24 / 42
第24話 なんつーか、やさしさ
しおりを挟む
ごめん、と小さな声で呟いて、ポケットティッシュで理央は顔を拭いた。
それでもまだ涙が止まらないようで、しばらく目からティッシュを離せないでいた。
なにも言えなかった。
そんなんじゃいけないのはわかってる。
でも、なんにも。
僕は理央のすすり泣く声を聞きながら、一人、考えていた。
僕の好きな女の子が、僕を好きでいてくれている。
こんなにしあわせなことはない。
······ないはずだった。
なぜか頭の中に片品が出てきて、そんな僕に悲しげに微笑んだ。同情だろうか? 多分、そんな感じ。
理央の気持ちを聞いたところで、僕が気持ちを伝えたところで、なんの進展もない。
そこには越えなければならない壁があって、その壁を壊したいとは到底僕には思えなかった。
それを壊すくらいなら、僕は自分の想いだけを抱えて生きていってもいいんじゃないかと思った。
そうだろう?
かけがいのないものは人それぞれ違う。
僕が失いたくないものリストのトップいくつかに、あいつがいた。······悲しむ顔は見たくない。
理央はまだ肩を震わせて泣いている。
こういう時、どうしてあげたらいいのか、そういう知恵を僕は持たない。
なにもせず、木偶の坊のようにただベンチに座っていた。
相変わらず、あるはずのない蝉時雨が耳の奥で僕の心を揺する。
なにを期待していたんだろう、僕は。
理央が僕を好きだったら、両想いだったらハッピーエンドになると、そう思っていたんだろうか?
おめでたすぎるだろう――。
「このことは、洋くんには言わないでおいて」
びっくりして言葉を失った。
「知られたくないの、本当の気持ち。でもね、洋くんが嫌いなわけじゃないんだよ、本当に。洋くんの好きなところ、いっぱいある。毎日少しずつ知っていく。だから、これからも付き合ってくつもり。
洋くんがどういうつもりで奏くんとわたしを二人きりにしたのか、わかるようでわからないけど、洋くんの考える『最悪の結果』にはしないで。
奏くん、お願い。我儘なのはわかってるけど」
理央にはわかるその答えは僕には見つけられなかった。
洋を傷付けたくないという気持ちは僕にもあるけど、だからと言って嘘をつき続けるのはどうなのか、それは良くないことのようにしか思えなかった。
洋の知りたいのはそういうことじゃない、そう伝えたかった。
背筋をすっと伸ばして、泣き止んだ理央は前を見ていた。まるでなにかの教本に出ている『座り方の例』のようだ。
彼女は泣くのをやめて、多分、洋の彼女に戻った。
その証拠に立ち上がって荷物を持つと「じゃあね」と言って立ち去っていった。しっかりした歩みだった。
僕は追いかけなかった。手さえ伸ばさなかった······。
その晩、ベッドでいつもと変わらない天井を見るではなく見ていると、乾いた空気の中にチリンとよく知った音が今日も鳴った。
なんていうかせっかちなやつだよな、と思ってニューバランスを避けて出しっぱなしだった夏物のサンダルを履く。
それは間抜けな姿だったけど、今はこれが一番お似合いのような気がした。
「よお」
「おう」
男同士っていうのはどうも愛想に欠ける。あっても仕方ないけど。お互いの顔を、まるで久しぶりに会った人のように見合う。
先に目を逸らしたのは洋の方だった。
引きずる自転車のスポークの音が夜の隙間にカラカラ回る。なにも言わずに歩き出す。
「俺さぁ、フラれてもいいかなって思えるようになってきた」
「……なんでだよ」
「いや、だってさ、好きな子の一番じゃないなんて厳しくない? 俺には厳しい気がする。そんなんで毎日顔を合わせて、どんな顔しろって言うんだよ」
まさかそんなことを言い出すとは思わなかった。
想定外。
なんて言っていいのか、わからなくなる。言葉はいつだって迷路の中だ。
洋はなにがあっても理央の手を離さないと思っていた。
カラカラ……という音が言葉の続きを綴る。
僕は空っぽになったような気がして、無意識に足を動かしていた。
どうしたらいいんだろう? 一番いい選択は?
理央の決意を無駄にしないために、どうしたらいいんだろう?
こんな時、隣に片品がいたらなんて言うんだろう? やっぱり悲しそうな微笑みを浮かべるんだろうか?
いや、そんなことはしないか。彼女は僕に同情しない。
「ごめん、洋。僕がフラれたから。殴ってもいいよ」
すらすらと嘘は口から滑り落ちた。
銀色に光る滑り台より余程、優秀だった。
僕の口がこんな風に上手く動くとは思ったことがなかった。
洋は黙ったまま、雄弁なのは今、自転車だけだ。
闇に吸い込まれるようにカラカラと回り続ける。
考えている。僕が理央を好きだと、思ったことはなかったんだろうか?
キュッと小さくブレーキ音が鳴った。
公園前だった。
洋は自転車のスタンドを立てると、僕の方を向いた。そして腕を振り上げ、そのまま……ぴたりと僕の顔の前で拳を止めた。
防ごうか、それとも殴られた方がいいのか、焦った。でもそれ以上、腕は伸びてこなかった。
「自分より身長あるやつ、殴る気しねぇ」
洋はそのまま自販機に向かうと、コーラを二本買ってきた。そして一本を僕に渡した。
「財布持ってきてないよ」
「別にいいよ。失恋したバカな男を励ましてやろうっていう、なんつーかやさしさってやつ?」
「いらんわ、そんなやさしさ」
いいからもらっとけ、と洋は白い光の中でボトルをプシュッと開けた。続けて僕もキャップを捻る。同じ音がして、蓋が開いた。
どちらから言うまでもなく、あの極彩色の真新しいベンチに腰を下ろす。
なぜかこんな夜にはコーラが似合う気がした。
温かいコーヒーより。例え肌寒くても。
それでもまだ涙が止まらないようで、しばらく目からティッシュを離せないでいた。
なにも言えなかった。
そんなんじゃいけないのはわかってる。
でも、なんにも。
僕は理央のすすり泣く声を聞きながら、一人、考えていた。
僕の好きな女の子が、僕を好きでいてくれている。
こんなにしあわせなことはない。
······ないはずだった。
なぜか頭の中に片品が出てきて、そんな僕に悲しげに微笑んだ。同情だろうか? 多分、そんな感じ。
理央の気持ちを聞いたところで、僕が気持ちを伝えたところで、なんの進展もない。
そこには越えなければならない壁があって、その壁を壊したいとは到底僕には思えなかった。
それを壊すくらいなら、僕は自分の想いだけを抱えて生きていってもいいんじゃないかと思った。
そうだろう?
かけがいのないものは人それぞれ違う。
僕が失いたくないものリストのトップいくつかに、あいつがいた。······悲しむ顔は見たくない。
理央はまだ肩を震わせて泣いている。
こういう時、どうしてあげたらいいのか、そういう知恵を僕は持たない。
なにもせず、木偶の坊のようにただベンチに座っていた。
相変わらず、あるはずのない蝉時雨が耳の奥で僕の心を揺する。
なにを期待していたんだろう、僕は。
理央が僕を好きだったら、両想いだったらハッピーエンドになると、そう思っていたんだろうか?
おめでたすぎるだろう――。
「このことは、洋くんには言わないでおいて」
びっくりして言葉を失った。
「知られたくないの、本当の気持ち。でもね、洋くんが嫌いなわけじゃないんだよ、本当に。洋くんの好きなところ、いっぱいある。毎日少しずつ知っていく。だから、これからも付き合ってくつもり。
洋くんがどういうつもりで奏くんとわたしを二人きりにしたのか、わかるようでわからないけど、洋くんの考える『最悪の結果』にはしないで。
奏くん、お願い。我儘なのはわかってるけど」
理央にはわかるその答えは僕には見つけられなかった。
洋を傷付けたくないという気持ちは僕にもあるけど、だからと言って嘘をつき続けるのはどうなのか、それは良くないことのようにしか思えなかった。
洋の知りたいのはそういうことじゃない、そう伝えたかった。
背筋をすっと伸ばして、泣き止んだ理央は前を見ていた。まるでなにかの教本に出ている『座り方の例』のようだ。
彼女は泣くのをやめて、多分、洋の彼女に戻った。
その証拠に立ち上がって荷物を持つと「じゃあね」と言って立ち去っていった。しっかりした歩みだった。
僕は追いかけなかった。手さえ伸ばさなかった······。
その晩、ベッドでいつもと変わらない天井を見るではなく見ていると、乾いた空気の中にチリンとよく知った音が今日も鳴った。
なんていうかせっかちなやつだよな、と思ってニューバランスを避けて出しっぱなしだった夏物のサンダルを履く。
それは間抜けな姿だったけど、今はこれが一番お似合いのような気がした。
「よお」
「おう」
男同士っていうのはどうも愛想に欠ける。あっても仕方ないけど。お互いの顔を、まるで久しぶりに会った人のように見合う。
先に目を逸らしたのは洋の方だった。
引きずる自転車のスポークの音が夜の隙間にカラカラ回る。なにも言わずに歩き出す。
「俺さぁ、フラれてもいいかなって思えるようになってきた」
「……なんでだよ」
「いや、だってさ、好きな子の一番じゃないなんて厳しくない? 俺には厳しい気がする。そんなんで毎日顔を合わせて、どんな顔しろって言うんだよ」
まさかそんなことを言い出すとは思わなかった。
想定外。
なんて言っていいのか、わからなくなる。言葉はいつだって迷路の中だ。
洋はなにがあっても理央の手を離さないと思っていた。
カラカラ……という音が言葉の続きを綴る。
僕は空っぽになったような気がして、無意識に足を動かしていた。
どうしたらいいんだろう? 一番いい選択は?
理央の決意を無駄にしないために、どうしたらいいんだろう?
こんな時、隣に片品がいたらなんて言うんだろう? やっぱり悲しそうな微笑みを浮かべるんだろうか?
いや、そんなことはしないか。彼女は僕に同情しない。
「ごめん、洋。僕がフラれたから。殴ってもいいよ」
すらすらと嘘は口から滑り落ちた。
銀色に光る滑り台より余程、優秀だった。
僕の口がこんな風に上手く動くとは思ったことがなかった。
洋は黙ったまま、雄弁なのは今、自転車だけだ。
闇に吸い込まれるようにカラカラと回り続ける。
考えている。僕が理央を好きだと、思ったことはなかったんだろうか?
キュッと小さくブレーキ音が鳴った。
公園前だった。
洋は自転車のスタンドを立てると、僕の方を向いた。そして腕を振り上げ、そのまま……ぴたりと僕の顔の前で拳を止めた。
防ごうか、それとも殴られた方がいいのか、焦った。でもそれ以上、腕は伸びてこなかった。
「自分より身長あるやつ、殴る気しねぇ」
洋はそのまま自販機に向かうと、コーラを二本買ってきた。そして一本を僕に渡した。
「財布持ってきてないよ」
「別にいいよ。失恋したバカな男を励ましてやろうっていう、なんつーかやさしさってやつ?」
「いらんわ、そんなやさしさ」
いいからもらっとけ、と洋は白い光の中でボトルをプシュッと開けた。続けて僕もキャップを捻る。同じ音がして、蓋が開いた。
どちらから言うまでもなく、あの極彩色の真新しいベンチに腰を下ろす。
なぜかこんな夜にはコーラが似合う気がした。
温かいコーヒーより。例え肌寒くても。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立
水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~
第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。
◇◇◇◇
飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。
仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。
退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。
他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。
おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。
ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます
沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!
記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話
甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。
王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。
その時、王子の元に一通の手紙が届いた。
そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。
王子は絶望感に苛まれ後悔をする。

愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。
記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした
結城芙由奈@コミカライズ発売中
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

彼女にも愛する人がいた
まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。
「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」
そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。
餓死だと? この王宮で?
彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。
俺の背中を嫌な汗が流れた。
では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…?
そんな馬鹿な…。信じられなかった。
だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。
「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。
彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。
俺はその報告に愕然とした。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる