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二章 深い海の底から
第十話
しおりを挟む突然背後でヒュゴォオォ…という風が集束するような音がしたと思うと、響くようなくぐもった声が私達を縛りつけた。
「…人間の子、魔の子よ、我が怒りを受けに来たというのか」
振り向くと、壺の底から火の揺らめきが、竜巻のように幾重にも渦巻いている。揺らめきは上部にいく程はっきりとした質感を帯びていて、しばらくしてそれが完全に形をとった。
上位精霊…かつてこの一帯を治めていた土地神だったのかもしれない。
全体的に赤みを帯びて、それでいて土煙にまみれたような土色をも感じさせる。上半身は隆々とした筋肉に彩られ、へそから下、丁度下半身の辺りからは実体か、そうでないか曖昧なゆらめきとなっている。
しかしその精霊の心の内を、極めて如実に現していたのは顔であったろう。
眉間に深く刻まれたしわ、燃えるように逆立つ眉毛は憤怒の様相を呈していた。口は大きく開かれ、赤々として爬虫類を思わせる下と鋭い牙を覗かせる。
眼は私達や人間のようなそれではなく、爛々と白く輝き、光を放っていた。その眼は何も見えていないかの様でもあり、全てが見えているかの様でもあった。
その眼と私の眼が合った瞬間、突き刺さるようなプレッシャーと、その全身から放たれる攻撃的なオーラを感じて私はいすくんだ。
「あ――あなたは、一体何故この街に、呪いを振りまこうというのですか――」
言いながら口の中がからからなのに気がついた。一体最後に水を口にしたのはいつだったか――。
「何故!何故と言うのか!」
精霊は拳を強く握り締めると、わなわなと振るわせた。精霊の眼の光、威圧感が一層強くなったような気がした。
「我は古よりこの土地に住む者ぞ。火と土を神話の時代より守り続ける王、ニシュランなり!汝等我が治めるこの一帯を侵すがまず大罪にして、なおも我が住処まで侵そうと言う。許すまじ!なれば我も呪いを、炎をもって人間の領域を侵すのは道理だ!」
血のように赤い口から、業火を漏らしつつ上位精霊――ニシュランは猛り、叫んだ。しかしその押し潰されそうな怒りの風圧の中に、長く苦しんできた、悲しみの様なものさえ感じられた。
「……」
左手で風圧から身を守り、右手で後ろ手にアバンテをかばいつつ、小さな呪文をつむいだ。魔力や精霊力を無効化する、緑の光。
それでもなお、完全には無効化しきれなかったのだけど――私は意を決して口を開いた。
「それでも、人間には、人間の生活もあります。この痩せた土地で人が生きていくには、炭坑が必要です。ニシェラン――あなたの領域を侵すつもりでも何でもなく、人には生きる為の糧が必要なのよ。
この子達の親は、決して自分だけの為ではなく炭坑を掘らなければいけないんだもの。どうにかして、お互いが共存できる道はないのかしら?ニシェラン!私だってあなたが住処を侵されて困っているのだと言う事を皆に伝えるわ。だから――」
「黙れ!」
まるで地鳴りの様な音を立てて、ニシェランは吼えた。これは…。
「聞いて!ニシェラン!」
しかし彼は最早私の言葉になど耳を貸そうとしなかったのだった。
傷を負わされた手負いの猛獣にも似た、ぎらつく怒りが部屋全体を震わせた。
震動は徐々に大きくなり、古くなった石壁の間からほこりを降らした。天井を支える何本もの柱の亀裂が、生き物のように長くなっていった。
「呪いと天変と、この地に住まう人間達に百難を与えて罰とせんと思ったが、それも最早生ぬるい。我が怒りは抑えきれぬ、こうなれば我が直接街を吹きすさぶ砂塵にさらし、燃やしてくれよう!」
「馬鹿な…!く、狂っている…!」
アバンテが眼を細めながら言った。そう、狂っている…ニシェランは怒りに狂っているのだ…!
「そんな事はやめて、ニシェラン!」
私は無意識的にニシェランに向かって手を伸ばしていた。それは――確かに住処を侵されようとしている彼に、哀れを感じたのかも、それとも、彼の怒りを鎮めたかったのかもしれなかった。だけどもしかしたら私は、もっと別の――そう、これから起こる惨劇、それも――彼自身に起こる惨劇に遠い所で気がついていたから、それを止めたかったのかもしれなかった。
ニシェランはその姿を壺に潜り込ませる前に、狂気の笑いを見せていた。その顔は、これから復讐を行う人間の苦しむ様を想像して、醜く歪んでいた。
私の手が虚しく空をきると、部屋の震動と一緒に壺の奥底からゴウゴウという音が聞こえてきた。
「ラン…あいつは一体、どうしちまったんだ…?」
「……」
その時突然壺の奥底から、生き物の様に赤く、ぐつぐつと煮えわたる、どろどろとしたねっとりとした液体が流れ出た。
溶岩だ!
「危ないアバンテ!下がってぇぇ!」
私はとっさにアバンテを半ば突き放すようにすると、自分もじりじりと後ろに下がった。
壺から出る溶岩は、流れ出るその速度を緩めず、むしろ量を増して、恐るべきスピードで出続けた。
「やめてニシェラン!ニシェラン!」
私の声などもう何程の効果があっただろうか。溶岩は瞬く間に私達の足元までせまった。
「アバンテ、ここを出なくては駄目よ!」
「わ、わかった」
私達はもうここには踏み止まれない事を悟り、後を向いて猛然と走った。
揺らめきの境界線を抜けて、暗闇の道を走る。さっきまでの部屋が随分遠くになり、一際赤く輝いたかと思うと、ズウゥゥンという轟音が鳴って、その危うい、敵意に満ちた溶岩は、たちまち私達を追いかけて来たのだった!
「キャアアア!」
私達は辛くも暗闇の道を抜け、行き止まりだった坑道の所に出る。溶岩はなおも執拗に追いすがり、うねりをあげていた。
「上だ、ラン!」
アバンテが私に手招きをして、昇降機のパネルに手をかける。私は素早くそれに乗り込むと、出口へ、上層へと昇降機は動いた。
昇降機が昇る間、下の方で何かがぶつかる音がした。溶岩は上まで迫ってくるのだ!
鐘の鳴る音がして、入り口の階に着く。私達は後ろも見ずに走って、出口を目指した。
「逃げても無駄だ」
頭の中に、ニシェランの声が響いた。逃げて、逃げて、その後どうすればいいのか――そんな私の考えを見透かすような声だった。
私達はとうとう入り口を見つけ、外に出る事ができた。だけど、炭坑全体を震わす震動は更に大きくなっていたのだった。
今や街、そのものが震動に揺れている。地鳴りが聞こえ、街の人々達も何事かと顔を出して来た。先程のホブゴブリンの騒動もあってか、人は多かった。
「何だ何だ?」
「すごい揺れだぞ。何かの前触れか?」
「一体どうしたってんだ!」
集まる人だかりを見て、更に人が集まる。
メインストリートの終わり際、鉱山の麓には今や随分な人々が集まっていた。
「皆さん、ここは危ないんです!溶岩が、溶岩が鉱山から溢れ出て来ます!逃げて――」
私は走ってきた汗を拭う間もないまま、皆に向かってそう叫んだ。だけど地鳴りと人のざわめく声とで、それが聞こえたかどうかもわからない。殆どの人はそんな声に気など留めずに、鉱山を見ていたかもしれない。
「ああっ、あれを見ろ!」
一人の男の人が、鉱山を指差した。
私はそれを眼で追い、愕然としたのだった。
暗闇の空に浮かぶ、巨大なオレンジ色の球体。ぎゅるぎゅると回り、やがて中空にあの人身を形どった。
「ニシェラン…」
「な、何だあれは!」
「キャアアア!」
遥か高みから、私達ちっぽけな人間を見下ろすニシェラン。最早その口は、何も語らない。語っていたのは眼に宿る狂気だけ。
叫び声を挙げて恐怖する人達、服にすがりつくアバンテを感じつつも、何故か心の中では何か遠い、遠い声が聞こえ始めていた。
8
炎と土の上位精霊は、人間達に憎悪に満ちた顔を向けると、突然手をかがめ身を丸めた。わなわなと震えながらその身体は、何かのエネルギーを貯めているようでもあった。
そうして彼がばっと手を広げた時、それは世にも恐ろしい光景の始まりであったのである。
「火の…鳥」
彼の手や腕からは、一度彼が腕を振るう度に小さな炎の鳥のようなものが放たれたのだ!
炎は生きている様に、否、実際に意思を持っていたのだった。下位の火の精霊、サラマンダーであった。
サラマンダーは空を旋回し、この現実世界に具現化された事を喜んだ。そして主の命令をすぐさま思い出すと、街の建物や人をめがけて飛んでいったのだった。
「わあああぁ!」
「たっ、助けてくれ!」
「俺の、俺の家が!」
炎は赤々と猛り、夜空を染めた。
逃げ惑い、恐怖する人々。そして炭坑から流れ出てきた溶岩。
それらを全て見たとき、私にはっきりと声が響いたのだった。
遠い、私の精神の海の底から湧き出すような声、私の中の、私を魔女たらしめる部分から来る声が、言ったのだった。
(魔女の力を解放なさい。あなたの力はもっともっと大きい。万物を押さえたる力を持つ者よ。力を解放なさい)
(――誰――ル…ピ…ス――――?)
(力を解放しなさい)
問答をしている暇はなかった。
私は無意識にバッグから魔女の本を取り出すと、それを開いていた。
「アバンテ…私から離れていて…」
「…ラン?」
私はアバンテのつかむ手を放すと、ニシェランの浮遊する所まで、ゆっくりと歩いて行った。
はっきりとさっきの声が、私を平然とさせていたのだ。それは全く突然であった。さっきまで恐ろしくてたまらなかったニシェランの姿が、大したものでないようにさえ思えた。まるで私の意識は、私以外の何者かのもののように、どこか自分自身を客観的に見ていた。
爛々と怒りに燃えるニシェランの瞳。その姿を映して私の双眸も、赤々と燃えていたのかもしれない。
「炎と土の誇り高き王、ニシェラン。私はあなたをこのままにしておく事はできない」
私は小さな、落ち着いた声でそう言い放った。宙空にいるニシェランはその言葉を聞いたのか、ひどく可笑しそうに残忍な笑いを見せた。そしてここに姿を現してから、初めて声を出したのだった。
「このままにしておく事はできない?小さな魔女ごときが上位精霊に、何をしようというのだ。我に対等に交渉できる魔女など、幾人もいまい。
北のコリネロス、南のルーデンハーンヅ、そして行方不明のアルテミル…数える程だ…くっくっく。お前なんぞにはどうにもできん!この街の人間達には最早罰が降る以外に救いはない!」
「…」
私の眼の前に魔女の本が浮かんだ。何故か自分に魔力が満ちるのが分かる。それはかつて、感じた事のない程の力であった。パラパラと本がめくれていって、そして最後の十三ページになった時――。
魔女の本の最後の十三ページ。それは、古の禁じられた十三の魔法達。多くの大魔女達が作り上げ、その効果は天を焦がし大地をも揺るがすようなものもあったと言う。しかしその効果の巨大さ故、危険さ故禁じられてきた魔法だ。
普段は、いやその殆どの魔女達はそのページは白紙にしか見えない。古より伝わる強烈な封印の力により、見えないようにされているのだ。
だけど、リィディからこんな話を聞いた事がある。古より生まれし才能ある魔女達の中には、その封印さえも退けて魔法を解読できる者がいたという事を…その人達が禁じられた魔法を使ったのか、その後どうなったのかは…知らない。
なおもページはパラパラとめくれ、そして、十三の白紙のページの六ページ目で本はめくれるのをやめた。昔何度見ても、白紙だったはずのページである。
(読める…)
(アン・トール・ペイルース…)
「…リブラルの大口、そして触手」
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