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第一章 依頼〜大空洞
隠れ里
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隠れ里
登場人物:
グラウリー:大柄な斧戦士
ラヴィ:女性鍛治師
バニング:暗殺者
マチス:老練な短槍使い
トッティ:若い鈍器使い
ボケボケマン:オークマスクの魔導師
エイジ:蒼の魔導師
トム:商人
ギマル:部族出身の斧戦士
※
「ようこそハーピーの隠れ里へ。わしはブラウン族のハーピーの長、ホルホルです」
鼻の下に長く垂れ下がった白い髭の間から、小さな口が声を漏らした。
彼等茶色の体毛を持つハーピーは、ブラウン族と呼ばれているらしい。
「俺はグラウリーです。人間として長老にお会い出来るのは至極喜ばしい限りです」
グラウリーは戦士の礼をすると名乗った。
「メェがストーン族に襲われている所を助けて頂いたそうで…あれは困った子供です…里の外に出てはいかんと口を酸っぱくして言っておいたのに」
「彼女が一番最初にメェを救おうとしたのです」
グラウリーは後に控えたラヴィを紹介する。ラヴィは少し照れた様子で前へ出た。
「おぉ…名は何とおっしゃるのかな」
「ラヴィと言います。鍛冶師をやっています」
ラヴィはいつものバレルナなまりではなく、標準語で丁寧な挨拶をした。この後、ホルホルが何故人間がハーピーを助けたのかという問いをする。それに対するラヴィの答えはメェに答えたものと全く同じだ。
「ずっと…昔から、ブラウン族とストーン族は争っているのですか?」
ラヴィの問いにホルホルは少し考えるようにうつむくと、やがてぽつりぽつりと話し始める。
「元々は我等が族とストーン族は一緒だったのです。時折我等の住処を荒らそうとする人間達との小競り合いがあったりもしましたが、基本的には我等ハーピーはバルティモナ奥深くにいてあまり外界との接触はありませんでした…これが四百年ほど前の話です。しかし二百年ほど前のある日、バルティモナの大空洞に大きな異変が起こったのです」
ホルホルは長く白い眉の下から青く光る眼を覗かせた。
「その異変とは呪われた体を持ちし闇の王が、突如としてバルティモナに現れそこを支配下に置こうとしたのです。闇の王の力は巨大で、その手に触れる生命を一瞬にして奪い、彼の通った後には草木が枯れてゆくほどすさまじい闇の臭気を発していたのです。
彼は我々の祖先であるハーピー族も支配下に置こうとしました。そこで祖先達は種で団結して闇の王に抗ったのです。しかし、一族全員で戦いを挑んでも王の力には適いませんでした。
我々の同朋の多くが殺され、その血肉を腐らせました。生き残った者達はそれまでよりも更にバルティモナの奥深くに追いやられ、彼に呪いをかけられました――バルティモナ山から離れる事のできぬ呪い…それまで世界の空を自由に舞っていた我々は、その日空を失ったのです」
長老は自分に纏わせるように折りたたんだ羽に悲しげに眼をやる。
「しかし我々の祖先はまだ運のよかった方かもしれません。我等の祖先の内、心の弱かった者は王の誘惑に屈し、あるいは操られて恐ろしい呪いをかけられたのです。
――その呪いとは思考を奪われ、ただ王に近づく者を殺戮する為だけの傀儡とさせられる呪いでした。それが今のストーン族…。彼等は未だに王に操られ、意思無きままに眼に映る全てを襲う。彼等が大空洞の下層を支配していき、それを聞きつけた人間達との長い長い戦いが始まるまでにそう時間はかかりませんでした…」
長老は淡々と語る。時折ばさり…ばさりと揺れる、虹色の羽がその色合いを七色に変えてゆく。
「あなた達は…何故この大空洞に…?秘宝を探しに来たのですか?」
「え、ええ…私達バルティモナに隠されていると言う宝珠を見つけに来たんや――です」
「…やはりあなた方人間はそれを得る為に大空洞を訪れるのですな…しかし、どうしてもそれを手に入れなければならない、というのでなければ…わしは大空洞の深部に立ち入るのに対して、やめなされと、警告したいのです」
「警告…」
「メェを助けてくれたあなた達だからこそ、警告をしたい…。ここから先…中層に行けば更なる危機が待ち受けている」
「! 中層への行き方を御存知なんですか?」
ギマルが言った。
「左様。この里の奥には中層へ通じる秘密の抜け道がございます。中層へ行く道はいくつかありますが、我等の抜け穴を通るのが最も安全な道なのです。…そう、話は中層に待ち受ける危機でしたな。中層には多くの魔法生物や凶暴化した精霊などがはびこっており、更に…かの王が据え置いたという罠があるらしいのです」
「罠…しかし長老、あるらしい、というのはどう言う事ですか?」
トムはホルホルの言葉を一言も聞き逃すまいとメモ帳にペンを走らせながら聞いた。
「…昔より里の勇敢な若者達が中層の様子を見に行った事がありました。しかし何度若者を送っても帰ってくる者はいなかったのです…しかしある時、たった一人だけ若者が中層からこの里へ帰ってきました。――しかし、その若者は全身に傷を負い――心にまでダメージを負っていたのです…」
「……」
「若者は何かに脅え…まるでわしらの言葉に耳を貸そうとしません。その眼は大きく見開かれわしらのずっと遠く…その恐怖の対象を見据えているかのようでした。唇は紫色に変色しわなわなと震えて…そして頭髪は老いた者のそうであるように真っ白になっていたのです。
その若者がかろうじて最期に一言だけ漏らした言葉――”恐ろしい鏡”というキーワード。これがわしらが王の仕掛けたと言う罠について知っている全てでございます…。わしはそれ以後中層に若者を送る事はなくなった…」
ホルホルは遠い過去を見るような目つきで語った。
(鏡、か…)ギマルは腕を組みながら頭でその言葉を反芻する。しかし彼の冒険の経験や知識の中には、鏡を使った罠などというものは思い当たらない。一体どういったものなのだろう…そう考えてちらりと隣のグラウリーを見やった時、彼は文字通りぎょっとしたのだった。
グラウリーは右手に幅広の斧を握っている。そのグリップを握る右手に恐ろしい程の力が込められているのにギマルは気付いたのだ。右手の甲には太い血管が何本も浮かび上がっていて、力を込めすぎていた為指先が赤く、それを通り越して紫色に変色しかかっている。
グリップ部分を何度も何度も繰り返し握るので、その度に小さくはあるがある意味力強い、怨念がかった強い気持ちのこもったギュッという音を立てる。
コートの襟から覗いた顔には異様なかぎろいをはらんだ双眸が光り、唇は見ていて痛々しいほど噛み締められている。こめかみを何本もの汗がつたっていた。
道中、いつもは平静なグラウリーが時折遠い追憶の中にふけるような顔をしたり、あるものに対して強い執着を持っていた事をギマルは見逃していない。その度にギマルはグラウリーは何か自分達に隠し事をしているのではないかと思うのだったが、声をかけるのすら許されない。そんな鬼気迫るグラウリーの表情にはかつて出会った事がなかったのである。
そしてその事に強い驚きを持つギマルの頭の中に、何故かその時天啓のようにそれと結びつけるものがあったのだった。
――バルティモナ前の酒場での一人で酒を飲んでいたあの男の眼であった。
男の恐怖に満ちた眼とグラウリーの怒りにも似た眼、それは全く対照的なものであったかもしれない。だがその奥に潜む根本的な力の絶対値の強大さ、あるものに恐怖し逃げたい、忘れたいという気持ちと、そのあるものに対して異様な執着を見せる気持ち。その点で言えば彼等はどちらともその「あるもの」という強烈な鎖に縛られた囚人であった。
男が逃れたいものは話からしてバルティモナの「なにか」である。そしてグラウリーが縛られているものもまたバルティモナにあり、そしてそれはもうすぐそこまで近づいているのだという事。それがグラウリーの様子から推測できるのである。
(――何を…そこまで畏れているんだ?お前程の戦士が…)
グラウリーが怒りに似た炎の様な眼をしていても、その奥に潜む物にギマル程の老練な戦士なら気付いてしまう。
相手が自分よりも強大であった時に、「闘う者」であったならば逃げ出す事だけはしない。闘争本能が恐怖を抑えつけ勇気を振り絞る。闘う者はその時強大な敵に対してやるせない恐怖を確実に抱きながらも、戦いに身を賭すのだ。
ギマルは勇壮なグラウリーが怒りの中に必至に抑え込んでいる畏れを感じ取っていた。
お前が抱えている物を話してくれ。ギマルは何度グラウリーにそう言いたかったかわからない。だが聞けなかった。
「…しばらく…もう一度よく考えてみて下され。引き返すのであれば、地上へ帰る事のできるワシらの秘密の抜け道を教えて差し上げます。…それでももし行くというのならば、その時は中層に通じる抜け道を開放しましょう」
長い間喋って疲れたのか、ホルホルは少し息をついた。
「隣の部屋で話し合って決めて下さい。軽食も持ってきます」
長老の後ろに控えていた二羽のハーピーが長老を右の部屋へ連れてゆき、左の客間にグラウリー達を連れてゆく。
客間には石の長いテーブルが置かれており、そこでグラウリー達は話し合うことにした。
「抜け道があるんだって!こりゃもうそっから逃げるしかねーんじゃないの?」
初めに口を開いたのはトッティだった。バルティモナに行く前は張り切っていた彼も、さすがにストーンハーピーの猛襲や闇の王の話を聞いてかなりまいっているようだ。
「確かに…リドルト氏の報酬は魅力だったし、バルティモナの謎を解くというのも僕、すごーく興味があるんだけど…もしかすると…少しきついかもしれないな…」
トムが今までのメモをぱらぱらとめくる。
「でもブラウン族のハーピー達って可哀相やね。闇の王が来たせいで自由を奪われ、こんな岩山にずっと閉じ込められているなんて…メェも少しでも外の世界が見たくて里を出たのかな…」女らしい所を見せてラヴィは既にメェに感情移入をしてしまったようだ。
「だー何言ってんだよ!これ以上はやばいよー、死ぬって!」
「やーいビビリーくーん」
「うっるさい…なぁぁあ~…!!」トッティをエイジがからかう。
「やめなってエイジ」マチスが仲介に入る。しかしエイジはそこでこんな事を言った。
「あのさ、提案がある」
「提案?」
「そう、ここいらでリーダーって奴が必要なんじゃないかと俺は思うのだなァ」エイジは椅子で船こぎをしながらふざけているみたいに言った。
「これは一番最初に計画を持ちかけたトムがしっかり決めとかないといけなかったっていうのもあるんだけどさ。ホラ俺達って支部とかばらばらなわけじゃん。
チームワーク、イマイチないよな?だからチームの行く先を決めるリーダーって奴をさ、決めようぜ。何かある度にあーだこーだ揉めなきゃいけないのもなんだしな。どうだ?」
「それは一理…あるかもしれないな…」マチスは右手で短い顎髭をさすりながら頷いた。
「誰にするんだ?どうやって決める?」ギマルが言った。
「多数決で決める…とか、俺様がやってあげてもいいなァって言いたい所だが…俺は一人推薦しようと思う」
「誰だ?」
エイジはにやっと笑ってある方向を見やった。
「グラウリーさ」
皆の視線がグラウリーに集まった。グラウリーはハッと驚いた顔をする。
「グラウリーか…いいで、ウチはそれなら…」
「……」
「グラウリーか、なるほどね、」
「誰でもいいけど!もう帰ろうぜー…」
「エイジと同意見だ」
「誰でもいいが…進むか退くかはっきりさせてもらおう」
「適任と言えば適任かも…」
「ま、待ってくれ…俺は…」
グラウリーはうつむいて言った。
「グラウリーはいざという時判断力がある。ウチはここに来るまでにそう考えてたわ」
グラウリーの戦士としての誇り、一人前の男として親近感を抱いているギマルはこんな時なら喜んでグラウリーをリーダーにする事に同意しそうなものだった。しかしギマルは考え込んだような顔をして何も言わないままだった。
「大体皆文句ないみたいだ。いいよな?グラウリー」
「……俺で…いいのか…?」
グラウリーの言葉にエイジは大きく頷いた。
「さてじゃあこれでリーダーが決まったわけだよな…。そんじゃいっちょここからどうするか、リーダーに聞いてみようじゃねえか。行くか?引き返すか?」
「……」
エイジに促されたグラウリーは視線を落とし、胸の前で両手を組む。ゆっくりと…力強くその組み方を変えてゆき…それは砂時計の砂が落ちてゆくような、時の流れとその中でたゆたう心を感じさせた。
「上層を目指す」
ふいにその動きを止め、グラウリーは言った。
「え、ええぇ~!」
トッティがその言葉を聞き、悲鳴をあげた、がすぐにエイジに頭を小突かれ「ちょっと黙ってろ」と言われた。
「…聞いてほしい事が一つある…。この先、絶対に仲間と…自分を信じて欲しい。これは酒場でも言った事だが…」
「やけにそれを強調するよな。グラウリー。何か知っているのか?」
エイジが言う。だがグラウリーはそれきり口を閉じて首を振った。エイジは腕を組み、それ以上は追求しなかった。
「まじで!?やばいよぉ~」
「決まった事だ。覚悟を決めろトッティ。戦士はどこで死んでも文句は言えん」
バニングがトッティの方を見ずにピシャリと言った。
「それは一理あるけど…あんまり死ぬのを前提に考えてもな…トッティはまだ若いし」
「マチスはトッティに甘いな」
「…はは」
「じゃボケ、一緒にホルホルに伝えに行こうぜ」
「ああ」
「あ、ウチも行く」
エイジ、ボケボケマン、ラヴィの三人が長老に意思を伝えに行った。長老はやむなく承諾し、彼等はハーピーの里で一晩休んでいく事になった。日の光が当らないので気付かなかったが、懐中時計を見ると時計はもう夜を指していた。
*
「この扉の向こうの階段を上ると中層に入る事ができます」
ホルホルは震える指先で大きな木の扉を指すとグラウリー達に言った。遠巻きにして大勢のハーピー達が恐ろしげな顔をしながらこちらを見ている。
翌朝とうとう彼等はここ数十年間人間が誰も到達した事がないとされる、大空洞の中層へと脚を踏み入れる事になるのだった。扉は里の一番奥深くにあり、長老の命で閉ざされ続けていたお陰で手を触れる者も殆どいなかったようだ。ほこりにまみれ金属部分は錆び付いている。
「鍵を開けるのだ」
長老が命ずると近習が古びた鍵を取り出し、鍵穴に差し込む。慎重に鍵を回すとコトリという音がした。とってを二匹がかりで引っ張ると、ギギギという重い音がしてゆっくりと扉が開かれて行くのだった。
「長老、お世話になりました。それでは我々は上へ行きます」グラウリーが言った。すると、
「ラヴィ、どうモありがとウ」
それまで遠巻きに見ていた群集の中から見慣れた顔が飛び出してきた。肩に包帯を何重にも巻いた姿のハーピー、メェだ。
「メェ」
駆け寄って来るメェにラヴィが優しく微笑みかけた。
「大した傷じゃなかったんだってねぇ。よかったねぇ」
うんうん、と、メェはいかにも子供らしい満面の笑みを浮かべながら頷く。
「…里のそト、見てみたかっタ。掟やぶって、外に出タ。メェ、悪い子」
言いながらメェは次第に落ち込んだ様子でうつむいてしまった。人間のそれと全く同じ様な上半身の背中に、鳥類の様な羽が生えている。ストーン族の羽は灰色で汚らしかったが、ブラウン族の、メェの羽をラヴィは美しいと感じた。
――この羽だったら空を思いっきり飛べるんやろうなぁ…。メェくらいの子だったら何につけても好奇心が旺盛な年頃や。それが飛ぶといっても大空洞の中でだけ、そして里からさえも出てはいけないなんて…。
「そんなこと…ないやろ…」
とっさに、なんと言ってあげればいいのか思い当たらなかった。
「……」
「……」
「ウチらがもし闇の王の場所まで辿り着けたら…きっと王を倒すね。そしたらメェや他の皆も、自由に空飛べるやろ」
「ほんとニ?」
「うん、ホンマや」ラヴィはにっこりとしながらメェの小さな頭を撫でた。
「な、何勝手に約束してんだよぉお…ラヴィ…」
トッティが後で呪いを帯びた声を上げる。エイジが無言でトッティの頭に手刀を振り下ろした。
「…じゃ、行くね。メェ、元気でな」
「うん、ラヴィも」
ラヴィはもう一度メェの頭を撫でると、メェは群集の中に再び帰ってゆく。
「それでは皆様方良いかな?」
「ええ、では」グラウリーがラヴィのやり取りが終わったのを見て、扉の奥に消えていった。他の者もそれに続く。
「御武運を」
それほど広くない上り階段の入り口の扉の隙間からホルホルの声が洩れる、そして再びギギギという音、そして大きな音と共に扉が完全に閉まるのだった。
「ここからは未開の地ってわけね」
マチスの顔はカンテラの灯に赤く照らされている。
「そう言う事だな。さて…鬼が出るか邪が出るか…」
彼等は長い階段を一歩一歩上って行く。
初め全くもってバラバラだったチームワークも、下層の危機を乗り越えて非常に少しずつではあるが形成されつつある。金、名誉、野望、友愛…様々な思惑が彼等を中層に進ませる。
そしてこの中層からはついに、メンバーの更に深層に隠され抱かれ続けていた感情が明らかになって行くのであった。
*
どうもおかしい――。
そんな疑念が、彼等の心を次第に占めつつあった。
中層に辿り着いた彼等を待ち受けていたのは、下層と同じく冷たい岩肌の大空洞である。(当然だが)人気のない長い、どちらの方向が正しく上層へ進む事のできる方向なのかわからぬ通路を、慎重にマッピングしながら探索していった。
大空洞の闇を照らすカンテラの光の限界の際に僅かに異物を感じる。初めそんな形の彫像がそこに立っていたのかと思う程それには生命感がない。しかし、人間の侵入者がいる事を感知するとたちまち黙したまま彼等を攻撃してくる。
中層の侵入者を阻む、噂の魔法生物群であった。
魔法生物には様々な種類がおり、自然の元素から作り出された水、火、風、土などの塊が擬似的な生命を吹き込まれたもの、巨大な一つ目と口のまわりに数十本の蛇が生えて空に浮かび、魔法を操る合成動物がいた。
それ等はグラウリー達にとって普段あまり見かけぬ怪異であり、初めどのように戦ってゆくのが有効な戦法であるのか今一つわからなかった。
しかし遭遇していくうちに段々と魔法生物との戦い方も心得てきて、今では対抗できぬほどの強敵であるとも思えない。彼等の戦闘能力からして十分に倒せる相手であった。
ダンジョンの怪物が手に余る相手ではない、というのはそこに潜っていく冒険者にとっては好都合な事ではある。だがここバルティモナの中層という場においてはかえってそれが不気味だ。
「これが誰もが到達しえなかった中層…?」
魔法生物を相手取り、誰もがそう感じていた。魔法生物らがここ数十年間幾多もの冒険者を退けてきたのだとは、実際に戦っている彼等はとても思えないのだった。
となれば、である。
中層を未知の迷宮と知らしめさせたりえるのはホルホルの言う”鏡”である、という考えが、その存在の不確かさも相まって不気味に彼等の頭上を覆うのであった。
どこで、どのようにして”鏡”に遭遇するか。
今彼等は一歩脚を踏み出すごとに敏感にそれを感じざるを得ない。
中層に入ってから十時間程が過ぎた。
この間幾多の魔法生物と対峙し、時には安全そうな場所で休息を取りつつ、マメなマッピングにより彼等は中層の深部へと進んで行った。しかし先頭を歩くグラウリーの心中は実はいよいよ激しく昂っていた。
ホルホルの話を聞いている時にギマルが気付いたグラウリーの動揺、畏れ。これらの原因となる何かが近づきつつある。
冷や汗が出、喉はカラカラに渇いたようだ。心臓の鼓動が高くなり、四肢が緊張する。
ある通路の奥に石でできた扉を発見した。
――何か意味のある扉なのだろうか?
宝の眠る宝物庫か、それとも上層へ通じる階段があるのか、それを見つけた時彼等はそんな希望を抱いた。しかし、
「…俺は、お前達に隠している事がある…聞いてくれ」
グラウリーは扉を前にすると、突然立ち止まって仲間たちを振り返った。
その顔は深い苦悩に満ちており、一人グラウリーの様子がおかしい事に注意を払っていたギマル以外の誰でも、彼が何か今から重大な事を言うのだろうと瞬間的に直感させた。
一同は押し黙ってグラウリーが言葉を発するのを待ち、息を呑んだ。
そして彼等が見守る前で、顔に深いしわを浮かべ蒼白な色をしたグラウリーが語ったのは、遠い追憶の出来事。思い返す事さえも忌むべき恐ろしい回想であった。
隠れ里
登場人物:
グラウリー:大柄な斧戦士
ラヴィ:女性鍛治師
バニング:暗殺者
マチス:老練な短槍使い
トッティ:若い鈍器使い
ボケボケマン:オークマスクの魔導師
エイジ:蒼の魔導師
トム:商人
ギマル:部族出身の斧戦士
※
「ようこそハーピーの隠れ里へ。わしはブラウン族のハーピーの長、ホルホルです」
鼻の下に長く垂れ下がった白い髭の間から、小さな口が声を漏らした。
彼等茶色の体毛を持つハーピーは、ブラウン族と呼ばれているらしい。
「俺はグラウリーです。人間として長老にお会い出来るのは至極喜ばしい限りです」
グラウリーは戦士の礼をすると名乗った。
「メェがストーン族に襲われている所を助けて頂いたそうで…あれは困った子供です…里の外に出てはいかんと口を酸っぱくして言っておいたのに」
「彼女が一番最初にメェを救おうとしたのです」
グラウリーは後に控えたラヴィを紹介する。ラヴィは少し照れた様子で前へ出た。
「おぉ…名は何とおっしゃるのかな」
「ラヴィと言います。鍛冶師をやっています」
ラヴィはいつものバレルナなまりではなく、標準語で丁寧な挨拶をした。この後、ホルホルが何故人間がハーピーを助けたのかという問いをする。それに対するラヴィの答えはメェに答えたものと全く同じだ。
「ずっと…昔から、ブラウン族とストーン族は争っているのですか?」
ラヴィの問いにホルホルは少し考えるようにうつむくと、やがてぽつりぽつりと話し始める。
「元々は我等が族とストーン族は一緒だったのです。時折我等の住処を荒らそうとする人間達との小競り合いがあったりもしましたが、基本的には我等ハーピーはバルティモナ奥深くにいてあまり外界との接触はありませんでした…これが四百年ほど前の話です。しかし二百年ほど前のある日、バルティモナの大空洞に大きな異変が起こったのです」
ホルホルは長く白い眉の下から青く光る眼を覗かせた。
「その異変とは呪われた体を持ちし闇の王が、突如としてバルティモナに現れそこを支配下に置こうとしたのです。闇の王の力は巨大で、その手に触れる生命を一瞬にして奪い、彼の通った後には草木が枯れてゆくほどすさまじい闇の臭気を発していたのです。
彼は我々の祖先であるハーピー族も支配下に置こうとしました。そこで祖先達は種で団結して闇の王に抗ったのです。しかし、一族全員で戦いを挑んでも王の力には適いませんでした。
我々の同朋の多くが殺され、その血肉を腐らせました。生き残った者達はそれまでよりも更にバルティモナの奥深くに追いやられ、彼に呪いをかけられました――バルティモナ山から離れる事のできぬ呪い…それまで世界の空を自由に舞っていた我々は、その日空を失ったのです」
長老は自分に纏わせるように折りたたんだ羽に悲しげに眼をやる。
「しかし我々の祖先はまだ運のよかった方かもしれません。我等の祖先の内、心の弱かった者は王の誘惑に屈し、あるいは操られて恐ろしい呪いをかけられたのです。
――その呪いとは思考を奪われ、ただ王に近づく者を殺戮する為だけの傀儡とさせられる呪いでした。それが今のストーン族…。彼等は未だに王に操られ、意思無きままに眼に映る全てを襲う。彼等が大空洞の下層を支配していき、それを聞きつけた人間達との長い長い戦いが始まるまでにそう時間はかかりませんでした…」
長老は淡々と語る。時折ばさり…ばさりと揺れる、虹色の羽がその色合いを七色に変えてゆく。
「あなた達は…何故この大空洞に…?秘宝を探しに来たのですか?」
「え、ええ…私達バルティモナに隠されていると言う宝珠を見つけに来たんや――です」
「…やはりあなた方人間はそれを得る為に大空洞を訪れるのですな…しかし、どうしてもそれを手に入れなければならない、というのでなければ…わしは大空洞の深部に立ち入るのに対して、やめなされと、警告したいのです」
「警告…」
「メェを助けてくれたあなた達だからこそ、警告をしたい…。ここから先…中層に行けば更なる危機が待ち受けている」
「! 中層への行き方を御存知なんですか?」
ギマルが言った。
「左様。この里の奥には中層へ通じる秘密の抜け道がございます。中層へ行く道はいくつかありますが、我等の抜け穴を通るのが最も安全な道なのです。…そう、話は中層に待ち受ける危機でしたな。中層には多くの魔法生物や凶暴化した精霊などがはびこっており、更に…かの王が据え置いたという罠があるらしいのです」
「罠…しかし長老、あるらしい、というのはどう言う事ですか?」
トムはホルホルの言葉を一言も聞き逃すまいとメモ帳にペンを走らせながら聞いた。
「…昔より里の勇敢な若者達が中層の様子を見に行った事がありました。しかし何度若者を送っても帰ってくる者はいなかったのです…しかしある時、たった一人だけ若者が中層からこの里へ帰ってきました。――しかし、その若者は全身に傷を負い――心にまでダメージを負っていたのです…」
「……」
「若者は何かに脅え…まるでわしらの言葉に耳を貸そうとしません。その眼は大きく見開かれわしらのずっと遠く…その恐怖の対象を見据えているかのようでした。唇は紫色に変色しわなわなと震えて…そして頭髪は老いた者のそうであるように真っ白になっていたのです。
その若者がかろうじて最期に一言だけ漏らした言葉――”恐ろしい鏡”というキーワード。これがわしらが王の仕掛けたと言う罠について知っている全てでございます…。わしはそれ以後中層に若者を送る事はなくなった…」
ホルホルは遠い過去を見るような目つきで語った。
(鏡、か…)ギマルは腕を組みながら頭でその言葉を反芻する。しかし彼の冒険の経験や知識の中には、鏡を使った罠などというものは思い当たらない。一体どういったものなのだろう…そう考えてちらりと隣のグラウリーを見やった時、彼は文字通りぎょっとしたのだった。
グラウリーは右手に幅広の斧を握っている。そのグリップを握る右手に恐ろしい程の力が込められているのにギマルは気付いたのだ。右手の甲には太い血管が何本も浮かび上がっていて、力を込めすぎていた為指先が赤く、それを通り越して紫色に変色しかかっている。
グリップ部分を何度も何度も繰り返し握るので、その度に小さくはあるがある意味力強い、怨念がかった強い気持ちのこもったギュッという音を立てる。
コートの襟から覗いた顔には異様なかぎろいをはらんだ双眸が光り、唇は見ていて痛々しいほど噛み締められている。こめかみを何本もの汗がつたっていた。
道中、いつもは平静なグラウリーが時折遠い追憶の中にふけるような顔をしたり、あるものに対して強い執着を持っていた事をギマルは見逃していない。その度にギマルはグラウリーは何か自分達に隠し事をしているのではないかと思うのだったが、声をかけるのすら許されない。そんな鬼気迫るグラウリーの表情にはかつて出会った事がなかったのである。
そしてその事に強い驚きを持つギマルの頭の中に、何故かその時天啓のようにそれと結びつけるものがあったのだった。
――バルティモナ前の酒場での一人で酒を飲んでいたあの男の眼であった。
男の恐怖に満ちた眼とグラウリーの怒りにも似た眼、それは全く対照的なものであったかもしれない。だがその奥に潜む根本的な力の絶対値の強大さ、あるものに恐怖し逃げたい、忘れたいという気持ちと、そのあるものに対して異様な執着を見せる気持ち。その点で言えば彼等はどちらともその「あるもの」という強烈な鎖に縛られた囚人であった。
男が逃れたいものは話からしてバルティモナの「なにか」である。そしてグラウリーが縛られているものもまたバルティモナにあり、そしてそれはもうすぐそこまで近づいているのだという事。それがグラウリーの様子から推測できるのである。
(――何を…そこまで畏れているんだ?お前程の戦士が…)
グラウリーが怒りに似た炎の様な眼をしていても、その奥に潜む物にギマル程の老練な戦士なら気付いてしまう。
相手が自分よりも強大であった時に、「闘う者」であったならば逃げ出す事だけはしない。闘争本能が恐怖を抑えつけ勇気を振り絞る。闘う者はその時強大な敵に対してやるせない恐怖を確実に抱きながらも、戦いに身を賭すのだ。
ギマルは勇壮なグラウリーが怒りの中に必至に抑え込んでいる畏れを感じ取っていた。
お前が抱えている物を話してくれ。ギマルは何度グラウリーにそう言いたかったかわからない。だが聞けなかった。
「…しばらく…もう一度よく考えてみて下され。引き返すのであれば、地上へ帰る事のできるワシらの秘密の抜け道を教えて差し上げます。…それでももし行くというのならば、その時は中層に通じる抜け道を開放しましょう」
長い間喋って疲れたのか、ホルホルは少し息をついた。
「隣の部屋で話し合って決めて下さい。軽食も持ってきます」
長老の後ろに控えていた二羽のハーピーが長老を右の部屋へ連れてゆき、左の客間にグラウリー達を連れてゆく。
客間には石の長いテーブルが置かれており、そこでグラウリー達は話し合うことにした。
「抜け道があるんだって!こりゃもうそっから逃げるしかねーんじゃないの?」
初めに口を開いたのはトッティだった。バルティモナに行く前は張り切っていた彼も、さすがにストーンハーピーの猛襲や闇の王の話を聞いてかなりまいっているようだ。
「確かに…リドルト氏の報酬は魅力だったし、バルティモナの謎を解くというのも僕、すごーく興味があるんだけど…もしかすると…少しきついかもしれないな…」
トムが今までのメモをぱらぱらとめくる。
「でもブラウン族のハーピー達って可哀相やね。闇の王が来たせいで自由を奪われ、こんな岩山にずっと閉じ込められているなんて…メェも少しでも外の世界が見たくて里を出たのかな…」女らしい所を見せてラヴィは既にメェに感情移入をしてしまったようだ。
「だー何言ってんだよ!これ以上はやばいよー、死ぬって!」
「やーいビビリーくーん」
「うっるさい…なぁぁあ~…!!」トッティをエイジがからかう。
「やめなってエイジ」マチスが仲介に入る。しかしエイジはそこでこんな事を言った。
「あのさ、提案がある」
「提案?」
「そう、ここいらでリーダーって奴が必要なんじゃないかと俺は思うのだなァ」エイジは椅子で船こぎをしながらふざけているみたいに言った。
「これは一番最初に計画を持ちかけたトムがしっかり決めとかないといけなかったっていうのもあるんだけどさ。ホラ俺達って支部とかばらばらなわけじゃん。
チームワーク、イマイチないよな?だからチームの行く先を決めるリーダーって奴をさ、決めようぜ。何かある度にあーだこーだ揉めなきゃいけないのもなんだしな。どうだ?」
「それは一理…あるかもしれないな…」マチスは右手で短い顎髭をさすりながら頷いた。
「誰にするんだ?どうやって決める?」ギマルが言った。
「多数決で決める…とか、俺様がやってあげてもいいなァって言いたい所だが…俺は一人推薦しようと思う」
「誰だ?」
エイジはにやっと笑ってある方向を見やった。
「グラウリーさ」
皆の視線がグラウリーに集まった。グラウリーはハッと驚いた顔をする。
「グラウリーか…いいで、ウチはそれなら…」
「……」
「グラウリーか、なるほどね、」
「誰でもいいけど!もう帰ろうぜー…」
「エイジと同意見だ」
「誰でもいいが…進むか退くかはっきりさせてもらおう」
「適任と言えば適任かも…」
「ま、待ってくれ…俺は…」
グラウリーはうつむいて言った。
「グラウリーはいざという時判断力がある。ウチはここに来るまでにそう考えてたわ」
グラウリーの戦士としての誇り、一人前の男として親近感を抱いているギマルはこんな時なら喜んでグラウリーをリーダーにする事に同意しそうなものだった。しかしギマルは考え込んだような顔をして何も言わないままだった。
「大体皆文句ないみたいだ。いいよな?グラウリー」
「……俺で…いいのか…?」
グラウリーの言葉にエイジは大きく頷いた。
「さてじゃあこれでリーダーが決まったわけだよな…。そんじゃいっちょここからどうするか、リーダーに聞いてみようじゃねえか。行くか?引き返すか?」
「……」
エイジに促されたグラウリーは視線を落とし、胸の前で両手を組む。ゆっくりと…力強くその組み方を変えてゆき…それは砂時計の砂が落ちてゆくような、時の流れとその中でたゆたう心を感じさせた。
「上層を目指す」
ふいにその動きを止め、グラウリーは言った。
「え、ええぇ~!」
トッティがその言葉を聞き、悲鳴をあげた、がすぐにエイジに頭を小突かれ「ちょっと黙ってろ」と言われた。
「…聞いてほしい事が一つある…。この先、絶対に仲間と…自分を信じて欲しい。これは酒場でも言った事だが…」
「やけにそれを強調するよな。グラウリー。何か知っているのか?」
エイジが言う。だがグラウリーはそれきり口を閉じて首を振った。エイジは腕を組み、それ以上は追求しなかった。
「まじで!?やばいよぉ~」
「決まった事だ。覚悟を決めろトッティ。戦士はどこで死んでも文句は言えん」
バニングがトッティの方を見ずにピシャリと言った。
「それは一理あるけど…あんまり死ぬのを前提に考えてもな…トッティはまだ若いし」
「マチスはトッティに甘いな」
「…はは」
「じゃボケ、一緒にホルホルに伝えに行こうぜ」
「ああ」
「あ、ウチも行く」
エイジ、ボケボケマン、ラヴィの三人が長老に意思を伝えに行った。長老はやむなく承諾し、彼等はハーピーの里で一晩休んでいく事になった。日の光が当らないので気付かなかったが、懐中時計を見ると時計はもう夜を指していた。
*
「この扉の向こうの階段を上ると中層に入る事ができます」
ホルホルは震える指先で大きな木の扉を指すとグラウリー達に言った。遠巻きにして大勢のハーピー達が恐ろしげな顔をしながらこちらを見ている。
翌朝とうとう彼等はここ数十年間人間が誰も到達した事がないとされる、大空洞の中層へと脚を踏み入れる事になるのだった。扉は里の一番奥深くにあり、長老の命で閉ざされ続けていたお陰で手を触れる者も殆どいなかったようだ。ほこりにまみれ金属部分は錆び付いている。
「鍵を開けるのだ」
長老が命ずると近習が古びた鍵を取り出し、鍵穴に差し込む。慎重に鍵を回すとコトリという音がした。とってを二匹がかりで引っ張ると、ギギギという重い音がしてゆっくりと扉が開かれて行くのだった。
「長老、お世話になりました。それでは我々は上へ行きます」グラウリーが言った。すると、
「ラヴィ、どうモありがとウ」
それまで遠巻きに見ていた群集の中から見慣れた顔が飛び出してきた。肩に包帯を何重にも巻いた姿のハーピー、メェだ。
「メェ」
駆け寄って来るメェにラヴィが優しく微笑みかけた。
「大した傷じゃなかったんだってねぇ。よかったねぇ」
うんうん、と、メェはいかにも子供らしい満面の笑みを浮かべながら頷く。
「…里のそト、見てみたかっタ。掟やぶって、外に出タ。メェ、悪い子」
言いながらメェは次第に落ち込んだ様子でうつむいてしまった。人間のそれと全く同じ様な上半身の背中に、鳥類の様な羽が生えている。ストーン族の羽は灰色で汚らしかったが、ブラウン族の、メェの羽をラヴィは美しいと感じた。
――この羽だったら空を思いっきり飛べるんやろうなぁ…。メェくらいの子だったら何につけても好奇心が旺盛な年頃や。それが飛ぶといっても大空洞の中でだけ、そして里からさえも出てはいけないなんて…。
「そんなこと…ないやろ…」
とっさに、なんと言ってあげればいいのか思い当たらなかった。
「……」
「……」
「ウチらがもし闇の王の場所まで辿り着けたら…きっと王を倒すね。そしたらメェや他の皆も、自由に空飛べるやろ」
「ほんとニ?」
「うん、ホンマや」ラヴィはにっこりとしながらメェの小さな頭を撫でた。
「な、何勝手に約束してんだよぉお…ラヴィ…」
トッティが後で呪いを帯びた声を上げる。エイジが無言でトッティの頭に手刀を振り下ろした。
「…じゃ、行くね。メェ、元気でな」
「うん、ラヴィも」
ラヴィはもう一度メェの頭を撫でると、メェは群集の中に再び帰ってゆく。
「それでは皆様方良いかな?」
「ええ、では」グラウリーがラヴィのやり取りが終わったのを見て、扉の奥に消えていった。他の者もそれに続く。
「御武運を」
それほど広くない上り階段の入り口の扉の隙間からホルホルの声が洩れる、そして再びギギギという音、そして大きな音と共に扉が完全に閉まるのだった。
「ここからは未開の地ってわけね」
マチスの顔はカンテラの灯に赤く照らされている。
「そう言う事だな。さて…鬼が出るか邪が出るか…」
彼等は長い階段を一歩一歩上って行く。
初め全くもってバラバラだったチームワークも、下層の危機を乗り越えて非常に少しずつではあるが形成されつつある。金、名誉、野望、友愛…様々な思惑が彼等を中層に進ませる。
そしてこの中層からはついに、メンバーの更に深層に隠され抱かれ続けていた感情が明らかになって行くのであった。
*
どうもおかしい――。
そんな疑念が、彼等の心を次第に占めつつあった。
中層に辿り着いた彼等を待ち受けていたのは、下層と同じく冷たい岩肌の大空洞である。(当然だが)人気のない長い、どちらの方向が正しく上層へ進む事のできる方向なのかわからぬ通路を、慎重にマッピングしながら探索していった。
大空洞の闇を照らすカンテラの光の限界の際に僅かに異物を感じる。初めそんな形の彫像がそこに立っていたのかと思う程それには生命感がない。しかし、人間の侵入者がいる事を感知するとたちまち黙したまま彼等を攻撃してくる。
中層の侵入者を阻む、噂の魔法生物群であった。
魔法生物には様々な種類がおり、自然の元素から作り出された水、火、風、土などの塊が擬似的な生命を吹き込まれたもの、巨大な一つ目と口のまわりに数十本の蛇が生えて空に浮かび、魔法を操る合成動物がいた。
それ等はグラウリー達にとって普段あまり見かけぬ怪異であり、初めどのように戦ってゆくのが有効な戦法であるのか今一つわからなかった。
しかし遭遇していくうちに段々と魔法生物との戦い方も心得てきて、今では対抗できぬほどの強敵であるとも思えない。彼等の戦闘能力からして十分に倒せる相手であった。
ダンジョンの怪物が手に余る相手ではない、というのはそこに潜っていく冒険者にとっては好都合な事ではある。だがここバルティモナの中層という場においてはかえってそれが不気味だ。
「これが誰もが到達しえなかった中層…?」
魔法生物を相手取り、誰もがそう感じていた。魔法生物らがここ数十年間幾多もの冒険者を退けてきたのだとは、実際に戦っている彼等はとても思えないのだった。
となれば、である。
中層を未知の迷宮と知らしめさせたりえるのはホルホルの言う”鏡”である、という考えが、その存在の不確かさも相まって不気味に彼等の頭上を覆うのであった。
どこで、どのようにして”鏡”に遭遇するか。
今彼等は一歩脚を踏み出すごとに敏感にそれを感じざるを得ない。
中層に入ってから十時間程が過ぎた。
この間幾多の魔法生物と対峙し、時には安全そうな場所で休息を取りつつ、マメなマッピングにより彼等は中層の深部へと進んで行った。しかし先頭を歩くグラウリーの心中は実はいよいよ激しく昂っていた。
ホルホルの話を聞いている時にギマルが気付いたグラウリーの動揺、畏れ。これらの原因となる何かが近づきつつある。
冷や汗が出、喉はカラカラに渇いたようだ。心臓の鼓動が高くなり、四肢が緊張する。
ある通路の奥に石でできた扉を発見した。
――何か意味のある扉なのだろうか?
宝の眠る宝物庫か、それとも上層へ通じる階段があるのか、それを見つけた時彼等はそんな希望を抱いた。しかし、
「…俺は、お前達に隠している事がある…聞いてくれ」
グラウリーは扉を前にすると、突然立ち止まって仲間たちを振り返った。
その顔は深い苦悩に満ちており、一人グラウリーの様子がおかしい事に注意を払っていたギマル以外の誰でも、彼が何か今から重大な事を言うのだろうと瞬間的に直感させた。
一同は押し黙ってグラウリーが言葉を発するのを待ち、息を呑んだ。
そして彼等が見守る前で、顔に深いしわを浮かべ蒼白な色をしたグラウリーが語ったのは、遠い追憶の出来事。思い返す事さえも忌むべき恐ろしい回想であった。
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