友人のフリ

月波結

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第32話 一度でいい

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「聡子ちゃんとは気が合わない?」
 びっくりして理央を見た。
「聡子ちゃん、······内緒にしてね。結構悩んでるから。だからって言って、奏くんが無理する必要は全然ないんだよ。わたしさ、聡子ちゃんならって勝手に思ってたから」
 黒いものが胸いっぱいに広がった。
 大きな声が出そうだった。
 僕は理央を好きだと言ったのに、理央が聡子をどんどん勧めてくるのってどういう状況?
 理央だって僕のことを······あの時、そう言ったのに。 
 小さな彼女の赤くツヤのある唇が目に入る。
 あれは夢だった?
 強く望んだから?
 本当はそんなことなかったし、理央が「うれしかった」なんて不用意なことを言うはずがない。
 全部、全部独りよがりな夢だったんだ、もし違うとしても、もうそうだと思うしかない。

「理央は? 理央はどうなの? 理央の心はもう洋のことだけでいっぱいになったの? 僕と聡子が付き合ったとして、なにも思わずに祝福してくれるってこと? 洋だけがいればいいから」
「······そんなこと、言ってないじゃん。洋くんのことと聡子ちゃんのことは別じゃない」
「別じゃないよ、僕にとっては」
「わたしだって、······わたしだって迷うことも悩みも多いよ。でも奏くん、わたしのこと、一年の時から一緒だったけどなんとも思ってなかったくせに」
 え、と思考が止まった。なんとも思ってなかった? 誰が? 僕が?
 嘘だろう? なんでそんな話になるんだよ。
「そんなこと言ってないよ。勝手に思い込まないでよ」
「だってそうじゃない。でなきゃわたしが洋くんと付き合うことになった時に――」

 特別教室に向かって走っていく子たちの声が聞こえる。「ヤバい、間に合わない」
 そんな中、僕たちは物理的にも精神的にも動けずにいた。
 まるであの時間の中に閉じ込められてしまったかのように、二人、立ち止まって。
「······僕に勇気がなかったんだ。それ以上でもそれ以下でもない。理央が言う通り、僕が理央のことをとやかく言う権利はない」
 有り得ないことだけどその時、頬を叩かれるんじゃないかと強く目を瞑った。
 けど彼女の小さな手のひらは僕に届かなかった。
 代わりに彼女は僕に別のやり方でとどめを刺した。
「酷い! そんな気持ちでキスしたりしないでよ」

 反論できるわけがない。
 僕は理央の教室へと向かう後ろ姿をただじっと、立ち止まったまま見ていた。
 小さな背中が遠くなる。
 それを誰もいない図書室前の廊下で立ち尽くして見ていた。

 僕たちの歪な関係は誰かが改善しようとしなければこのままだ。
 そして不思議なことに、誰もなにもしない。
 言葉にもしない。
 あの日、僕と理央が交わした会話。それがすべてだった。
 聡子は有言実行、毎日、バスケの前にでもすぐに食べられるよう工夫してサンドイッチやおにぎりを持ってきてくれるようになった。
 時にはおにぎりに無理やり唐揚げを詰めてきて、手の中にあるそのおにぎりをどうやって克服したものか、考えた。
 えいやっと大きく口を開けて丸飲みのごとく放り込むと、おにぎりは見事に瓦解した。
 聡子は手を叩いて笑った。笑いすぎてお腹が痛いと言った。そして「もうこんな危ないものは作ってこないよ」と約束した。
 僕は恥ずかしさでいっぱいになりながら、いつも通り「ごちそうさま」をできるだけ気持ちが伝わるように丁寧に口にした。
 聡子もかしこまって「どういましまして」と言って、やはり思い出し笑いをした。
「あー、おかしい」
 失礼だな、と言った僕も笑った。

 テスト前、体育館の解放がされない日、わかっていてそっと潜り込んだ。
 用具入れからバスケットボールを一つ持ち出して、弾ませる。僕の好きな音が体育館に響き渡る。
「奏」
 ハッとして声のした方を見ると、そこには聡子が立っていた。
 お昼以外は最近、絡んでくると言うよりまるで避けられているようだったので驚いて手の中のボールを落としそうになる。
 聡子はいつになく無邪気に手を振って僕のところに歩いてきた。
「いけないんだ。見つかったら怒られるよ」
「聡子こそ、どうして僕がここにいると思ったんだよ」
「んー、どうしてかなぁ?」
 彼女は思わせぶりな口ぶりで僕の目を見た。
 体育館の大きな窓ガラスを透かして入ってきた秋半ばのやわらかい日差しが、彼女の輪郭もやわらかくする。
 ともすれば尖ったように思われることもある彼女が実は小さな女の子のように繊細なところがあることを僕は知っていた。
 くせっ毛を嫌ってかけたパーマ。光に透けて細い髪がオレンジに見える。くせがあってもきっと彼女の内面から溢れる魅力は褪せないだろう。
 気づいてないのは聡子だけだ。

 彼女は僕から強引にボールを取り上げると、調ったリズムでボールをドリブルして、正しいフォームでシュートをした。
 中学でバスケ部だったというのは本当なんだ。
 ボールは残念だけどいいところでリングを回って、そして薄情にも外側に弾んでいった。
 聡子は「ブランクってやつだから」と威勢よく言った。
 そして転がっていったボールを拾い、程よい位置にいた僕に一度パスをし、僕もゴール下に投げ返すとそこから今度はパスを受けて見事なシュートを決めた。
 彼女はボールを拾うとニヤニヤした。
「どうする?」
 頭の中に疑問符が浮かぶ。
「女のわたしがいいとこ見せて終わりにする?」
 よしておくよ、と言おうと思った。挑発に乗る理由もないし、そういうのはあまり得意じゃない。
 それに僕は彼女の腕前にとても感心したし、その上書きを自分がしなければいけないなんて、とても思わなかった。

 だけどボールは僕の手の中に届いた。
 パスが渡った、いい音が響く。

 今なら誰もいない。
 なんの邪魔もない。
 見てるのは聡子だけで、彼女の隣では今更、気取る必要はないと思った。
 ボールとボールで繋がった分、心の鍵が少し緩んだ。
「一度でいい。わたしのために打って」
 誰かに聞かれるかもしれない大きな声で、彼女はそう言った。
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