インディアン・サマー

月波結

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第17話 失恋と初恋

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 ものすごい迷惑、というパワーワードを重く受け止める。
 女の子にハッキリ言えるわけないじゃないか。ものすごい迷惑、だなんて。
 ドッヂボールの、投げられた重いボールをなんとか体の真ん中で受け止めてしまった以上、ボールを投げ返さなければならない。実際の競技では僕はヘタレで、ヒョロヒョロのボールしか投げられない。いつだって当てられて外野だ。
 しかし今みたいに現実のケースの場合、そんなことは言ってられない。
 上手くなくても、答えなければ。
「正直に言うよ。何度も言った通り、僕にはほかに好きな人がいるんだ。それは君じゃないし、自慢したいことでもない」
「⋯⋯でも、好きな人って変わるでしょう?」
「そんなにころころ変わったら結婚する人はいないんじゃないかな? 浮気と不倫だらけだ」
「なんか意地悪⋯⋯。小石川くんの好きな人、小石川くんのこと、好きなわけじゃないんでしょう? だったら」
「さぁ、どうかな?」
 思った以上にすごいセリフを吐いてしまって、自分で驚く。でも言ってしまったことは戻せない。
 ハルの気持ちは僕にはわからない。
 子供の頃と変わらない気持ちを持ち続けてくれてるのはわかるけど、それ以上の気持ちがそこにあるのか、それはまだ怖くて確かめてない。

 僕たちのした約束は「そばにいること」。
 ハルになにかあったら、僕がハルの近くに行く。
 それは約束だ。
 でもそれが恋愛込みの約束なのか、と言われたら話はまた別だ。
 僕たちの仲はややこしい。

「告白したの?」
「してないけど」
「けど?」
 あんまり他人に言いたくない気持ちは変わらなかった。ハルは心の中に閉じ込めておきたい。 
「約束はした。大切な約束を」

 そんなの両想いって言えないじゃない、とすごい剣幕で彼女はそのまま走り去った。転ぶんじゃないかと心配したけど、それは杞憂だった。
 うわぁぁぁというすごい声が聞こえてくる。ほかの女の子が「菊池ちゃん、大丈夫? どうしたの?」と慰める声が聞こえてくる。下駄箱の辺りだ。
 ⋯⋯また泣いてるかもしれない。
 僕は脱力して、階段下で座り込んだ。
『両想い』って、なんだ?
 また新しい疑問が湧いてきて、頭の中を掻き回す。それって必要なこと?
 どちらにしてもまた僕は明日から悪者だな、と重い荷物をズリズリッと引き寄せて立ち上がろうとすると手が伸びてきた。
 見上げると唐澤だった。

 僕は無言で差し伸べられた手を握った。
 唐澤は運動部だけあって、軽々と僕を引き上げた。ありがとう、と礼を言う。
 唐澤は黙っていた。
 また言葉を探しているのかもしれない。
「菊池のことだけど」
「うん」
「小石川のことを困らせようとしてやってる訳じゃないんだ」
 お前がしょんぼりするところじゃないだろう、そこ。僕はそう言いたかった。
 こんなに面倒見のいい幼馴染がいるのに、なんの不満があるんだろう? アイドルみたいにキャーキャー言える対象がいなくちゃいけないのか?
 唐澤がしてくれていることを、よく見て考えてほしい。
 菊池さんのことを思って、こんなに行動してくれてる。
「確かにうるさいところもあるけど、悪いところばかりなわけじゃない。案外お節介でやさしいところもないわけではないし、少なくとも友だち思いだ」
「そうだね、友だちは多いみたいだね」
 それが僕を更に困らせているんだけど、そうは言わなかった。人類として、友情は尊重すべき大切なものだ。隣人にはパンを与えるし、僕はゴシップを彼女たちに提供する。
「⋯⋯やり方は正しくないと思うけど、小石川のことを本当に好きなんだと思う。それは誰も代わりにはならない。悪いけど、少し考えてやって」
 それじゃ、と言うと唐澤は体育館に向かって歩いて行った。ジャージ姿の似合うアイツはバレー部だ。

 ということがあったんだけど、と誰かに相談したいと思った。でも今回はハルには言えない。好きな人にほかの女の子の相談をしてどうする。
 ⋯⋯いや、既に少ししたかもしれないけど。
 自転車に乗っているうちに考えが変わって、走る方向を変える。きっともう帰ってるはず。
 あの人なら、茶化さないで聞いてくれるはずだ――。

 スミレちゃんはドアを開けると「あら」と言った。けどそれ以上は来た理由も聞かず「寒いから早く入りなさいよ」とリビングに入れてくれた。
 キッチンにはじゃがいもと人参が切られていて、ザルに放り込まれていた。今夜はシチューかカレーなのかも。
 スミレちゃんしかいなかったリビングは暖房が入ってなくて、急いでリモコンの操作をしてくれた。温風が、冷えた体を温める。
「いきなり寒くなってきたわね。夕方は寒いでしょう?」
「そこそこかな」
 てきぱきと動いて、なにも言わなくてもカフェオレが出てきた。ハルがいる時はいつもハルに合わせてミルクたっぷりのココアが出てくる。
 スミレちゃんは、僕とハルを分けて考えてくれてるんだなと確認する。
 母さんは、歳の大して変わらない僕たちをごっちゃに扱う。
「なぁに、どうした? ハルにも言えないこと?」
 んー、と僕は煮え切らない返事をした。どこから話していいのか、頭の中で話を組み立てる。
 女の子は感情的だ。理性的な説明が難しい。
 それでもできるだけ客観的に、簡潔に話をした。

「ふぅん。モテるんだ?」
「モテてない」
「モテる人だけの悩みよ、それ」
 カップに指をかけてスミレちゃんは大きく笑った。目尻にうっすらシワができる。小鳥の足跡みたいな。それを僕はとてもチャーミングだと思っていた。
「そうねぇ、大体、中学生くらいの女の子の恋愛なんて一過性よね。ハルの時だって⋯⋯」
「え? ハルに? 初耳」
「まぁまぁ、それは別の話。それに終わったことよ。内緒にしててよ。女の子の初恋は早いのよ」
 ここに来たのが正しかったのか、わからなくなってきた。
 考え方によってはここは敵陣なのかもしれない。なにしろハルの家なんだから。

「その子もさ、そうやって少しずつ心の整理をするわけよ。泣けば泣くほど片付いていくの。確かにアキは地味だけど、時々、キラッとして見える時があるもんねぇ。それにやられちゃったのね、彼女」
「時々ってなに?」
「そうねぇ。本気になってる時かな? そういう時のアキはキラキラしてる。自信に満ちて、ね。――だから、もしアキがそういうことになっても、オバサンはなにも言わないから」
 ドキッとする。
 心臓が口から飛び出るとはこのことだ。
 スミレちゃんはなにをどれくらい知ってるんだろう? なにか、バレたらいけないことがバレたとか?
 そんなこと、ある⋯⋯ないとは言えない。
「そういうことって?」
「さぁ? 言った方がいい?」
 グッと喉が締まるような気がして、一瞬息を飲む。
 恥ずかしさが急に足元からせり上がってきて、なんで今頃、と動けなくなる。
 両方の手で頬を包んで、スミレちゃんはにこにこ笑った。名前の通り、春の草原が風に揺れるような笑顔だった。
 僕の恋は、暖かく見守られているらしい。なんだか恥ずかしくなる。
「いつもお世話になってるわね、寂しがり屋なのよ。ありがとね、アキ」
 目を合わせてそう言われて、僕は「いえ」と面接並みに緊張して答えた。
 僕の責任は重くなった気がした。
 それでも荷物がハルなら、軽いかもしれない。ほかの人がどんなに重いと言っても――。
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