17日後

月波結

文字の大きさ
上 下
26 / 35
第2章 要の17日

9日前 要

しおりを挟む
 今日は朝早くから学校に用事があって、由芽の頬に軽くキスをして、布団を肩まで掛け直してやってから先に学校に行く。由芽が起きるのを待ってる時間がなかった。
    いつもはオレの方が先に起きて、由芽が目覚めるのを隣で待っている。由芽が楽しい夢を見ているのを壊さないように、じっと彼女の顔を見つめている。それがこの前までのオレの「ささやかなしあわせ」だった。
 今朝はかなり冷え込んでいたので由芽の部屋の暖房を入れて、自分はダウンを着た。本格的に冬だ。

 昼に学校近くの洋食屋で玲香と一緒にランチを食べてキャンパスを歩いていると、玲香が誰かに手を振った。口元に笑みがこぼれているので珍しいと思って彼女の視線をたどると、そこには原田と親しげに歩く由芽がいた。
 原田と由芽はオレが知っている以上に親密に見えて、何故か気持ちが焦る。原田は着々とオレたちが別れる日を指折り待っているのかもしれない。
「汐見さん、お久しぶり。元気?」
「お陰様で。大島さんほどじゃないですけど……」
「そう? 相変わらずみたいね? わたし、先に行くね?」
 するりと組んでいた腕を抜いて、先を歩いていた例の取り巻きのところに彼女は行ってしまった。
 何でも月に一度、連中は集まってパーティーを開くそうで、玲香は最近、その企画で忙しそうだった。オレも誘われたけど、仲間にはなりたくなかったので丁重に断った。断ったことに玲香は嫌な顔をしなかった。
 玲香が一行に加わるのを見届けて、向き直ると原田が話しかけてきた。あまりいい空気ではなかった。
「要さ、今は大島さんとつき合ってるの? それともその約束の日までは由芽ちゃんが彼女なの? 聞いた感じだと由芽ちゃんが彼女だって話だよね?」
「……原田には関係ない」
 そうだ、原田には関係ない。今はまだ約束の日まで九日残っているし、……正直、どっちと一緒にいるべきなのか、自分自身がよくわからなくなってきた。
「関係あるよ。由芽ちゃんがまだ要の彼女なら遠慮するけど、そうじゃないなら遠慮いらないよな?」
「原田くん、いいよ、わたしのことでケンカしないで」

「由芽はいい子だと思うよ。確かに約束の日までオレは由芽と一緒にいるべきなんだろうけど……。ごめん、いろいろ上手く行かない」
 そうなんだ、思った通りに上手くいかないんだ。もっと物事はスマートに、絡まっていても数列のようにいろいろなパターンで解《ほぐ》してやれば上手くいくはずなのに、人の気持ちと数字はこんなにも違う。そして今は「十七」というたわいもない素数に悩まされている。
「わたし、もう講義に行くね」
 由芽は原田が呼び止める声も聞こえないふりをして走っていった。

「原田、由芽と本当に親しくなったんだな」
 嫌味ではなかった。
「……由芽ちゃんに必要なのはお前だって気づけよ。って、そんなこと言う僕はかなり人が良いよなぁ。なんで由芽ちゃんは振り向いてくれないんだろう。お前みたいな最低な男はまじで似合わないよ」
「そう思うよな。別れるっていうのを抜きにしても、オレには由芽はもったいないよ」
 原田は静かに怒っているように見えた。午後の講義の始まる時間は過ぎて、キャンパスを歩く人がぐっと減っている。寒い中、ベンチでコーヒーを二人で飲んだ。
「大島玲香とは由芽ちゃんを一人にしてまで会って、何してんの? そんなに一緒にいたい女だとはオレには思えないけど」
「原田はむしろ、玲香の何が気に食わないの? ……確かに会ってる間はほとんどベッドの中だけど」
「まじかよ? それってセフレって世間では言わないのかよ? どっちがどっちのセフレかわかんないけどさ。でも……そんなことのために、お前、捨てちゃうの? 大事なもの、全部。『セックス』のために別れるとか、バカなのか?」
 セフレか……。どう考えても、オレが玲香のセフレだよな。いつ切られるかわかんないってやつだ。
「オレ、バカだよなー。知ってる、自分はバカだって。原田に言われるまでもないよ」
「じゃあ、あいつと別れろよ。由芽ちゃんといることに不満はないだろう? お前が由芽ちゃんの不満、漏らすの聞いたことないぞ。いいか、最後の忠告だから。別れないならバカげた『十七日』なんて無視して由芽ちゃん、押し倒す。その自信はあるよ」
「だろうな。原田に誘われてなびかない由芽はある意味、強いよな」
「なびかないから困ってるんだろ?」
と原田はその後もブツブツこぼした。由芽の本心は、オレに遠慮して原田を遠ざけているだけかもしれない。他の男を選ぶくらいなら、原田なら安心なのに。



「由芽は原田がすきなの?」
 キッチンに由芽が立っている時、思い切って尋ねてみた。もしそうなら、約束なんかやめてすぐにでも原田にくれてやろうと思っていた。
「なんでそう思うの? わたしは要しか好きじゃないよ……今となっては要には迷惑かもしれないけど」
「そっか」
 赤い顔をしてうつむきながらじゃがいもとニンジンを鍋に入れる由芽が、いつも通りかわいい。それは理由のないかわいさで、原田が言う通り、由芽を嫌いになったりしたわけじゃない。
 いじっていたスマホをこたつの上に置くと、由芽のところに向かう。由芽がこっちを見る。顎を無理に引いて、口づけをする。嫌がる素振りはなく、それどころかいつもと何も違わない。煮物が焦げると由芽が悲しむと思ってコンロのスイッチを止めた。
「由芽……オレがそんなに好き?」
「うん」 
「最初はオレの方から由芽を口説いたのにな……」
 たまらなかった。そう、最初は好きになってほしくてあれこれした。
    暑い中アイスを奢ると由芽はこぼして照れながら、「よくあることなの」と笑った。パスタを食べに行けばいつもトマトソースをシャツに跳ばすのに、頼むのはトマトソースだけだ。一緒に服を見に行くと、不思議なことにいつも同じような白いシャツを手に取って、「これどうかなぁ」と聞いてくる。
    ――思い出は無理に作らなくたって山ほどあった。
 その思い出が背中を押して、また由芽の唇を奪う。拒まれることはなかった。不器用な彼女のキスに合わせながら、ブラウスのボタンを外していく。耳元、首筋から柔らかな胸元まで小刻みに口づけて、由芽の息遣いが変わっていく。

「要……一度でいいから、大島さんと同じように抱いてくれる? どんなんでも怖がらないから」
 由芽の瞳から涙がキレイにこぼれ落ちた。ああ、こうやって泣いているのか……。
「玲香とするのは由芽とするのと全然違うよ? オレはあんまりやさしくないし、玲香は見ての通り、何事にも貪欲だし」
「わたしには教えてくれないの? わたしの知らないセックスの仕方」
 由芽がそんなことで思い詰めていたなんて、全然知らなかった。由芽の、かわいらしく柔らかい唇から思いも寄らない言葉たちがこぼれ落ちていく。彼女の何を見てきたのか、自分に疑いを持つ。

「オレは、由芽のこと、傷つけたくないよ」
「大島さんとはするんでしょ?」
「……するよ」
「気持ちいいんでしょ?」
「……そうだね。でも、それは由芽とするときの気持ちよさとは本当に違うんだ。オレは由芽にそういうことをしたくない。今のままの由芽でいてほしいから」
「わかんないよ……」
 スポーツ或いは狩りのようなセックスを、由芽とする気はなかった。由芽にはいつまでも由芽でいてほしかったし、汚れてほしくなかった。……忘れていたけれど、いつでも由芽はオレの心のいちばんキレイなところにいた。いつまでもキレイでいてほしい、というのは勝手だろうか?
「オレ、最低なんだよ。由芽と手を繋ぐ資格もないよ」
「そんなのわたしが決めることじゃん!」
 初めて聞く由芽の大きな声に驚く。何があっても強く自己主張なんてしなかったのに。
 下を向いて少し考える。
「……原田はいいやつだよ。あいつ、ずっと由芽のこと好きだったみたいだし、やさしいよ」
「そんなの、わたしが決めることじゃん……」

 肉じゃがは途中のまま、ベッドに倒れ込む。由芽の希望通り、お互いがひとつになるような濃厚なキスをする。唇を味わって、口の中を大きくかき混ぜてどこまでが自分なのかわからなくなるまでキスをする。途中、由芽が逃げようとしたけれど、顎を強く掴んで離さない。由芽の中に自分を流し込んで由芽は涙目になりながらオレを飲み干す。
「怖い?」
 震えてるんじゃないかと思うほど、いつもより小さく見えた。彼女の中で何かの決意が固まったらしい。
「続けて……」
 由芽の覚悟は本物だったと思う。でもオレはやはり彼女をめちゃくちゃにしたいと思えなかった。隠れるようにそっと咲いている花を踏みにじらないように、注意深く、より丁寧に抱いた。
 それは彼女には本望ではなかったと思う。だけど、最低なオレにできることはそれくらいのことだった。
 由芽の鎖骨の近くに強くキスマークをつける。彼女からキスを求められて、やさしく応える。小さな胸にも赤いキスマークが点々とつく。体中、やさしく愛した。
「怖くない?」
と聞く度に小動物のように小さく縦に首を振る。――由芽は大事な人だ。
 と、忘れていたことを、目を塞いでいたことを突然強く思い出す。どうして忘れていたんだろう? 玲香は「やらせてくれる」けれど、たぶん、いつまでもベッドの中だけの関係だ。
 由芽と暮らしてきた日々を思い出す。彼女の前髪をかきあげて、その狭いおでこにキスをする。由芽はため息をついて、自由に、いつもと変わらないセックスに感じている。

 終わると、由芽を毛布ごとくるんで腕の中にしまう。どこにもやりたくない、という勝手な気持ちが湧いてくる。反面、それがどんなに狡いことかと考える。
 でも今は由芽はまだオレのもの、まだここにいてくれる。今夜は捕まえておこう、何処にも行かないように。
 その晩はすごく深い眠りに落ちた。 

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

最後の恋って、なに?~Happy wedding?~

氷萌
恋愛
彼との未来を本気で考えていた――― ブライダルプランナーとして日々仕事に追われていた“棗 瑠歌”は、2年という年月を共に過ごしてきた相手“鷹松 凪”から、ある日突然フラれてしまう。 それは同棲の話が出ていた矢先だった。 凪が傍にいて当たり前の生活になっていた結果、結婚の機を完全に逃してしまい更に彼は、同じ職場の年下と付き合った事を知りショックと動揺が大きくなった。 ヤケ酒に1人酔い潰れていたところ、偶然居合わせた上司で支配人“桐葉李月”に介抱されるのだが。 実は彼、厄介な事に大の女嫌いで―― 元彼を忘れたいアラサー女と、女嫌いを克服したい35歳の拗らせ男が織りなす、恋か戦いの物語―――――――

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる

Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。 でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。 彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。

10 sweet wedding

国樹田 樹
恋愛
『十年後もお互い独身だったら、結婚しよう』 そんな、どこかのドラマで見た様な約束をした私達。 けれど十年後の今日、私は彼の妻になった。 ……そんな二人の、式後のお話。

お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~

ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。 2021/3/10 しおりを挟んでくださっている皆様へ。 こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。 しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗) 楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。 申しわけありません。 新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。 お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。 修正していないのと、若かりし頃の作品のため、 甘めに見てくださいm(__)m

幸せの見つけ方〜幼馴染は御曹司〜

葉月 まい
恋愛
近すぎて遠い存在 一緒にいるのに 言えない言葉 すれ違い、通り過ぎる二人の想いは いつか重なるのだろうか… 心に秘めた想いを いつか伝えてもいいのだろうか… 遠回りする幼馴染二人の恋の行方は? 幼い頃からいつも一緒にいた 幼馴染の朱里と瑛。 瑛は自分の辛い境遇に巻き込むまいと、 朱里を遠ざけようとする。 そうとは知らず、朱里は寂しさを抱えて… ・*:.。. ♡ 登場人物 ♡.。.:*・ 栗田 朱里(21歳)… 大学生 桐生 瑛(21歳)… 大学生 桐生ホールディングス 御曹司

【完結】東京・金沢 恋慕情 ~サレ妻は御曹司に愛されて~

安里海
恋愛
佐藤沙羅(35歳)は結婚して13年になる専業主婦。 愛する夫の政志(38歳)と、12歳になる可愛い娘の美幸、家族3人で、小さな幸せを積み上げていく暮らしを専業主婦である紗羅は大切にしていた。 その幸せが来訪者に寄って壊される。 夫の政志が不倫をしていたのだ。 不安を持ちながら、自分の道を沙羅は歩み出す。 里帰りの最中、高校時代に付き合って居た高良慶太(35歳)と偶然再会する。再燃する恋心を止められず、沙羅は慶太と結ばれる。 バツイチになった沙羅とTAKARAグループの後継ぎの慶太の恋の行方は? 表紙は、自作です。

crazy Love 〜元彼上司と復縁しますか?〜

鳴宮鶉子
恋愛
crazy Love 〜元彼上司と復縁しますか?〜

処理中です...