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婚約破棄されたはずの俺が気付けば結婚していた話

2.家族総出で甘やかされても⋯(当惑)

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公爵家の名義で欲しいものは何でも買っていい、なんて言ってくる公爵様と小公爵様をなんとか説得し『お給料』という形で仕事の対価を受け取った俺は、そのお給料丸々使った結婚指輪を用意していてー⋯

“お互いの瞳の色を模した石を埋め込んでみたけど、キザ過ぎたかな⋯!?シエラ引いてないといいんだけど⋯っ”

似合わない事をした自覚があるせいで、どこか恥ずかしさを感じるものの⋯

“それでも、俺はこれを渡したかったんだから”

そう自分に言い聞かせながらそっと彼女の様子を窺う。
するとシエラは、そのアーモンドのような瞳を目一杯潤ませながら「一生外さない」なんて大袈裟なくらい喜んでくれた。


俺の妻、と一目でわかる印を贈るなんて、俺も大概器が小さいな⋯とほんの少し引け目もあっただけに、全身で喜びを表してくれる彼女がまるでそんな自分すらも肯定し受け入れてくれるように感じてきゅうっと胸が苦しくなる。

“幸せにする。大切にする。絶対に俺の欲だけで触れたりはしない、傷つけたりしないんだ”

まるで誘惑するような弾力や距離の近さは、初心な彼女ならば意識してやっていることではないのだろう。
だからこそ自分の中に芽生えるこの劣情を、この欲を一方的にぶつけるような真似だけはしたくない。

“いつか彼女が本当に俺とシたいと思ってくれるまで、いつまででも待つからー⋯”


⋯なんて内心格好つけながら、口付けくらいならいいんじゃないか?と囁く内なる自分を掻き消すように、机に置いてあった狩猟会についての書類へと無理やり話題を変えるのだった。



そして狩猟会当日。
俺は例年とは違い、ビスター公爵家の紋章の入ったテントで狩りの準備を始める。

「いつもなら鞄に詰めるのは兎のビクトリアとその好物ばかりなんだけど⋯」

今年はビクトリアもネイト子爵家でお留守番させ、鞄には液体の麻痺毒を染み込ませた布を入れた小瓶を数本。
ちなみに麻痺毒を液状で持ち運ばず全て布地に染み込ませているのは、スムーズかつ速やかに矢へ塗れるようにと考慮してのことだった。

「それに、これなら万一瓶が割れても零れないし」

いつもはスタートの合図の後、近くの泉でビクトリアと日向ぼっこしながら殿下が元婚約者であるキャサリンに獲物を捧げるまでぼんやり時間を過ごしていたのだがー⋯


“もうシエラは覚えてはいないかもしれないけど、あの時の約束を守れる日が来るなんてな”

くすりと笑いが込み上げる。

彼女と1度だけ会話をした時の事をふっと思い出した俺は、同時に絶対に殿下よりもいいものを狩る事を心に誓っていて。



“そういえばあれって何年前だっけ?”

高嶺の花過ぎて視界に入れることもおこがましいと感じていたのに、一瞬で俺のど真ん中に巣食ったあの日。

『私がソレ、貰ってあげましょうか』そう声をかけてきた彼女が指差していたのはビクトリアだった。

身分差的にも無視する訳にはいかなかったし、何よりも誰にどんな事を言われても鉄壁の微笑を張り付け背筋を伸ばしていた彼女は誰よりも美しく⋯

自分と少し似た状況だっただけに、めげそうになる心を何度も奮い立たせてくれていた彼女だからこそ嘘なんてつきたくないと思った俺は正直に答えた。

『いえ、結構です。⋯このウサギ、生きてるので⋯』

俺の言った意味がわからなかったのか、ポカンとした彼女はいつも大人びて見えていたのにその時は年相応に見えて。


「気付けば『いつか君の為に狩る事が許された時に、改めて貰ってもらえますか』なんて言ってたんだよな⋯」


『いつか絶対よ』と言った彼女はまるで花が綻ぶように笑い、その笑顔に一瞬で目も心も奪われる。

断られる事がデフォルトになっていた俺にとって、高嶺の花である公爵令嬢から与えられたその“約束”は、余りにも大きな意味があった。


無意識に出たあの言葉は、決してその場限りの適当な台詞ではなかったけれど。
それでも婚約者のいる俺がシエラに獲物を渡してしまったら、変な噂でシエラを傷つけてしまうかもしれないと動けなかった。

約束が果たされる事がなかったとしても、その約束だけで俺はまだ心を壊さずにいられるから。


“あの時の事をシエラが覚えていなかったとしても⋯”

果たせる機会なんてないと思っていた約束が果たせるなら、と俺はより一層気合いを入れる。


スタートの合図を確認した後、俺は周りが一斉に走り出した方向とは違う南東方向へ1人向かった。


“いい獲物は取り合いになる。だからこそ皆走るんだろうがー⋯”

それでもその場にいる殿下に獲物を譲り、殿下が去ってから改めて獲物を探し出しても殿下が狩っていった獲物には絶対勝てない。


商家を担っていたネイト家で、買い出しや取引で隣国へ向かうことも多く野営もしていた俺は恐らくここにいるどの貴族よりも『野生動物についての習性』には詳しい。

“ま、普段狩るのは手軽で数も多くて凄く美味しい蛙ばかりで、獣類は『遭遇しないように』していたんだけど⋯”


野生動物を避けるには、野生動物の居場所を正確に把握しなくてはならない。
つまり今はいつもとは逆の事をすればいいだけで。


“父さんが南東で狼のボスが交代したって言ってたし⋯”

もしかしたら手負いの元ボスと出会えるかも、と慎重に進んだ俺はラッキーな事に、群れから追い出されてしまったそのはぐれ狼を発見したのだった。



しかし、シエラが喜ぶ顔を想像しながら狩った狼を公爵家の侍従と一緒に運びつつ、彼女の元へ向かった俺に聞こえてきたのは⋯


「君が正妃になればいい」
というアレクシス馬鹿殿下の言葉だった。

「は?」

カッと一気に頭に血が上るのを感じる。
血液ってこんなに沸騰しそうなくらい熱くなるんだな、なんて変に冷静な事が頭の隅に過りつつ、気付けば不敬だなんて忘れて挨拶すらせず彼女を抱き締めた。

俺の腕の中で縮こまるようにしがみつく彼女を見て、今すべきは怒りを殿下にぶつけることではなくシエラを守ることだと、少しでも彼女が安心するようにとより強く腰を抱く。


“もちろんこの場では、だから。後からしっかりシエラを怖がらせた罪は償って貰わなくちゃな”

チラリと殿下を一瞥すると、今まで彼女を蔑ろにしていたという事実も後押しし分が悪いと考えたのか、その場はあっさりと収まった。


――ちなみにこれは余談だが、後日公爵様に頼み抗議文書を本当に送った。
元々婚約者候補筆頭として表に出ていた彼女を蔑ろにし、俺の元婚約者といちゃこらしていたのを誰もが知っていた事も相まって『謝罪するので王宮へ来られたし』という文書が届いたのだがー⋯

“いやいやお前が来いよ!”と思った俺は、公爵様に許可をいただきお断りの返事を入れた。


謝罪を受け入れない意思を確認した殿下が仕方なくビスター公爵家に足を運んだがそれも門前払いを決めた俺は、妥協案として殿下の納めていた一部の土地を貰う事にして。

俺が指定した場所が全然栄えていない土地だったせいか、『そんな程度でいいのか』とあからさまに安堵していた殿下だったが⋯


“⋯殿下はあまり興味がないのか放置されてたけど、あそこの鉱山多分ルビーが出るんだよな”

こっちは長年商家として色んな場所に出向いており、宝石の出る傾向等も把握している訳で。
シエラの名前に書き換えて貰った土地の権利書を見てほくそ笑む俺からそっと目を逸らしたエリウス様を少し不思議に思いながら、

“シエラのローズブロンドにルビー絶対似合うしな”

とうきうきしつつ権利書をそっと片付けた。



⋯とまぁ、そんな事はいいとして。

気を取り直し仕切り直した俺達は、「シエラは覚えていないかもしれないけれど」と前置きをし獲物を捧げると、なんと覚えていてくれた彼女が俺の首に両腕を回してくる。


“これは、お許しが出たってことか⋯!?”

ゆっくりと近付く彼女の顔をこのまま見ていると、恥ずかしがってまたお預けされるかもー⋯
なんて思った俺は、男らしさと格好よさを捨てて『待ち』の姿勢で彼女からの口付けに備え――


――まぁ結果は寸前の距離で邪魔が入ってしまったのだが。


そのまましれっと帰ってきた俺達を⋯というか、俺を襲ったのは拐われるように夜会から連れ込まれた寝室で見たのと同じ光景だった。

そして。

“⋯あの時は訳がわからなかったけど、本当は凄くシンプルだったんだな”


自分で俺を押し倒したくせに、どこか不安そうに揺れる瞳。
俺が求めるように、彼女も俺を求めてくれているのだとやっとわかった俺は。


“⋯ま、俺の方が飢えてるんだけどさ”

ぐるりとシエラと体勢を入れ替えるようにベッドを転がり、本当はずっと触れたかった彼女の唇にそっと自身の唇を重ねた。

「⋯好きだよ、シエラ」
口に出すのが少し畏れ多かった言葉を伝えると、一瞬で彼女の瞳が涙に濡れる。

“あぁ、俺はこんなに不安にさせてしまっていたのか”

涙を溢しながら嬉しそうにする彼女を見て、これからはもっとハッキリ伝えようと思いつつ角度を変え何度も口付けを交わした。
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