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第30話 彼女、その長い睫毛
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教室に着くと竹岡が、まるで自分の席だと言うように僕の席に座って待っていた。
まぁいろいろ疑問に思うところがあるんだろう。それはそうだ。僕にだってわからない。
「おはよう」
「おはよう」
素知らぬ顔で挨拶をする。背負っていたリュックを下ろす僕をなにも言わずに見ている。
僕の方から竹岡を見た。
「言いたいことは言えばいいよ」
面白くないな、という顔を彼はした。そりゃ、面白くはないだろう。
もしも聞きたいことを聞いたとしても面白くないに違いない。
でも好奇心には勝てないだろう。
僕も答えを頭の中に用意する。
大体、聞かれることはわかってるのだから、答えは簡単だ。いや、真実はそこまでの過程がややこしいけど。
「ねぇ、片品さんと付き合うことにした?」
いつもの神経質そうな目は、子供が親に質問の答えを促すような、求めるような視線だった。
なんだか上から目線のようで悪いけど、気の毒だった。
竹岡が聡子を好きなのは見ていて明らかだったし、僕と言えば、どちらかと言うと聡子、そして理央に振り回されるばかりで自主性を持たない。
そんな僕になにが言えるのか。
「いや、まだ。そんなんじゃないよ」
「まだってどういう意味?」
難しい質問だった。
こうして少しずつ聡子を知って、理不尽なほど運命を弄られたかのように一緒の時間を過ごすようになって、そして多分聡子はそれがいいと思っている。
僕は知らないふりをしながらそれを知っている。
彼女が自然に微笑みながら、その髪を耳にかける仕草、その美しさに時々胸を奪われる。
それは形でしかないけど――。
「どっちにしても今は付き合ってないよ」
「その可能性は?」
食い付いてくるなぁと思う。
でも恋なんてそんなものだろう。
僕だって理央と洋が付き合うことになった時、その過程を見ていたくせに「なんで?」と叫びそうになった。そんなこともあった。
「······正直に言うと、半々かな。僕だっていろいろあるんだよ」
「お前の方の都合なんだ?」
「まぁね、多分」
そんなことを言う自分を嫌悪した。
洋たちを散々見てきて、理央に対して少しでも偉そうな態度を取る洋を見ると一人、ムカムカしていたのに、自分はこんなに曖昧だ。
割と最低の方に位置すると思う。
女の子をずっと待たせるような、そんな価値は僕にはない。
竹岡はここが朝の騒がしい教室だということを忘れさせるくらい深刻そうな顔をして、俯いた。
そこには僕の机に描かれた木目しかないのに。
「わかった。これは俺が言ってどうなることでもないしな。気持ちの問題だし。でも奏がもしそうできるなら、あんまり傷つけないであげてほしいんだ」
線の細い彼の横顔には冗談は少しも含まれていなかった。これは、男と男の約束だ。反故にはできないことを肝に銘じる。
「わかってる。僕だってそうしたいよ」
「そういうやつだと思ってた」
打って変わったような笑顔を見せた。
信頼されている。
それがうれしくもあり、また、心に小さな痛みも感じた。
今日もバスケやるだろう、と言って竹岡は席に戻っていった。
――秋はどこに行くんだろう?
夏はあんなに激しくて長いものだったのに、秋は深まる一方だ。
逃げ足が早いのか、空の色はどんどん薄くなり、また高くなっていった。
時間ばかりが過ぎていく。
さすがに「お昼も四人でしない?」とは言われなかった。もし言われたら断ろうと思っていた。
僕にはバスケがあるし、グループ交際を始めた覚えもない。
理央は迎えに来た洋とどこかに消えて、僕のところには聡子が、考えすぎかもしれないが申し訳なさそうにやって来た。
いつも堂々としていた彼女は影を潜め、見た目はいつも通り、どの子より綺麗にしているのになぜか普通のほかの子たちと同じに見えた。
かと言って僕にとって聡子は『その中の一人』では今はなかった。
「あのさ、今日も体育館行く?」
「そのつもり」
「あのさ、じゃあ、これはひとつの提案なんだけど、あくまで提案なんだけど」
「ん?」
彼女にしては実に回りくどい表現だ。
頭の回転が早く、気の利いた彼女のセリフとは思えない。まるでいつもおどおどしてる理央みたいだ。
「お弁当、作ってきていい? だっていつもコンビニのパンかおにぎりでしょう? わたしもおにぎりとかパンなら負担にならないし、それくらいは作れるし。勿論、嫌なら嫌って言ってくれて全然構わない。だって付き合ってるわけじゃないし」
正にコンビニのサンドイッチの袋を開封していた僕の手は止まった。
聡子の顔を見る。
「いや」
「いいんだよ、はっきり言ってくれた方が」
違う、違うと僕は否定した。
「いや、僕の方こそこんなに曖昧なのにそんなことしてもらうのは申し訳ないなと思って」
聡子は俯いて、しばらく口を開かなかった。
なにを考えているのかな、とその長い睫毛を眺めていた。
それはほんの一刹那だったに違いない。
けれど彼女の影を落とす睫毛をもう少し見ていたいと思った。
まぁいろいろ疑問に思うところがあるんだろう。それはそうだ。僕にだってわからない。
「おはよう」
「おはよう」
素知らぬ顔で挨拶をする。背負っていたリュックを下ろす僕をなにも言わずに見ている。
僕の方から竹岡を見た。
「言いたいことは言えばいいよ」
面白くないな、という顔を彼はした。そりゃ、面白くはないだろう。
もしも聞きたいことを聞いたとしても面白くないに違いない。
でも好奇心には勝てないだろう。
僕も答えを頭の中に用意する。
大体、聞かれることはわかってるのだから、答えは簡単だ。いや、真実はそこまでの過程がややこしいけど。
「ねぇ、片品さんと付き合うことにした?」
いつもの神経質そうな目は、子供が親に質問の答えを促すような、求めるような視線だった。
なんだか上から目線のようで悪いけど、気の毒だった。
竹岡が聡子を好きなのは見ていて明らかだったし、僕と言えば、どちらかと言うと聡子、そして理央に振り回されるばかりで自主性を持たない。
そんな僕になにが言えるのか。
「いや、まだ。そんなんじゃないよ」
「まだってどういう意味?」
難しい質問だった。
こうして少しずつ聡子を知って、理不尽なほど運命を弄られたかのように一緒の時間を過ごすようになって、そして多分聡子はそれがいいと思っている。
僕は知らないふりをしながらそれを知っている。
彼女が自然に微笑みながら、その髪を耳にかける仕草、その美しさに時々胸を奪われる。
それは形でしかないけど――。
「どっちにしても今は付き合ってないよ」
「その可能性は?」
食い付いてくるなぁと思う。
でも恋なんてそんなものだろう。
僕だって理央と洋が付き合うことになった時、その過程を見ていたくせに「なんで?」と叫びそうになった。そんなこともあった。
「······正直に言うと、半々かな。僕だっていろいろあるんだよ」
「お前の方の都合なんだ?」
「まぁね、多分」
そんなことを言う自分を嫌悪した。
洋たちを散々見てきて、理央に対して少しでも偉そうな態度を取る洋を見ると一人、ムカムカしていたのに、自分はこんなに曖昧だ。
割と最低の方に位置すると思う。
女の子をずっと待たせるような、そんな価値は僕にはない。
竹岡はここが朝の騒がしい教室だということを忘れさせるくらい深刻そうな顔をして、俯いた。
そこには僕の机に描かれた木目しかないのに。
「わかった。これは俺が言ってどうなることでもないしな。気持ちの問題だし。でも奏がもしそうできるなら、あんまり傷つけないであげてほしいんだ」
線の細い彼の横顔には冗談は少しも含まれていなかった。これは、男と男の約束だ。反故にはできないことを肝に銘じる。
「わかってる。僕だってそうしたいよ」
「そういうやつだと思ってた」
打って変わったような笑顔を見せた。
信頼されている。
それがうれしくもあり、また、心に小さな痛みも感じた。
今日もバスケやるだろう、と言って竹岡は席に戻っていった。
――秋はどこに行くんだろう?
夏はあんなに激しくて長いものだったのに、秋は深まる一方だ。
逃げ足が早いのか、空の色はどんどん薄くなり、また高くなっていった。
時間ばかりが過ぎていく。
さすがに「お昼も四人でしない?」とは言われなかった。もし言われたら断ろうと思っていた。
僕にはバスケがあるし、グループ交際を始めた覚えもない。
理央は迎えに来た洋とどこかに消えて、僕のところには聡子が、考えすぎかもしれないが申し訳なさそうにやって来た。
いつも堂々としていた彼女は影を潜め、見た目はいつも通り、どの子より綺麗にしているのになぜか普通のほかの子たちと同じに見えた。
かと言って僕にとって聡子は『その中の一人』では今はなかった。
「あのさ、今日も体育館行く?」
「そのつもり」
「あのさ、じゃあ、これはひとつの提案なんだけど、あくまで提案なんだけど」
「ん?」
彼女にしては実に回りくどい表現だ。
頭の回転が早く、気の利いた彼女のセリフとは思えない。まるでいつもおどおどしてる理央みたいだ。
「お弁当、作ってきていい? だっていつもコンビニのパンかおにぎりでしょう? わたしもおにぎりとかパンなら負担にならないし、それくらいは作れるし。勿論、嫌なら嫌って言ってくれて全然構わない。だって付き合ってるわけじゃないし」
正にコンビニのサンドイッチの袋を開封していた僕の手は止まった。
聡子の顔を見る。
「いや」
「いいんだよ、はっきり言ってくれた方が」
違う、違うと僕は否定した。
「いや、僕の方こそこんなに曖昧なのにそんなことしてもらうのは申し訳ないなと思って」
聡子は俯いて、しばらく口を開かなかった。
なにを考えているのかな、とその長い睫毛を眺めていた。
それはほんの一刹那だったに違いない。
けれど彼女の影を落とす睫毛をもう少し見ていたいと思った。
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