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第8話 黙ってたけど彼女じゃない――ツバキ
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しまった。
何をしているんだろう? いいことをした気がこれっぽっちもしない。
なんで弟と何度もキスしてんの?
キスした後、何気ない顔してクーリッシュをゴミ箱に捨てて、
「シャワー浴びてくる」
と言ってリビングを出た。カエデが持ってきてくれた濡れたタオルを、汗をかいた服と一緒に洗濯機にぶち込む。
低めの温度に設定した温《ぬる》いシャワーがこぼれて、悪いわたしを洗い流してくれる。あーあ。
あーあ、である。
何だかめちゃくちゃだなぁ。
そう、大体あの男は何を話したかったんだろう? まったくもってわからない。わたしを捨てたくせに。男なら勝負に出てもいいんじゃないの、と思っていた。それから、わたしと付き合ってるから成績が落ちたとか、そういう話込みなのかなとも思った。
どちらにしても、あの男を動かす起爆剤に自分がなれないなら、これ以上一緒にいてもいいことがないんじゃないかと、そう思ったんだ。
好きか、と問われたら好きだろう。あんなに真摯な目で正義を説いたかと思えば、同じ目で「ツバキ」と呼んでくれる。少し癖のある柔らかい髪も触り心地が良くて好きだった。柳くんの家にいるヨークシャーテリアのラブちゃんと手触りが似ていた。
キスをする時、柳くんの頭の後ろに手を回すといつもそれを考えた。ああ、ラブちゃんの感触。柳くんの家はフワフワだ。
もっとも……カエデのさらさらした、風に揺れそうな髪もとても好きだけど。細くてまっさらな髪がクーラーの風に揺らされていると思ったら、キスしていたから揺れているのだと気づいた。目を細く開けてそれを見ていた。
別にキスする時に目を開ける派ではないのだけど、目をタオルで押さえてられなくなってそろそろと手をどかすと、目の前にカエデの夢中になっている顔が見えた。
もちろんわたしだけが醒めていたわけではなく、わたしもその行為に溺れていたわけだけれど、カエデの顔を見た時に本当にそう思った。
ヤバい、気持ちいい。
アイスで冷たくなった口の中に生あたたかい舌がぬっと入ってくる。そうしてわたしを探して口の中を動き回る。やだ、この子。この前も思ったけどキスが上手い。巧妙に追い立てられて捕まる。いや、捕まりたくて捕まるのかもしれない。
ああ、今日も彼女、来てたっけ……。
キスくらいはしたんだろうな……。
二番目か?
「あのさー」
「ん? 髪、拭いてあげようか?」
せっかくだからお願いする。カエデが髪を拭いてくれるといつも眠たくなってしまう。罪作りな美少年だ。細くて長い、白い指先はピアニストのもののようで、わたしの髪を丹念にタオルドライしてくれる。頭が前後にいい感じに揺れる。
「あのさー」
「うん、どうしたの?」
「彼女、夏休みの間、毎日来る?」
「あー」
弟は突然、歯切れが悪くなった。彼女の話を姉にするのはそんなに不都合なんだろうか? ……たぶん、あまり言いたくないだろうし、言われたくないだろうけど。
「言っておく。アイツ、約束してない日でも勝手に来るんだよ。でも困るって言っておく」
「『困る』? 彼女なのに?」
「自分勝手なヤツだからさ」
「ヤルことヤッてて、『困る』の? 勝手にかもしれないけど、来ればヤルんでしょ?」
カエデの気持ちのいい細い指が、ピタッと止まった。言い過ぎたかな、と反省が入る。わたしたちだって上手く行ってる時にはそういう時があったのに。
「じゃあさ」
「う、うん……」
よくわからない力に圧迫される。とても顔を見上げられる雰囲気じゃない。タオルはカエデの手の中にあって、わたしの髪はあろうことか貞子のような状態で留まっていた。
「ツバキがヤラせてくれんの?」
「な、なんでそうなんの? つーかさ、一応、姉だし」
「キスはするじゃん。ツバキから誘ってくるじゃん」
「それとこれとは」
「一緒でしょ? ツバキがそういうことでガタガタ言うなら、アオイとはもう会わない。僕はそれでいいんだ。アイツと会わなくちゃならない理由は本当はないんだ」
いい加減にしなさいよっ! と、振り返りざまに振り上げた手首を、見事に捕まえられてしまう。ああ、こういうところはしっかり男の子なんだなぁと不思議とがっかりする。わたしの知ってるカエデは、カブトムシさえ持てなかったのに……。
形勢は不利。
負けの気配濃厚。
迅速に切り上げるべき、なのに。自分が人形になったみたいにパタンと簡単に背中からソファに沈む。
「彼女のこと、大切にしなくちゃ……」
「黙ってたけど、彼女じゃないんだよ」
そうなのか、と一人、キスを受けながら納得する。彼女じゃないから、外で会ってたりしないんだ。だからいつも家に来るんだ。ホテル代もバカにならないし。
つまりはあれだ。セフレってやつ? 高校生でもいるんだ。カエデみたいに見た目も中身も真面目そうな男子にも……。
「キスマーク、つけないで」
「どこがいい? 首筋? うなじ? ……鎖骨?」
「ダメ……夏だから隠しようもないんだもん」
「じゃあ大サービスしてうなじ。僕、ツバキのうなじ好きだよ」
抗えない自分がバカみたいだ。
覆い被さるカエデの下で、その背中にしがみついて全身で感じている。うなじに、鈍い注射をしたときのような痛みを感じる。
ちょっとの間カエデは止まって、わたしのうなじを満足気に眺めていた。いや、顔を逆向きにしていたのでカエデの顔は見えてはいなかった。でも、満足している気配を確かに感じた。
何をしているんだろう? いいことをした気がこれっぽっちもしない。
なんで弟と何度もキスしてんの?
キスした後、何気ない顔してクーリッシュをゴミ箱に捨てて、
「シャワー浴びてくる」
と言ってリビングを出た。カエデが持ってきてくれた濡れたタオルを、汗をかいた服と一緒に洗濯機にぶち込む。
低めの温度に設定した温《ぬる》いシャワーがこぼれて、悪いわたしを洗い流してくれる。あーあ。
あーあ、である。
何だかめちゃくちゃだなぁ。
そう、大体あの男は何を話したかったんだろう? まったくもってわからない。わたしを捨てたくせに。男なら勝負に出てもいいんじゃないの、と思っていた。それから、わたしと付き合ってるから成績が落ちたとか、そういう話込みなのかなとも思った。
どちらにしても、あの男を動かす起爆剤に自分がなれないなら、これ以上一緒にいてもいいことがないんじゃないかと、そう思ったんだ。
好きか、と問われたら好きだろう。あんなに真摯な目で正義を説いたかと思えば、同じ目で「ツバキ」と呼んでくれる。少し癖のある柔らかい髪も触り心地が良くて好きだった。柳くんの家にいるヨークシャーテリアのラブちゃんと手触りが似ていた。
キスをする時、柳くんの頭の後ろに手を回すといつもそれを考えた。ああ、ラブちゃんの感触。柳くんの家はフワフワだ。
もっとも……カエデのさらさらした、風に揺れそうな髪もとても好きだけど。細くてまっさらな髪がクーラーの風に揺らされていると思ったら、キスしていたから揺れているのだと気づいた。目を細く開けてそれを見ていた。
別にキスする時に目を開ける派ではないのだけど、目をタオルで押さえてられなくなってそろそろと手をどかすと、目の前にカエデの夢中になっている顔が見えた。
もちろんわたしだけが醒めていたわけではなく、わたしもその行為に溺れていたわけだけれど、カエデの顔を見た時に本当にそう思った。
ヤバい、気持ちいい。
アイスで冷たくなった口の中に生あたたかい舌がぬっと入ってくる。そうしてわたしを探して口の中を動き回る。やだ、この子。この前も思ったけどキスが上手い。巧妙に追い立てられて捕まる。いや、捕まりたくて捕まるのかもしれない。
ああ、今日も彼女、来てたっけ……。
キスくらいはしたんだろうな……。
二番目か?
「あのさー」
「ん? 髪、拭いてあげようか?」
せっかくだからお願いする。カエデが髪を拭いてくれるといつも眠たくなってしまう。罪作りな美少年だ。細くて長い、白い指先はピアニストのもののようで、わたしの髪を丹念にタオルドライしてくれる。頭が前後にいい感じに揺れる。
「あのさー」
「うん、どうしたの?」
「彼女、夏休みの間、毎日来る?」
「あー」
弟は突然、歯切れが悪くなった。彼女の話を姉にするのはそんなに不都合なんだろうか? ……たぶん、あまり言いたくないだろうし、言われたくないだろうけど。
「言っておく。アイツ、約束してない日でも勝手に来るんだよ。でも困るって言っておく」
「『困る』? 彼女なのに?」
「自分勝手なヤツだからさ」
「ヤルことヤッてて、『困る』の? 勝手にかもしれないけど、来ればヤルんでしょ?」
カエデの気持ちのいい細い指が、ピタッと止まった。言い過ぎたかな、と反省が入る。わたしたちだって上手く行ってる時にはそういう時があったのに。
「じゃあさ」
「う、うん……」
よくわからない力に圧迫される。とても顔を見上げられる雰囲気じゃない。タオルはカエデの手の中にあって、わたしの髪はあろうことか貞子のような状態で留まっていた。
「ツバキがヤラせてくれんの?」
「な、なんでそうなんの? つーかさ、一応、姉だし」
「キスはするじゃん。ツバキから誘ってくるじゃん」
「それとこれとは」
「一緒でしょ? ツバキがそういうことでガタガタ言うなら、アオイとはもう会わない。僕はそれでいいんだ。アイツと会わなくちゃならない理由は本当はないんだ」
いい加減にしなさいよっ! と、振り返りざまに振り上げた手首を、見事に捕まえられてしまう。ああ、こういうところはしっかり男の子なんだなぁと不思議とがっかりする。わたしの知ってるカエデは、カブトムシさえ持てなかったのに……。
形勢は不利。
負けの気配濃厚。
迅速に切り上げるべき、なのに。自分が人形になったみたいにパタンと簡単に背中からソファに沈む。
「彼女のこと、大切にしなくちゃ……」
「黙ってたけど、彼女じゃないんだよ」
そうなのか、と一人、キスを受けながら納得する。彼女じゃないから、外で会ってたりしないんだ。だからいつも家に来るんだ。ホテル代もバカにならないし。
つまりはあれだ。セフレってやつ? 高校生でもいるんだ。カエデみたいに見た目も中身も真面目そうな男子にも……。
「キスマーク、つけないで」
「どこがいい? 首筋? うなじ? ……鎖骨?」
「ダメ……夏だから隠しようもないんだもん」
「じゃあ大サービスしてうなじ。僕、ツバキのうなじ好きだよ」
抗えない自分がバカみたいだ。
覆い被さるカエデの下で、その背中にしがみついて全身で感じている。うなじに、鈍い注射をしたときのような痛みを感じる。
ちょっとの間カエデは止まって、わたしのうなじを満足気に眺めていた。いや、顔を逆向きにしていたのでカエデの顔は見えてはいなかった。でも、満足している気配を確かに感じた。
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