極上の男を買いました~初対面から育む溺愛の味~

春瀬湖子

文字の大きさ
上 下
3 / 13
本編

2.ビジネスと言われれば一応ビジネス

しおりを挟む
「お姉さんの名前は?」
「木浦朱里」
「おっけー、朱里ね」

“いきなり呼び捨て……!”

 おずおずと差し出されていた彼の手を取るとブンブンと軽く振られすぐ離される。
 そして向かい合わせで座った彼はポケットからスマホを取り出し私の方へと向けた。

「連絡先交換しよ、何メインで使ってる?」

 にこりと笑った顔がやたらいい。
 思わず一瞬見惚れた私だったが、すぐにハッとして自分もスマホを取り出した。

“電話、それともメール……”

 瞬時に思考を巡らせた私は『inforsyインフォジーconnect』、略して『インコネ』というコミュニケーションアプリを起動し見せる。

「インコネでもいい?」

 形式ばらない、カジュアルなという意味のinformalと、簡単なという意味のeasyを掛け合わせた造語のinforsyと、繋がるという意味のconnectから名付けられているこのアプリは、友達登録している相手と簡単に画像や音楽が共有出来たり、メッセージに通話までも可能な反面、対面でしか友達登録が出来ないという不自由さが特別感を演出し学生を中心に一気に流行っていた。

 私も市場調査を兼ねてインストールしてみたのだが、繋がるまでは少し手間なものの一度繋がってしまえば出来ることは多いのにわかりやすいよう工夫がされているアプリで、使い心地が思ったよりよく、また使用人口が増えていることもあって今ではメインで使っているコミュニケーションツールのひとつとなっている。

 まさにこのインコネとの共同企画をしたいと、アプローチの連絡を入れているほど。

“残念ながら感触はあんまりよくないんだけどね……”

 対面でしか友達登録が出来ないという限った使い方にこだわっているからこそ、我が社のように手広く扱っている企業は敬遠しているのかもしれない。

 
「朱里もやってるんだ」
「なによ、社会人の私がやってたらおかしい?」

 つい脳内が仕事モードに入ってしまっていた私は、不思議そうに言われたその言葉で意識を戻しすぐにムッとして口をへの字に曲げる。

 この程度のことでついムスッとしてしまうのは、まだ亮介との一件を引きずっているからだろう。
 だが私の苛立ちは気にならないのか、彼が気分を害した様子はない。

 その事実に内心安堵しつつ、私は常に持ち歩いている名刺ケースから名刺を一枚取り出し彼に渡した。
 
「これ、私の名刺」
「あー、なるほど。リサーチも兼ねてやってるんだ?」
「まぁね、ちょっとアプローチかけてるの」

 自分で言うのもアレだが会社が有名だったことと、また部署名から関連性を察したのか納得した顔で小さく頷いた彼は、すぐにその表情を呆れたようなものへと変える。

「てかさ、初対面の男に名刺渡すなよ」
「なっ、しょ、初対面だからでしょ!? ビジネスの基本じゃない」
「これがビジネスだったらね……って、そうか。お金で買われたんだからある意味ビジネスなのか」

 そう結論付けた彼は私のテーブルの伝票を取り私に向かってニッと笑う。

「じゃ、仕事しに行こっか」

 それが、私の『経験を積む』ということだと気付きじわりと頬が熱くなった。

 自身の伝票とこちらの伝票の二枚を持ったままレジに向かう彼を慌てて追う。
 
「不二さんっ!」
「光希でいいよ、なんかほら、そびえ立ってる山みたいだし」

 そのおちゃらけた言い方に思わず吹き出すが、今は笑っている場合ではない。

「それ私のテーブルの伝票……」
「いいよ、これくらい。朱里が払う必要ないやつじゃん」

“確かにそれはそうだけど”

 もう別れてしまったのだから亮介が頼んだものは亮介が払うべき。その考えは正しいのだが、その亮介の分を彼が払うのは私が払う以上に違和感がある。

 どうするべきかと迷い戸惑っている私に気付いた光希は、可笑しそうにくすりと笑いそっと私へ耳打ちをした。

「俺、据え膳は食べるタイプだから」
「……!」
「これくらいは俺が払うよ」

 ふっと笑う彼にドクンと心臓が大きく跳ねる。
 そして次に向かう場所を連想してじわりと額に汗が滲んだ。

“私、この後――”

「朱里」

 優しく名前を呼ばれピクッと体が反応する。
 流石に早まった、勢いとはいえ馬鹿なことをしようとしている。
 そう思うくせに、私に向けられる笑顔と差し出された手が何故か拒めなかった。



 彼に手を引かれ路地に入る。
 まだ明るい空の色と、閑散とした人通りの少ない道がどこか背徳的に思えて心臓が激しく鳴った。

 いかにもラブホ、というような部屋もあれば何故か目に痛いようなカラフルな部屋も選べたが、その中から最もシンプルな部屋を光希が選び、そしてまた彼に手を引かれる形で促されるままエレベーターに乗り込む。

「あのさ」
「!」
 
 エレベーターのボタンを操作した光希は、視線を合わせないようにか点灯する階表示へと視線を固定しながら呟くように口を開く。

“そ、そうだ、私また相手に任せるばっかりで……!”

 亮介にそんなところがつまらないと言われたばかりなのに、また同じことをしていることに気付くが、だがここからどうしたらいいかわからない。
 経験豊富で、魅力ある女性はこういう時にどうするのか教科書があれば欲しいくらいである。

「朱里」

 エレベーターの動きがいつもより遅く思えて変な緊張が私を包む。

“今つまんないって思ってるのかも”
 あの男の言ってた通りだった、なんてもし思われていたら?

「あーかーり?」

 また嗤われるかもしれないと思うと、つつ、と背中に嫌な汗が伝った、その時だった。
 
「朱里ってば!」
「へっ!?」

 突然パッと私の顔を覗き込むように光希が正面に立つ。
 真剣な眼差しに射貫くように見つめられていることに気付き息を呑んだ。

「平気?」
「あ、えっと……」
「ほら、手も冷たくなってるし」
「わっ」

 私の右手を両手で包んだ光希が、手のひらをマッサージするようにゆっくりと揉む。
 ラブホのエレベーターの中で、お金で買った初対面の男に変な意味なくマッサージを施されているというこのちぐはぐな状況がなんだか可笑しく、ふっと私の口から笑いが漏れた。

 笑ったことで緊張が解れたのか、さっきまで強張っていた体が軽くなったように感じる。

「お、手のひらちょっと温かくなってきたかも」
「マッサージのお陰ね」
「はは、これはサービスにしとく」

 悪戯っぽく笑った光希の表情を見て、きっとこの会話含めて私を気遣ってくれていたのだと察した私は、なんだか胸の奥がくすぐったかった。

“亮介からこんな風に気遣われたりってなかったな”

「どうする? 降りる?」

 一瞬言われた内容がわからずポカンとした私は、もう目的の階に着いていることに遅れて気付き慌てて大きく頷いた。

「お、降りる!」
「本当に?」

 少し冗談っぽく小首を傾げて聞く彼のこの言葉が、選択肢を与えてくれていることを理解する。
 今ならまだ引き返せるのだと――……

“でも、あんなこと言われて悔しかったから”
 それに私の気持ちを優先しようとしてくれる彼ならば。

「お金で買ったのは私だから」
「あははっ、了解」

 精一杯強がってそう言いながら、吹き出した光希と一緒にエレベーターを降りたのだった。

 ◇◇◇

「キスってあり?」
「あ……、り、んっ」

 ガチャンと扉が閉まるのと同時に唇が重なる。
 下唇を挟まれ開いた隙間をなぞるように彼の舌が動き、私はそのまま促されるように口を開けた。

 口内に彼の舌が侵入してきたことに思わず肩を強張らせると、私の緊張を解すように背中をゆっくりと撫でられる。
 いつの間にか口内を蠢いていた舌が抜かれ、重ねるだけの口付けへと戻っていた。

“私のペースに合わせてくれてる?”

 そう気付くと、胸の奥がほわりと温かくなる。
 少し落ち着いてきたからか、冷静にそう考えられるようになった私は意を決して舌を伸ばし彼の唇をつついた。

 精一杯、積極的に。それだけを念頭に置いて必死に舌を動かすと、ぱくりと私の舌を食む。
 彼の口内へと閉じ込められた私の舌は、すぐに強く吸われ彼の舌が絡まった。

 ちゅくちゅくと彼の舌が扱くように私を刺激し、口付けがどんどん深くなる。
 呼吸も忘れて彼の舌を味わっていると、突然ガバッと抱き上げられた。

「な、なにっ!?」
「早くベッドに行きたいなって思って」
「ッ!」

 抱き上げたことで私を見上げる体勢になった光希が、にこりと微笑みながらそんなことを言う。
 そんな彼の瞳がどこか妖しく揺らめき、私はごくりと唾を呑んだ。

「……私も、その……ベッドに、行きたい」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。

石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。 自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。 そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。 好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

シャンパンをかけられたら、御曹司の溺愛がはじまりました

入海月子
恋愛
一花はフラワーデザイナーだ。 仕事をドタキャンされたところを藤河エステートの御曹司の颯斗に助けられる。彼はストーカー的な女性に狙われていて、その対策として、恋人のふりを持ちかけてきた。 恋人のふりのはずなのに、颯斗は甘くて惹かれる気持ちが止まらない。 それなのに――。

英国紳士の熱い抱擁に、今にも腰が砕けそうです

坂合奏
恋愛
「I love much more than you think(君が思っているよりは、愛しているよ)」  祖母の策略によって、冷徹上司であるイギリス人のジャン・ブラウンと婚約することになってしまった、二十八歳の清水萌衣。  こんな男と結婚してしまったら、この先人生お先真っ暗だと思いきや、意外にもジャンは恋人に甘々の男で……。  あまりの熱い抱擁に、今にも腰が砕けそうです。   ※物語の都合で軽い性描写が2~3ページほどあります。

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

好きな男子と付き合えるなら罰ゲームの嘘告白だって嬉しいです。なのにネタばらしどころか、遠恋なんて嫌だ、結婚してくれと泣かれて困惑しています。

石河 翠
恋愛
ずっと好きだったクラスメイトに告白された、高校2年生の山本めぐみ。罰ゲームによる嘘告白だったが、それを承知の上で、彼女は告白にOKを出した。好きなひとと付き合えるなら、嘘告白でも幸せだと考えたからだ。 すぐにフラれて笑いものにされると思っていたが、失恋するどころか大切にされる毎日。ところがある日、めぐみが海外に引っ越すと勘違いした相手が、別れたくない、どうか結婚してくれと突然泣きついてきて……。 なんだかんだ今の関係を最大限楽しんでいる、意外と図太いヒロインと、くそ真面目なせいで盛大に空振りしてしまっている残念イケメンなヒーローの恋物語。ハッピーエンドです。 この作品は、他サイトにも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりhimawariinさまの作品をお借りしております。

契約結婚のはずなのに、冷徹なはずのエリート上司が甘く迫ってくるんですが!? ~結婚願望ゼロの私が、なぜか愛されすぎて逃げられません~

猪木洋平@【コミカライズ連載中】
恋愛
「俺と結婚しろ」  突然のプロポーズ――いや、契約結婚の提案だった。  冷静沈着で完璧主義、社内でも一目置かれるエリート課長・九条玲司。そんな彼と私は、ただの上司と部下。恋愛感情なんて一切ない……はずだった。  仕事一筋で恋愛に興味なし。過去の傷から、結婚なんて煩わしいものだと決めつけていた私。なのに、九条課長が提示した「条件」に耳を傾けるうちに、その提案が単なる取引とは思えなくなっていく。 「お前を、誰にも渡すつもりはない」  冷たい声で言われたその言葉が、胸をざわつかせる。  これは合理的な選択? それとも、避けられない運命の始まり?  割り切ったはずの契約は、次第に二人の境界線を曖昧にし、心を絡め取っていく――。  不器用なエリート上司と、恋を信じられない女。  これは、"ありえないはずの結婚"から始まる、予測不能なラブストーリー。

処理中です...