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第11話 そういう男が好きだろう?――柳
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ツバキのか弱い手がオレの手を捻ってねじ伏せた。オレには一瞬、何が起きたのかわからなかった。
「わたしの勝ち」
と彼女は誇らしげに笑った。今日、初めての笑顔だった。そこには怒りも焦りもなく、ただ晴れやかな顔つきだった。
「いただきまーす。ポテト、湿気るよ」
呆然としているとツバキは猛然とした勢いでポテトとビッグマックを食べ始めた。
そもそもビッグマックを食べるツバキを見たのは初めてだった。脂っぽいのはイヤなの、と言って、マックではもっぱらマヨネーズの入ったテリヤキバーガーばかり食べていた。
要するに、マックはツバキにはミスチョイスだった。今日誘ったのは、予備校からすぐのところだったからだ。
「お腹空いてたの?」
「うん。ぺこぺこ」
「いつも予備校来るとそんなに食べてた?」
「うん、見てなかったの? 毎日、コンビニのサンドイッチとおにぎり2個」
「もしかして、太った……?」
……。
考えるまでもなく禁句だった。
「2キロ。この1ヶ月で2キロ太ったわよ。ストレス太りって、聞いたことあるでしょ?」
指をVの字に出して、何か文句あるの、と言いながら彼女の頬は紅潮していた。キレイだった。
太ったと言いながら、これまでシャープだったラインがソフトになって、女らしくなった。下ろしていた髪が、さらにそう思わせた。
「今日は髪、下ろしてるんだね」
「うん、時間なかったから」
ツバキの髪はサラッとしたストレートで、1本1本が糸のように細かった。手で持ち上げると端からまるでシャンプーのCMのように流れていった。
「触ってもいい?」
「食べたらね」
昔のような気安さに、胸の中いっぱいに広がっていた不安が霧散していく。もう二度と戻れないんじゃないかと、昨日までは絶望的な気持ちでいた。
「あんたさぁ……柳くんさぁ」
「ん?」
「わたしがいないとまた成績下がりそうな顔してるんだもん。そういうのは狡い」
「そうだな、確かに。心配かけた?」
「心配っていうか。余計、わたしと差が開いちゃうよって少しだけ、思ってたかもしれない」
素直に言えない彼女が本音を言う時は、こんなに遠回しになる。そんな彼女を愛おしく思う。今日は塩気の薄いポテトだって美味しく食べられる。
「大丈夫、挽回する。決めた。ツバキより前を歩く男になるよ」
「簡単に言ってくれるじゃない?」
「そういう男の方が好きだろう?」
そういうわけでもないけど、なんて言いながらガラスの外を向いてドリンクを飲んでいる。オレはコーラで、彼女はコーラゼロ。いつもと変わらないチョイスが心を落ち着かせる。
「ほら、あんたがのろのろ食べてるから授業始まっちゃったじゃない。どうすんの? わたしはあんたと違って、授業まじめに取り組んでるのに」
「悪かったよ、ほんと」
満更でもない顔をして、ツバキは汗ばんだオレに手を繋がれていた。ツバキの長い髪が揺れて、たまに肩に当たる。ツバキはフリルの付いたノースリーブのブラウスを着て、涼しそうな軽い素材の黒いスカートを履いていた。歩く度にスカートも揺れる。
「……久しぶりだね」
「あんたの顔なら毎日見てたけど?」
「そういうんじゃないよ」
「わかってるわよ、ただの冗談でしょ? 素直にすっと仲直りできるほど大人じゃないって知ってるくせに」
予備校の外階段にはタバコの吸殻が落ちていた。浪人しているヤツがここでタバコを吸って落としていく。オレも浪人したら、そいつらと同じく吸殻を落とし続けるのだろうか……?
「――?」
突然生あたたかい感触を唇に感じて驚く。けれど、そんなことをしてくるのは一人しかいなかった。
「何、考えてたの? せっかく二人っきりなんだからわたしを見て」
汗が、オレの首周りに腕を回してきたツバキの白い腕にぬるりと付く。気持ち悪くないのかと思うと、涼しい顔をしていたツバキのうなじの辺りも、髪の中が汗で蒸れてムッとしていた。お互い様だった。
二人で、慣れ親しんだキスをする。魚のように、お互いを貪り食らうような……。
「わたしのこと、好き?」
「好きだよ。ツバキは?」
聞くのが怖かった。平気な顔をして「嫌い」と言うような女だった。それとキスとは別なのよ、と。
「好きだよ。うん、好き。ちゃんと捕まえててくれないと他所に行っちゃうから」
「わかった。追いかける」
コンクリート製の外階段は焼けるように暑かった。そんなところで肌を押しつけ合って抱き合っているオレたちはほとんど正気とは思えなかった。
少なくとも日陰に入らないと、コイツは気を抜くとすぐに日焼けをする。こんなに白いのに、恐ろしいことにほとんど日焼け止めを塗らないのだ。「嫌いなの」の一言で片付けてしまう。
どこか、日陰に移らなければ。
「涼しいところに行こう」
「そうね……ホテルでも」
ピタリ、とツバキは自分の言葉で止まった。今日まで仲違いしていた相手とすんなりホテルに行けるわけがないと思ったんだろう。それはそうだ、そんなに物事が上手く進まないのはオレにもわかっている。
暑さが厳しいのか、ツバキは自分の片手でうなじに風が入るよう、髪に風を通していた。その白くて細いうなじは今日は髪に覆われている。
とりあえず、近くのショッピングモールにでも入ってアイスでも食べようという話になる。
「わたし、この間、熱中症で倒れたの」
そういうことは早く言えよ、と思いながら手を引く。そっと手を引いてよ、と言われてもそんなヤツをいつまでも炎天下にいさせるわけにいかない。速やかに移動して、冷たいものを取らせなければ。
「わたしの勝ち」
と彼女は誇らしげに笑った。今日、初めての笑顔だった。そこには怒りも焦りもなく、ただ晴れやかな顔つきだった。
「いただきまーす。ポテト、湿気るよ」
呆然としているとツバキは猛然とした勢いでポテトとビッグマックを食べ始めた。
そもそもビッグマックを食べるツバキを見たのは初めてだった。脂っぽいのはイヤなの、と言って、マックではもっぱらマヨネーズの入ったテリヤキバーガーばかり食べていた。
要するに、マックはツバキにはミスチョイスだった。今日誘ったのは、予備校からすぐのところだったからだ。
「お腹空いてたの?」
「うん。ぺこぺこ」
「いつも予備校来るとそんなに食べてた?」
「うん、見てなかったの? 毎日、コンビニのサンドイッチとおにぎり2個」
「もしかして、太った……?」
……。
考えるまでもなく禁句だった。
「2キロ。この1ヶ月で2キロ太ったわよ。ストレス太りって、聞いたことあるでしょ?」
指をVの字に出して、何か文句あるの、と言いながら彼女の頬は紅潮していた。キレイだった。
太ったと言いながら、これまでシャープだったラインがソフトになって、女らしくなった。下ろしていた髪が、さらにそう思わせた。
「今日は髪、下ろしてるんだね」
「うん、時間なかったから」
ツバキの髪はサラッとしたストレートで、1本1本が糸のように細かった。手で持ち上げると端からまるでシャンプーのCMのように流れていった。
「触ってもいい?」
「食べたらね」
昔のような気安さに、胸の中いっぱいに広がっていた不安が霧散していく。もう二度と戻れないんじゃないかと、昨日までは絶望的な気持ちでいた。
「あんたさぁ……柳くんさぁ」
「ん?」
「わたしがいないとまた成績下がりそうな顔してるんだもん。そういうのは狡い」
「そうだな、確かに。心配かけた?」
「心配っていうか。余計、わたしと差が開いちゃうよって少しだけ、思ってたかもしれない」
素直に言えない彼女が本音を言う時は、こんなに遠回しになる。そんな彼女を愛おしく思う。今日は塩気の薄いポテトだって美味しく食べられる。
「大丈夫、挽回する。決めた。ツバキより前を歩く男になるよ」
「簡単に言ってくれるじゃない?」
「そういう男の方が好きだろう?」
そういうわけでもないけど、なんて言いながらガラスの外を向いてドリンクを飲んでいる。オレはコーラで、彼女はコーラゼロ。いつもと変わらないチョイスが心を落ち着かせる。
「ほら、あんたがのろのろ食べてるから授業始まっちゃったじゃない。どうすんの? わたしはあんたと違って、授業まじめに取り組んでるのに」
「悪かったよ、ほんと」
満更でもない顔をして、ツバキは汗ばんだオレに手を繋がれていた。ツバキの長い髪が揺れて、たまに肩に当たる。ツバキはフリルの付いたノースリーブのブラウスを着て、涼しそうな軽い素材の黒いスカートを履いていた。歩く度にスカートも揺れる。
「……久しぶりだね」
「あんたの顔なら毎日見てたけど?」
「そういうんじゃないよ」
「わかってるわよ、ただの冗談でしょ? 素直にすっと仲直りできるほど大人じゃないって知ってるくせに」
予備校の外階段にはタバコの吸殻が落ちていた。浪人しているヤツがここでタバコを吸って落としていく。オレも浪人したら、そいつらと同じく吸殻を落とし続けるのだろうか……?
「――?」
突然生あたたかい感触を唇に感じて驚く。けれど、そんなことをしてくるのは一人しかいなかった。
「何、考えてたの? せっかく二人っきりなんだからわたしを見て」
汗が、オレの首周りに腕を回してきたツバキの白い腕にぬるりと付く。気持ち悪くないのかと思うと、涼しい顔をしていたツバキのうなじの辺りも、髪の中が汗で蒸れてムッとしていた。お互い様だった。
二人で、慣れ親しんだキスをする。魚のように、お互いを貪り食らうような……。
「わたしのこと、好き?」
「好きだよ。ツバキは?」
聞くのが怖かった。平気な顔をして「嫌い」と言うような女だった。それとキスとは別なのよ、と。
「好きだよ。うん、好き。ちゃんと捕まえててくれないと他所に行っちゃうから」
「わかった。追いかける」
コンクリート製の外階段は焼けるように暑かった。そんなところで肌を押しつけ合って抱き合っているオレたちはほとんど正気とは思えなかった。
少なくとも日陰に入らないと、コイツは気を抜くとすぐに日焼けをする。こんなに白いのに、恐ろしいことにほとんど日焼け止めを塗らないのだ。「嫌いなの」の一言で片付けてしまう。
どこか、日陰に移らなければ。
「涼しいところに行こう」
「そうね……ホテルでも」
ピタリ、とツバキは自分の言葉で止まった。今日まで仲違いしていた相手とすんなりホテルに行けるわけがないと思ったんだろう。それはそうだ、そんなに物事が上手く進まないのはオレにもわかっている。
暑さが厳しいのか、ツバキは自分の片手でうなじに風が入るよう、髪に風を通していた。その白くて細いうなじは今日は髪に覆われている。
とりあえず、近くのショッピングモールにでも入ってアイスでも食べようという話になる。
「わたし、この間、熱中症で倒れたの」
そういうことは早く言えよ、と思いながら手を引く。そっと手を引いてよ、と言われてもそんなヤツをいつまでも炎天下にいさせるわけにいかない。速やかに移動して、冷たいものを取らせなければ。
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