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第一章:仮初めの恋人
5.家に帰るまでは
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「ね、帰る前にゆっこを連れて行きたいところがあるんだけど」
にこりと微笑まれ、ドキリと心臓が跳ねる。
それは彼の笑顔に対してなのか、『帰る前』という単語にだったのかはわからないけれど。
“人間界に帰るんだ”
私は好きでこの世界に来たのではないのだから当たり前だ。
愛着が湧くほど長い時間を過ごした訳でもないし、出来ればすぐにでも帰りたい。
それなのに少しだけ寂しい気持ちになったのは、きっと目の前にいる彼から親しみを感じてしまったからで。
“それすらも仮初めなのかもしれないけれど”
だが、私の中にも僅かにだが親愛の感情は生まれ、そしてそれは決して仮初めとは思えなかった。
二度も助けられたからなのか、本当に心配してくれたからなのか――それともあの時抱き寄せられた腕が、声が、温かいと感じたからなのかはわならなくても、それでも。
“出会えたことが、少しだけ……嬉しいから”
「……うん」
私が頷くと、目の前の彼もにこりと微笑みそのままゆっくりと手を引かれる。
「連れていきたい場所って、どこなの?」
「すぐそこだよ」
手を引かれるがまま花畑の奥へと進むと、ほどなくして小さな湖がある場所へ辿り着いた。
「凄い……」
思わずそんな言葉が私から漏れる。
小さな湖では睡蓮が水面を彩り、眩いまでの月光を反射してキラキラと輝いていて。
「それだけじゃないよ? ほら、見て」
「え?」
囁くようにそう告げたこんちゃんの指差す先へ目をやると、ふわふわと沢山の小さな光が飛んでいた。
「蛍?」
「いや、遊火っていうあやかしだよ」
「あそび、び?」
「そう。んー、ほらお墓の近くで火の玉とか見たことない?」
「ありませんけどっ!?」
流石あやかしというかなんというか……、例えが途端にホラーになり思わずぎょっとしてしまう。
そんな私が面白かったのか、ふはっと吹き出したこんちゃんは、くすくすと笑いながらまた視線を遊火へと戻した。
――この狐は思ったよりも笑い上戸らしい。
「遊火は人に危害を加えるようなあやかしじゃないよ。ただそこでふわふわと漂うだけ。お墓の例えに驚いたならクリスマスのイルミネーションみたいなものだと思って?」
「またそんな俗っぽい例えを……」
情緒の欠片もないそんなやり取りに小さくため息が漏れるが、確かにイルミネーションだと思えば悪くはない。
“いや、蛍って例えで良かったと思うけど”
どこかズレているこんちゃんに内心苦笑した私は、だが先ほど食べられかけたという恐怖なんてころっと忘れその美しい光景を暫く眺めていた。
この光景は、きっと今しか見られないから。
「本当にありがとう」
呟くように、だが心からの本音を彼に伝えるとこんちゃんが少し不思議そうな顔をする。
「ここで見たこの光景、忘れないよ」
もちろんこんちゃんのことも、なんて言葉は恥ずかしくて口には出来なかったが、それでもこの感謝の気持ちが少しでも伝わるようにとそう口にした。
何故かうっかり迷い込んでしまったこのあやかしの世界。
お姉さんの結婚式の途中だからと一人で待っている時間がほとんどで、だからこんちゃんと過ごした時間は本当に短いものだった。
その短い時間で何度も助けられ、そして私はまた彼の手を借りて自分の世界へと今から帰るのだ。
“こんなにしんみりした気持ちになるなんて”
そんなことを思ったことを自分でも少し不思議に思いつつ、彼の着物の袖をそっと引く。
「帰ろっか」
「あぁ、そんな時間だね」
私の言葉に、まるで一人言のようにそう返事をしたこんちゃんが私の手を再び握って。
――そして、にまっと口角を上げる。
その彼の笑顔になんとなく嫌な予感を感じ――……
「あ、ゆっこの部屋は俺の部屋の隣にして貰ったから、何かあったらすぐに呼んでね」
「…………はっ!?」
唖然とした私がぽかんと口を開けて彼の顔を見上げると、彼の赤い瞳が細まった。
「帰るんだよね?」
「帰るよ? 俺の家に」
「私の家、だよね?」
「ん? 結婚して俺の家をゆっこの家にしたいってこと?」
「違うけど!?」
「ゆっこってば、大胆だなぁ。でも恋人からの逆プロポーズはある意味男のロマンだから」
「恋人関係は仮初めだから!!」
「あはははっ」
“も、弄ばれてる……!?”
笑いながら話を流され愕然とするが、だがここで流される訳にはいかない。
何故なら私の人間界復帰がかかっているからで。
「……まさか、帰れない……とか?」
その可能性に気付きぞっとした。
そして私が青ざめたことに気付いたこんちゃんは、少しだけ眉尻を下げて。
「ゆっこのことは、ちゃんと俺が責任を持って元の世界へ帰すよ」
そう口にする顔がどこか悲しそうに見え、思わず息を呑んでしまう。
「ただ、姉上があのまま皆で新婚旅行に行っちゃってさ」
「……え」
「皆が帰ってくるまで俺はこの場所を守らなきゃいけないんだよね」
「え、え?」
「だから、ゆっこを送ってあげられるのってまだ先になるんだよねぇ」
“それ、すぐには帰れないってこと……!?”
「あ、この世界と人間界の時間って捩れてるから、こっちに数日留まっても向こうでは数時間だよ」
「全然安心要素じゃありませんけど!!」
まるで私を安心させるようにそんなことを口にされても、それは免罪符にはならないというもので。
「大丈夫大丈夫、ちゃーんと最後は帰してあげるって」
「最後は!? 言い方が不穏! 言い方が不穏だからッ!!」
「大丈夫大丈夫~」
「絶対絶対大丈夫じゃないやつーッ!!」
どうやら私のあやかし界での生活は、これから始まるようだった。
にこりと微笑まれ、ドキリと心臓が跳ねる。
それは彼の笑顔に対してなのか、『帰る前』という単語にだったのかはわからないけれど。
“人間界に帰るんだ”
私は好きでこの世界に来たのではないのだから当たり前だ。
愛着が湧くほど長い時間を過ごした訳でもないし、出来ればすぐにでも帰りたい。
それなのに少しだけ寂しい気持ちになったのは、きっと目の前にいる彼から親しみを感じてしまったからで。
“それすらも仮初めなのかもしれないけれど”
だが、私の中にも僅かにだが親愛の感情は生まれ、そしてそれは決して仮初めとは思えなかった。
二度も助けられたからなのか、本当に心配してくれたからなのか――それともあの時抱き寄せられた腕が、声が、温かいと感じたからなのかはわならなくても、それでも。
“出会えたことが、少しだけ……嬉しいから”
「……うん」
私が頷くと、目の前の彼もにこりと微笑みそのままゆっくりと手を引かれる。
「連れていきたい場所って、どこなの?」
「すぐそこだよ」
手を引かれるがまま花畑の奥へと進むと、ほどなくして小さな湖がある場所へ辿り着いた。
「凄い……」
思わずそんな言葉が私から漏れる。
小さな湖では睡蓮が水面を彩り、眩いまでの月光を反射してキラキラと輝いていて。
「それだけじゃないよ? ほら、見て」
「え?」
囁くようにそう告げたこんちゃんの指差す先へ目をやると、ふわふわと沢山の小さな光が飛んでいた。
「蛍?」
「いや、遊火っていうあやかしだよ」
「あそび、び?」
「そう。んー、ほらお墓の近くで火の玉とか見たことない?」
「ありませんけどっ!?」
流石あやかしというかなんというか……、例えが途端にホラーになり思わずぎょっとしてしまう。
そんな私が面白かったのか、ふはっと吹き出したこんちゃんは、くすくすと笑いながらまた視線を遊火へと戻した。
――この狐は思ったよりも笑い上戸らしい。
「遊火は人に危害を加えるようなあやかしじゃないよ。ただそこでふわふわと漂うだけ。お墓の例えに驚いたならクリスマスのイルミネーションみたいなものだと思って?」
「またそんな俗っぽい例えを……」
情緒の欠片もないそんなやり取りに小さくため息が漏れるが、確かにイルミネーションだと思えば悪くはない。
“いや、蛍って例えで良かったと思うけど”
どこかズレているこんちゃんに内心苦笑した私は、だが先ほど食べられかけたという恐怖なんてころっと忘れその美しい光景を暫く眺めていた。
この光景は、きっと今しか見られないから。
「本当にありがとう」
呟くように、だが心からの本音を彼に伝えるとこんちゃんが少し不思議そうな顔をする。
「ここで見たこの光景、忘れないよ」
もちろんこんちゃんのことも、なんて言葉は恥ずかしくて口には出来なかったが、それでもこの感謝の気持ちが少しでも伝わるようにとそう口にした。
何故かうっかり迷い込んでしまったこのあやかしの世界。
お姉さんの結婚式の途中だからと一人で待っている時間がほとんどで、だからこんちゃんと過ごした時間は本当に短いものだった。
その短い時間で何度も助けられ、そして私はまた彼の手を借りて自分の世界へと今から帰るのだ。
“こんなにしんみりした気持ちになるなんて”
そんなことを思ったことを自分でも少し不思議に思いつつ、彼の着物の袖をそっと引く。
「帰ろっか」
「あぁ、そんな時間だね」
私の言葉に、まるで一人言のようにそう返事をしたこんちゃんが私の手を再び握って。
――そして、にまっと口角を上げる。
その彼の笑顔になんとなく嫌な予感を感じ――……
「あ、ゆっこの部屋は俺の部屋の隣にして貰ったから、何かあったらすぐに呼んでね」
「…………はっ!?」
唖然とした私がぽかんと口を開けて彼の顔を見上げると、彼の赤い瞳が細まった。
「帰るんだよね?」
「帰るよ? 俺の家に」
「私の家、だよね?」
「ん? 結婚して俺の家をゆっこの家にしたいってこと?」
「違うけど!?」
「ゆっこってば、大胆だなぁ。でも恋人からの逆プロポーズはある意味男のロマンだから」
「恋人関係は仮初めだから!!」
「あはははっ」
“も、弄ばれてる……!?”
笑いながら話を流され愕然とするが、だがここで流される訳にはいかない。
何故なら私の人間界復帰がかかっているからで。
「……まさか、帰れない……とか?」
その可能性に気付きぞっとした。
そして私が青ざめたことに気付いたこんちゃんは、少しだけ眉尻を下げて。
「ゆっこのことは、ちゃんと俺が責任を持って元の世界へ帰すよ」
そう口にする顔がどこか悲しそうに見え、思わず息を呑んでしまう。
「ただ、姉上があのまま皆で新婚旅行に行っちゃってさ」
「……え」
「皆が帰ってくるまで俺はこの場所を守らなきゃいけないんだよね」
「え、え?」
「だから、ゆっこを送ってあげられるのってまだ先になるんだよねぇ」
“それ、すぐには帰れないってこと……!?”
「あ、この世界と人間界の時間って捩れてるから、こっちに数日留まっても向こうでは数時間だよ」
「全然安心要素じゃありませんけど!!」
まるで私を安心させるようにそんなことを口にされても、それは免罪符にはならないというもので。
「大丈夫大丈夫、ちゃーんと最後は帰してあげるって」
「最後は!? 言い方が不穏! 言い方が不穏だからッ!!」
「大丈夫大丈夫~」
「絶対絶対大丈夫じゃないやつーッ!!」
どうやら私のあやかし界での生活は、これから始まるようだった。
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