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第23話 正義の味方

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 夢の話は難しい。
 なぜならわたし自身、なぜそれが夢になったのか、わからなくて一番困惑しているからだ。

 夢――。

 すごく申し訳ないんだけど、わたしは写真家になりたいと、いつからか思うようになった。
 あまり家にいないパパが、たまにいる時、絵本のように写真集を、膝の上にわたしを乗せて見せてくれた。
 そこには美しいものの持つ輝きがたくさん詰め込まれていた。
 わたしは単純な子供だったので、そのキラキラした本にすぐ夢中になった。
 美しいもの、美しいもの、美しいもの。
 もちろん世界は美しいものだけで構成されていない。
 しかしわたしのパパは、美しいものがすきで、今思うと自分の名付けた娘の瞳に美しいものをたくさん焼きつけたかったようだ。

 でもそれに今、気づいても遅い。
 パパとの思い出なんてほとんどなくて、撮影に子供は置いてきぼり。
 わたしはいつも寂しくて、じっと世の中を観察していた。
 パパとママはあまり仲が良くない。
 アキのところと比べると、一目瞭然で、運動会なんかの行事ではアキのお父さんが写真を撮ってくれた。
 美しいものは他所にたくさんあったんだろう。
 双子の母親たちはいつも美しい横顔を寄せ合い、運動会の砂まみれのレジャーシートの上でも楽しそうにしていた。

 ――まるで、お互いがいればそれでいいかのように。

 要するにわたしは『要らない子』だった。
 そんな風に思うのは卑屈だろうか?
 母親も父親もいないこの世界でわたしの手を繋いでくれたたったひとり、それがアキだった。
 アキが従兄弟でも、一つ歳下でもまったく関係なかった。
 わたしは繋げる手が必要だったから。
 でないと、わたしは名前のようにどこかに飛んで行ってしまうかもしれない。
 わたしと地面を繋ぎ留めてくれる誰かが必要だった。
 アキがいなかったら――わたしはひとりの時間を憎んだだろう。そんな、般若のような自分が恐ろしい。世の中を呪う自分が怖かった。

 なのに、なぜ?

 大学で写真を専攻したいんだと言った時、いつも冷静なママの表情が一瞬止まった。
 時間を止めてしまったのかと思った。
 そしたらママが手に持っていた布巾をゆっくり漂白剤に浸し、水面が揺れるのを見ながら「いいんじゃないの」と一言いった。
 理解ある母親になるのは、たぶん相当の忍耐が必要なんだろう。
 ······あの後、ママは泣いたりしただろうか?
 だって、ひどい裏切りだ。

 でも、どうして写真を撮るのかなぁ?
 この間、航太に言われた。
「千遥の撮る写真の空の色は香田さんの写真の空の色に似てるんだよ。どこかちょっとノスタルジックな不思議な色でさ。だから、もしかしたら二人は知り合いなのかもって思ったんだ」
 変なこじつけしやがって、と思った。
 でも本当にそうかもしれない。
 そしてわたしはそれが怖いような、うれしいような不思議な気分でいた。

「ねぇ、恭司には夢があった?」
「夢? そうだな、目標かな」
「目標? 夢じゃなくて?」
「うーん、子供の頃から今の仕事に就きたかったからなぁ」
「えー? そうなの? めちゃくちゃ長くない?」
「そうだな、今となってみれば」
 子供の頃からなりたいものが決まってるなんてすごいなぁ。なにがすごいって、貫き通したところだけど、それはそれで恭司っぽい。
 信念が揺るがない感、あるある。
「どうしてカウンセラーになりたいと思ったのか、訊いてもいい?」
「別に構わんが」
「じゃあどうして?」
 わたしはちょっとワクワクしていた。
 子供の頃の恭司に興味津々だったし、他人の夢のストーリーにも関心があった。
 カウンセラーってよくわからないところがあるし、きっかけを聞いてみたいと思った。

「子供の頃、喘息が酷くて、あんまり学校に行けなかったんだ」
「恭司が!?」
「そうだ。毎日予防薬を飲んで、それでも発作は起こって、激しい運動もできなかったし、埃っぽい遊びもできなかったな。ほら、すぐ止まらない咳が出ちゃうんだよ」
 どう見ても鍛えた体、健康にしか見えないのに、なにをどうしたらそんなことに。
「ただ、喘息には水泳がいいって話があって、本当のところは知らないけど、ずっと水泳はやってた。そうしたらいつの間にか、喘息は止まったんだ」
 へぇー、と聞き慣れない話を聞きながら、それとカウンセラーとなにが関係あるんだろうと思っていた。
 頬杖をついて斜めに恭司を見る。
 恭司はなにか物思いに耽っていたようで、わたしの視線に気づくと慌てた顔をした。
「それで、よくある話だけどいじめられっ子になったわけだ」
「恭司が!?」
「そうだ、言っただろう? 神社の子供だっていじめられて、体が弱いからっていじめられて。情けない話、小学校でいい思い出はほとんどない。行事もいけないことが多かったし、庇ってくれるような教員もあの頃はいなかったしなぁ」
「そんなのひどくない?」
「ひどいと思うけど、現実にあることだよ」
 唇を噛む。
 その時の、まだ小さくて弱かった恭司を思う。
 わたしがいたら、きっと戦ってあげたのに。
「ハル、顔怖いぞ」
「あ、ごめん」

 恭司の話は続いた。
 それですっかり人間不信になって心を閉ざした恭司の元に現れたのがカウンセラーだったと。

「単純な話だな」
「そうかなぁ。だって憧れたってことは、それだけ恭司が助けられて救われたってことでしょう? 正義の味方なんて、世の中では絶滅危惧種なんだよ」
 ははっと恭司は素直な顔で笑った。
 辛い話をした後なのに、妙に穏やかだった。
「じゃあ俺は絶滅危惧種かもしれないな」
「そっかぁ、ヒーローに憧れたんだね」
「変身はしないけどな」
 それでどんな仕事なの、と訊こうと思ってやめた。
 プライバシーを扱う仕事だし、あんまり詳しい話は聞いたらいけないような気がしたし、もしかしたらかわいそうな話だったとしたら最悪だ。誰かに間接的に同情するなんて、そんなの最悪だ。
 シャリシャリという微かな音が聞こえる。
 耳に心地よい。
 もらってきたという梨を恭司は剥いていた。
 わたしはお行儀悪く床に寝転がってスマホを見てるフリをして、恭司の手元を見ていた。
 器用に、薄緑の皮は細く長く剥かれていく。大きな手でしっかり持たれて。
「梨はすき?」
「うん。でも、すきだけど夏の終わりの感じがするのは悲しいよね」
 恭司はわたしをチラッと見た。
 わたしは小さいスマホに隠れた。
 季節の変わり目だけど、恭司は咳ひとつしない。喘息は治り、水泳のお陰で肩幅と背筋が残された。


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