インディアン・サマー

月波結

文字の大きさ
上 下
14 / 44

第14話  ゼロ距離の彼女

しおりを挟む
「それでわたしの話は出たの?」
「全然」
 ようやく長い夏が翳り始めた十月、ふたりでスミレちゃん家の二階のベランダにいた。
 洗濯物が頭上をはためいている。よく乾きそうないい天気だ。
 僕たちはサンダルも履かず、少しザラザラして埃っぽいベランダに並んで座っていた。ハルが先にそこにいて、僕を呼んだから。
「なんだ。なーんか心配して損した」
「なんだよ、それ。寧ろハルは名前が出なかったんだから良かったじゃん」
「そーねー、そーだねー。面白くないね」
 他人の恋愛を『面白くない』とは随分な言い草だなと思い、少し憤る。そんな目で見てたなんて思わなかった。純粋に心配してくれてるとばかり。

「変なとこにいるのね」
 あら、ここにいた、とスミレちゃんは言って、洗濯カゴを抱えたまま、通り過ぎて行った。洗濯物の取り込みはもう少し先でも大丈夫だと思ったんだろう。
 青空に乾いた空気。清々しい。
 下から母さんが、子供って変なとこ好きよね、とまたズレた発言をしている。母さんの言うところの『子供』は、さすがに僕もハルももう当てはまらないだろうと思った。
「女子ってみんなそうなの?」
「なにが?」
「好きなら教室の真ん中でも泣いたり」
「あんまりしない」
「じゃあどんなの?」
 ハルは、いきなり言われてもなぁ、と言って思案顔になった。うーんと唸る。
「考えたりはする、好きな人のこと。よくわからないことが多いから、知りたいなって思う。でも口に出してはあんまり言わないかな。親友に相談することはあるけどね」
 それを語るすぐ横のハルの顔をじっと見ていた。
 ハルの瞳は空を見上げていた。小鳥の尾羽が下を向く。
 僕も同じだ。
 教室の真ん中で泣いたりはしないけど、考える。ハルのこと。ハルの好きな物、ハルが今なにをしてるのか、なにを思ってるのか、なにを大切にしているのか、――誰を好きなのか。
 そこまで考えてなぜか虚しさが込み上げてきて、体育座りした膝と膝の間に顎を乗せる。少し、縮こまる。

「あ、考えてる。今考えてる。そうでしょう?」
 目を輝かせてハルは僕の顔を見ようとした。もちろん見せたくない。
「そういうわけじゃないけど」
「けど?」
「なんか自分が小さい人間だと思えてきて」
 なにそれ、とハルはすぐに反応した。さすがテニスをやってた人は違うな、という感じの反射速度だった。
「なんでアキが小さいの?」
「なんの役にも立たないし。女の子も傷つけたし」
「大して傷ついてないよ。どうせ恋に恋してたんだって」
「そんなのわかんないじゃん」
 僕の従姉妹はうーんと眉根に皺を寄せた。
 次になにを言うつもりなのか、ちょっと怖い。
「少なくとも、アキは役に立たない人間じゃない。わたしはアキがいなくなったら、自分もここにいられなくなると思う」
「ええええっ!? うれしいけど、そういうのはダメだよ。僕がいなくなったとしても、ハルはハルの人生をさ」
「バカだなぁ、例えばだよ、例えば。⋯⋯それくらい、わたしにはアキが必要だってこと」
 ハルは無防備に、僕の肩に頭を寄せた。ハルの柔らかい体重が、やさしくのしかかってくる。
 ⋯⋯密着してる。
 こんなにバクバク言ってる心臓の鼓動が聞こえてしまうんじゃないかと心配になる。いっそ心臓が止まってくれたら、なんて思ってしまう。
 陽だまり特有の、お日様の匂い。
 ハルはすっかりリラックスモードらしく、もろ体重がかかっている。

 目を閉じたハルがのんびり呟いた。
「眠くなってきちゃったな。アキといると安心。わたしはわたしでいられるし、めんどくさいことが起きたりしない。アキはわたしのセーフティーゾーンだよ」
 ハルの髪の毛が触る部分がこそばゆい。汗の匂い。
 部活が終わって、ハルは髪を伸ばすことに決めたらしい。尾羽根は確実に伸びている。
「僕だってそうだよ。ハルがいないと⋯⋯」という言葉は口に出せなかった。そういう甘い囁きは余裕のある男にしかできないものなんだな、と知った。
 ハルがずっとそばにいてくれるから、僕は安心して細胞を燃やして生きていられる。もしも離れた時が来ても、きっと近くに彼女を感じ取ることができる。
 なぜならそれは、つまらないことかもしれないけど、ハルとは血が繋がってるからというところが大きいかもしれない。
 だから安心する。
 ハルは僕の心の範囲内にいつもいてくれる。多分、ハルの中の僕も。
 まるで母さんたちじゃなく、僕たちが双生児のようだ。

 と、そこで思考が止まる。
 うっとりするような眠気はパッと覚めて、頭を持ち上げる。
 ハルが驚いて体を離す。
「いきなりなに!?」
「⋯⋯双子じゃ結婚できない」
「はぁ?」
 大きな声をハルは出した。
「なんのことかわかんないけど、双子なのはママたちでしょう? わたしたちじゃないよ」
 気持ちを読まれたようで、またドキドキする。
 眠いと言っていたハルは再び、コトンと僕にもたれかかった。今度は僕も彼女の体を布団のように受け止めた。

 青空はまだ暖かい日差しを送ってくれそうだった。
 欠伸を噛み締める。
 そのまま、不思議の国のアリスがウサギ穴にすとんと落ちていったように、僕も地球の引力に身を任せる。
 すーっと意識が吸い込まれる。
 自然な眠りが僕に訪れ⋯⋯。

「あ、起きちゃった」

 うーんとまだ眠い意識を引きずって目を開けると、スマホを片手に持った母さんたちがベランダの入り口にいた。
 僕は慌ててハルをどつくところだった。ギリギリ留まった。ハルは恐ろしいことに、まだ眠り込んでいた。
「いやーん、かわいかったのに。子供の頃ならまだしも、こんな歳になっても仲良しなのね。バッチリ撮っといたから」
「ちょっと待ってよ、母さん」
「二人に画像送ってあげよう」
「ほんとサクラってそういうところ悪趣味よね。それで二人がギクシャクしちゃったらどうするの?」
 母さんの、スマホを弄っていた手がピタッと止まった。
「⋯⋯困るかも。ねぇアキ、ハルちゃんと喧嘩しないでね」
 母さんは屈んで僕に懇願した。
 母さんの長い、ウェーブのかかった髪が影を落とす。
 スミレちゃんは仕事をしやすいように髪をショートボブにしてるので、その髪は風に揺れたりしない。
 一卵性双生児の二人がこんなに違うのは僕にはいつも奇妙に思えた。
 まぁ、子供たちは放っておきましょうよ、とスミレちゃんが言って、母さんが、それもそうね、と揃ってリビングに戻っていった。

 安心してため息が無意識にこぼれた。
「⋯⋯行った?」
 ガバッと離れる。
「ちょっといきなり離れないでよ、気持ちよかったのに!」
「いや、だって、なんかさ」
「なによ?」
「⋯⋯なんとなく、まずくない?」
「なにが!? ほんとにまずかったらサクラさんが放っておくわけないじゃん」
 確かにそうかもしれない。
 でも相手がハルならどうかな?
 ハルはピカピカの王冠を頭に乗せて生まれてきたような存在で、僕たちにとって無視できない、とても特別な女の子だ。
 そこに恋や愛があるかどうかなんて関係なく、ハルはすべてにおいて許されている。だから母さんのセンサーにも多分、かからない。
「まだもう少し。ここが日陰になるまでは暖かいからさ⋯⋯ 」
 実に気持ちよさそうな顔をして、ハルは眠りに落ちていった。ハルの眠りを妨げてはいけない。
 僕はもう眠れなくなってしまった。
 ハルの重さで体が痺れてきたというのもあるけど、本当にハルの気持ちがわからないでいる。
 困惑。
 ゼロ距離にいる、彼女の気持ちがわからない。
しおりを挟む

処理中です...