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本編

9.ご一緒いかが?

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 水澄さんと食事をしてからもう一週間以上がたっていた。

 受付に立っているお陰でたまにチラッと彼の姿を見かけることはあるが、先日言っていたコンペのためかいつも忙しそうに走っている。
 
 本当に付き合っている訳ではない私たちは業務が終わった後に連絡を取り合うこともなく、また大詰めだろう仕事に奔走している彼を呼び止めるなんてこともしなかったので、挨拶すら交わしていない始末。

 それでも目が合うと電話中でも会釈をしてくれるなど、そういう律儀なところを見ると温かい気持ちになるし、それと同時に少し寂しくも感じてしまうようになった、そんなある日。


“あぁ、そうだった。不快なのは同僚だけじゃなかったわ”

 そう改めて思い出した私の口から、はぁ、とため息が溢れた。
 
 表情だけは平静をなんとか装ったが、本音を言えば思い切り睨み付けてやりたいくらいである。

 それもそのはず、相手は。

「……副所長」
「折角出張から帰ったってのに、彼氏が出来たって本当なの?」

“それ聞くのもセクハラだと思うんだけど!”

 昼食を取ろうとお財布を持って更衣室のある二階の廊下を歩いていた私は苛立ちながら足を止める。
 刻々と過ぎる昼休み、早く行かなくてはお店はすぐいっぱいになってしまうし、買って帰るとしてもめぼしいものはすぐに売れてしまう。

 もちろんそんな理由なんてなくとも、出来るだけ距離を取りたい相手ではあるのだが――

“だからってどんな影響があるかわからないわよね”

 それだけの権力を副社長は持っているし、また変な態度取って変に話がねじ曲がり新たな噂を生むのも勘弁だ。

 やはりここは無難に愛想笑いだけで切り抜けないと――……


「いつから付き合っているのかな、もうヤった?」
“!”

 せめて穏便に、なんて考えていた私に聞こえてきたのは、あまりにも品のない言葉で。

「やっぱり若いと回数こなしたりする? でも俺もテクニックでは負けてないと思うんだよね」

“最ッ低!”

 これはそろそろコンプライアンス室へ通報してやるべきではないだろうか。
 そのあまりにも下世話すぎる言い方に頭痛がする。

「美月ちゃんも試してみようよ、絶対後悔させないよ? 同じ人とばかりヤるのってすぐ飽きるじゃん」

“余計なお世話だし、泥沼地獄の入り口だし、そうでなくてもこんなセクハラマンお断りなんだけど……!”

「俺のって人より長いみたいなんだ、美月ちゃんの奥をたくさん突いてあげられるんだけどなぁ……?」

 流石に度が越した発言を流すのもそろそろ限界だった私は、精一杯苛立ちを隠しながら副社長の方を見上げる。
 ここで言い返したり文句を言ったりするのは絶対失策だと脳内の冷静な私が警鐘を鳴らすが、同じく脳内の苛烈な私が足くらい踏んでやれと盛大に興奮していた。
 
 本当に今更だが、なんでこんな人に人気があるのかわからない。

「あの、お言葉ですが……」
「お疲れ様です」

 そんな私の言葉を遮るように私と副社長の間を割り込んできたのは、最近バタバタと忙しそうにしていた水澄さんだった。

“なんでここに?”

 ただでさえ忙しく外に出ていることが多いのに、営業部があるのは五階と六階。
 待ち伏せしていただろう副社長はともかく、二階の廊下に何故彼がいるのかと思わず首を傾げてしまう。

 だが、戸惑いを隠せない私を背に庇うようにしてたった水澄さんは、すぅっと大きく息を吸って。


「実はシーバスクエア株式会社との契約が取れそうなんですよっ」
「「は?」」
「ほら、シーバスクエアって言えば大手電化製品の会社ですが、自社製品でのインテリア事業からカフェの経営まで幅広く取り扱っているじゃないですか!」
「あ、あぁ、そうだな?」
「なので俺、シーバスクエアの家具家電の展示場に足を運んだりカフェも回れるところ全部回って系統を研究したりして頑張ったんです」
「す、すごいな。努力した、んだな……?」
「ハイッ!!」
 
 背に庇われているため彼の表情はわからないが、弾んだその声色に私と副社長から怪訝な声が漏れた。
 気のせいだろうか、水澄さんのお尻にぶんぶんと振られる尻尾が見える気がする。
 
 
“わ、私を助けに来てくれたんじゃないの?”

 同僚が流した事実無根の噂のせいで私と副社長が不倫していると信じている社員も少なからずいるが、偶然とはいえ少なからず交流のある水澄さんは信じていないと思う。
 それどころか、私が一方的に絡まれていると気付いているかもしれない。

 だからこそ、出張から戻って来た副社長を警戒してここまで様子を見に来てくれたのかな、なんて思ったのだが――


“私自意識過剰だった……!?”

 その可能性にいきつき一気に羞恥に襲われた。
 まるで褒めて褒めてと言わんばかりの彼に戸惑った様子で一応褒める副社長はどこか彼の圧に引いている。
 
 私の方も水澄さんのその様子をぽかんと眺めていた、そんな時。

 
「そういえば」


 水澄さんの声色が突然一段階低くなり、その場の温度が一気に下がった。

「家具家電の展示場で副社長の奥様と偶然お会いしたんですよ」

 くすっと笑いを溢した水澄さんのその一言で一気に緊張が走り、私は思わず唾をごくりと呑む。


「少しお話させていただいたんですが、奥様カフェをされるのが夢なんだそうですね」

“カフェを?”

「シーバスクエアはカフェ事業もありその分野にも強いですから、内装をそちらに任されることを検討されているようで」
「……何が言いたい?」
「あはは、すごいなぁって話ですよ? 大企業の副社長となれば奥様のその夢を叶えるだけの力があって憧れます」

 ふふ、と笑う彼の後ろからそっと副社長の様子を窺うと、どこか警戒したように顔が強張っていて。


「今回の契約が取れたら、電子部品の商社であるウチの製品を使って間接的に奥様のカフェを俺も手伝えるってことになるんですね。おしゃれなカフェが出来るといいですね……?」
「ッ」

 その言い方で、『これから奥様と何度も会うかもしれない』という意味だと気付きハッとする。
 そしてその事に気付いたのは副社長も同じだったようで。


「そうか。はは、まぁ頑張りたまえ」
「あ、ちょ……」

 突然ニカッと謎に爽やかな顔をした副社長があっさりその場を去って唖然とした。

 
「な、なんだったの」
「あ、知りません? 副社長の奥様って副社長より年上で、なんでもがっつり尻に敷かれてるらしいですよ」
「え、女子社員にはあんななのに!?」
「だからこそそのフラストレーションを発散してるんじゃないですか? 迷惑すぎる話ですけどね」

 事態を飲み込めていない私にさらりとそう告げた水澄さんは、私の知っている“いつもの”彼で少しホッとする。
 そしてやはり私を心配してここまで来てくれたことに気付き胸の奥が熱くなった。

「俺らしく可愛い感じで撃退できました?」
 
 なんてどこかいたずらっ子のように笑う彼にまで、うるさいくらいに高鳴る鼓動が聞こえてしまいそうで焦る。
 けれどそれがむしろ心地よくすら感じてしまって。


「水澄さんらしくて格好良かったわ」
「へっ!?」

 素直にそう告げると、彼の頬が赤く染まった。

“可愛い”

 きっと私の頬も赤くなっているのだろうが、何故だか取り繕う気にも隠す気にもならなくて。


「まだ忙しいわよね? お昼、食べる時間あるの?」
「まぁお昼くらいは食べないととは思ってますが」
「なら、ご一緒いかがかしら」
「……はい、ぜひ!」

 少し顔を赤くしたまま、私は久々に会話をした彼と少し遅めの昼食に出たのだった。
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