ギルド・ティルナノーグサーガ 『ブルジァ家の秘密』

路地裏の喫茶店

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第一章 依頼〜大空洞

ギルド支部 小塔

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――旅の吟遊詩人は酒場の椅子に腰掛けリュートをつまびくと朗々と歌い出した。
それは、ティルナノーグというギルドのサーガ。
そのギルドには百を超える戦士達、魔導師達がいた。
彼等は様々な場所を冒険した。
呪われた山々、蜃気楼の塔、氷雪の城……。
これは彼等の冒険と闘いの物語。
運命に導かれたかのように集ったティルナノーグのメンバーの物語サーガ――。





登場人物:

グラウリー:大柄な斧戦士ウォーリアー
ラヴィ:女性鍛治師ブラックスミス
マチス:老練な槍使いフェンサー
パジャ:ギルドに昔からいる暗黒魔導師ダークメイジ





プロローグ

「爺やぁ」
 広い邸内に若い女の声が響いた。しかしその声に返事はなかった。

「爺やぁー!」
 女の声はさっきよりも大きくなった。再び静寂。だが、遠くで扉の開く音がした。


「お嬢様!旦那様が!」扉を開けた老人――爺やは、しわがれた声の限りに女を呼んだ。
「何よう」
「旦那様が!旦那様が大変ですぞ!お早く!お早く!」
 扉からよろよろと歩み出た爺やは、震える手で女をまねいた。
異変を察知した女は長い廊下をにわかに走り出すと、爺やにまねかれて扉の部屋に入った。

「お父様!」

 その部屋は館の主、女の父親の部屋だった。それほど広くないが高い天井のある部屋で、部屋の柱や梁など所々には伝統ある古代文化のきらびやかな装飾がなされている。

壁には名画家の描いた油絵がかけてあり、部屋の立派な光沢のテーブルや数々の調度品は名工によって作られた由緒ある品々であった。

 巨大な窓には分厚いベルベットのカーテンがかけられており、その間から昼前の日の光が柔らかく差し込んでいる。
 見る者が見ればそれらは全てが高価な代物だという事がわかったであろう。それら一つ一つが見る者に溜め息をつかさせる程の素晴らしく華麗な造形であるにも関わらず、しかし部屋全体が一つの調和を保っている様は部屋の主の磨かれたセンスを示していた。

「ベル…」
 窓の脇に置かれた大きなベッドに横たわった女の父は、静かに娘の名を呼んだ。窓から差し込む光が逆光になって、ベルは父親の顔がはじめ黒いシルエットにしか見えなかった。

「お父様…どうしたの…一体?」
 脅えるように父親に近づくベルは、ようやく父親の顔をまともに見、もう少しで大声で叫びだしてしまいそうな衝動に駆られた。ベッドの父親の顔は、とても生気の無い、まるで死人とも言えるような顔色をしていた。

「旦那様……」
「父様、体の具合が悪いの?大丈夫…爺や、医者よ!医者を呼ばなくては!」

 ベルは父親の手を握りながら爺やに叫んだ。爺やは腰が抜けそうになりながら部屋を出ると、よろよろとしかし懸命に医者を呼びに行った。

「父様!一体どうしていきなりこんな風に…今、爺やが医者を呼んできてくれるからね。そうしたらすぐに、すぐに治るわよ!」

 父親の手は冷たく、そして震えていた。
ベルは言い知れぬ不安を抱きながら父親の手を握り締め続けていた。広く静かな、穏やかな、天気のいい昼前の館。それとは裏腹にこれから起きる何か悪い事の予感を感じずにはおれなかった。





第一章
依頼~大空洞


ギルド支部 小塔


 海鳥が遠くで鳴く声がする。穏やかに揺れる水面に太陽の光が眩しく反射していた。その海水が岬に寄せては弾けていく。
 岬の先端は切り立った少し高い崖になっており、そこに木々に囲まれた小塔があった。小塔は幾度も増築を重ねているらしく複雑な形をしている。


 ドンッっと、大きな音を立てて木製の頑丈なドアを開く音が聞こえた。

「誰かいないかっ」

 荒々しくドアを開けたのは巨大な戦斧を片手に持ち灰色の外套を着込み、同じ色のナポレオン帽をかぶった男だった。男はひげを綺麗にそり上げて長い黒髪を一本に束ねて後に流しており、精力にとんだ鋭い眼をしていた。頬には無駄な肉がなく若いとはいえない、しかし熟成されたはりを持つ壮年の肌をしていた。



「どうしたんですか、グラウリー」
 入り口から奥まった応接室から声が伸び、人影が見えた。
ローブを着込んだ初老の男で、頭部の頭髪は既に禿げ上がっている。間の抜けたのんびりとした声がその主の性格を物語っていた。

「パジャさんか、こないだの依頼クエストは大変だったらしいな」
「ええ、私が活躍しまくったからその反動で身体がボロボロですよ」


更に人影が現れた。

「おおグラウリー久しいな。今パジャさんとチェスを打っていた所だ。勝ちそうだったのに」
 平均程度の身長だが無駄な肉のついていない、ひどく痩せた中年後半の男だった。刈り上げた短髪に短い顎髭、ぱちりと開かれた両目が興味深そうにグラウリーと呼ばれた男を見つめ口の端をにやっと上げた。

「マチスさんか、後は…ラヴィがいるだろう?」
「ああ、ラヴィは炉の前で唸ってるよ」マチスは後を指した。

「とにかく、グラウリーなんの話なんですか?仕事の依頼があったんですか?なら奥で聞きますよ…あ、そうマチス、あなたが勝ちそうだったって、いい加減な事がよく言えますねえ。私はあそこからが勝負なんですよ」
「ってなーに言ってんだよ!チェックメイト寸前だったじゃないかよ!」
 マイペースにすたすたと応接室に戻るパジャを見て、ふーっと溜め息をつきながらグラウリーもついてゆく。


「さっそこに座って」
 椅子をすすめたパジャはもう既に腰掛けている。大きな木製の机にはやりかけのチェス台があった。

「ラヴィも呼んでくるよ」
 マチスはそう言い奥に消えた。

「まーまーお茶でもどうぞ…あっ手が滑った!」
 グラウリーにお茶を出したパジャの手が、引っ込み間際チェス台をひっかけた。チェス台は激しく動き、盤上の駒が全て転倒し、とても元の状態には戻せなくなった。

「…本当に負けそうだったんだな…」
パジャはマイペースだからこちらのペースで話をしようとしても仕方がない。この暗黒魔導師が話を聞く体制になるまで待たなければならないと思い出したグラウリーは、それを待った。

 程なくしてマチスと若い前掛けをかけた女性――ラヴィだ――が奥から現れ、快活なバレルナなまりで挨拶をした。

「グラウリーさんおひさ!元気しとるの?」
「あ――っ!何で倒れているんだよパジャさん汚ねえぞ!」
マチスがチェス台の有様を見て悲鳴の声を上げた。

「いやーっ!偶然で…申し訳ない。さてそれじゃ揃った所でグラウリーの話聞きましょか」
 マチスの憤慨など意に介さぬ様子でようやくパジャは彼の話を聞く態勢に入った。



 ここで彼等とこの小塔の説明をしなくてはならない。

 彼等は『ティルナノーグ』と呼ばれる請け負いギルドに属するメンバーだ。様々な能力、技能を持った者達が集い依頼人から依頼クエストを請け負い金を稼いでいる。

 この小塔はギルドの支部となっており、一部のメンバー達がこの小党で仕事をしたり待機している。小塔は様々な業種の者が使えるように改装が施されており、先のラヴィのような鍛冶師が生産活動をする事ができるのもまた改装の故であった。

 パジャはこの小塔に古くから配属された名うての魔導師であった。が、先の依頼の大冒険の末やや腰を痛めたという事で今は小塔つきの管理者のような存在となっていた。

最も小塔の配属員の中にはその事を全部信じている者は一人としておらず、ぐうたら癖のあるパジャがそれを言い訳になまけているとの噂が、メンバー達の食事の折に頻繁に持ち出される噂の種の一つであった。

 噂の真偽はともあれ彼は小塔の管理者よろしく配属員の派遣先をグラウリーに説明した。現在小塔のかなりのメンバーが仕事中でおらず、待機しているのはパジャとマチス、ラヴィという有様だったのだ。


「依頼があったんですか」
 パジャは紅茶をすすりながら言った。

「トムの知り合いの豪商からの依頼らしい。その依頼の為に人数がいるからと、塔の近くにいた俺に連絡が来て、俺がここまで人を借りに来たのさ」
 グラウリーは小塔近くのタリム・ナクと言う海上都市に滞在していた。ここは海産物と蜂蜜、そして年に一度行われる仮面舞踏会が有名な街だ。

「それで、どんな依頼クエストなんだ?」
「わからん。俺もまだ詳しい事は聞いていない。バルティモナ山での仕事になるとは聞いているんだが…」

「げ、バルティモナ?」
 ラヴィはうわずった声をあげた。

 バルティモナ山と言うのはタリム・ナクの遠く西に連なる高山だが、ここには古より冒険者が集う大空洞がある。

 空洞は何層にも別れていて、最も低層には翼を持つ亜人間ハーピーが巣食うキャンプがある。彼等はここで独自の文化を形成しているが、その中の大多数は人間に対して敵意を持つ者が多い。
 迂闊にバルティモナの大空洞に入った者は命がなかった。そこを運良く抜ける事ができた者が辿り着ける中層には、強い生命力と魔力を持つ魔法生命体がはびこっていると伝えられている。

 というのはここ数十年バルティモナの中層までさえも辿り着いたという者は殆どおらず、その実態は正直大部分が謎に包まれているからであった。
 中層を抜けた更に上層部に至っては、歴史文献にさえその一端を見出す事も困難である。つまりはそれだけ謎と神秘のヴェールに包まれた、冒険者に恐れられるダンジョン。それがバルティモナの大空洞なのであった。

「バルティモナか…若い頃一度行ったきりだな」
マチスが顎髭をさすりながら呟いた。

「羊の日…つまり今日夕方過ぎにルナシエーナでトムらと落ち合う事になっている。あんた達は来れるんだろう?」
 グラウリーは周りの人間を見渡した。

「あ…いや…私はホラ、塔の管理をしなきゃいけないんで…マチスとラヴィがいなくなって私も行ったら、誰もいなくなっちゃうでしょ?しかも腰がまだ治っていないし…あー…あたた…く~私が行ければすごい魔法で皆を助けてあげられるのにぃ~残念だぁ~…」

「……」

「…ま、パジャさんは仕方がないとして…俺とラヴィは行かなきゃいけないだろうね」
「バルティモナかぁ~ウチ鍛冶仲間から聞いとんねん。”折角仕立てたプレートメイルが次の日にはもうバルティモナから帰ってこん”って、バルティモナにはそんなもんでプレートメイルの胸当てやら腕鎧なんかがぎょーさん転がってるっちゅうて、お~怖いわぁ~。マチスさんバルティモナに行ったらあたしの事守ってね」
ラヴィは肩をすくめてマチスを見た。

「ああ~いいよ!俺の槍さばきでラヴィには指一本触れさせないって!」
「またそんな調子のいい事言っちゃって。知りませんよ。しかしルナシエーナですか?遠いですね。ここからだと最 寄の転移門まで歩いても五日はかかりますよ?」
 マチスの反論に耳を貸さぬ様子でパジャが言った。


 転移門とは月の満ち欠けのエネルギーを利用した、遠距離時空転移の力場である。

 全世界に四つの門があるとされ、月の満ち欠けの状態によりそれぞれの門と門の間を一瞬にして移動できるのだ。

 諸国を流浪した伝説の大魔導師が作ったものであるとか、神々の時代の遺産であるとか、諸説は様々だが真実はわかっていない上に、その原動力の力が何故半永久的にもたらされ続けているのかなども、現在の魔法学ではその大部分が究明できない。

 しかし長い歴史を経てかろうじてその使い方は解明されている為、多くの冒険者や単身身軽な商人、旅人達には御馴染みの交通手段であった。

「ああ、タリム・ナク北西の転移門だろう?今日の夜の月だったら丁度ルナシエーナ南の転移門に行けるんだ。だからそこまではパジャさんに空間転移の魔法で移動させてもらう。どちらにせよパジャさんはここに残る必要があったわけになるな」

「えっ、転移の魔法使うんですか…?あれはこたえるんだよなぁ…」
 パジャはげんなりとした顔をした。

 空間転移の魔法とは高位の呪術者が描いた力を持った魔法陣を使い、人間を離れた場所に転移させるという上級の魔法だ。原理は転移門と共通するものがあるが、移動を行う為に術者が開く転移ゲートが現れるのはほんの少しの時間である。

 また目標地へのゲートを開く為には初めにその場所を刻印石と呼ばれる呪力を秘めた魔石に封じなければならないし、術者自身はゲートによる移動はできない。そしてゲートを開くとその刻印石は砕け散るといった制約を伴わなくてはならないのである。グラウリーは小塔に最寄の転移門のすぐ近くを刻印した石がある事を知っていた。


「そう言う段取りか、なるほど。それじゃあ俺もさっさと準備しないとなあ」
 マチスは話を理解すると、席を立って自身の装備品や旅の支度を用意しに奥へ消えた。

「よろしく、パジャさん!じゃ転移するのは夕方以降くらいになってからやろ?その前にグラウリー、あんたの斧見といたげるわ」
 ラヴィもパジャの肩をぽんと叩きながら席を立つと、壁に立てかけてあったグラウリーの戦斧を手に取り、眼を細くして念入りに点検を始めた。


「…あんた随分無茶な使い方するやろ~細かい刃こぼれがかなりあるで?火に入れないと」

「すまないな。頼む」
 グラウリーはラヴィに軽く頭を下げると、彼もまた席を立ち半ば放心しているパジャの肩をぽんと叩いて塔の階段をのぼって行った。

「オッケー!まかしとき」
 ラヴィも鍛冶場に消えていく。

「はぁ~転移の魔法かぁ~…」
 パジャはひとりテーブルに残っていた。頬は急にこけたように見え、顔は青ざめていた。紅茶を手に取り一口含む。既に冷え切っていた。

                             *

「はい、これでいいで」
 ラヴィが重そうに手渡した戦斧をグラウリーはまじまじと見、感心した様子で礼を言った。細かな刃こぼれはなくなり、その表面は鍛え上げられた直後の白く鈍い輝きを放っていた。

「見違えるようだ。有難い」

「そろそろ行くか」
 マチスも旅支度を終えたようだった。
手には狭い場所でも扱える短槍ショートスピアが握られている。

「あたしは新しく打ったばかりのこの刀を持って行こうっと」
 ラヴィはそう言うと腰に黒い鞘の刀を差した。昨日彼女が鍛え上げたばかりの刀――東の小さな島国に見られる独特のフォルムを持つブレード――で、銘はまだつけていないのだという。
 帯刀したその姿の重心の自然さを見る者が見れば、彼女が剣術の一通りの基礎を修めていると知ったであろう。


「それじゃあパジャさん頼む」
 グラウリーはテーブルに座り分厚い本を読んでいる魔導師を見、言った。パジャはやれやれと言った顔つきで立ち上がると奥まった一室に入っていった。

 他の者もそれに従う。その部屋の中央には赤い色で、複雑な呪力を秘めた紋様と文字が円形の魔方陣を形作っていた。
「いいですか?転移ゲートが開いたらすぐに入って下さいよ」
「ああ、わかった」

 パジャが魔法陣の中央より二歩ほど下がった場所で念を込め印を切り、複雑な詠唱を始める。

 バチッという何かが弾ける音とともに、部屋の四隅に据え置かれていた力の水晶錐が反応して紫色の放電を始めた。
 四本の電光はパジャが印を切る前方に集束し、光球を形作る。パジャはその光球に両手を突っ込むと、両手開きの戸を引き開けるようにゆっくりと両手を広げていった。するとそこにまるで次元が裂けたように、紅い光を放つ魔法の扉が開かれた――転移ゲートである。

「ふ――っ疲れたっ…!さあ皆さんタリム・ナク北西転移門行きです。早く早く!」
 滝の様な汗をかきながらパジャは三人を促した。

「ありがとっパジャさん」
 ラヴィとマチスは早速ゲートに入る。二人の姿はその瞬間かき消えたようになくなっていた。

「それでは行ってくる」
グラウリーがゲートに入る前にパジャを見て言った。

「御武運を」
パジャは右手の親指を立てて見せた。

 グラウリーは口の端を持ち上げると紅いゲートに消えた。
程なくしてゲートは急激に消えていく。部屋に残ったのはパジャ一人になっていた。

(は~っ本当に疲れましたねぇ。人使いの荒い人達だ…。しかし依頼はバルティモナ山か…一筋縄では行かないでしょうね。…しかし彼等ならあるいは…?)

(…しかしここで心配していてもどうにもなるわけでもないですしね…今日は疲れた…寝るか)

 小塔の頭上には三日月が妖しく輝いていた。岬に波のぶつかる音だけが、ザァァ…ザァァと響く…。
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