ベイロンドの魔女

路地裏の喫茶店

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二章 深い海の底から

第七話

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 翌日私は鉱山を見学できる事になった。セラノがお父さんに頼んでくれた所、セラノのお父さんは作業の邪魔になりさえしなければ見学してもよいと言ってくれた為だ。セラノは一緒に来てくれるのだと言う。私達は炭鉱夫の人達が一休みを取る、お昼に見学に行こうと決めたのだった。

 昨日アバンテとセラノが私が街を調べる事に協力してくれると言ってから、少し皆と話をした。どの人もセラノの言う通り気のいい人だと言う印象を受けた。学校の怖い先生の話、お父さんの秘蔵のお酒をこっそり飲んでみた話など、本当に可笑しい話ばっかりだった。

私の方からは口うるさい祖母の話、優しい姉の話などをした。皆私の話を笑って聞いてくれたのだ。

 私は昔孤児院にいた。そこで合った私と同年代の人達はいつも冷たい眼で私を見ていた。そんな経験が長く続いて、いつしか私は新しく会う人に対して警戒心を覚えるようになっていたのだった。私はセラノやマーカントさん、ルックさん達に感じた温かみを、彼等に感じた。私はもう、あんな冷たい眼で見られなくていいようになったのだろうか…。

 一人でいると考える事は多い。私はしばらく窓の外から灰色に照る路地裏と僅かな人々の往来を眺めていた。

「ラン」トントンとノックの音がして、セラノが部屋に来てくれた。炭鉱の見学に行くのに、呼びに来てくれたのだった。

 炭鉱のお昼休みは正午から午後一時までで、セラノが宿の仕事を終える時間にはやや早かった。だから私は無理を言ってマーカントさんやセラノの仕事を朝から手伝わせてもらったのだ。

「ありがとう。いつもより早く終わったよ。今セラノを部屋に呼びに行かせるから、部屋で休んでなさい」

 と言うのがマンカートさんの言葉。仕事を終えてからセラノは炭鉱を見学に行く用意をしたのだろう。セラノはこないだ着ていた半ズボンとシャツではなく、灰色の長ズボンと上着を着ていた。

「これあっついけど、炭鉱に行くんなら服が汚れちゃうからって母さんに無理やり着せられたんだ」
 セラノは両手を広げて確かめるように自分の服を見た。するとバッグからもう一着の服を取り出して。

「はい、ランの分だよ。母さんが持ってけって、ランの分も縫ってくれたんだ」
 と言って私に服を渡してくれた。

「マンカートさんが…」
「ラン、じゃあそれを着てそろそろ行こうか」
「うん、外で待っててね」

 

「お待たせ。セラノ」

 セラノと同じ、灰色の長袖長ズボンの服を着て部屋を出た。セラノは壁にもたれていたのを起き上がると、「うん」と階段を降りて行った。


「ちょっと待って、先に外で待っていて」
 私は宿を出る前に、マンカートさんにお礼を言っておこうと思った。さっきマンカートさんは食堂にいたから、まだいるはずだ。

「おや、どうしたんだい。そろそろ行くんじゃないのかい」
 マンカートさんは食堂の奥から姿を現すと、近くまで来て服を着た私を見た。

「サイズはぴったりだったねえ。あんたの着ていた服なんかで炭鉱に行ったら、すぐに汚れちまうからねえ。あんたのあの服、珍しいデザインの服だけど、上等なものだもの。これならいくら汚しちまってもいいからね。何の興味があってあんたみたいな小さな娘が炭鉱なんか見に行くのか知らないけど、セラノも嬉しそうでねえ。ま、気を付けて行っておいで」

「…マンカートさん、私本当に嬉しいです。どうもありがとう、それじゃあ行って来ます!」
 私はマンカートさんに頭を下げると、早足で食堂を出た。

 言おうとしたけど、「小さい頃にお母さんを亡くしているから、人に服を作ってもらうなんて、とっても久しぶりで嬉しい」なんて恥ずかしくてとても言えなかった。私は遠い記憶のお母さんの顔を思い浮かべながら、袖口の匂いを嗅いだ。――いい匂いがする。

 

「やあラン」

「アバンテ!」

 宿を出ると壁にもたれかかったアバンテに声をかけられた。その横でセラノは腕を組んでいた。


「アバンテ、どうしたの?」
「ラ――ン。炭鉱に行くんでしょ、それなら私も誘ってくれなきゃ」
 見ればアバンテも私達と同じ様な長袖長ズボンの格好をしていた。

「朝会って今日炭鉱を見に行くんだって話をしたら、アバンテも行く事を決めたらしいんだ。それでそろそろ行く頃かと思って待っていたんだってさ」

 セラノはやれやれと言った感じの眼でアバンテを見やった。アバンテの性格を考えて観念したというような微笑を含めて。

「私だって御多分に漏れず炭鉱には詳しいのよ。たまにセラノと一緒に炭鉱に忍び込んだりしているからね。ねっ、ランあたしも一緒に行くよ。いいかい?」
「まあ!ふふ、私は構わないわ。セラノ、アバンテも行っても大丈夫かしら?」
「うん、構わないよ。でもアバンテいきなり来るんだもんなあ…」

「ぶつくさ言わないの。さあ行きましょ」
 セラノを突っついたりしているアバンテを見ながら、友達と遊んで楽しいっていうのはこんな感じなんだろうかと思った。二人を見ているとおかしさがこみ上げてくるのだった。

 

 街外れ、鉱山と工場の付近の時間はいつも通りせわしなく動いている。私はここに近づいた時から以前感じた鳴動を感じたのだけど、あらかじめわかっていた事でもあったので心の準備をする事ができていた。寒い日に肌の上に服を着込むように、私の胸の奥は強い精霊の思念の波に絶えられるよう薄皮が施されていた。

「休憩所で父さんが待っているんだ。行こう」

 工場の近くに大きめの建物がある。そこは炭鉱夫の人達が休み時間などの時に使用できるような簡易休憩所になっているのだそうだ。私達はまずセラノのお父さんに会いに、そこへ寄った。


「おうセラノ!こっちだ」

 休憩所の中には十数人程の炭鉱夫の人達がいて、テーブルを囲みながらめいめい水を飲んだり話していたりしていた。セラノのお父さんは奥側のテーブルに座っていて、私達を見つけるなり手を挙げた。

「父さん。僕達三人で行く事になった」

「おーおー、ランちゃんが炭鉱を見たいだなんてなあー。面白いものがある所でもないと思うんだが…それにアバンテもいるじゃないか」

「おじさん、こんにちは」
「今日はよろしくお願いします」

「うんうん、それじゃあ俺が案内しよう。ただ炭鉱ってのは危険でもあるから、十分に気をつけてくれよ」
 セラノのお父さんは笑うと、半球状の薄い鉄の帽子を全員に手渡してくれた。帽子にはシェナ・スターク炭鉱と書かれている。

「炭鉱ではそれを必ずつけておくれよ。じゃあ今日は今掘り進めている十八番炭坑に行こう」

 セラノのお父さんも帽子をかぶり、先頭に立って私達に笑いかけた。その笑い顔は優しくて頼もしい、一家の父親の顔だと思った。

セラノも誇らしげに微笑んでいた。

 

 鉱山の岩肌にはいくつもの坑道が口を開けていた。それぞれの坑道の入り口は丸木や石を積んで補強されており、番号を書かれた板が掛けられている。その坑道の名称だ。十八番炭坑はその中で最も西に位置する坑道だった。


「さあじゃあ入ろうか。足元に気をつけてな」
セラノのお父さんはランプを手に持つと、私達の前を進む。セラノとアバンテ、私の三人は自然と体を寄せ合いぎみになった。

 今は休憩時間なので坑道の中に人の気配はほとんどない。始めは坑道は水平な一本道で、私達はどんどんと奥に入っていった。

 入り口の光も届かなくなると、私達を照らす光はセラノのお父さんの持つランプと、坑道内に点々と設置されたランプの、うつろう光だけになった。

 ランプの光は静かで弱々しい。補強された長い長い坑道、セラノ達の顔も薄ぼんやりとしていた。じめじめとしていて、少し息苦しい。

「最近はこれでも換気が発達したんだよ。昔なんかは換気がろくにできなかったから、もっと辛くてねぇ。ランちゃんなんかは大丈夫かい?」

「ええ、大丈夫です」

 それからセラノのお父さんは、炭坑での色々な事を教えてくれた。石炭の取り方や坑道での換気の仕組み、スターク炭坑の構造など。私にとっては見るもの聞くものが初めてで、新鮮だった。

 炭鉱夫の人達はこういう所で一日働いているんだなと思った。

「お父さん…は、炭坑の仕事は大変ですか?」
 私はふとそんな事を聞いてみたくなってセラノのお父さんに話しかけた。

「え?ああ、こんな所に一日中入って仕事をするからね。大変は大変だなー。だけど、家族の奴等を食わしていかなきゃいけないからね、またコイツがよく食うからさ」

 そう言ってセラノのお父さんはセラノの頭をぽんと叩いた。

「何言ってんだって、父さんの飲み代も結構かさんでいるんだからね」
「あははは。おじさん!セラノの言う通りなんじゃないの?」
 アバンテが悪戯っぽくセラノのお父さんの背中を叩いた。お父さんはとても楽しそうに笑っていた。

 私はそんなセラノのお父さんを見て確信した。こないだセラノに街を案内してもらった時に感じた、柔らかな暖かい黄色のイメージ。

 あれは炭鉱で働く人達の希望のイメージなのだと。暗く辛い炭坑の中で、必至に働く人達。だけどその眼は家族を養っていく為、夢をかなえる為の希望に満ちているのだろう。炭坑で働く人達のそんなムードが、精神世界に身を委ねた私には黄色く感じ取れたのだ。

 私は自分が魔女になった意味を知りたいと思ってこの街に来た。それは今でも変わらないけど、災厄からセラノやアバンテ達を守りたいという気持ちも今はできた。

 大切なのは辛くても苦しくても、それを実行できる事だと思う。そしてそれを間違いなく実行しているセラノのお父さんを、私は尊敬した。

「さてじゃあ最下層の坑道を見せてあげよう」
 私達が坑道の突き当たりに着くと、坑道に竪穴があった。その竪穴には人が数人入れるくらいの鉄の箱があり、その箱から上下に鉄線が通っている。


「これは…?」
「昇降機だよ、ラン」
「昇降機?」
「これに乗ると上と下、どっちでも即座にいけるんだよ。ラン、見た事ない?」

「ええ…私の住んでいる所には…こういうのはないわ…」

「ハハハ。それじゃあ乗ってみようか。昇降機の中に入って、このボタンで行きたい場所を押すんだよ」
 私達が箱の中に入ると、セラノは箱の鉄柵のドアを閉めた。セラノのお父さんは箱の内側についたパネルについた突起の一つを押すと、突然箱がうなりをあげて下へと動き出した。

「キャッッ!」
「大丈夫さラン」
 驚いて声を上げた私の肩に、アバンテが手を置いた。やがてしばらくすると箱の――昇降機の振動は止まり、セラノのお父さんが扉を開けた。

「ランちゃん、もうここが最下層の炭坑だ」
 お父さんが大きなランプを掲げて通路の先を照らした。

「すごいですね…まるで魔法の様」
 私は箱から出ると、箱と竪穴を交互に見ながらそう言った。

「ハハハ、魔法みたい、か。そりゃいい。さあ行こう」

 最下層の炭坑はさっきまでの第一層よりも少し息苦しさを覚える。私達の声と音しかしないこの暗黒の中で、ついさっきまで浴びていた太陽の光をひどく遠く感じた。

「僕もここに来たのは初めてだ」
 セラノも驚いた顔をして歩いている。

「ここは今一番掘り進めている場所でな。どういう訳かここの階層の石炭は品質のいいものが取れるんだ」
 お父さんが三叉を右に入る。しばらくその通路を進むと、行き止まりになった。

 セラノのお父さんはランプを私に手渡すと、脇に立てかけてあったつるはしを行き止まりの壁に振り下ろした。

 がぁーんという音がして埃が舞う。ぼろぼろと崩れる土壁を想像したのに反して、行き止まりには崩れた後はなかった。

「?」
「ここだけは何故かこれ以上掘り進めないんだ」
「おじさん、どういう事?」
 アバンテが小走りでお父さんに走り寄る。

「言葉どおり、何故だかこの土壁が固くてねえ。つるはしで掘れないんだ。皆なんでだろうって思ったんだけどね。だからこの通路はちょっと前にここで行き止まりになった」

「へぇ~」セラノとアバンテは壁に手をやりその感触を確かめている様だった。私も習って触ってみる事にした。

 

 その時だった。

 私は精神世界でその土壁が突然に崩れ去っていく光景を見たのだった!そしてその土壁にはやがて一本の大きな闇のような通路が現れた。

 その奥は漆黒に彩られ何も見えない。だけど見えないそこからは、確かにあるものを感じる事ができたのだった。それは…暗く強い思念!意思。鎖でつながれた野獣が猛り狂い、繋がれている事も忘れて低く…しかし獰猛に唸るのに似ている。

 そのくぐもった声は、前触れもなく強い怨気に当てられすくむ私にむかって、ただ一つの言葉をぶつけた。

 

「立ち去れ!」

 

 私の精神を予め被膜が包んでいなかったのならば、間違いなくこの場に倒れていただろう。その被膜はショックを受け止め分散させて、私の肩をびくっとすくめさせる程度に抑えた。

 私は壁に手をついたまま、眼を閉じた。そして荒く鼓動する心臓をおさめようと、深呼吸をした。――頬を幾筋もの汗が滴っていた。

 私は誰にも気付かれない様平静を取り戻すと、さっき感じたイメージが、前に炭坑を見た時に感じた血の色と同じ事に気付いた。

 私はもう一度軽く土壁に手を当てた。

――ここには必ず何かがある――。

 

 その後私達は炭坑を出た。私達がセラノのお父さんに礼を言うと、お父さんは気のいい笑顔を見せた。昼休みを使って炭坑を見学させてくれたのだ。感謝してもしたりないくらいだった。

お父さんと別れると私は、しばらくアバンテとセラノと話していた。だが表面上はどうであれ、その時私は上の空だったのだ。

 さっきの行き止まりの土壁の奥、それが気になって仕方がなかった。あの奥には一体何があったのだろう。近いうちにまたあそこを調べなくてはいけない。そう思った。
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