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第34話 終着駅

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 電車はどこに向かっていても、とにかく揺れる。揺りかごのようでもあり、僕たちが貨物になったようでもあり。人間性が失われていく。
 周りの人たちはワイヤレスのイヤフォンをして、黙ってスマホを見ている。僕たちの話に興味を持つ人はいない。
「あの人たち、話し合ってもムダみたい」
「そんなことないよ。話し合いっていうのはゆっくり進むんだから、ハルは辛いかもしれないけどさ」
「……辛い」
 僕の肩に、というより胸に頬を埋めるような形に近くなる。余裕のない僕はこんな時でもあたふたして、ハルの肩に手を回す。
 小さな体が、小刻みに震える。電車の揺れでも消えないくらいに。
「ハル……。ごめん、僕はハルの気持ちを百パーセント理解してあげることはできそうもない。でも、そばにいてあげることならいつでもできるよ。ハルが呼んでくれるなら」
 快速列車はスピードを増して、通過駅をぐんぐん置いていく。鈍行の列車は駅でそれを待つ。置いていかれるのを、じっと止まって。
「じゃあ、そばにいてよ。今、そばにいてほしい。ワガママなのはわかってるし、アキに迷惑かけるのがおかしいことなのもわかってる。でも今は、あそこから少しでも遠くへ行けたら」
 うん、わかった、と肩を抱く手に力を込めて答える。僕も震えそうだ。そんな責任が取れるほど、大人じゃないのは百も承知だ。
 誰に言われなくても、僕はちっぽけな十四歳だ。
 でもそんなことはなんの言い訳にもならなくて、電車はどんどん進む。どこへ行き着くのか知らない。
 たぶんなんの当てもない。
 あの街から遠ざかっていることに意味があるんだ。

 ずいぶん前にサイレントにした僕のスマホはお行儀よく黙っていた。カバンの中でひっそり、誰かからの声を受信している。
 ハルは会ってから一切、スマホを見ない。
 時計代わりにも使わない。
 もちろん、乗り換えを調べたりもしない。
 僕たちの乗った電車がどこへ行くのか――それは電車だけが知っている。

 乗客は次々と降りる。
 一方的に下っていくこの電車に乗り込んでくるのはほんのひと握りの人だ。
 僕たちはまだ優先席から動けずにいた。
 空席が目立つ。
 車窓から見える風景は夜の闇に包まれてただ暗く、どこを走っているのか見当もつかない。
 簡単な路線図は頭に入ってはいたものの、このままじゃ終点まで行ってしまいそうな――。
「怖い?」
「ハルは怖くないの?」
「本当に怖いのは、絶対に壊れないと思っていたものが簡単に壊れていくことだよ。こんなこと、ちっとも怖くない」
 表情を変えず、ハルはそう言った。

 電車はどんどん進む。
 まるで慣性の法則通りに。
 気が付くとこの車両には僕たちしか乗っていなくて、窓の外の闇はすべてを吸い尽くすように見えた。
 ハルは途中から眠ってしまって、僕もうとうとしていた。
 だからもうすぐ終点だということに、すぐには気付かなかった。
「お客さん」
 聞き慣れない男の人の声だ。
 なんだろうと目を開けると、そこには乗務員がいた。
「お客さん、終点です」
「あ、はい、すみません」
 ハルを急いで起こす。
 電車の揺れがそんなに気持ちよかったのか、ハルは僕の膝の上でぐっすり眠っていた。
 体を揺すって多少、強引に起きてもらう。早くしないと扉が閉められてしまう。
 どうやらこの列車はすぐには折り返すようではなく、一度扉を閉めるということだった。
「あ、ごめん。すごく寝ちゃった⋯⋯」
 そう言ったハルの顔は、昔見た、子供の頃のように純粋無垢で僕はハッとした。
「とりあえず降りよう」
 千円のチャージで足りるわけがなく、二つしかない自動改札機横の自動精算機でそれぞれ精算する。
 ここはどこなんだろう。改札を抜けると、異国のように闇が支配していた。

「いつも『~行き』って電車を見るけど、そこまで行くことはないじゃない? すごくない? こんなところだったんだねぇ」
 へぇ、と寝起きのハルは少しズレたことを言った。
 なんと言っても僕らは逃避行の最中だ。そんなに暢気なことを言っていられない。とりあえず、寝るところを確保しないと。
 駅の明かりは煌々としていて、もう一時間ほど待てば、最終には間に合うらしい。時計を何度も確認する。
 ハルは解き放たれた飼い犬のように、自由に体を大きく伸ばした。
「あー、なにも考えなくていいって、しあわせ」
「ハル、そんなこと言ってないでこの先どうするのか決めなくちゃ」
 雨はやんでいた。
 代わりに風がすごい。暴れるように僕たちに襲いかかる。
「コンビニあるよ」
 よく見ると、小さなロータリーを抜けた先によく見るコンビニの看板を見つける。少しだけホッとする。なにより、コンビニは二十四時間営業だ。
「行ってみよう。アキ、お腹空いた?」
「ちょっと」
「じゃあなにか食べるもの、買おう。ココアも冷めちゃったしね」
 それにしてもよく寝たなぁとハルは上機嫌で、歩き始めるとそこは海の間際であることがわかった。僕らを食らいつくしそうなのは海だった。
 風の音かと思っていたのは波音で、風は海風だった。どおりで強いはずだ。生臭い、嗅ぎ慣れない匂いがする。砂が嫌がらせのように飛んでくる。
 飛ばされそうになりながら海岸通りを歩いていく。すれ違う車も少ない。

 コンビニはどの店も同じようでいて、どこかいつもと違う顔をしていた。店員は少し眠そうだった。来ない客を待っている間に眠くなったのかもしれない。
 店内をグルっと探索する。なにを買うべきか、自分と相談する。
 ハルはどれだけお金を持っているのか、値札も確かめずにひと目で品物をカゴに放っていく。
 お弁当にお菓子、ペットボトル、カイロ、電池式充電池。
「ねぇ、アキもこれいる?」
「いや」
 最後に見た時には十分電池はありそうだった。
 とは言え、弥生さんとメッセージを交わした時のことだから、あれから何時間経ったんだろう。
 ⋯⋯母さんが、半狂乱になっている姿が目に浮かぶ。ごめん。それしか言えない。
 寝ぼけた店員にレジをお願いし、自動精算してコンビニを後にする。

 白い袋が風にはためく。
 海風が、波音が唸る。ハルが怖がらないのが不思議だ。
「それ、どこで食べるの?」
「ん? 防波堤とか? 定番じゃない?」
「なにもかも風で飛んじゃうし、そもそも雨で濡れてて座れるわけがない」
「レジャーシートが必要?」
 ハルがコンビニに引き返そうとする。
 ちょっと待って、と引き止める。
「駅のロータリーのところ、あそこに小さなバスの待合所があったからあそこに行こう」
 ハルは変な顔をした。
 あまりロマンティックじゃないからだろうか?
「駅でもいいんじゃない?」
「駅はダメ」
「どうして?」
「どうしても。人目につきやすいでしょう」
 なるほど、慣れてるんだね、ととぼけたことをハルは言う。
 ここには最近の、神経を張りつめたハルはいない。
 こんなところに来てよかったのかわからなかったけど、それだけは間違いなく良いことだった。
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