【R18】可愛い番犬を育成したつもりがどうやら狼だった件~だけどやっぱり私の犬はとっても可愛い~

春瀬湖子

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1.あの日の思い出

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 それは暑い夏の日だった。
 隣の領地との境にある花畑へピクニックへと行った私の目に飛び込んできたのは、黒髪の小さな男の子をいじめる少年たち。

 彼の髪を掴み、何かしらの罵倒をしながら囲む姿は幼いながらにも不快で、当時の無鉄砲な私は苛立った勢いで彼らに突撃したのだ。

『格好悪いのよッ!』

 そう怒鳴りながら体当たりをし、一人倒した私は突然の乱入者に驚いている別のいじめっ子の少年も突き飛ばす。
 そして囲われていた少年へと手を伸ばしたのだが、その時耳元でジャキンと耳障りな金属音がした。

 風で舞う赤茶の髪はどう見ても私の髪の毛で、その様子を目を見開き愕然とした様子で見つめる少年の赤い目が印象に残っている。
 どうやらいじめっ子の一人がハサミを持ってきていたらしい。
 幸いにもそのハサミは私の肌には当たらず、髪の毛を一房切っただけで済み、私と一緒に来ていた護衛に彼らはすぐに拘束された。
 恐らく黒髪の少年を脅すために持ってきていたのだろう。

 髪の毛を切られたタイミングで私の侍女と護衛が割り込み、彼らとは引き剥がされたのでそれ以上髪が切られることも怪我をすることもなく終わった。

 その後のこともあっさりとしたものだった。

 長く伸ばしていた髪が切られてしまったことは少し悲しかったが、だが髪はすぐに伸びる。
 それに何より、いじめられていた少年が泣きながら家まで謝罪に来たので私は何でもないことだと笑い飛ばした。

 彼は私の二歳下の隣の侯爵領の男の子で、彼をいじめていたのはその領地に遊びに来ていた分家の子だったらしい。
 本家に生まれたというだけで享受できるものが大きく変わるため、ただただ本家の子を妬んでいたのだろう。
 貴族社会ではよくある定番の理由だ。
 そこに私が飛び込んだので、彼を驚かすつもりで持ってきていたハサミを使ってしまったのだという。

(その子、終りね)
 子供ながらに私はそう思った。

 乱入したのは私の方だとはいえ、私だって伯爵家の令嬢。その令嬢の髪を切り、しかも本家の子をいじめていたことも明るみになったとなればそれ相応の罰は免れない。
 今も謝罪に来ているのが彼だけだというところを見ると、もう既に領地から追い出された可能性すらある。

 ごめんなさい、を繰り返す少年は、私がその時読んでいたお気に入りの絵本の表紙を見て更に俯いてしまった。
 お姫様と、そのお姫様を守るように隣に描かれた犬、そしてお姫様のために敵と対峙する王子様が描かれたその表紙のお姫様の髪色がたまたま私と同じだったのだ。

 もちろん私もそのお姫様を意識しなかったわけではなく、彼女みたいになりたいと髪型も髪の長さも同じにしていたのだが、一房切られてしまったことで仕方なくバッサリと切り揃え今ではもう髪色以外の共通点はない。
 私としては、髪なんてまた伸びるので気にするほどのことではなかったのだが、彼にとってはそうではなかったらしい。
 体を張って守られた、という認識が後押ししていたのかもしれない。

 グッと両手を強く握ったその男の子は、向かい合わせで座っていたソファからスクッと立ち上がり私の横に両膝をつく。
 私の足元にかしずくように跪いた彼は、チラリと絵本を見てから強い意思を宿した眼差しで私を見上げ言ったのだ。

『今日から僕は貴女の犬になります』と。

 もちろん断った。
 もちろん断ったし、恩を感じてそう言っているのならせめて絵本のように王子様を目指すのはどうかとも言った。
 だが彼は頑なに首を振り、絵本の犬を指差して『犬になる』と断言する。

『そもそも僕は王族ではないので王子にはなれません』なんて正論を言われたが、私だってただの伯爵令嬢。絵本のお姫様とは髪色が同じなだけでお姫様になれる訳ではない。
 だがどう説得しても彼は意思を曲げなかった。

『皆を守りたいんじゃないんです。ご主人様はひとりでいい』なんて真剣に告げられれば、私はご主人様になんてなりたくないんだけど、という本音を言うのは躊躇われ仕方なく頷いた。

 そして私が飼い主になった幼いあの日から十年。
 無事に二十歳へとなった私は、あの時のお姫様と同じように赤茶色の髪をハーフアップにして編み込んだ髪型が乱れることも気にせず頭を抱えて机に突っ伏していた。

「どうして私には夫も婚約者もいないのよーッ!」
「ま、焦ることじゃないんじゃない?」

 私の嘆きに雑な返事を投げるのは友人であるルツィエ・ヴィントロヴァー子爵夫人だ。

「自分は結婚してるからって!」
「それはそれ、これはこれ」

 あっさりとそう切り捨てたルツィエに私は思わず唇を突き出し拗ねた表情を作る。

「いっそ政略結婚でもさせてくれればいいのに」

 一昔前は当たり前だった家同士の結婚。
 もちろん今でも最低限相手の家柄は確認されるものの、現状この国では自由恋愛・恋愛結婚が普通であった。

「というか、エリシュカの場合は……」
「迎えに来たよ、エリー」

 ルツィエの言葉を遮るように子爵邸の庭へと顔を出したのは、幼いあの頃の面影残る艶やかな黒髪とルビーのような赤い瞳。
 あの頃とは違い背も伸びてしなやかな筋肉も美しい番犬……いや、青年になった、ジェイク・エドムント侯爵令息だ。

「あら、ジェイク。もうそんな時間?」
「うん。ちゃんと時間通りに来たよ」
「そうなの、いつもありがとう」

 私の座っている足元へ跪いたジェイクの頭を撫でながらお礼を告げると、嬉しそうに瞳を細める。
 その姿は本当に可愛い犬のようで、背はいつの間にか大きく抜かされてしまったけれど、弟のようなペットのような彼が可愛く見えて仕方ない。

 そんなジェイクが、そっと私の髪を一房手に取り口付けた。

「ッ」

 まるで王子様のような仕草だが、残念ながら彼は自称私の犬。
 私とてもうお姫様に憧れるような年ではないけれど、今でもこの髪型にしているのは彼が伸びた髪を大切そうに見つめるからである。

(ほんと、可愛いんだから)

 今もまだ私の髪が切られてしまったことを悔やんでいるらしい彼がこうやって熱い視線を向けるので、私はそんな彼の為に今日も今日とて絵本のお姫様と同じ髪型にしてしまうのだ。
 そんなジェイクも十八歳。とうとう成人である。

 ――だが、それと私に婚約者すらいない話は別件である。
 立派な番犬と成長した彼が常に私の隣をキープしているせいで、私には異性の友人どころか知り合いもほぼいない。

(夜会に行く時のエスコートはいつもジェイクがしてくれるし、お父様やお兄様と行った時も、向こうでしれっと合流してくるのよね)

 ヴラスタ伯爵家の挨拶周りにも何故か当然のように付いてくるし、父が知人と話している間なども私がひとりにならないよう必ず隣にいる。
 飲み物や軽食も献身的に持ってきてくれるし令嬢と話すときはさり気なく距離を取ってくれるので私としては何も不満はないのだが、ジェイクが番犬らしくどの令息もブロックしてしまうので話すことすらままならない。
 折角の夜会でどこの令息とも知り合えないのは、婚約者のいない現状痛手なのも事実だった。
 
 兄ふたりに誰か紹介を頼むという最終手段に出たこともあるが、何故か目を逸らされただけで終わった。
 腹が立ったので兄ふたりには将来ハゲるよう念を送ったので実る日が楽しみである。
 
 そして兄からの紹介がダメならば、もう頼る相手はいない。
 向こうから声をかけてくれないのなら私から狩りにいかなくてはならないだろう。

 ジェイクのブロックをかい潜り、万一現地に居ても私だと気付かれないでなんとか令息と知り合わなければ私の婚期は遅れる一方だ。
 もう後がない私の考えた方法は――
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