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10.会いに行ってもいいんですか

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“最ッ悪のタイミングだわ!”

 まさか咥えている途中で寝落ちるなど、娼婦の恥である。
 あの後ルミール様……、いや、公爵様はどうされたのだろうか。

「か、噛んでないといいんだけど」

 そんな想像をしゾッと青ざめる。

 それにあの状態で眠るのは男性にとって辛いはず。
 寝ている相手と、というプレイはまだ教えていないので普通ならば自分で処理することになるのだろうが、そもそもその方法を彼は知っているのだろうか。

“知らないかも……”

 もしそうであれば、私はどれだけの苦行を彼に課したということになるのかと考え思わず頭を抱えた。

「っていうか、ここって」

 どう見ても公爵様の部屋である。
 私が寝てしまった後、どうやら彼は私を起こすこともせず寝かせてくれたようで申し訳なさが倍増した。

「おはようございます、サシャ様」
「あ、イレナさん」

 扉をノックし中へと入ってきたのはイレナだった。
 
「体調はどうでしょうか?」
「すごくいいです」

“体調は、だけど”

 残念ながらメンタルは自分のやらかしでボロボロだった、のだが。

「朝食は召し上がれそうですか? こちらにお持ちいたします」
「え!? ここ、公爵様の部屋なんじゃ」
「はい。お疲れだろうから、とルミール様からそう申しつけられております」
 
 あんな状態の彼を放置し寝てしまった私を叱るどころか気遣ってくれたことに驚く。

“本当に知れば知るほど悪徳というイメージから離れる人だわ”

 さっきまであんなに申し訳なさと情けなさでいっぱいだったのに、そんな彼のひとつの気遣いで私の心には温かいものがじわりと広がるようだった。


 お言葉に甘え、彼の部屋で簡単な朝食をいただいた後は私に与えられた部屋へと戻る。
 まだここに来て四日しかたっていないのに、なんだか戻ってきたという感覚になり私は思わず苦笑した。

“このまま慣れちゃまずいわね”

 私はあくまでも彼の閨係として買われた娼婦。
 その一線を見誤ると、後で痛い目をみるのは私だろう。

「ねぇ、私にも何か仕事を貰えないかしら」
「え?」

 私の発言にイレナの琥珀色の瞳が見開かれる。

「何かしていないと夜まで暇なの。邪魔にならずに出来ることはないかしら? これでもノースィルでは料理の下ごしらえとかもしていたから、野菜の皮むきとかも得意なのよ」

 戸惑ったような表情の彼女に、「お願い」とダメ押しのおねだりをするとしぶしぶ彼女が連れてきてきれたのは調理場だった。

「ここで味見の仕事など」
「それ仕事じゃなくない!?」

 なんとか私に仕事をさせないようあがく彼女に思い切りツッコミつつあたりを見回すと、カゴに積まれた大量の野菜に気が付いた。

“ここに置いてあるってことは今から洗うのよね”

 その野菜をひとつ手に取り、調理場の人たちの方へ振り返る。

「これ、洗ったらいいですか?」
「え、でも……」

 一番見習いっぽい少年が戸惑ったようにイレナへと視線を送ると、観念したように頷くイレナ。
 そんな彼女を見た少年が私へと視線を戻す。

「洗った後は皮をむいてそっちのカゴに移してください」
「その後は?」
「切って湯がきながらアク抜きをしますが……、でも重いですよ」

“確かにこの量を一気に茹でると鍋はそうとう重くなりそうね”

 だがこれでもノースィルでは私が料理の下ごしらえもしていたのだ。
 流石にこの量は初めてだが、これくらいは大丈夫だと笑って頷き早速作業を開始する。

 私の手つきが思ったよりも手慣れていたからか、一瞬驚いた顔をしたイレナがすぐに私の隣に立った。

「私もやります」
「え? でも他の仕事があるんじゃ」
「それはサシャ様も一緒ですよ。それに私の仕事はサシャ様が快適にお過ごしいただくことなので問題ありません」

“い、いい子!”

 嫌な顔をせずそう言い切る彼女にうっかりきゅんとしつつ、お言葉に甘えて私たちは野菜の下処理を始めたのだった。


 下処理を終え、自室に帰ってきた私たち。
 
「思ったよりも大変だったわね……」
「お休みになられますか?」
「ううん、大丈夫。イレナさんこそ大丈夫?」

 野菜の下ごしらえというのは結構な重労働だ。
 いくら慣れているとは言っても、結構な量を一気に処理したので体が軋む。

 だがそれだけにこの適度な疲労が夜の安眠を支えてくれ――……って、寝ちゃダメだった!
 ハッとした私はチラリと自室のベッドへと視線を向ける。

“適度な疲労感はあるけど、まだ眠くはないのよね”

 仮眠を取れば今晩呼ばれても大丈夫だろうが、眠気がないのに眠ることは難しい。

「というか、そもそも連続で呼ばれるのかしら?」

 跡継ぎを熱望しているということはゆっくり閨指導を求めている訳ではないだろう。
 きっと出来るようになればすぐに誰かと再婚し子作りに励むはず。
 であれば、この間のように仕事が押さなければ毎日呼ばれる可能性だってあるかもしれない。

“でもそれって、公爵様はいつ休まれるのかしら?”

 ふとそんなことが気になった。

「ねぇ、公爵様だって疲れるわよね?」
「それはもちろんですが……、あ、でもお体を鍛えられておりますので私たちよりずっと体力はあると思いますよ」
「え! 仕事もして鍛えもしてるの!?」

 にこりと告げられたその言葉にギョッとする。
 そういえば隣の領地と揉めた時、彼自らが剣を持ち相手を降伏させたという噂があったんだったなと思い出した。

“あの噂は本当だったのね”

 これは本格的に怒らせてはいけない相手だわ、なんて考えていた私の表情をどう捉えたのか、突然パチンと手を叩いたイレナがパッと顔をあげた。

「この時間でしたら丁度訓練に参加されていると思いますよ、見に行きますか?」
「……え、ええっ!?」

 見に行くって、まさか私が?

「そんなのダメよ! だって私はただの娼婦でっ」
「大丈夫ですよ、場所はこの公爵城の中ですし!」

“それ全然大丈夫じゃないんですけどっ!?”

 買った娼婦がこんな明るい時間から無断で訪ねてくるなど面倒でしかないだろう。
 しかも他にも訓練している部下がいる前で、だ。
 いくらこの「初夜で妻を捨てる悪徳公爵が娼婦を囲っている」という事実が外に漏れないとしてもあまりいい提案ではないとそう思った。の、だが。

「さあ、行きましょうか!」
「だ、ダメだったら~ッ!」

 焦る私の背を押すイレナに連れられ訓練場へと向かったのだった。

 
 訓練場は少し離れた場所にあるらしく、イレナにがっつり腕を組まれる形で歩いて向かう。
 邸で働く使用人とすれ違うたびに会釈され私の冷や汗が止まらない。

“どうしよう、本当にいいのかしら”

 腕を拘束されているので逃げれはしないが、こんなに堂々と向かうことに焦ってしまう。
 だって私は娼婦なのだ。
 この仕事を恥に思っているわけではないが、他の人からどう見られるかくらいは知っている。

 そのせいで彼に良くない噂が立ちでもしたら、と思うと不安で胃が痛い。
 彼にはよくして貰っている。いや、彼だけではない。アドルフさんやシグネ、イレナにミリーなどまだ沢山の人と知り合ったわけではないが、それでもとても丁重に扱われていることをわかっているからこそ迷惑をかけたくはなかった。

“少しでも嫌な顔をされたら全力で走って去ろう”

 もうそれしかない。
 夜や閨ならともかく、昼間の外で会うことに嫌悪感を抱くかもしれないから。

 ――そう内心決意した私は、渋々訓練場へと足を踏み入れた。
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