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第二章 鍵の行方
僅かな昔話
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ヴェスカード: 獅子斬りと呼ばれた斧槍使い
フィオレ: かつて王立図書館で働いていた女魔法剣士
9
――どれくらいの時間が経っただろう。
フィオレの押し殺した泣き声がようやくおさまった。そうっと両手で抱え込んだ膝の間から顔を半分覗かせると、山男は先程までと同じ様に、フィオレを見るでもなく静かに焚き火の管理をしていた。
「……お水、いただけませんか。喉が、乾いてしまって……」
フィオレの水袋は流されてしまった。塩焼きの魚を食べて眼から出すものを出したらひどく喉の渇きを覚えた。
山男はああそうだよな、という顔をしてホレと腰から革の水袋を渡してくれた。
蓋を外して早速飲もうと思い、手が止まる。
この水袋は山男のものなのだ。さっき飲んでいた気がする。それに口をつけると言うことは、つまり――。
逡巡していると微妙そうな顔をしている山男と眼があった。
「濁流で水を汲んでからこっち、口をつけて飲んではおらんよ。それでも嫌なら返せ」
山男が手を出すのを避ける様にフィオレは水袋を持つと、充分に口に含んだ。かなり人心地がついた気がした。山男は全く、とか細かなことを、とか苦虫を噛み潰したような顔で言っている。
「ギルドの仲間というのはある意味では家族ともいうべきものなのだ。窮地に立たされた時であるならば一枚の干し肉を皆で順番に齧ることも、一つの水袋をかわるがわる口にする事もあるさ」
「い、いえ……つまらない事を、すみません」
「構わぬ。それより夜が明けたらここを発つぞ。まだもう暫くは夜の様だが、フィオレは少しでも多く睡眠を取り体調を戻してもらわねばならぬ」
「はい……」
人知れず抱えていた感情の吐露による精神的ストレスの軽減や、気を失い眠りに落ちていた時間、充分な食事のおかげか、未だ微熱は感じるが徐々に回復の方向へと心身ともに向かっていることはなんとなくだが自覚できた。
確かにヴェスカードの言う通りここでもう一度睡眠をよく取るのは今後の冒険の為には必要なことではあったが、それをそのまま受け止めるのも何か癪なような気がした。
「なんだか少し目が冴えてしまって眠れないんです……私が子供の頃は、眠れないと父がよく遠い国の話や童話をしてくれました」
言うと山男が少しおどけた調子で
「そうか……ではフィオレお嬢様には大きな西瓜の話か、薔薇姫か、氷の靴か、はてさてどのような童話がお好みかな」
と返した。これは想定内の返答。
「……私は旅する老騎士の童話が好きでした。よく父に何度も聞かされて」
その童話はある村に駐在する老騎士が村に仇なす魔物を追って各地を転々とし、最後は遠くの国で魔物を撃ち倒して村に帰ろうとする。しかし望郷の念を抱いたまま老衰で村に戻ることができずに没するが、死の間際見た夢の中で故郷に戻り愛する人々と再会すると言う話だった。
「そういえば――」
ある意味では心の内を見透かされ、感情の吐露によって図らずもそれを肯定してしまったフィオレである。すました顔でいるこの熊男の事も、少しは突っ込んだ話を聞いてみたいと思った。何しろヴェロンやパジャからは昔ギルドを抜けた男としか聞いていないのだ。
「どうしてヴェスカードさんはギルドを抜けたのですか?昔、何があったのですか――私、聞いてみたいです」
山男はぴくと眉を動かすとフィオレの顔を見た。ややあって再び焚き火に視線を移す。
「……眠らなくては回復せんぞ、フィオレ――」
「ええ――わかっています。では少し、少しだけ」
ふうと息をつくと、山男はぽつりぽつりと話し出した。
*
「――爺さん、俺の祖父アイスクレイスは若い頃ギルド・ティルナノーグを立ち上げたのだそうだ。
立ち上げにはヴェロンやパジャもいたらしい。その頃はまだまだ小さな新興ギルドだった」
「初代ギルドマスター・アイスクレイス……やはり強かったのですか?」
フィオレが問うと、山男はどこか遠くを見る様な眼をし、だが口元はどことなく誇らしげに
「ああ――俺も同じ斧槍使いであった。と、言うよりも俺が爺さんの職業に憧れて斧槍を選んだ、と言う方が正しいかな――だが爺さんは魔法剣士でもあった。当時は魔導と剣とを両極扱う事のできるスタイルが最も流行っていたのだと、爺さんはよく言っていたよ――ヴェロンも魔法剣士だ。
だが俺は完全には爺さんのスタイルを扱う事はできなかった。魔導に向いてなかったようだ。その分斧槍の戦い方というものをみっちりヴェロンに叩き込まれたがな……ええとどこまで話したやら」
「ごめんなさい、口を挟んでしまって」
「構わぬよ。爺さんは俺がガキの頃は、当たり前だが依頼には決して連れて行ってくれなかった。その代わり冒険から帰ってきた時は俺は一日中爺さんにくっついて色々な冒険譚を聞いたものさ……。
そうしてもう少し年月が経つと、爺さんらの実力を聞き及んだ猛者達がティルナノーグに集まる様になった。中には依頼で出会い爺さんらと運命を共にせんと誓った者もいた。
俺がガキの時分だったから――いいや、それを差し引いても――今もティルナノーグには猛者がいるがな、当時のギルドの猛者は抜きん出ていた様に思えた。
斬鉄の侍カーン、己を竜人に変化させ戦う竜鱗のサナトス、山砕きのテトラボーン、深淵の女魔導師ジェラ・ルナ……彼等の佇まい、冒険談、訓練の動き……俺はずっと、いつかこの人達と肩を並べて戦いたい、追いつきたいと願っていたよ」
ヴェスカードは水袋を手に取ると少し水を飲んだ。
「……やがて俺やクリラも成人を迎えた後、ティルナノーグに入る事を許された。とはいっても駆け出しには爺さんやSランクの猛者と共に困難な依頼に挑むことなどとても出来ぬ。駆け出しでもこなせる様な危険度の少ない依頼が主だった。しかし当時の俺等には荷が勝つものもあったし、がむしゃらだった。俺がクリラの危機を救う事もあったし、クリラによって俺の命が救われた時もあったよ。
二十代も半ばを過ぎた頃、いよいよティルナノーグは人が増えてきて、更なる猛者も集っていった。俺やクリラは彼等を見ていると、やがてティルナノーグは冒険者ギルドとして一番の、最高のギルドに君臨するだろうと信じて疑わなかった。だが――」
「…………」
突然言いづらそうに口を淀ませる山男を見てフィオレは息を呑んだ。
「――裏切り者が、一人の裏切り者が――ギルドにいたのだ」
パチパチと爆ぜる焚き火の火を写してか、いつの間にか山男の眼は異様なかぎろいをはらんでいる様に見えた。語気は荒く、時折震えが混じる――。
「その人間は、裏切り者は狡猾だった。その時まだ誰も、その人間が裏切っているとは気が付かなかった。
裏切り者はまるで人間を衰弱させて殺す遅効性の毒の様に、徐々にギルドに毒を孕ませて行った――」
語気はまた一段と強くなっていった。焚き火は語る山男の怨気に呼応するかの様に突然強さを増した様に見えた。異様な剣圧の様なものに包まれる周囲――フィオレはしつこく過去を問いただした事を後悔し始めていた――。
「――ある計画が成された時、猛者達の結束は糸を切った様にバラバラになった。互いが命を預け合い運命を共になさんとした者達の結束が、その――裏切り者の手によって崩壊した……いつしか、凄惨としかいいようのない――地獄の様な光景を繰り広げて、猛者達は沈んでいった――そして……」
山男の両拳がガキンゴキンと悲痛な音を立てた。焚き火の炎は一層鋭く燃え盛る。ヴェスカードの両の眼は既に、フィオレでも焚き火でもなく己の中の裏切り者を虚空に見据えて睨んでいる様でもあった。
「俺が――俺が……自らの手で……愛する祖父を、初代ギルドマスター・アイスクレイスを殺したのだ……」
フィオレの心の臓はドキリと跳ね上がる様な気さえした。その音が山男に聞こえはしないかと不安にさえなる。
「……同士討ち、メンバー殺しは大罪だ……俺はそうして自ら祖父の、ティルナノーグを抜ける事にしたのだ。もういる資格さえないと、そう思ってな……。
――フィオレ、フィオレ――……?」
山男が大きく、苦しそうに息を吐くと、女魔法剣士はいつの間にか寝息を立てていた。
ややあってもう一度山男はため息をつき天を仰ぐと静かに、自らを落ち着ける様に彼もまた横になる音がした。
フィオレが薄く、薄く眼を開ける。
山男が見ていたとしても気が付かれないくらいに。
焚き火越しに目を閉じて横になっている山男が見えた。
――まだおおよその概要を聞いただけだったが、辛い過去があるのは自分だけではなかった。もし自分が王立図書館での話を話してくれとせがまれたら、自分も平静を保ってはいられなかったかもしれぬ。
フィオレは少し山男に申し訳のない様な気がした。
――しかし、
祖父を、初代ギルドマスターを……?
この男はただ粗野な、冒険と料理が好きなだけの男ではないのだとフィオレは思った。
その後も頭をぐるぐると巡るものはあったが、やがて本当に睡魔は訪れて意識を失った――。
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