ベイロンドの魔女

路地裏の喫茶店

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三章 ランの誇り

第十五話

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「さて、それじゃあ片付けるわね。お腹一杯になった?」

「ええ…ごちそうさま」


「うん、よかったわ。じゃあ今日はもう寝ましょうね。私も部屋に帰るわ。あ――そうそう、これを渡すわ」
 そう言ってリィディは、ベッドの脇の小さなテーブルに小さな瓶に入った薬のような物を置いた。

「これは…」

「それは目薬よ。遠見の目薬といって、遥か遠くの物がまるで近くにあるものの様に見る事が出来るわ。私が無断であなたをさらって来てしまって、あなたの知人達はきっと心配しているわね。もしよかったら寝る前にそれをつけて御覧なさいな。あなたの知人達の様子が見えるはずよ」


「遠見の…目薬」
「ええ、そうよ。それじゃおやすみなさい」
 リィディは空になった食器をお盆に乗せて持つと、部屋を出て行った。

 窓から見えた森は、今は日も暮れて深い闇に沈んでいる。空には銀色の満月と、沢山のダイヤモンドをばら撒いたような星々が瞬いていた。


「ちょっとだけ、つけてみようか」

 知人…私を心配してくれる人なんている筈がない。そう分かっていたのに、私は何故か目薬をつけてみようという気になった。

 目薬を両目につけると、途端に奇妙な感覚に囚われた。現実の距離と意識の距離が、まるで同一のものであるかのような感覚、私が思い描いた人の姿は、まるで実際にそばにいるような姿として瞬間に見えたのである。私はその時、学園の人達の様子を思い浮かべたのだった。

 森を隔てて、山を隔てて、距離を隔てて――私は彼等の話を聞いた。

「あの娘、高熱で倒れたと思ったらいつの間にかいなくなってしまったそうよ」

「ええ?それ、本当の話?」

「ええ、本当らしいわ。メイドのシンディがそう言っていたもの」

「…逃げ出したのかしら、ランは院長にこきつかわれていたものね」

「一人では歩く事も出来ない程の高熱だったらしいんだけど」

「…まあいいじゃない。私前々からあの娘は気に入らなかったもの。お金を払っているわけでもないのに一応ここの生徒という扱いになっていて、私達と同じ生徒、だなんて。私達の格が下がっちゃうわ」

「そうそう、そのくせいくらいじめても生意気で、私会う度悪戯をしてやったのよ」

 

「いいかいシンディ。この事は外には漏らすのではないよ」

「は、はい院長先生」

「…どうしてあの娘がいなくなったのか…おおかた逃げ出したのだろうけども、我が学園から人がいなくなるなんて、どんな噂が立つものか知れたものではない。

 だからいい事!最初っからランはいなかったとお思いなさい。いいわね!」

「は、はい!」

「…全くそれにしてもランは恩知らずな娘だよ…」

「…」



 分かっている。両親を失った時から、とうに自分の場所なんてなかったのだという事。
 私を必要としてくれる人なんて誰もいないのだという事を…。

 私は眼をつぶってベッドにくるまると、早く眠ってしまいたいと思った。だが目薬の効果は中々消えてはくれず、しばらくの間それ以上聞きたくもない学園の人々の声を聞いていなければならなかったのだった。

「…もうやめてよ…もういいんだってば!」

 私は悔しさに身を震わせると、シーツを握り締めながら声を殺して涙を流した。

 自分で道を開けない、いつも運命に翻弄されて逆らえない自分が、どうしようもなく憎かった。

 



 

「おはよう、ラン」

 朝になると、リィディは再び私の部屋に朝食を運んで来た。だけど私は彼女の方を向こうとはせず、布団にくるまってうずくまっていた。

「体の調子はどう?よく眠れたかしら」
 彼女はベッドの脇に座り、机に朝食を置く。私の体はといえば昨日よりは体力も回復していた事を感じる事が出来た。

「……」


「ラン、どうなの?具合は良くなってきているかしら」

「…私にはやっぱり帰る所なんてないみたい」
私は上半身だけをむくりと起こすと、リィディに静かに言った。

「…そう」
「あなた――リィディは最初から知っていたんでしょ?そうなんだって事は。私が…魔女になる運命にあるって、占いで知ったって言っていたわ」

「――何故かしらね。魔女の素質のある人は、その人の好むと好まざるとに関わらずそういった人生を歩む人も少なくはないの」
 いつも優雅で落ち着いた表情をするリィディの顔に、その時ふっと陰が落ちた。

「でもラン、それでも、まだあなたには選択肢はあるのよ。学園には帰りたくないかもしれない、でもそれでいて他のどこかで人間としての暮らしをしたいと思うなら、私達は僅かだけれども蓄えの中からあなたが生活を始める事を助けたいと思うわ――私達は同じ運命を背負ってしまった、ある意味では姉妹――家族の様なものなのだから」

「……」

 リィディは私の質問には沈黙を保った。しかしリィディはまた、魔女になると言う事を強制もしない。

 私は昨日と同じように窓の外の風景を眺めながら、精霊を見た時の感覚を思い出していた。
窓の外には幾多もの淡い光が見えた。

 その中の一つ、風の精霊が外から私のお腹のあたりで組まれた手の上に止まった。確か、シルフという精霊だ。少女の姿をした精霊は私の手の上でクスリと笑うと、昨日と同じ様に一陣の風を残して消え去った。

――ああ、もう私はやっぱり、とっくのとうに人間ではないのかもしれなかった。


「ここに残るとしたら、何をするのかしら。魔女って一体何なの…」

「ラン」

 リィディは知らず眼を伏せてまず、そうとだけ呟いた。きっと魔女になる素質のある人間をこうして連れて来た時、占いや遠見の薬によってその人の出す答えや、どういう風に話をすればその人がわかってくれるかを彼女は(魔女は)知っているのだろう。だけど決してそれだけではない、その事を私の様な人間だった者に伝える事が起こす私の葛藤や、失望をもリィディは知っているのだと思った。

 人間の生活に別れを告げる事の辛さを――彼女の時もきっとそうだったに違いない――知っているのだ。リィディはとても複雑そうな顔をしていた。


「…まずはここで魔女としての力を使えるようになる為の訓練や勉強をしていく。そして――」
「そして――?」

「その力を役立てていくのよ。その力で、自分に出来る事をしていく」
 リィディは私の眼をまっすぐに見て言った。私も彼女の眼を見て、


「…私、ここにいてもいいのかな」と呟いた。

「ええ、もちろんよ!」
 静かに伸ばされた彼女の手が私の手にかぶされる。暖かい手だった。

「私の他にこの塔にはもう一人の魔女がいるの。名はコリネロスと言うのだけれども、お婆ちゃんの魔女よ。私達の事を家族だと思って何でも聞いてね。ラン」


「…じゃあリィディは…私のお姉さん?」

 知らず私は、少しだけ顔が緩むのを感じた。ここ一年程、記憶にない感情だった。

「そうよ!ランは私の妹だわ」


「私、一人っ子だったからずっとお姉さんがいればいいなって思っていたの」
「…ここに来て始めて笑ってくれたわね」

 その時の、朝日に照らされて嬉しそうなリィディの顔をよく覚えている。私も嬉しい、というか安らぎに似た――もちろんその陰にはまだ幾多もの捨てきれなかった気持ちが存在していたのだけれど――、とにかく私はその時、魔女として生きようと思ったのだ。

 リィディとコリネロス。そうして彼女達は私にとって言うなれば正に、「運命の家族」となっていったのだった。

 
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