておいで。素敵な服を着てリフレッシュするといいよ。僕は名璃子ちゃんを待ってるから帰ってくるんだよ」
「ほかに帰るところはないよ」
「だよね。だから帰っておいで。鏡は持った?」
 こくん、とうなずいた。
 湖西はわたしがここから出ることを反対しているのかと思っていた。だから彼の態度は意外だった。
 わたしの思い過ごしだったのかもしれない。最近、いろんなことが一度に起こりすぎたから。

 出ようとしているとパパに呼ばれる。
 訝しんで近寄ると、パパはスーツの内ポケットから細長いケースを取り出した。
 開けてみると一粒真珠のネックレスだった。
「もうすぐ誕生日だと思って買っておいたんだ。こんなふうに会えたなら持って歩いていてよかった。渡せてよかったよ」
「パパ、わたし――」
「うん? 気を付けて行っておいで。それから二階とホームは不安定だから長居したらいけないよ」
「パパは行かないの?」
「三人、三人で分かれるのがベストだろう。そうだ、佳祐くんにお礼を言うのを忘れたな。名璃子が小さい時からお世話になってるしな。出かける前に名璃子をよろしくと伝えておこう」
 パパ、それはちょっと、と言うとパパは笑って、忘れないようにしないとな、と言った。

「お洒落なカフェやレストランで会うのも楽しかったが、こんな時なのに一緒にいてより身近に名璃子を感じるよ。現実とはそんなものなんだ。名璃子も物事の本質をしっかり見据えるんだ」
 気を付けて、と言ってまたどこかに行ってしまった。
 もらったネックレスを着けるべきか迷った。それはパパからもらったのが嫌だったのではなくて、華奢な鎖が切れてしまったら残念だと思ったからだ。
 とりあえず、今回も持っていくリュックに入れた。

 あの暑い日にここまで歩いてきて以来、ずっとここにいた。ここはまるで海上の孤島だった。
 拓己さんが言うようにお上品なものだけではなく、時にひとはジャンクなものを欲しがるのかもしれない。
 ピアノを弾くのは楽しかったけど、小さな冒険にわくわくしている。

 みんなが乗ってきた赤いゴムボートに拓己さん、佳祐、わたしの三人で乗り込んで出発する。
 湖西は「気を付けて」とささやかに呟き、綾乃は目に涙を溜めて「ちゃんと帰ってきてね。名璃子のこと、嫌いになったりしてないから。帰ってきたら髪の毛の揃ってないとこ、切ってあげる」と言った。
 パパはわたしをやさしく抱きしめて「行っておいで」と言った。パパの言う通り、パパと一緒に住まなくなってからどの時より、パパを身近に感じた。

 ゴムボートは幼稚園にあったビニールプールを思わせた。
 ボートの下は相変わらず透明度の高い水で、拓己さんがオールを漕ぐと白い砂がふわっと水に流れた。どんなに眺めてもその水の中に生き物の姿が見えなかった。それは相変わらずあまりにも不自然な光景だった。
「覗き込んで落ちないでよ、名璃子ちゃん」
「あ、はい。気をつけます……」
 佳祐が意地悪く、くくっと笑ったので尚更恥ずかしくなる。
 船出はまるでピクニックのようだった。

 ボートがちょうど学校のある島から駅への半分のところに来ると、涼しい風が水面を撫で始めた。風に煽られて微妙に波が立って、ボートが左右に揺れる。
 わたしはあまり船に乗った経験がないので気持ちが落ち着かない。
「まずいな。また荒天かよ」
「それより拓己さん、名璃子、真っ青」
 佳祐がわたしに近寄って背中をさすってくれる。その手が温かい。
「お昼に油物、食べさせすぎたかな? 名璃子ちゃん、普段は和食みたいだからね」
 もう少しだよ、と佳祐がわたしを抱えた。わたしは佳祐に体重を預けた。
 こんな時でも佳祐の体温が、鼓動が伝わってくるのを感じる。この気持ち悪さも含めて、わたしたちはここで生きている。生きているんだ。

 駅のホームに着く頃には雨は霧のように降って、学校はすっかり見えなくなった。
 あの日――水に溶けてしまいたいと思ったあの日と同じように、ミルク色の霧が水面を覆った。
「ほーら、着いた。佳祐、名璃子ちゃんは?」
「顔が真っ青で指先が冷たいんだ」と言うと、佳祐はわたしを抱き抱えてボートを降りた。固いはずの地面がなぜかゼリーのように不安定で、あの、最初の日を思い出させる。
 落ち着いて、と拓己さんがわたしをホームのイスに座らせた。
「落ち着いて、名璃子ちゃん。まずいな、どうしたんだろう。過呼吸気味だ」
「名璃子……オレが背負うから、ベッドまで直接連れて行くよ。拓己さんはボートをよろしく。それから名璃子の荷物を持ってきて」
「わかった。佳祐、やることはわかるよな?」
「たぶん。できる限りやってみる」
 ゆらゆらと揺れる。佳祐の背中に背負われるなんていつ以来だろう? 小学校の帰り道、転んで膝を擦りむいた。
 傷口から血がにじんだ。
「ちゃんと連れて帰るからな」とあの時の、いまとは比べ物にならないくらい小さい佳祐は言った。わたしはその背中で小さくなって、うん、うん、と泣いた。あの日、結局あの後、どうしたんだろう?

「背中、あったかい」
「バーカ、汗臭いだろ」
「ううん、あったかい。……わたし、ここにいてもいいの?」
 急ぎ足だった彼の足はピタッと止まった。何秒くらいそうしていたんだろう? 立ち止まったままの佳祐が口を開いた。
「いてくれる?」
「どちらかと言うと、昔からここにいた気がする」
 佳祐はハハッと笑って、また大股で歩き始めた。
「いたよ、ここに。それからたぶん、オレの中に。あー、すげー抱きしめたいのに下ろすわけにいかないし、ゆっくりしてたら拓己さんも来ちゃうし。あー、この気持ちをどうしたらいいのかわかんない!」
 わかんないなぁ、と言いながらわたしは重いはずなのに彼の足取りが軽くなって、すいすい運ばれていく。

 誰もいないビルの中の、静かなテナントの海。そのすべてに明かりがついている。
 そこをかき分けるようにすいすい進み、佳祐はわたしを目的地に届けた。ベッドにゆっくり下ろされる。
「少し寝た方がいいよ。ちゃんと布団かけて。ほら、まだ顔が青い」
 佳祐の手はするりと頭のラインをなぞって親指でそっと頬を撫でた。
「ごめん」
 キスをした。
 そんなに長くなかった。やり逃げ、ってくらい素早く。
 そのやわらかさ、温かさ、肉厚な唇の感触。
 彼の首の後ろに自然とわたしの腕が回っていた。離さない、と言わんばかりに。
 佳祐はわたしを胸に押し抱いて、「あったかいもの持ってくるよ」と飛んで行ってしまった。

 誰かを好きになるということ。
 それは、いつかそのひとと別れるということとセットだと思っていた。
 だから、別れを待って誰かをすきになるより、誰もすきになりたくなかった。さみしくなりたくなかった。二度と戻れなくなると思ったから。





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